第5話 通り魔

 月が替わって九月の五日、中年の品ある女性が事務所に顔を出した。

一心が用件を訊く。

「息子の海道彰が八月三十一日に会社へ行ったまま帰らないので、探して欲しいんです」

驚いた。殺人の被疑者になる可能性の高い人物の母親だった。

「最近、普段と変わったところはありませんでした?」

「えぇなんか妙に落ち着かない感じはしてました。もっとも主人がいるところではいつもそうなんですが……」

「ほう、どうしてお父さんがいると落ち着かないんだろう?」

「子供の頃から厳しく躾けられてて、父親には反発どころか意見も言えないんです。ですから、いつも言いなりに……」

「はぁ、じゃ今回の縁談も?」

「もちろん、父親が持って来た縁談に自分の意見なんか言えるはずもなくて……」

「家出じゃないですよね?」

「まさか、良い歳して……それに、それなら私には何か言うはずです」

「なるほど。で、心当たりは?」

「親類や私の知ってる範囲で彰の友達とか確認しましたけど……」

「どこにも、いなかったんですね」

夫人が頷く。

「いつも使ってるホテルとかありません?」

「彰とか主人が利用するホテルや料亭にバーなんかにも行った様子はありませんでした」

「それでは確認なんですが、三十一日に会社には行っていて、午後六時頃退社した後の行方が分からないと言う事で良いですね?」

「はい、何か事故とか事件に巻込まれたんじゃないかと心配で……」

 

母親が帰った後、丘頭警部にその話を伝えた。

「一心、まさか逃げた?」

「おぅ、俺も一瞬そう思った。だが、まだそこまで奴を追詰めてるとは思えないんだ」

「そうねぇ、私らも、室蘭のアリバイ崩せないし、じゃ邦日銀行の連続殺人って可能性もあるわね」

「殺人かどうかは別としても、邦日銀行の関係者が複数何かの事件に絡んでる可能性は高いな。退行後の奴の行方を美紗に追わせるわ」

「こっちは、捜索願でもでれば動きやすいんだけど……」

 

 しばらくしてから時計を見てもうそろそろ夕飯だなと思っていると、三階から美紗が下りてきた。

「おぅ、彩花の殺害されたホテルに女装した男が出入りしてたぞ」

そう言って女性にしか見えない写真をテーブルに置いた。

「えっこの女が男だってか?」

俄かには信じられない、完璧な女性、胸だって膨らんでいるのが分かる。それが男?

「何よ、疑うのか? 俺の歩行マッチングアプリを……」

そのアプリは歩く姿を分析して歩き方で男か女かを見分けることが可能だし、ふたりの歩く姿を録画すればそれが同一人かも分かると言う優れもの。

美紗はその自作アプリに自信を持ってる。それもそのはず、過去にそれで犯人を特定して逮捕につながった事件は一件や二件じゃない。それは十分一心も分かってる。分かってるが……。

「まぁ分かった。これ丘頭警部に持ってくわ」

一心の言い方が、半信半疑なのを美紗が察知して「いや、俺持ってく、きっちり説明してくるから、一心は飯でも食ってろ、ぼけ親父! で、数馬らが行員の歩く姿を録画してくれたら特定も出来から急がせてくれよ」

悪口雑言はいつもの事だが、腹は立つ。その反動で「静! めしにしてくれーっ!」と叫んだ。

 

 

 

 邦日銀行八階の休憩所は昼休みともなれば複数の女性グループのたまり場になっている。

「ねぇ、どう思う?」ひとりが言う。

「どうって言われても、犯人は行員としか考えられないんじゃないかしら」別の女性が言う。

「ねぇシステムのストーカー野郎じゃないの? あれ、あそこに座ってる本店の彼女も被害にあったって言ってたわよ」そう言ってこっそりと指をさす。

「人事の娘は常務の部屋にお茶出ししたら必ずお尻触られるって泣いてたし」

「私の経営企画の友達が、課長補佐が上司から怒られたら必ず女の子に意地悪してくるって言ってた」

「私も、うちの次長に胸触られた」

「この銀行って変態だらけね。殺人犯がいたって不思議はないわねぇ、やだなぁ、早く辞めたい」

「良いじゃない、あんた彼氏いるんだもん、さっさと子づくりして寿退社したらわ、ふふふ」

「やだぁ、まだ二十四よ。働きたい。けど、ここは嫌。だけど給与は良いから辞められない」

「ちょっと、あんた何言ってのかさっぱり分かんないわよ、ははは」

「で、あんた、誰が犯人だと思う訳?」

「あたしは……業務支援部のあのむさい男」

「私は、ストーカー男だと思う」

「いや、案外取締役にも業務執行役員にもなれない、監査部長とか」

「あたいは、海道の息子だと思ってたんだけど死んじゃったしね……分かんなくなった」

「ねぇ懸けしない。夫々ひとりだけ言って、ひとりだけが当たったら外れた五人でボンボンスークレのチーズケーキをご馳走するってどう?」

「あっ、良いね。やる」

……

 

 

 才川鈴子は定時に退行し帰宅の途についていた。

内心また襲われるかもしれない恐怖に怯えていた。

親友と思っている丘頭桃子警部に早く話をしてしまいたかったが、明後日でないと時間がとれないと言われそれまでの我慢だと思っていた。

今日も銀行を離れた瞬間からひたひたと鈴子を尾ける足音が聞こえている。否、恐怖心がそう聞こえさせているのかもしれない。現に振返ってもそのような人物は見当たらない。

 鈴子にはまだ思い残すことがあった。もう四十八にもなったら結婚願望こそないが、若かった時みたいに恋はしたいと思っている。

だけど行内にその対象になるような人物は見当たらないし、いたと思ったら妻帯者だった。

鈴子は不倫などと言うものには嫌悪感を感じている。

だって、それで幸せになりましたという女性に巡り合ったことは一度も無かった。

中年男が女性の若い身体が目当てで不倫をし、女性が歳をとると捨てる。それがほぼすべての不倫パターンだと鈴子は固く信じている。

ただ、今はそんなことより行内の不正行為を摘発してもらう事が最優先だ。

 そんな事を思いながら歩いていた。雷門の交差点を南へ曲がってアパートがもう少しで見える場所まで来た時、コツコツという足音がはっきり聞こえた。

鈴子は音源を確認しようと振返る。

野球帽にサングラスとマスク、人相はまったく分からない。

体格は中肉中背で特徴は、……歩き方だ。異様なくらいのがに股だ。

イメージはチンピラの歩き方。

鈴子は足を早める。

もうアパートが見えた。自然と駆け足になっていた。

後ろにいた男をもう一度見ようと振返った瞬間、背中に激しい痛みが走った。

悲鳴を上げる前に口を塞がれた。

そして刺された刃先がもう一度、鈴子の身体の奥深く押し入ってきた。

……

時が止まって激痛を感じなくなってゆく、さらに視界がぼやけて頭が働かなくなりつつある。

それでも桃子さんに犯人の遺留品を残そうと思い男のズボンを掴もうと手を伸ばした。

しかし、その手を男に踏みつけられてしまった。

ぼんやり、死ぬんだ……。

 

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