第2話 転移前・後

「あれ? 三和切君?」


 思いもかけない少女の声に、ビクリと体が反応する一葉。

 そんな自分の動作に恥ずかしさを感じつつ、誤魔化すようにすばやく後ろを振り返ると、声の主がそこにいた。


「何してんの? 勉強……、じゃないね、何その本」


 少女の名前は愛和緋色あいわ・ひいろ

 美少女といっても過言ではない、目鼻立ちがくっきりとしている小さな顔と、滑らかな黒髪のポニーテール。一葉と同じぐらいの身長で、全体的に細身ながら、基準がよく分からない彼でも結構あるんじゃないかと思える、出るところは出ている体つき。

 そんな学園のアイドル、なんて幻想種ではないものの、それなりに狙っている奴は多いと考えられるクラスメイトが、一葉の側に寄ってきた。


「――あ、愛和、さん」


 ドクン、と心臓が跳ねる。


「そっち、こそどうしたの……?」


 思いがけない出会いに上手く回らない口で、なんとかそれだけを返した。

 周囲の迷惑にならないようにと、小声になっていたこともあり、掠れた様な声になってしまう。


(え、なんで、どうして?)


 緋色も一葉と同じく、学校帰りに直接来たのか制服姿だ。

 自分以外に終業式直後にこんなところに来る人間がいるとは思ってなかった一葉は、質問返しをしてしまった事に気が付き、焦りが募ってゆく。


「私はお兄ちゃんが借りた本を返しに来たの。三和切君は神話の本? なんで?」


 対して緋色は彼がここにいる事よりも、持っている本の方が気になったのか、何の躊躇いもなく一冊の本を手にとってパラパラとめくった。

 今度は違う理由で高鳴る心臓。

 彼が小説を書いていることは誰にも話していないし、話すつもりも無い。だからこそ、何故そんな本をと言われても、正直に答えることができないのだ。

 

「ちょ、ちょっと調べ物を……。お兄さんの代わりとか、偉いんだね」


 苦し紛れの話題そらしだったが、元々あまり興味もなかったのか、ふ~んなどいいつつ、緋色は本を一葉に返した。


「何か忙しいとかで頼まれたんだ。学校帰りに寄ってくれってさ。人使い荒いんだよね」

「へー、大変そう」


 平静を装いつつも、深く突っ込まれなくてよかったと内心ほっとする。

 まだ心臓はバクバクと言っているし、手汗もすさまじいことになっていた。


(大丈夫か、これ。ちゃんと会話になってる!?)


 そもそも一葉は生来の引っ込み思案な性格が災いして、クラスの女子とも話す機会など滅多になく、当然ながら女の子と付き合ったことなどないし、こんなところで女の子と話すなど、緊張して何を言えば分からなくなってしまう。


 ましてや相手は愛和緋色だ。彼女は見た目もさることながら、頭も良く、スポーツも得意な反則かと思えるような存在。

 中学では学校の成績が良すぎて、一部で〝ミス・オール5〟などと呼ばれている程であり、話すだけでもハードルが高すぎる。


「そう! 結構大変なんだよ。何でも私に頼むんだから」


 そう、特別仲が良いというわけではない。


「……じゃあ、またね」


 だから、当然のように会話はここで終了する。


「う、うん……。また」


 誓って一葉は愛和緋色に恋などしていない。だが、若干の憧れもないわけではない。

 ほんの僅かに生まれていた期待を誤魔化そうとするものの、心の中には確かに残念がっている自分がいる。

 微妙な年頃の彼にとって、こういう気持ちは扱いに困るものだ。

 そんな少年の気持ちなどそ知らぬ風に、小声で「じゃーねー」などといいつつ手を振って離れていく緋色。


「はぁ……」


 思わずため息が漏れる。

 なんだか必要以上に疲労した精神を引き連れて、今度こそと一葉は本棚に向かった。




◇◆◇◆◇




(えーと、『ほ』の『24』の『325』)


 一冊ずつ、本をあるべきところに戻していく。


(21…、24のー、3、3。……あった。ここだ、ここだ)


 大体の記憶を頼りに棚に書かれた数字をみつつ、屈伸運動と左右への首振りを行いながら、場所を確認する。

 その動作を三度繰り返したところで、再び一葉に声がかかった。


「あ、いたいた」


 一度は別れたはずの緋色が文庫本を片手に一葉に近づいてくる。


(……え!? なんで?)


 さっきは特に何もなく別れたし、一葉には緋色がわざわざもう一度やってくる理由に心当たりはない。

 ならばこれはフラグで、もし物語だったら何か特別な理由ができてこの後一緒に帰ったりするかも。などと先ほどの思考のせいもあり、変な考えがで湧き上がりそうになるのを「あるわけない」と抑えこむ。


 見たところ右手の文庫本をフリフリと動かしながら向かってきているから、そのあたりが緋色がやってきた理由だろうとは一葉も思う。思うものの、そういう妄想を止められないのは年ゆえか、それとも小説書き特有の妄想癖ゆえなのか。


「なんか女の人に、三和切君の忘れ物だーって、言われて」


 え、と思いながらも、緋色が差し出した文庫本を一旦は受け取ってみる一葉。


「いや、僕のじゃないよ」


 だが一葉は文庫本を棚から持ってきてはいない。表紙が擦り切れて読めなくなっている黒い文庫本。念のために確認してみるも、やっぱり一葉が持ってきた本ではなかった。


「……確か、隣の女の人が文庫本読んでたから、その人のじゃないかな?」


 隣の女性が読んでいた文庫本に似ている。だからきっとそう。

 だけど――


「えー。私が話してた少年のって、ハッキリ言われたんだけどな……」


 どうして自分の物だということになったのか。


「なんかの勘違いかな? よく分からないけど、三和切君の本じゃないなら、図書館の人に渡してくるね」


 緋色の言うとおり、誰かの物であれ、図書館の本であれ、ここの職員に渡すのが一番いいだろう。

 そう考えて、ありがとう、と小さな声とともに一葉は緋色に本を返した。


「だけど、何の本かな、これ」


 受け取った緋色が、なんとなくといった動作で表紙をめくる。


 その瞬間、本が輝きだした。


「わ……!?」


 驚いて本を投げ出す緋色。

 ボロボロの文庫本はそんな彼女をあざ笑うかのように、落ちることなくふわふわと空中でとどまり続けた。


「まぶしっ……」


 光がさらに強くなる。

 そこだけ太陽が現れたかのような圧倒的な眩しさに目を焼かれそうになり、思わず目を閉じる少年と少女。

 嫌な予感に、一葉は反射的に書架に右手をかけた。

 直後、何かに強く引かれる体。

 必死に抗おうと右手に力を込める。


 何とか光源を見ようと、顔を覆った左腕を僅かに下げた少年は、ぼやけた視界の中、少女が光に吸い込まれたのを見たような気がした。


 何かの見間違いかと、強い光に痛みを感じながらも目を凝らす。


「なるほどね」


 ふいに、女性の声が聞こえた。

 光の向こう側、通路に人の影が見える。


「だから一年ズレたのかな」


 何を言ってるのか、緋色はどこにいるのか。


「いってらっしゃい。ま、頑張ってね」


 人影にそれを問うよりも早く、光はついに少年をも飲み込み――――


「うわっ――――――!?」


 消滅した。


 バタン、と割と大きな音を立てて本が落ちる。

 そこに二人の姿は影も形もなかった。

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