第18話 シオンの主人

「イチヨー、おなかすいた」


 しばらくの間ぼうっと街並みを眺めていると、胸ポケットの位置から声が届いた。

 シオンがいつもの無表情で、だが瞳には「何か食べたい」という強い意思を宿してこちらを見上げている。


「うん、分かった」


 ちょっと待っててね、と言って一葉は左ポケットから革袋を取り出した。

 中にはパンの欠片が入っている。

 こんなこともあろうかと、朝食のパンを一かけら残しておいたものだ。


「はい、どうぞ」


 シオンを胸ポケットから自分の膝の上に移し、パンを渡す。

 小さな体を精一杯伸ばし、両手でワシッ、と力強くパンを掴んだ彼女は、そのまま抱くような姿勢のまま齧りつき始めた。


(なんだろう……。小鳥に餌をあげているような……)


 黙々とパンを食べている姿に、ふとそんな事を思ってしまう。


 旧ユーセロイに来てから宿に閉じこもっていた間は暇な時間が多かったため、こうやって彼女のオヤツタイムを眺めることが何回かあった。

 その度に少しづつ会話をしているのだが、仲が進展したとか、シオンの事を良く知れたかというと、残念ながらそんなことは無い。

 ちゃんとした自我が無いという性質上仕方がないのかもしれないが、こちらからの問いかけに対する反応はいつも薄く、興味のないことは答えが返ってこない事も多かった。

 要求があると言えば眠りたいか、何かを食べたいかの二択だけ。

 

 それでもこうやって予めオヤツ代わりのパンを用意しておけるぐらいには、少しづつシオンの事が分かるようになってきている。

 久々の外が嬉しいのか、それとも純粋に旧ユーセロイの光景が楽しいのか、ここまでの間に眠っていないのは珍しい事だった。

 だから、今日は何か新しいことが聞けるかもしれない。


「ねぇ、シオン」


 そう思って一葉は気になっていたことを尋ねる事にした。


「シオンはいつも胸ポケットにいるけど、寝心地とか悪くないの?」


 移動するとき、彼女はいつも一葉の制服の胸ポケットにいる。

 胸ポケットの中の良し悪しなど知りようもないのだが、一葉の目から見て決して居心地の良さそうな空間には見えなかった。

 しかし、彼女はそこを自分の場所と定めたらしく、緋色の服のポケットの中や、革袋の中などを勧めても、胸ポケット以外を受け入れる事はなかった。

 

 パンを食べ終えたシオンがこちらを見上げてくる。


「ねごこち?」


 何を言っているのか、という風に僅かだけ首を傾げるシオン。


「えーと、なんて言うんだろう……。この中って、どう? 寝やすい?」


 言葉を選び、自信の胸ポケットを指さしながら再度尋ねてみる。

 すると彼女は、コクン、と頷いた。


「だいじょうぶ」

「……だいじょうぶ、かぁ」


 それは良いのか、それとも我慢できるという意味なのか。

 これ以上深堀しても上手く言葉が返ってこないだろうと思った一葉は、大丈夫ならまあいいかと結論付ける事にした。


「じゃあ、そうだな……」


 次は何を聞こうかと思考を巡らせ、会話が続きそうな話題をチョイスしてみる。


「シオンは何の食べ物が好き?」

「おいしいの」

「……なるほど、なるほど」


 想定外の返答に一瞬たじろいでしまう。「そうじゃない」とツッコミたい所だが、そうしたところでシオンからは「?」が返ってくるだけだろう。

 美味しいものが好き、という返答自体はなんらおかしなところはないのだ。だから、聞き方が悪かったのだと思いなおし、再トライを試みた。


「パンとお肉はどっちが好き?」

「どっちも」

「どっちもかぁ……」


 コレも不発。

 上手く進まない会話に、一葉は幼い子と話すとこんな感じなのだろうかと思わされる。

 緋色が話している時は、シオンがどんな返答をしても楽しそうに会話が続いているような気がするのだが、なぜ自分の場合はこうも断絶してしまうのか。


(いや、そりゃそうか)


 その原因は直ぐに思いついた。

 元々のコミュ力の違い、というやつなのだろう。中学校では彼女の周りにはいつも誰かがいた。女子も男子も常に誰かと行動をし、楽しそうに話していたように思う。

 対して自分は友人と言えるのはクラスの中に数人だけで、それ以外の人たちと話すのは――普通に話しぐらいは出来ていたと思うが――得意ではなかった。

 一人で本を読んで過ごす休み時間だってあったし、それはそれで有意義に感じていたこともある。


 彼女のように振舞うなど、自分にはできそうにない。

 何故シオンは彼女ではなく自分と――、


「おかわり」


 頭の中に流れていた教室での光景は、シオンの言葉によって遮られた。


「あ、ごめん、もうないんだ」


 残念ながらパンは渡した分しか持ってきておらず、彼女の要求に応えることは出来なかった。

 もっと持っておけばよかったねと、申し訳なさそうに言う一葉に対し、シオンはいつもの無表情で「そう」と言ってから、


「ん」


 と、子どもが抱っこをせがむように両手を一葉に向けて広げた。

 可愛らしいその仕草に、自然と口元を綻ばせながら、一葉は彼女を胸ポケットの中に戻した。


 オヤツでひと心地着いたのか、眠たげにポケットの中で丸くなるシオン。

 これ以上の会話は無理そうだ。結局、食べ物については何も分からなかったが、それは実際に食べている時に観察してみる事にする。


「シオンの主人マスターってどんな人なんだろうね」


 ふと思ったことを呟く。

 妖精フェアリー主人マスターという存在に造られた魔法生命体。シオンはそんな存在なのだと、緋色は言っていた。妖精フェアリーは何かの魔法に関する目的があって造られるらしいのだが、と思うが今のところシオンにそんな兆候は見られない。


 主な行動は一葉の胸ポケットかタオルの上で寝るか、ご飯を食べているだけ。

 何か魔法に関連するような行動をしたことなど見たことが無い。

 だから、どんな人が、何故彼女を作ったのだろうと、一葉の中には彼女に対する新たな疑問が生まれていた。

 

 その呟きは本当にただ思ったことを言っただけで返答を期待したものではなかった。

 だが、


「ますたー?」


 シオンが瞑っていた目を開いた。


「そうそう、主人マスター


 もしかして何か喋ってくれるかも。

 そう思ったところで――、


「こんにちは」


 唐突に声をかけられた。

 想定外の事象に、バッと声の方を振り向く。


 そこにいたのは、日に焼けた肌を持つ少年。


 それが、今後何度も顔を合わせることになる、一葉と彼との出会いだった。

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