第14話 その炎は幻を映す

「動くな」


 真後ろから突然放たれた男の声。

 それはよく耳にすると言えば耳にする台詞だった。


(え? え……?)


 しかし直接向けられるのは初めての言葉に、一葉は動揺してしまう。

 それでも、状況を理解しているかのように体は動きを止めていた。

 

 何か良くないものがチラリと映った気がして、視線だけを僅かに落とす。


「――っ」


 一葉の右首筋。

 そこに、刃物が突き付けられていた。


「あら」


 ミサが少しだけ首を傾げながら声を出す。

 確かにその声に驚きは含まれていたのだろう。だがそれは例えば誰かに偶然街中で出会ったような、そんな仕草に見えた。

 この場の空気に対してあまりに異質。


「動くな」


 状況にそぐわないその声色に、意図が伝わっていないとでも思ったのか、男から再度同じ警告が告げられた。


「あなたは空賊たちの仲間? 忍び込んでいたの?」


 ミサが口を開く。


「船を落とされたというのに、意外に冷静な子たちもいるのね」


 その内容は男に語り掛けているようで、しかしその反応を待つようなことはせず、言葉が並べられていく。


「どうやって入り込んだのかしら。気が付けなかったの? アルキメデス」


 非難を受けて飛行船アルキメデスが低く唸る。

 まるで空賊の要求を無視するようなやり取り。

 男の苛立ちが強まっていく事を示すように、ギチリと歯を噛みしめる音が耳元で鳴った。


「飛行船の権限を明け渡せ!」


 さもなければ殺すぞ、と語気を強めて発せられた言葉に、一葉は自分が命の危機にある事を実感させられる。


「はっ……、はっ……」


 刃物から伝わる死の気配に、上手く息が出来ない。

 指先から冷たくなっていく。

 両足は地面が無くなったかのように、力が入らない。

 動くなと言われるまでもない。

 首元の刃によって、一葉の体は縛り上げられたかのように動けないでいた。


 お願いだからこの男を刺激しないで欲しい。

 一葉のそんな願いもむなしく、


「出来ないわよ。私に権限はないし。権限を持ってるのは外にいるあの男よ」


 ミサは投げやりにルーガが映っているスクリーンを指さしながらそう言った。

 だからどうしようもない、と気怠そうに答える彼女に侵入者は、


「なら、お前を人質にしてあいつから聞き出してやる。こいつを殺してな」


 これは脅しではないと、これ見よがしに刃の角度を変え、男から二人に対して下される最後通告。

 殺意を表したかのような、刃のきらめきが目に映る。

 もうダメかもしれない、一葉はそう思うがやはりミサは動じることも無く、


「いいえ」


 空賊の発言は誤っていると、微笑みながら首を横に振るのだった。


「あなたにその子は傷つけられないわ」

「な――――」


 男が絶句する。

 そして問いかけられた一葉もまた驚いていた。


(何を……)


 あの人は何を言ってるんだろうか、と意味が分からずに混乱してしまう。

 そんな一葉が面白かったのか、ふふ、と優雅に笑うミサ。


「大丈夫よ。あなたは傷つかない」


 優しく「そうでしょう?」とミサは語りかけてくる。

 けれど一葉に心当たりはない。

 あるはずはない。

 首を裂かれたら、自分の命など簡単に終わる。


「だから、やっちゃいなさい」

「ちっ」


 もはやこれまでという様に、男が一葉の首を刎ねようと腕を振るった。

 

 ひらめく刃が首筋に吸い込まれる。

 一葉は迫りくる未来を直視できず、思わず目を瞑った。

 

 だが、届いたのは覚悟していた痛みではなく、


「障壁――!?」


 ガンッという衝撃音だった。


 予想外の出来事に、目を開いて何が起きたのかを確認した。

 一葉と短剣の間にあったのは白く輝く薄い膜。

 ソレが、刃を防いでいた。


(物理障壁――!)


 その光景に、森の中を走っていた時の事を思い出し、何故ミサがあんな事を言ったのかを理解した。

 そう、自分には〝新たなる獣アウォード〟から身を護るための障壁が施されていたのだった。


 目の前には驚愕した顔。

 そこで初めて、一葉は空賊の姿を見た。

 外の空賊たちと同じような、薄汚れた服に身を包んだ男が、右手に短剣を携えている。

 血走った両目に呆けた顔の自分が映った。

 その顔が示す通り、このチャンスに自分が何をすべきかなど、一葉は分かっていない。


「ほら、今よ」


 故にミサは、「動け」と彼を促す。

 その言葉の意味はやはり全く理解できていなかったが、それでも生存を望んだ体が動いた。


「うわぁ!」


 右拳で、空賊の左頬を殴りつけた。

 骨にぶつかった鈍い衝撃。

 殴った拳が痛い。

 一葉にとっての生まれて初めての暴力。

 ただ勢いに任せて振るわれた拳は体重も乗っていなければ、力の入れ方もめちゃくちゃ。

 そんな少年の攻撃は、暴力に生きる空賊には全く効いていなかった。


「てめぇ」


 男は左足が一歩後ろに下がっただけ。

 すぐさま体勢は元に戻り、男の顔を怒りが染め上げた。


 それでも――、


「上出来よ、イチヨウ」


 ミサにとっては十分だっらしい。

 気が付けば一葉の隣に立っていたミサが、ぱちん、とその指を鳴らした。


「さぁ、夢を見なさい」


 そして、何かを宣告する。


「グッ――――!?」


 同時に、ガクン、と男が膝をついた。

 続いて全身の力が抜けてしまったかのように、だらりと腕が下がる。

 保持することが出来なくなった短剣が、地面に落ちて金属音を響かせた。


(火……?)


 気が付けば男の目の前には、小さな、マッチで灯されたかのような火が浮かんでいた。


「ぁ……」


 半開きの口から何かを言いたそうな、けれどもう言葉になっていない音が漏れる。

 空賊の男は膝をついた姿勢のまま、虚ろな目でその火を見つめていた。


「あなたたち、何人で侵入したの?」


 ミサが男の前に立ち、男に問いただす。


「あ……、ぅ……」

「答えて?」


 喋らない男に対し、あくまで優し気に、けれど背くことの許されない命令が下った。


「さ、さん、に……、ん」

「そう。他の二人は?」

「きかん、ぶに……」


 もはや抗うことは出来ないのか、たどたどしく男の口から情報が開示されていく。


「ヒイロ?」


 ミサが通信機インカムで緋色に呼びかけた。


『なに? ミサ』

「アルキメデスに侵入者よ。二人が機関部に。頼んでいい?」

『うそっ!? 了解! 捕まえてくる』


 よろしく、と言いミサが通信を切る。


「あ、あの……」


 もう大丈夫かなと、そう思った一葉は未だに嫌悪感が拭えない右首筋をさすりながら、ミサに話しかけた。


「何を、やったんですか?」


 目の前の男の状態。

 その異常性に、助かったという安堵感は感じる暇もなく去ってしまっている。


「幻を見せてるのよ。あなたが隙を作ってくれたから助かったわ」

「……どんな幻を?」

「それは秘密」


 人差し指を唇に当て、悪戯っぽくミサが笑う。


「さて――――」


 そして心底楽しそうに言うのだった。


「後は何を喋ってもらおうかしら」

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