第13話 隠匿された回廊

 ――――それは、圧倒的な光景だった。


 軽く沈んだと思ったルーガの体が、唐突に掻き消える。


「――え?」


 何が起こったかも理解できないまま上がってしまう一葉の声。

 その事態をハッキリと認識するよりも先に、別の画面にルーガが現れた。

 それはどういう原理か、空賊たちの左端。

 目測でも二十メートル以上は離れている場所。

 ルーガは空賊たちがその出現に気がつくよりも早く、一番近くの一人を右の拳で殴りつけた。


『――グァ!』


 文字通り吹き飛ぶ男に、何事かと空賊たちがそろって左を向く。

 その瞬間には、色黒の男が頭から地面に叩きつけられていた。

 これで二人。


『くそぉぉおぉお!』


 パニックに陥った空賊が仲間に当たるのも構わず、銃を乱射する。

 釣られて数人が発砲し始め、小爆発が至るところで起こった。

 互の体を撃ち合った空賊たちが崩れ落ちる。

 そんな中、狙われたはずのルーガの姿はもうそこにはなかった。


『に、逃げ――』


 そこでようやく正しい選択をした一人の空賊が、背を向け駆け出そうとする。

 だが既に何もかもが遅い。

 逃亡のための一歩を踏み出すより前にルーガの拳が男の腹を捉え、その体を上空に押し上げていた。


「すご、い」


 一葉が呆然と言う。

 複数の画面がルーガを捉えているからこそ、辛うじて何が起こっているかは見ることができている。

 しかしそれでも、全てを目で追えているわけでなかった。


 一人を倒した瞬間にはその姿が消え、その事に気が付いた時には離れた場所に現れるルーガ。

 その移動のプロセスが、完全に抜けていた。

 一葉が彼を認識できるのは、空賊たちに攻撃を加える一瞬のみ。

 人が目にも追えない速度で移動するなど、それはもはや空想の中の現象だ。

 それはヒトという生物の域を超える動き。

 もしあるとすればそれこそ、漫画や小説フィクションの中のモノ。


「――――」


 その想像以上の光景に、思わず息を飲んでしまう。

 緋色の動きも凄かったが、これは種類が違う。速い動きの中にもどこか優雅さのあった緋色が清風だとしたら、ルーガはただ力に任せて全てを飲み込む暴風だ。

 あまりにも一方的。

 これは既に、戦っているなどと呼べるモノではなく、強大な暴力による蹂躙だった。

 

『――ア゛』

『ウゴ――!?』


 一葉がルーガの姿を追おうとしている間にも、次々と空賊が倒される。


『くそっ! 見えねぇ! どこに行きやがった!?』


 そうして、またしてもルーガを見失ってしまった。

 立っているのはもはや三人だけ。残されたのが自分たちだけだと悟った空賊たちは、恐れからかお互いの身を寄せ合う。


 そんな彼らと少し離れた位置に、ルーガの姿があった。

 何故三人だけを残しそんなところに現れたのか。そんな疑問に応えるかのように、ルーガが最初と同じく身を僅かに沈める。

 だが今度は動かない。


 訪れる静寂。


 ルーガへの恐怖でピクリとも動けない空賊たちと、そんな彼らを楽しむかのようにピクリとも動かないルーガ。

 臨戦態勢のまま動かずに対峙しているその光景は、まるで中世のガンマンたちによる決闘を見ているかのようだ。

 違うのは、撃たれるのが先か、それとも駆ける方が速いのか。


 空気が重い。

 船の中から画面越しに見ているだけの一葉の額から、汗が流れ落ちる。

 きっと空賊たちのプレッシャーは一葉の比ではないはずだ。


『――くっ』


 苦悶の声と共に、動きが生まれる。

 焦れた一人が銃口を向けようと動かそうとし――、


『――っ!?』


 空賊たちへとルーガが拳を振り下ろした。


 拳が出したとは思えない重低音が鳴り響き、地面が砕かれる。


「あれは……」

 

 今まで黙っていたミサから、僅かばかりの驚きが漏れた。

 遅れて一葉も驚きの正体に気が付く。


『……か、頭ぁ!』


 背に庇った空賊の一人にそう呼ばれたのは、一人の青年だった。


 あざ黒い肌をした、真っ黒な髪の青年。歳も若く体つきも逞しいとは言えない彼もまた、身なりからして空賊なのだろう。

 だが、その鋭い眼光と、髪と同じ真っ黒な太めの眉からは他の空賊たちとは違う、強い意志が感じられる。


 その青年が体全体を使い、両手で抱き込むようにルーガの拳を受け止めていた。

 顔は苦痛に歪み、重みに耐えられなかった足は片膝をついている。

 それでも確かに、ここまで一方的な破壊を繰り広げた暴風が止まっていた。


 まさか止められるとは思わなかったのはルーガも同じなのか、そのまま追撃をせずに、トン、と地面を蹴って後ろに大きく距離を取る。

 それを確かめてからゆっくりと、頭と呼ばれた青年が立ち上がった。


『お前たちは逃げろ。奴には敵わない』


 後ろにいる空賊たちに向け、ぼそりと呟かれた言葉が画面を通して聞こえてくる。

 先の一撃で力の差を知ったのか、その言葉は苦々しい。

 しかし空賊たちが何かを返すよりも早く、青年は誤魔化すように肩をすくめ、今度はルーガに届くよう大きな声で言った。

 

『売り出し中の〝魔弾の射手〟を仕留められると思ったんだけどな。こっちの様子がおかしいから戻ってきてみれば、まさかこんなことになってるとは』

『……前の船は囮だったのか』


 ルーガが応える。

 そこに先程までの凶暴性はなく、今は青年に合わせるかのように力を抜いて立っていた。


『そうだよ。二日前の夜中にバカみたいな魔弾が使われたからな。目撃情報と魔力の高さから〝魔弾の射手〟に違いないと思って網を張ってたんだ』

『……魔弾』


 青年の言葉に覚えがないというようにルーガが訝しむ。

 二日前の夜に何かがあったらしいということは一葉にも分かった。その日は一葉がコチラに来てしまってからの初めての夜だ。一葉はその日の夜を思い出そうとし、その記憶に引っ掛かりを覚えた。

 二日前の夜と魔弾とバカ。


「……あ」


 一葉には、その単語に心当たりがあった。


『なるほどな。ヒイロか』


 思わず出てしまった一言がインカムを通して伝わり、それだけでルーガは全てを理解したらしい。

 あの夜、一葉を元気づけるために打ち上げられた魔法が空賊たちを呼び寄せ、囮の船と緊急信号を使って見事に罠にかけられた。

 青年とルーガの会話をまとめるとこんなところだろう。

 つまりそれは、空賊たちの目論見通り前の船を一人追いかけて行った緋色が危険だということだ。緊急信号が罠の可能性もあると言ったのは緋色自身。


『残念ながら追ってきた〝魔弾の射手〟は予定通り仕留めたよ。こっちにこんな化け物がいるのは予想外だったけどな』


 そんな一葉の不安を青年が肯定し、


『ヒイロを仕留めた? お前たちが?』


 ルーガが一笑に付した。


 その笑いに何を感じたのか、今まで砕けた表情で話をしていた青年が目を細め、腰から短剣を抜く。

 腰を落とし、短剣を持つ右手を前に。

 青年は油断なく構え、言った。


『俺の名はカドス!』


 名乗り、と言うのだろう。

 青年がルーガに向かって、自分自身を宣言する。


『――――お前は、誰だ』


 カドスが問う。

 瞬間、ルーガを取り巻く空気が変わった。

 視線は冷たいまま、動いたわけでもないし、立ち姿だって何も変わらない。

 ただ、その顔が嗤っていた。


『……ルーガ・セイレス。ただ、それだけだ』


 「ただ、それだけ」そこにどんな意味があるのか、一葉には計り知れない。


『悪いけど、最初から使わせてもらう』


 開かれた目はより鋭く、射殺さんとするかのごとくルーガを睨む青年。

 その顔は力の差に諦めたのではなく、覚悟を決めた者の顔。

 カドスがダラリと左腕を下げ、口を開いた。


『――開け、隠匿された回廊カーザン・ロー


 紡がれた言葉と共に左腕が淡く黄金に光り、その手に黒色のナイフが現れた。

 そしてそのナイフが地面に向けて振るわれる。


「……え?」


 それがどんな意味を持っていたのか、カドスの足元の地面が変質する。泥のようにずるりと緩くなった地面に、カドスの足元が沈んだかと思うと、ストンと全身が沈んだ。


「消えた!?」


 体は完全に地面に吸い込まれた。

 まるでマジックでも見せられたかのようなその消失は、一葉が今まで見た中で一番魔法らしい魔法だ。


『なるほど、完全に消えたな』


 ルーガがあたりをざっと見まわし、


『気配がない』


 すん、と鼻を鳴らす。


『匂いもない。これじゃあ、俺でも追えないな。コレが――』


 ルーガでもどこにいるかは分からないらしい。

 消えたカドスはどこに行ったのか。

 姿を隠したのは逃げるため、ではないだろう。彼の目は逃避など一切考えていなかった。

 ならば狙いはルーガだ。


『お前の魔法か』


 ルーガの頭上の空間が音もなく割れる。

 そこからカドスの体が飛び出した。


『だけどまあ』


 右手の短剣が奔る。

 狙われたのは首筋。

 ソコを裂けば一撃で勝負は決まるだろう。

 剣先が首に吸い込まれる、寸前――


『出てくるなら、捕まえられる』


 ルーガの右手が、青年の喉笛を捉えた。


『カッ――』


 ガクン、と青年の落下が止まり、首に指が食い込む。

 右腕一本で空中に磔にされた青年が、苦しそうにもがいた。

 だがそれでも短剣は落とさなかったらしい。

 拘束を解くべく、自身を捉えている腕を切りつけようと青年の右手が動く。


 だがそれよりもルーガの右腕の方が速かった。

 振り下ろされる。

 上から下へ力任せに。

 青年の体を地面に叩きつけた。


「終わったわね」


 地面が砕かれ砂埃が舞う。

 画面には、体が半ば地面に埋もれてしまった青年の姿が映し出された。ルーガの怪力を全身で受けたのだ、ミサの言うとおり命があるにせよ無いにせよ、動くことはできない状態だろう。


『頭ぁーー!』


 カドスがやられ、逃げろと言われたにも関わらずその場を動けけなかった空賊たちが叫ぶ。

 怒りによって身を縛っていた恐怖は吹き飛んだのか、手に持った銃をルーガへ向けようとし、


『グ――!?』


 頭上から降ってきた光の矢が彼らの動きを止めた。


 急な事態の展開についていけない一葉をよそに、画面が魔弾の発射元である上空を映し出す。

 そこには大きく手を振りながら降りてくる緋色の姿があった。


『やほー。戻ってきたよー』


 どうやら無事だったらしく、服が多少汚れている以外は外傷らしき物もないようだ。

 晴れやかな笑顔は、むしろアルキメデスを出ていく前より元気にさえ見える。


『前の船も空賊船だった。突然大砲で撃ってくるからビックリしちゃったよ』


 緋色はルーガの隣に乗り物を停め、残念そうに肩を落としてみせた。

 大砲で撃たれてビックリするだけというのもどうかと思うが、一葉はとりあえず無事ならそれでいいと密かに胸を撫で下ろす。


『らしいな。それで、その船どうしたんだ?』

『……いや~、それがちょっとムカってきたから強めに撃ったら落ちちゃって』


 あっちの方で燃えてる。と、自分が来た方角を示す緋色。

 自分でもやりすぎたと思っているのか、頭を掻きながらはにかんでいる。


 その仕草を画面越しに見ていた一葉は先ほどの安堵を破棄し、またも新たな評価を緋色に付けることにした。

 ムカッときたから飛行船を落としてしまうというのは、さすがに人間離れしすぎていると思うのだ。

 しかもやりすぎたとは思っていても、微塵も罪悪感がないところが性質が悪い。

 きっと小学生向けのゲームをやっていたら大人気なく本気になってしまいました、ぐらいの気持ちなのだろう。


『……全く、売れば金になるものを』

『えー、ルーさんだって船落としてるじゃん!』


「あの、ミサさん?」

「何?」


 二人のやり取りを聞きながら、ミサに気になる事を聞いてみようと思った所で、一葉は既視感を覚えた。そう、相手はミサではなくルーガだったが、空賊たちの襲撃の前に同じように緋色のことを尋ねたのだ。


「〝魔弾の射手〟って愛和さんの事ですよね? 誰が付けたんですか?」


 〝魔弾の射手〟。空賊たちの標的だったその名前は、二つ名とか異名というものだろう。話の流れやから緋色のことを指しているらしいその名からは、自分の厨二センスに近いものを感じていた。

 あの夜にも同じ匂いを感じたからだろうか。一葉はミサに聞きながらも、誰が言いだしたかは大体分かっていた。


「……『自分もカッコイイ二つ名が欲しい』とか言って、あの子が自分で名乗り始めたのよ」


 予想通りの答えに、一葉は黙って頷く。

 思わず飛行船を撃ち落としてしまう完璧超人クラスメイト。

 あと何度、この複雑な気持ちにさせられるのだろうかと思い――、

 

「動くな」


 その一言によって、一葉の思考が止まった。

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