第17話 窮鼠猫を噛む

 一心はその足で浅草で闇金をやっている徳森金融(株)を訪れた。

社長は刺殺され現在は妻のあらたと娘が後を継いだと聞いていた。

 その昔この会社の社員が少女を拉致したときに静と一心が突入して、静ひとりで刃物をちらつかせる十人ほどの若衆を叩きのめし少女を助けたことがあって、それ以降静の事は姐さんと呼んでなんでもいう事を聞いてくれる。

「こんちわ」今日は静がいないので若干怖いがおくびにも出さず元気よく事務所のドアを開けた。

「なんだおめぇ……」と言いかけ、誰だか気付いたのだろう「兄貴、いらっしゃい」

その場の全員が腰を折って頭を下げる。

それを見て一心はホッとした。

「ちょっと教えて欲しいことがあるんだよ」そう言って写真を差し出す。

「昨日、俺を尾行した奴なんだが、素人には見えないんで、ここのお兄さん方なら知ってんじゃないかと……」

写真を受取った未成年のように見える若者が首を傾げ、後ろの若衆に聞いてくれている。

「あぁこいつ最近のしてきた奈糸(ないと)んとこの若い奴じゃねぇか? 洋(よう)、お前こいつと向島でやりあったろ」

洋と呼ばれた男が写真を覗き込んで「あぁそうだ」と言って、一心に向かって「こいつがなんかしたんか?」

「ある事件を調べてたら俺を尾行してたんで、何かあんのかなと思ってさ」

「ふーん、こいつらやばいぜ、金になるなら何でもやるって話だ」

「その奈糸ってどこにあんの?」

「渋谷の駅近くって聞いたが正確な場所はわかんねぇな」

「そう、後は自分で調べる。ありがとうな」

「今日は姐さんは一緒じゃないのか?」

「ふふっ、いっつもふっついてもいられないんでね」

「そうか、気ぃつけや。尾行してるってことは、兄貴を狙ってんのかもしんねぇからな」

「あぁそこは十分わかってるつもりだよ。ありがとう。また訊きに来るかも知んないけどよろしく」

一心は長居は不要とばかりに急いでその場を後にした。

聞いた情報を事務所に伝え調べろと命じておく。

 

 そのまま渋谷へ行こうと浅草駅に向かう。

ホームへの階段を上っている時に静から奈糸の正式な社名や住所を知らせる電話が入った。

「あんはん、ひとりで行くんかいな?」静が心配そうな声で言う。

「大丈夫だ、深入りはしない。その会社であいつを見つけたいだけだ」

ホームで話をしている時だった。

激しく後ろから突き飛ばされた。

「うわーっ」

スマホが線路まで飛んで行って、一心は転んで頭をホームから突き出した状態で止まった。

電車が来ていたら頭を持って行かれるところだった。

女性の悲鳴がホームに響き渡り、駅員が数名駆け付けてくれた。

係員が念のためと言って救急車を呼んだ。

スマホは駅員に拾われたが壊れていて受信も発信もできないようだ。

 

 病院のベッドの上で丘頭警部の事情聴取を受けた。

静も子供らも心配して駆け付けてくれた。

「いやー参った。まさか襲ってくるとわな……ははは」

「一心! 冗談じゃない、ひとには単独行動を禁止しといて、自分はひとりで歩き回って、挙句に襲われやがってバカじゃないの!」

怒鳴りまくる美紗の目に光るものがあった。

「せやで、あんはんは家族ん中で一番の軟弱もんなんやから、気ぃ付けんとあきまへんえ」

「ふふふ、静の言う通りよ。で、相手の顔は見たの?」

警部に訊かれたが「残念だが、まったく、影すら見てない……」

「そ、しゃーないな。それと静から聞いたけどその会社、表向きは貿易会社となってるけど実績は殆どない。裏社会に通じてるみたいだって渋谷署で言ってたわよ。相当やばそうな会社だからあまり近づかない方が良いわよ。って言ってもあんたの事だから探るんだろうけど、静にでも護衛して貰わないとね」

「いやぁ、飛び道具でも出された日にゃ、いくら静でも危ないから、もう少し調べてから近づくことにするじゃ」

「そう、それが良いわよ。家族にあんまり心配かけないようにね」

「警部、すまんな」

「お互い様よ。じゃぁね」

丘頭警部が帰った後「静、お前なら押されたらどう反応する?」

「せやねぇ、身体捻って押した手を掴むやろか? もし掴めなくても相手の顔はしっかり見る思うで……」

「はぁなるほど、俺は押された勢いそのままに前へ吹っ飛んでしまった。今度はそうしてみるか」

「ばか言わんといてください、もう沢山どすがな」

「あっそうだな。すまん」

「けど親父、銀行とその会社と繋がりがあるって事だろう? そっちから調べたら良いんじゃないか?」

ずっと黙っていた数馬が口を開いた。家族を襲われ怒りが顔中に表れている。

「あぁそのつもりだ。恐らく金で繋がってるんだろうから、ある程度金のある奴が調査対象だな」

「となれば、役員か……三十人くらいいるから尾行も大変だな。一助が今彼女と北海道へ行ってるから、戻ったら始めるな」

「おぅ、室蘭の時間差トリックな。楽しんでるかな?」

一心が言うと数馬が羨ましそうに「良いな」と呟いた。

「次に機会あったらお前たちに行かせてやるから、我慢せ」一心は優しく言った積りだったが「うっせーっ」

数馬が部屋を飛び出して行ってしまった。

「あれ、俺何か悪い事言ったか?」

「ふふふ、数馬は呟いてしまったことが恥ずかしかっただけでおます。心配せーへんでもよろしおす」

「そういうことね。可愛いとこあるじゃないか」

「俺も旅行行きたい」口を尖らせて美紗が言う。

「お前、彼氏おらんじゃろ」ここぞとばかりに一心は突っ込んでやった。

「うっせーな。俺はハッカー仲間とハッカーツアーしたい」

「なんじゃそれ? 仲間ってみんな女じゃないか」

「一心、そないに美紗をいじめちゃあきまへん、友達と旅するのもえぇもんどすえ」

「あぁそう言えば、静も友達と伊勢へ行って来たんだったよな」

「せやから、美紗は来年友達と旅行行ってきよし」

「えぇのか? 本当だな、母さん」

「へぇ、あては嘘つきまへんよって」

静が、まるで一心に嘘つきだと言わんばかりの刺々しい視線を浴びせて言う。

「お、お、俺は嘘なんかつかんぞ」

 

 翌日、一心が事務所に戻ると差出人名の無い封書が届いていた。

「家族の命が惜しければ、手を引け」とだけ書かれた手紙が入っていた。

丘頭警部に来てもらってその手紙を鑑識に調べてもらうようお願いする。

「相手は本気のようね。みんな気を付けてね。ひとりの外出は禁止よ」

探偵業を始めて三十年あまり、脅迫状を受取ったのは二回目だ。

一心の家族は脅されると一層燃えるタイプの人間ばかりだという事を犯人は知らないらしい。

 

 

 夕方、邦日銀行の二回目の記者会見が同行役員会議室で行われ、五十名あまりの記者やカメラマンなどで会場はひしめいていた。

広報部長ら銀行側が席に着いたとき、後方の壁に百インチほどの壁掛けスクリーンが何処かの記者の手によって設置された。

 銀行は顧客情報の組織的漏洩は無く、顧客へ配布した照会票等が本人の手によって第三者に渡され、それが悪用されたものと断じていた。

また、ハラスメントについては過去に存在したことを認め、該当行員は懲戒処分としていたなどと発表した。

現状の邦日銀行は品行方正、清廉潔白であり一部のSNS等で流されている組織的な情報漏洩や絶えないハラスメントなどと言うのは無実無根であり、今後訴訟も視野に対策を検討していると述べた。

 

 「現職の本店長東川氏からセクハラを受けたと元行員の女性が証言しているんですがその事実は無いという事ですか?」記者から質問が飛んだ。

広報部長が否定すると、「後ろのスクリーンを見て下さい」記者が言う。

そこにはスマホで撮ったのだろう、給湯室のドア陰から室内を写している。その先に写し出されているのは、中年男性が嫌がる女性の尻を触り、後ろから抱きついて胸を揉みしだく映像だ。男性も女性も顔がはっきりと見える。

「この映像はこの女性の承諾を得て、本日公開させて貰ってます。新井川(あらいがわ)広報部長! ここに写っているのは東川本店長ですよね。日付は右下に写ってるでしょう、今年の三月十六日午後一時十三分から二十分です。この女性はあまりにも酷く、かつ繰り返しされるので人事部にも直訴したけど自分が悪いことをしたかのように言われ三月末で退職してます。法廷でもどこでも証言しますと仰ってます。これでも、セクハラは無いと言うんですか?」

「そのような映像を流す許可をしていません。すぐにスクリーンを撤去してください。それとその映像を当行は始めて見たので、それが真実なのか偽造されたものなのかも分かりません。従って、今それについて意見は控えます」

「なら、こっちはどうです」

そう言って流したのは、小会議室らしいところに男性行員が五名床に正座している。対峙するのは上司だろう。『……なんだこの成績は、こったらものしか獲得できないんだったら、辞めてしまえ、給料泥棒! お前らいなくてもこのくらいの新規獲得はできるんだよ。どうせ外へ行ったらうるさいのいないからさぼってんだろ! だからこんな結果なんだ。言訳は聞かない。辞めるのか、目標を達成するのかどっちか一人ひとり言えっ! ……」

この後しばらく映像が流れ、記者が続けた。「この後、辞めると言ったふたりは実際に退職してます。三人は早朝から深夜まで外訪活動を行って体調を崩し結果的に銀行を辞めています。かつ、超勤状況を調べた結果三人の超勤はゼロでした。これはパワハラじゃないんですか? 写し出された偉そうな男性は渉外課長ですよね!」

「ですから、先程と同じく現状でコメントはできません」

銀行の担当者らは会見を止めて退室しようとするが、記者らが「まだ、質問時間はある」と言ってドア付近に群がって担当者らと押し合いになっている。

そう言う映像がしばらく流されて一心も「なんだこの銀行……能登さんどうしたんだろう」と思う。

「あないな映像流されたら、あのお偉いさん外歩けんのとちゃう?」

「そうだろうな、外へ出たら記者が群がるだろうな。でもよ、あの女性勇気あるな、被害者だけど結構なんやかんやと言われるだろうに」

「せやなぁ、また銀行の窓口にお金を下ろす人が溢れるんとちゃう?」

 

 翌日の昼のニュースは静の言った通りの顛末になった。邦日銀行前に群がった人々が大声で何かを叫びながら入口を目指そうとしているが、テレビで見る限り一ミリも動いてはいない。

こうなると可哀そうなのは真面目に仕事をしている従業員だ。

きっと顧客から罵倒され、脅され辛い思いをしてる。

それが証拠にこの数カ月で退職した行員が百名を超えたと報道されている。

 

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