第7話 岡引美紗
その翌日一心へ丘頭警部から海道彰の情報が提供された。
結論から言うと、他殺だった。
「こないだ言った理由を鑑識が正確に計測したのよ。死亡推定日時は十日から二週間前だから行方不明になった直後に殺害されたってことね。で、運転していなかったことに間違いは無いと断定したのよ。座席が前過ぎて、膝が車体につっかえてペダルを最大限踏み込んだ状態にしか足の置き場がないのよ。それが判断した最大の理由よ」
「まぁ言われたことを想像すると納得できるわな」
「道路上の監視カメラなんだけど、設置の余り無い場所なんで数キロ離れたとこの映像なんだけど、そこでは海道が運転していて助手席に男が座ってるのよ。だからどこかで運転を代わったようなんだけどその場所は分かってないの。で、その後そこを通る車には助手席に乗ってた男は写って無いの」
「ってことは、助手席の男を下ろして、別の男に運転させて、……ん? ならどうして運転席の缶コーヒーに睡眠薬が入ってたんだ? 海道の体内から睡眠薬が検出されてるんだろう?」
「そうなの、僅かだけど、缶コーヒーの成分と同じ睡眠薬が検出されてるのよ。訳わかんないでしょう」
「なんかよ、死んだ五人の中で他殺だとはっきりしてんのは警部の友人だけだな。犯人が違うって事なのかな? あっそうだ、海道だけど、務める会社で話を訊いてて気付いたんだが、心中事件の第一容疑者は海道彰だろう? 殺されちゃったが。だけど海道には男の方を殺す動機が無かったろう」
「そうよ、それも不思議に思ってた」
「うん、俺は動機を持ってる人間が海道に命じて殺らせたと考えるようになったんだ。もちろん女の方は海道自身に動機があることは間違いないとしてもだ」
「ふーむ、横里を殺せと命じられどう殺るのか考えてるときに縁談が持ち上がって、妊娠したと騒ぐ恋人の盛井淳子が邪魔になりそっちも殺したくなったという訳か……考えられるな、そう言う相手がいるならばだけど。いるのかしらそんな奴?」
「あぁひとりは親父の海道知久だ。子供の頃から親父に逆らったことは一度も無かったそうだ。意見も言えなかったと母親が言ってた」
「確か、父親は邦日銀行の取締役だったわね。んー例えば横里が取締役の不正を見つけたとか? あり得るけど、証拠は?」
「いや、まだ可能性の範疇なんだよ。父親以外でも、横里に弱みを掴まれた誰かが彰の弱みを掴んで彰を脅して……と言うことは考えられるがな」
「まぁ、空想ばかり言ってても仕方がない。現実的には父親しかいないのね。……じゃ父親がどうして横里を……」
「考えられるのは、邦日銀行内部の問題だと思うんだが、まだ分からん」
「問題って、顧客情報の漏洩とかハラスメントとか聞いてるけど、他にもあるのかしら?」
「あぁシステム部の皆月って主査が行方不明になってる件さ」
「一心が行員から聞取りした件ね。その後どうなってるの?」
「いやー進展なしだ。彰が皆月を殺して遺体を遺棄した現場を誰かが見ていて、とかなら考えられなくはないが、まぁそれも想像だ。考えてばかりいてもしょうがないのでシステム担当の取締役に今日面談を申し込んであるんだ」
「そう、何か聞き出せたらいいけど」
午後一心は邦日銀行へ向かう。
面会を申し込んだ相手は豪林富次(ごうばやし・とみじ)と言うシステム部担当の取締役だ。
約束の時間に遅れて応接室に姿を現した豪林は名前のイメージとは異なり小柄で華奢な感じの老人だ。
挨拶を交わす中で、翌年取締役を定年退職となるが、その後の処遇は決まっていないと不安そうに小柄な割にどすの利いた声で語った。
「それで、今日伺ったのは、当行における顧客情報の漏洩に……」
一心がそこまで言うと、「有り得ん……」と口を挟んできた。
「有り得んのだよ。そんな漏洩だなんて。巷で面白がって言ってるようだが、君は当行がどれほどセキュリティに力を入れとるのか知らんで言ってるんだろう?」
「えぇまぁ、それで訊きに来た訳で……」
「先ず、フィジカル面で言うと、メインサーバーなどの最重要機器は五階にあるのだが、すべての機器にはバックアップが存在し、それはこの建物には無いんだ」
「ほー知りませんでした。で、何処にあるんですか?」
「ははは、君、そんな事話したらそこを狙われる可能性があるだろうが、だから教えられない」
「なるほど」
「五階には行ったことはあるのか?」
「いえ、ありません」
「ふむ、五階に入室できる行員はシステム部員以外では課長級以上のもので、人事とか総務とかその部署も限定されている。リスク回避のためだ。そしてエレベーター前には監視カメラがあるし、室内や応接室など相当数の監視カメラが設置されて、システム要員の作業を監視しているんだ。まぁ監視と言うのは大袈裟だが記録しておいて問題が起きたらそれを見ると言うべきかな」
「随分と厳重ですね」
「まだある。システム要員に与えられてるパソコンは持ち出せぬよう鎖でデスクに繋がってるし、媒体は使えないよう設定されているんだ」
「はぁ必要性が無いという事ですか?」
「いや、必要ある場合は課長に承認システムを通じて申請するんだ。使用目的や使用期間、使用者などを添えてな。そうすると課長が金庫室から媒体を申請者に渡すと言うルールだ。その媒体は申請者のIDで且つその者のパソコン以外では使えないんだ。まぁめったにはないがな。そして毎日その媒体は課長へ返却するんだ。翌日も使うのであれば朝課長が金庫室から持ち出して手渡しする」
「厳しいように感じますね」
「そうだろう。まだあるんだがあまり喋られないのでこのくらいにして、で、ソフト面では使用者ID毎にその目的が決められている。例えば、ATMソフトのバージョンアップに携わる行員は窓口端末のソフトの加除修正等はできない。特に顧客データベースを閲覧する作業ではデータベースを参照できても加除修正が出来ないのは当然だし、他のファイルへコピーも出来ないんだ。そしてシステムに関わる処理はすべてログと言ってな、何時、どの機器で、誰が、何をしたか、使用したデータは何かなどを記録してるんだ。それを監査部が定例的に、また随時検査して不正行為がないかチェックしてるんだよ」
「じゃ顧客情報を媒体にコピーするなんて幾つものガードをすり抜けないと出来ないってことですか?」
「そうだよ。だから不可能だって言ったんだ」
「ふーむ」一心は元々システムには詳しくないので唸るしか無かった。
美紗を連れてくれば良かったと少しばかり後悔した。
「忘れてたが、システム部の開発室に入るところで虹彩認証システムが設置されてるから、他人の振りをして室内に潜り込もうなんて言うのは所詮無理な話なんだ」
話を聞いていて、美紗がこの銀行のシステムにハッキングしたら形跡が残ってしまうんじゃないかと心配になって来た。
豪林取締役に目をやると、どうだ参ったかとでも言いたげに胸を張って鼻を高くしている。
「システム部の皆月主査はどうしたと思われますか?」
一心は豪林がどう言いう反応を示すか試してみた。
先ず、ギロリと睨まれた。唇を真一文字にして数拍の間を空けて
「家出をしたと聞いとる。当行とは関係のない家庭内の問題で捜索願も出していないと聞いておるが、それがどうかしたか?」
「いえ、ご家族は銀行から捜索願を出さないでくれと言われたと……それに数名の行員が探し回っているように聞いているんですが、違うんですか?」
「ほう、やはり奥さんは探偵さんに正直には話してないようだな。言いたくないのは分かるが」
「豪林さんは、何か知ってるんですね」
「一応行員の事だからな。だが、奥さんがあんたに言わないものを私がいう訳には行かないだろう。それこそ個人情報を漏洩させることになる。奥さんに訊いてくれ」
「行内に問題があると思ってるんですが?」
「それは違うぞ。どういう問題があるって言うんだ?」
豪林も都合が悪くなると相手に物を言わせないように怒鳴りつけるといった一般的な反応を見せた。
「例えば、パワハラにセクハラがあるようです。複数の方が証言してるし、人事部へ行って退職者の年齢や性別などをみて、複数人に辞めた理由を確認したんですが、ハラスメントを退職理由に上げた行員さんは調べた中では半数に近かった」
「ハラスメントは受取側の問題もあるだろう。甘やかされて育った奴は失敗を叱責されただけでパワハラだとか言ったりする。失敗した女子行員に頑張れと言って肩をポンと叩いたらセクハラだと騒いだ奴もいる。もちろん、殴る蹴るとか尻や胸を触るなんてのは間違いなくハラスメントだと言う認識を持っていない行員役員はゼロだ」
「俺が証言を得たのは、まさにその尻や胸を触られた。胸倉を捕まれ唾を吐きかけられながら罵倒されたなどですよ。それに親が危篤だと申告したのに、『親の死に目に会えないのは当たり前だ。ほかに看取る親族がいるならお前は行かなくて良いから仕事してろと』と怒鳴り付けられた行員が何人もいますよ」
「当行には内部の通報制度が用意されていて、それを周知している。あんたが言う様な事実があれば何故言ってこないのか。言わない理由は、その証言が事実じゃないからなんじゃないか? 自分の失敗を銀行のせいにしているだけじゃないのか。私にはあんたの言う事が事実だとは信じ難い。それに遊びに行きたいから自分の親を何回も死んだことにする輩もいる」
「俺も、一人ふたりなら豪林さんの言う事もあると思ったけど、ここ数年を調べただけで二桁の方が言ってるんです。ただ、本部や支店のすべてで起きてるわけじゃない。偏りがある。つまり特定の人物がハラスメントを繰返している。こう言ったら豪林さんにも心当たりが有るんじゃないですか?」
「他に問題はあるのか?」
豪林が一心の質問に答えずに話を変えてきた。本当の所は気付いているという事なんだろう。
「えぇ、あとは報道されている顧客情報の漏洩問題ですよ」
「それは分かってもらえただろう?」
「確かに厳格にやってるってことは理解しました。ただ、被害者は行員にしか分かり得ない取引内容を犯人が口にしたと言っています。システム的には無理だとしても、行員が手作業で顧客情報を調べそれを闇業者へ流す的なことは出来るはず。例えば、被害者の口座などを照会した行員を調べるなんてことはシステム的に可能でしょうか?」
「んー、色んな理由で顧客情報を調べることはあるんだ、だから出来なくはないが膨大な作業になる。探偵に言われてはいどうぞってな訳には行かない。警察からの調査依頼でさえ然るべき書面で具体的な顧客や口座を指定されなければ応じないし、やる義務は無いんだぞ。あくまでお願いされるんだ銀行は」
「例えば、監査部の人がそう言う調査を行うことは可能でしょうか?」
「何、監査部にやらせるつもりか?」
「えっ、いやそう言う積りじゃないし、頼めるひとも居ませんから」
「一応、監査要員には二、三年システム部に配属して監査に関わるところを教育してるから出来るはずだ」
豪林は嫌そうな顔をしながらも正直に答えてくれたようだ。
一心が面談を終えて廊下を歩いていると「探偵さん」声を掛けられた。
振向くと静と一緒に話を聞いた女性行員だった。
「どうしました? 何か思い出したことでも……」
「えぇ、殺された海道彰さんとシステム部の下高さんが一緒に街を歩いてるのを私を含めて何人かの女子が見てるんです。先月の後半でした。何か下高さんが突っかかっている感じで話してたの思い出したんで……」
「あぁそう、ありがとう。調べてみます。また何か思い出したら教えてね」
一心は深く礼をして銀行を後にした。
事務所に帰って家族に豪林との話を伝えると美紗が笑いながら言う。
「なんで俺を連れてかなかった。銀行のお偉いさんがセキュリティだなんだのって言ったってうわべの話だぜ。
分かりやすくセキュリティを言えば、んーそうだな……迷路ってあるだろう。入口と出口がひとつずつあるんだけど、出口にはなかなか辿り着けない」
「あぁそうだな」
「でも、ある一本の道順を進むと出られる。それと同じさ。でな、時間はかかっても絶対迷路から出られる方法ってあるだろう? 一心知ってるか?」
一心は、この野郎親をバカにする気だなと心では思うが、「もちろん」スマイルで答えた。
「まぁ誰でも知ってることだからな。例えば、右手を右壁に触れたまま歩いてゆくといつかは出られる。但し、システムの場合は、出口だと思って扉を開けたら崖なんてのがあるから要注意なんだが、基本は同じさ。
「媒体をソフト的に使えないようにしても、それを解除出来る人間なら解除して使ってまた設定しとけば分からんだろう」
「現に、俺、もう何回も邦日銀行のシステムにハッキングしてデータベースとかログとか見たぜ」
「えーっ、なんだ、豪林の話と全然違うんじゃん」
「ははは、だから俺を連れてけって言っただろう。ばぁか」
「こらこら、美紗。自分のてて親になんてこと言わはるんや、あきまへんで、めっ!」
ほんわかと怒る静。それなのに美紗はしゅんとして「ごめん」と謝る。
「あーそれで、海道が殺される前、街なかで下高って死んだ杉田彩花の彼氏と深刻そうな顔して歩いてるの見つけたぜ」
美紗がそう言って写真を数枚テーブルに載せた。
八月の二十日過ぎの日付で三回会ってたようだ。
「おー俺もたった今女子行員から聞いたばかりだ」
一心はそれを持って再び邦日銀行へ向かった。
仕事の都合で退行を待ってカフェで待ち合わせした。
浅草の何度来たか分からないくらい利用しているカフェ。女性スタッフもすっかり顔を覚えてボックスに座ると笑顔で「探偵さん、今日も待ち合わせですか?」と声を掛けられる。
「コーヒーで良いですか?」
注文するものもいつもきまってるし、意識してるわけじゃないが同じ席に座っている。
ドアを開けて店内に入ると同時にいつもの席に水が運ばれるのだ。
大分遅れて下高がハンカチで汗を拭き拭きドアを開けた。
しばし世間話をし本題に入る。
「海道彰さん……」と言っただけで下高の表情が一変する。
クーラーの効いてる店内で汗を掻いているのは暑さのせいではないだろう。
おしぼりで汗を拭い困った顔をする。
「下高さん、大丈夫か?」
「済みません。疑ってるんですね俺を……」下高は俯き加減に弱々しく話す。
「何の話です? 俺はあなたが街なかで海道彰さんと真剣に話してるのを目撃した人がいるし、こうして監視カメラにも写ってるから、なんの話をしたのか訊きに来ただけなんだけど?」
もちろんその話の先には、海道殺しの可能性も視野には入れているが……。
テーブルに置かれた写真を見て下高の表情が少し明るくなった。
「そうでしたか、いや、彼女が海道と話すところを見たと言う人がいてそれで……」
「ほう、で、なんの話をしてたんです?」
「それが、言わないんですよ。おかしいと思いませんか、何故隠す必要があるのか。それで問い詰めてたんです」
「で、結局、分からないまま彼は死んだ。そう言うことですか?」
「えぇ」
「それで、あなたはどうしようとしてるんです?」
「はっ、どう? って?」
「あなたは海道が彩花さんを殺したんじゃないかと思ってるんですよね?」
「……でも、どうして良いのか……」
「残念だけど、海道彰は彩花さんを殺してない。アリバイがあるんだ」
「えっ本当?」
「あぁ本当だ」
「それは可笑しい。だって、あいつ……」
下高はそこまで言って黙ってしまった。
一心が様子を窺っていると「失礼します」それだけ言って、一心が止める間も無く立ち去ってしまった。
――いったい彼は何を言おうとしたんだろう? ……首を捻る一心だった。
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