第3話 少年の身に起きた事

「それで、本に吸い込まれたような気がして……」


 機械の重低音が鳴り響く船内。

 自分の声が消されぬようにと、大きな声で一葉は言った。


「気がついたらあそこにいました」

「なるほどな。ヒイロが先に光に飲み込まれて、お前が後か。それで一年ズレた、ね」


 ルーガが納得したというように頷いた。


 場所は船の形をした空飛ぶ乗り物の中。

 中央に設置されたテーブルの、真ん中の席に座らされた一葉を囲むように、左手に緋色、正面にルーガという男性と、もう一人茶色のケープを羽織った女性が右奥の壁によりかかって立っている。


(飛行機、なのかな……)


 崩壊する街から飛び出したルーガたちは、事前に申し合わせたかのように彼らの下に回りこんだこの乗り物に着地し、墜落を免れていた。

 その後、今座っている椅子に座らされ、彼女が出してくれた水を飲んでようやく少し落ち着いてきたところで、ルーガに尋ねられたのである。


『まずは、何でお前があそこにいたのか教えてくれ』


 一葉も聞きたいことは沢山あるのだが、だからといって何を聞けば良いかも分からず、言われたとおり図書館で光に飲み込まれた時のことを話し出した。

 とつとつと話しているうちに、ずっとぼやけていた思考が正常化し、さっきまでのことを思い出し始めている。


(なんだんだ、一体……)


 色んなことが起こりすぎた。


 大きく心を占めているのは巨人のこと。

 異様、と一目でそう言える、在り得ない程大きな人間。その巨人に潰されかけた時の死の感触が未だに拭えないでいる。


 もう一つ、一葉の中で大きな存在となっているのが、何故か自分の手の上にいた小さな少女の存在だった。

 その少女は今、机の上に広げられたタオルの上で眠っている。見る限りは穏やかに眠っているようだが、人間の常識を当てはめて良いものだろうか。

 この少女が何者で、どうして自分と一緒にいたのかも分からない。


(分からないことが、多すぎる)


 だから、何から聞けばいいのか判断できない。

 だけど、一葉が何かを言わなければ話が進まないような気がして、まず浮かんできた疑問をぶつけてみる事にした。


「確かに『だから一年ズレた』と言ってました。その女の人が……、なんと言うかの原因なんでしょうか?」


 この事、と未だ自分に何が起きたか分からない一葉は、言葉に迷ってしまう。

 否、本当は分かっているのだ。

 気がついたら知らない場所にいた。

 そこは空に浮かぶ街だった。

 巨人と小さな少女。

 常識を外れた動きをするルーガと緋色。

 一葉の知識にはない、空飛ぶ船。


 何かよく分からない、常識外の場所に来てしまったのだと、一葉もうすうす分かっている。

 だが、それを認めてしまうのはあまりにも嫌で、ハッキリとした言葉にできないでいた。


「さあな。分からんが、何らかの関係はあるんだろう。この世界にお前たちがやって来たことについてな」


 ビクン、と体が震える。

 ルーガの言葉は、一葉に現実を突きつける意味を持った核心だった。


 〝この世界〟とは今いるココのことだろう。そんな言葉が出てくるということはつまり、単純に離れた場所に来たのではなく、法則そのものが違う所にきてしまったことを意味していた。


「大丈夫だよ。私も一年前にこっちに来たけど、なんとかなったし」


 一葉の不安を感じ取ったのか、今まで黙っていた緋色が声をかけてきた。その言葉を信じるのなら、一年前、彼女は一葉同様に突然に来てしまい、今まで過ごしてきたというのだ。

 言われてから改めて緋色の姿を見ると、確かに少しだけ背が伸びており、顔つきも記憶の中よりは大人びているように感じる。


「そんな……」


 馬鹿な、という言葉は続かない。

 その嘆きは既に何度も心の中で繰り返したからだ。


「……愛和さんは、その……、一年の間どうしてたの?」


 もし全てが本当なら、と思い聞いてみる。


「私? え~とね、私もルーさんに助けられて、それから色んなことを教えてもらったり、連れてってもらったり、仕事手伝ったり、かな」


 一葉の問いに対し、同じ境遇にあったはずの少女は昔の出来事を思い出すような仕草をした後、陰りのない表情のまま軽い口調で言った。


「そ、それだけ……?」


 思わず聞き返してしまう。自分が見当違いなことを聞いてしまったかと思ってしまうぐらい、彼女のソレは想像できる苦労や恐怖といった感情が抜け落ちていた。


「その……、帰ったり、とかは?」


 だからだろう。

 勿論、彼女もそのための努力をしたのだろうと、そうであって欲しいと願うように、一葉は言った。

 

「いやさ、まずはほら、三和切君が心配だったから、探すのが先かなと思って。こっちに来てない可能性もあるって分かってたんだけど、気になっちゃってね。まさか一年後にくるとは思わなかったけど」

「――――」


 あはは、と笑う緋色。その思いがけない返答に、一葉は返す言葉を見失ってしまった。

 彼女は自分自身帰ることより、ただのクラスメイトであるだけの一葉の身を案じたのだという。


(できない、だろうなぁ)


 自分が緋色の立場だったら同じことを思うだろうかと考え、すぐにそう結論付けた。

 ああ、だからこの人は皆から好かれているのだと、学校での緋色を思い出して、一葉は納得した。


「ど、どしたの?」


 押し黙った一葉に不安そうな顔を向ける少女を改めて見る。

 きっと緋色がいたからルーガは自分を助けてくれたのだ。でなければ、こんな見ず知らずの少年のために、巨人に立ち向かう理由がない。


(……あ)


 緋色に対してお礼を言おうとし、その前に助けてもらった事についても何も言っていないことに、一葉はようやく気が付いた。


「あ、あの……」


 自分の間抜けさに顔が赤くなるのを感じつつ、自分のことで一杯一杯だったんだから、仕方ないじゃないかと、自分自身に言い訳をする。


「……あ、ありがとう、ございました」


 今更のお礼となってしまったことに罪悪感を感じ、せめて精一杯の感謝を込めて、たどたどしい感謝の言葉とともに、頭を下げた。


「変だよ、三和切君。まあ、無事でよかった」


 そんな一葉を見て、少女はまた笑う。

 緋色の空気に釣られてか、部屋の空気の重さも少しだけ和らいだように感じた。


「とりあえず改めて紹介するね」


 ようやくといった感じで、ぽん、と両手を打って緋色が言う。


「こっちがルーガ・セイレスさん。私たちを助けてくれた強い人で、この船の持ち主ね」


 まずはといった形で緋色は二人のうち男の方を示し、正面の男が頷いた。

 擦り切れた黒い外套コートを羽織った、一葉を巨人の一撃から救った人物。

 その時の背中のみで感じさせたカッコよさに違わない、彫りの深い精悍な顔つきと、短く逆立った黒髪。年は三十を過ぎたぐらいだろうか。

 

「んで、こっちが――――」

「ミサ・アルトブラン。よろしくね」


 若干低めの、かすれた感じのする声で微笑みながらそう言ったのは、ずっと壁によりかかって一葉たちの話に耳を傾けていた女性だった。


「よ、よろしく、お願いします」


 一葉には馴染みの薄い、ウェーブのかかった肩ぐらいの長さの金髪と綺麗な緑色の目が印象的で、年は二十台中盤ぐらいに見える。


「あとこの船は、飛行船アルキメデスね。よく働くいい子なんだよ」


 海に浮かぶ船と同じ形の物をそのまま空に飛ばした、まさしく空飛ぶ船。どうやって飛んでいるのか不明なこの乗り物にも、ちゃんと名前があるらしい。


「さて――」


 一通りの紹介が終わったのを見計らってか、ルーガが口を開いた。

 低く、重い声が、先ほどまでの空気をガラリと変えてしまった錯覚を一葉に与えてくる。


「次はお前の番だ。自己紹介しろ」

「じ、自己紹介?」


 ずっと押し黙っていたのだから、何か大事なことを言われるのかと思って身構えていた一葉は、思わず椅子からずり落ちそうになった。


「そうだ、名前とか、年とか」


 それも至極普通な内容。

 当たり前と言えば当たり前の内容に、まずはそこからかと、一葉は自己紹介を始めてみた。


「えと、その……、名前は三和切一葉です。年は十三歳。愛和さんと同い年です。……アレ、一歳違い、なのかな?」


 何を言うべきか、何を伝えるのが大事なのか悩む。


「日本って言うところの、学校に通ってて、愛和さんとと同じクラスです。後は……、なんだろうな……」


 そもそも学校の説明が必要なのかなどと考えてしまうと、やはり言葉が続かなくなってしまう。そんな一葉を見かねてなのか、ルーガがどうでもよさそうな口調で言った。


「お前、趣味は?」

「しゅ、趣味? 趣味、ですか? どうして?」

「どうしてって、そりゃ坊主の事を良く知るためさ」


 自己紹介をしろという言葉に続き、またしても予想外の発言に戸惑ってしまう。


(趣味、趣味か……)


 一葉の趣味は小説を書くことだが、それは内緒なので、ここで言うわけにはいかない。


「趣味は……、読書、ですかね」


 だから、これなら通じるだろうかと、一葉は「読書」と答えた。

 小説を読むことも大好きだ。だから嘘は言っていない。


ね。なるほどな」


 一葉の回答に何故か僅かに口元を歪めるルーガ。


(あれ、何か変なことを言ったかな……)


 何故笑われたのか。読書ほど、ありふれて無難な趣味はないとそう思う一葉は、


「よし、じゃあお前元の世界に帰れるかどうかだが……」

「か、帰れるんですか!?」


 彼の心情などまるで無視したルーガの、またしても唐突な言葉に驚かされた。

 帰る方法。それが今の一葉にとって一番重要な話だ。


「それだがな、――俺たちにも分からん」

「え……」


 言われ、一瞬思考が停止してしまった。


(分からないって、そんな……)


 帰れるかどうか、それすらも分からないとルーガは言う。


「まあ、一応目星はある。この世界に来れたんだ。帰る方法ぐらいはあるだろう」


 特に励ますように言うでもなく、ただ淡々と伝えられるそれは「あればいいな」という程度の話のように聞こえた。


「……そう、ですか」


 思わず涙が溢れそうになる。

 帰りたくて泣いてしまうなど、まるで子供みたいで嫌だ。そうは思うものの、涙は奥からじわじわと押し寄せてきていた。

 今はまだ彼なりのプライドが泣き出すのを抑えているが、ひとたび決壊すれば泣き喚いてルーガに縋っていたことだろう。


「三和切君……」


 だけど、ここには緋色がいる。

 クラスメイトに無様な姿は見せられない。そんな少年特有のちっぽけな見栄が、彼をギリギリで踏み留まらせていた。


「ま、乗りかかった船だ。一人も二人もさほどかわらない。ついでに探してはやるさ。さて、坊主、ちょっとこっちに来い」

「……?」


 呼ばれ、暗い思考が打ち切られた一葉は、しかし何も考える事が出来ず、言われるままルーガに近寄る。


「こいつは……」


 ルーガはひょい、と机の上で眠っている少女をつまみ上げ、一葉の胸ポケットにストン、と落とした。


「お前が持っておけ。肌身離さずな」


 これで話は終わり、とそのまま席を立つルーガ。

 絶望が広がる胸に加わった僅かな重み。

 

(……やっぱり温かいな)


 空から落ちた時と同様、その温かさにどこか安心感を覚える一葉だった。

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