第4話 世界を照らす月
船内の一室。
緋色によってこの部屋に案内されてから、一葉はずっとベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。
帰りたいという願いと、帰れないのではないかと不安がグルグルと頭の中を回っている。
どれくらいの間そうしていたのか。
そんな一葉の思考を打ち切ったのは、コンコン、とドアを叩く音だった。
「三和切君、起きてる? ご飯持ってきたんだけど」
(……もうそんな時間なのか)
緋色の言葉に、長時間自分がふさぎ込んでいたことを悟る。
「三和切君?」
「……起きてるよ。どうぞ」
ベッドの上から動かずにそれだけ言うと、緋色が扉を開け、食事を乗せたトレイを片手に部屋の中に入ってきた。
「ご飯だよ。お腹空いてる?」
「あんまり空いてないかな」
「そっか、まあ食べてよ。少ないけどさ。味はあっちの世界と変わらないから」
備え付けのテーブルの上にトレイが置かれる。
一葉は視線だけを動かして、トレイに乗せられたロールパンのようなものと、ベーコンとキャベツらしいものが入ったスープを見るも、やはり食べたいという欲求は湧いてこなかった。
「まだ起きないねー」
机の上には小人が眠っていた。お前が持っておけとルーガに言われ、一緒にいることになった小さな女の子は未だに眠り続けている。
「……いらない?」
いっこうに動かなかったからだろうか、緋色が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん、今は……」
「……まあ、そうだよね。――よし、ちょっとさ、ついてきてくれない?」
「え? ご飯は?」
「まあ、いいから。今食べても美味しくないでしょ?」
突然の提案に戸惑う一葉の腕を緋色が掴む。
「ちょっと――」
そのまま半ば強引に引っ張られ、一葉は部屋の外に出た。
「こっちこっち」
(……なんなんだ)
先に歩き出した緋色の有無を言わせぬその背中に、一葉は諦めて後をついて行くことにする。
「……私もさ、こっちの世界に来たときはビックリしたよ」
狭い通路を二人で歩いていると、前を向いたまま緋色が語り始めた。一葉は何を返すわけでもなく、ただ後ろを歩く。
緋色も返事が欲しいわけではないのか、そのまま話は続いた。
「気が付いたら森の中で、何もわからなくて、ふらふら歩いてて……、猛獣? に囲まれて。そこをね、ルーさんに助けてもらったんだ。私も三和切君と一緒で、結構危ないところだったんだよ」
角を曲がって階段を上がる。
「話を聞いてもわけ分かんないし、帰れないし、夜は怖いし。今にして思えば、私も結構落ち込んでた。……でもさ、何日か経ってからなんだけど、悪いことばっかりじゃないなって、気が付いたんだよね。――――よっと」
ガコン、と何かが外される音がして、外気が船内に入り込んできた。
予想以上に強く、冷たい風に、思わずたじろいてしまう。
「足元気を付けてね」
言われたとおり下を見ながら慎重に段差をまたぎ、外に――飛行船の甲板に一葉は出た。
目線を上げると、そこには暗い世界が広がっていた。ぼんやりと山や地平線が見えるぐらいで建物などは見えない。
(……上?)
連れてきた緋色はただ、黙って上を見ている。
上に何かあるのかと一葉も見上げ、
「う、わぁ」
人は本心から感動すると、意識せずに声が漏れるらしい。
満天の星。
雲一つない漆黒の空に、無数の星ぼしが輝いている。
あるものは激しい赤色に、あるものは優しい緑に。強さも色も様々に、空一面を飾っていた。
まるで宝石箱をひっくり返したような、という例えに相応しい、星の輝きで埋め尽くされた空。
さらに目を奪われるのは、星の海の中で寄り添うように光り輝いている二つの天体だ。一つは月と同じぐらいの大きさの薄い青色。もう一つは、それより一回り小さい赤色。
その二つは周りの星たちに引き立てられ、まるで自分たちこそがこの空の主役であるかというように浮かんでいる。
(……すごい)
とても幻想的で、美しい夜空だった。
「――綺麗でしょ。あっちの空より好きなんだ」
緋色が好きというのもよく分かる。
「うん、すごく綺麗だ」
だから素直に言葉が漏れた。
うんうん、と緋色は満足そうに頷き、
「夜は暗い事を考えちゃうから嫌だったんだけど――」
右手を空にかざして、まるで星を掴むようにゆっくりと握る。
「この空を見てね、変わったんだ」
その拳を胸の前ま下ろし、開く。
彼女は当然のごとく何もない掌を見ながら、何故か微笑えんだ。
「こんなに綺麗な空、これだけでも見れてよかったと思ってる。この世界には他にも綺麗なところがいっぱいあるし、面白いものもいっぱいある」
だから来れて良かったと、緋色は笑顔で語る。
(良かった、か)
そう思えるほどの余裕はまだ一葉にはない。
だが、彼女の力強い言葉には、そうなのかもしれないと思わされる説得力あった。
「それにさ、それにさ! こういうのって憧れたことない? 不思議な世界に来ちゃって不思議な体験するの」
先ほどまでのしんみりとした空気から一転、緋色は瞳を輝かせながら、顔を覗き込んできた。
「――は?」
「ないの?」
唐突な態度の変化に反応できないでいると「あるでしょ?」とさらに顔を近づけられる。
「――っ、い、いや、そりゃあるけど」
焦る一葉の返答に満足したのか体を翻すと、えへへなどと笑いながら緋色は続けた。
「でしょ? そう考えると私たちって、夢を一つ叶えたことになるのかな!? それも、飛び切りの夢を」
「あー、まあ、確かに昔は憧れたかな」
不思議な場所に行って、不思議な体験をする。それに憧れ続け、自分の
本当は現在進行形で妄想のやまない一葉だが、緋色はそれで十分なのか、隣で「だよねー」などと言っていた。
「異世界に来ちゃって、特別な力を使って戦うの」
「……戦わなきゃいけないの?」
「あれ? 妄想したことない? 異世界に来ちゃった私は、特別な力とか役目とかがあって、それで世界を救っちゃうような話」
「…………」
特別な力――魔法とか超能力とか霊力とか、あとは異常なまでに頑丈な肉体とか。
きっと自分には特別な何かがあると信じて、だけど自分も周りの人となんら変わりのない普通の人間だということに気がついて。
それが嫌でなんでもいいから「特別」が欲しくて、自分が主人公になれる違うどこかに憧れた。
世界を救うなんていうのはもののついでだ。
「……ある」
そう、妄想の中の自分は、こんな状況で落ち込んだりせず、きっと誰かのピンチを救っていた。
「よかったー! 私だけかと思った」
だが、実際には違う場所なんてものはない。
一葉もそんな現実を理解してから大分経つし、今では妄想と笑った上で、でもどこかでその憧れを捨てきれなくて、小説を、自分の理想を形にしている。
そんな人一倍あこがれの強かった一葉だからこそ、次の緋色の言葉は衝撃的だった。
「そうだ! まだ言ってないよね? この世界にはね――――魔法があるんだよ」
「は――――?」
一葉の反応が余りに間抜けに見えたからだろう。緋色がクスクス笑っている。
「魔法ね、まほー」
うん、その言葉はよく知っている。
知ってはいるのだが、確認せずにはいられない。
それはないのだ。
「魔法って、あの魔法?」
「うんそう、ファ○アとかメ○とか、ウィンガーディアム、……なんとかーとか、そういう魔法。アルキメデスもね、魔法で動いてるんだよ。空中都市が浮いていたのも魔法、私たちが屋根の上を走っていたのも――――」
「魔法だってこと……?」
そうだ、既に見たではないか。
一葉の常識ではあり得ないもの。
巨人や小人、空飛ぶ街があるのだから、魔法があっても不思議じゃない。
「愛和さんも使える? その……、マホー」
そう考えると、魔法の有る無しより、そっちの方が重要だろう。
既に答えは出ているのかもしれない。それでも、一葉は緋色自身からその答えを聞きたかった。
「うん。私にも使える。だから、三和切君も使えるはず」
予想通りの言葉に、なんとなく手のひらを見る一葉。
魔法が、使える。
「魔法……」
何度も夢見た特別な力が、ただの妄想ではなくなった瞬間だった。
「三和切くーん。おーい」
「――あ、ああ、ごめ、何?」
「ね、魔法見たいでしょ? ちょっとだけ見せてあげるから、離れてて」
言われた通りに少し下がる。
それを確認すると、緋色は右手を斜め後ろに下げた。
「いくよ」
今までの明るい声とは違う、低く重みのある声。その迫力とこれから起こることへの期待で心臓が高鳴り、一葉はゴクリ、とつばを飲み込んでしまう。
何かの前兆のように空気が短く震え、直後、緋色の右手が光りだした。
「まぶしっ」
暗闇の中、空の星が一つここに落ちてきたかのような強い光。
その光は徐々に強さを増し、溢れてしまいそうになったところで、緋色はその右手を上へ振り上げた。
「――いけっ!」
その言葉に従い、右手から拳程の大きさの光が空へ飛び出した。
地上から天へと目指す流れ星のように次々と。
まるで緋色の右手が砲台になったかのように光の玉が打ち出される。
「まだまだ!」
悪ふざけをしているように、緋色の口角が上がる。
「うわっ!」
右手を下げ、代わって上げられた左手から一際大きな玉が打ち上げられた。
バレーボール程の大きな光の玉が空へと登っていく。
その輝きに圧倒されていると、緋色が開いていた左手を握り締め――
「はじけてまざれっ!」
どこかで聞いた
「――――は?」
一葉の聞き間違いでなければ、今のは地球に七つの龍の玉を求めてやってきた異星人の王子が、変身するために擬似的な月を作り上げる時の
一葉も大好きな漫画のワンシーンであり、確かアレは左手じゃなくて右手を使っていたとか、光の玉はもっと小さいとか色々違いはあるだろうが、とにかく
「え…、え?」
動揺している一葉をよそに、打ち上げられた光の玉は一度割れ、直後、あたり一面を照らしてしまう太陽が、いや
「うん、綺麗だね」
先ほど緋色自身が綺麗で好きだと言っていた美しく壮大な星空は、あまりにも不自然な自ら強く輝く月に塗りつぶされ、姿を消してしまっている。
ただただ光っているだけのその月は、青と赤に輝く自然の月と比べてなんとも無粋な存在だ。
だからアレを綺麗だとは一葉は到底思えない。
思えないのだが――――
「来ちゃったんだから、精一杯楽しまなきゃ損でしょ?」
光に照らされたその笑顔があまりにも綺麗で、無意識のうちに頷いていた。
「――ハハ」
頷いてしまったことに気が付いた一葉は誤魔化すように笑う。
「ハハ、なんだよ、コレ」
だが、誤魔化すためだけの笑いは、何故か止まらない。ずっと気分が滅入っていた反動だろうか。一度こぼれてしまった笑いは、止めることができなかった。
「ハハハ、ハハハハ」
仕方がないではないか。
あんなものを見せられたら、ずっとウジウジしていた自分自身がバカらしくなってしまったのだから。
「どうするの、アレ」
笑い出してしまうと、何の意味もなく未だに煌々と輝いている光の玉だって可笑しく思えてしまう。
口の端が上がりにくく、ぎこちなくしか笑えない自分も、そんなことでこっちに来てからずっと笑ってないことにようやく気がついた自分の間抜けささえも笑えてくる。
「愛和さんって思ったより……、面白い人なんだね」
「えー! どういう意味!?」
口では不服そうに言いながら、満足そうに一緒に笑っている緋色。
「ごめん、ごめん」
心のこもっていない謝罪をしつつ、一葉は気持ちが少しだけ軽くなったことを感じていた。
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