第1話 転移前・前
空を飛ぶ。
腰には聖なる剣。
身に纏いしは白銀の鎧。
その肩から流れる、同じく白の外套をたなびかせ、彼は舞い降りた。
一瞬の静寂。
人々が溢れた広場の中央。
そこで今にも命を散らそうとしている少女と、少年が対峙した。
「――――」
誰かが何かを言う前に、光に包まれた少年が一歩前に歩み寄る。
右手を少女へ。
それはまるで、少女をその運命から救い出そうというように。
それはまるで、少年がその運命を背負うのだというように。
そう、それは物語の王道。
今なお語り継がれる、捕らわれの姫を助けに来た王子様。
そんな子どもの理想を具現化したような光景が、そこにはあった。
否、理想と言うのであれば、あと一つが足りていない。
助けに来た王子様の手を取る、お姫様の右手。
少年に身を任せようと決める、少女の決意。
その奇跡を得るため、少年は口を開いた。
「――――。」
彼の物語を、始めるために。
少女が少年の手を取るかどうかは、今はまだ分からない。
◇◆◇◆◇
『助けに来たと、君が無事でよかったと手を差し伸べる勇者。
憔悴しきった様子の姫は、眩しい彼の笑顔に導かれるように、身を寄せようとする。
その直前、数匹の魔物が彼に飛び掛った。
勇者は急いで姫の体を引き寄せ、後方へ跳躍する。
獲物を逃さんと追撃する魔物たちと、一人で何ができるものかと高笑いする一人の男。
魔の者であることを示す青みがかった皮膚と、長くとがった耳に彫の深い顔立ち。そして長い銀髪が相まってどこか高貴さを漂わせる男。
それこそが勇者の、人類の敵、――魔王だ。
魔王を視界に納めた勇者は、左手に姫を抱えたまま、右手を振るう。
その動作に導かれて三つの魔法陣が輝きだし、集められた光は人型を形成した。
その光が収まらぬうちに、中央の人型が動き出す。
光を脱ぎ捨てるかのように高速で前に出たのは壮年の男だ。逆立った白髪と顔に刻まれた深い皺をもった男が、急な加速をつけて瞬時に魔物たちの側面に移動した。』
タンタンタン、とスマホで文字を入力する。
書いては消しを繰り返し、少しずつ文章を作ってゆく。
『大きく息を吸う。
早くここから出せとばかりに、僅かに開いた口元から漏れるオレンジ色の高熱。
左から右へ。魔物たちに向かって、その口から灼熱の炎を吐き出した。
炎は瞬く間に魔物たちを飲み込み、当然のようにその巨体を消滅させた。』
場所は駅前の図書館。
明日から中学二回目の夏休みを控えた、終業式終わりのお昼頃。
短くも長くもない学生らしい黒髪に、柔和で地味目な顔立ち。若干細めな体はインドア系の印象を与え、図書館という空間に違和感なく溶け込んでいる。
だが、両手でスマホをひたすらいじり続けるその様子は、周りからは勉強に飽きてゲームでもやっているように映るだろうか。
『残された魔物たちが吼えた。
仕返しとばかりに禍々しい口が次々と開かれ、吐き出された炎や吹雪が、一人突出した男に殺到する。
だがしかし、それらは男に届く直前、唐突に現れた光の壁に遮られた。
為したのは勇者の左、白い清楚な服と輝く金色の頭髪が神々しさを感じさせる女性だった。
邪魔な防壁にイラつく魔物たち。
ならば己の肉体で
そんな魔物たちを哀れと、魔女が笑った。』
多少の入力ミスや気になる言い回しなどは無視され、とにかく量が作られていく。
どうせ後で直すのだ。今はとにかく流れを切らない事の方が重要である。
『勇者の上空。転移魔法により現れた三人のうちの最後の一人。いつのまにか高みより魔物たちの動きを睥睨していた魔女が、詠唱を開始する。
意志の強そうな大きなつり目、燃えるような赤毛の魔女が一度大きめの口を閉ざし、最後にその魔法の名前を口にした。
眩い光が一面を覆う。
一瞬の後の轟音と、爆風。
魔女が起こした大爆発によって、魔物たちは軒並み吹き飛ばされた。
その光景に、今まで動かなかった魔王が右手を掲げる。
その掌には暗く重い闇。
全てを飲み込むその闇に、周囲の空間が歪む。
あれは防ぐことができないと、前方の男に向けて声を上げる金髪の女性。
だが、焦る女性に勇者は心配ないと姫を預け、彼女たちの前に出た。
右手を、左腰に下げた長剣の柄に添える。
それは失われた聖剣の代わりに手に入れた、世界を切り裂いたという逸話を持つ、伝説の剣だ。
僅かに剣が鞘から抜かれ、光があふれ出す。
世界を切り裂くこと剣ならば、たかが闇程度、触れただけで消滅させよう。
勇者はもろとも切り裂くのだと、魔王に向けて突進した。
世界を救うと、そう心に決めて。』
(ん~、これでいいかな……。まあ、帰ってから直すか)
最後の一文がいけてないのが気になるが、まあ、まずまずのところだろうと、文章を保存した。
出先で暇な時間を使ってはスマホで大まかな文章を作りメモアプリに保存。帰ってから家のパソコンでアプリを開き、推敲を繰り返すというのが、彼――
物語の名前は「勇者と魔王の戦闘記 ―魔王ルシフの復活―」。
勇者が仲間と共に魔王を倒して世界を平和に導くという古の物語を、これでもかと前面に押し出した小説の第二作目。
彼は今、その最大の見せ場である囚われの姫を助けに行く場面を書いていた。
なお、小説の主人公である勇者ルベルトは、彼自身の憧れを象徴したかのように剣も魔法も得意で、強く、かっこよく、性格も真っ直ぐな上に、かわいい女の子にモテるという設定だ。
そしてその仇敵である魔王ルシフは魔の王らしく勇者の上をいく魔法の腕と、非道な手段を躊躇いもなく使って勇者を苦しめ、その勢力圏を延ばそうと日夜暗躍している、という設定。ちなみに特殊な防具で守られており、勇者の攻撃しか効かない。
保存完了を確認し、これでよし、という風にスマホの画面を切る。
(よしよし、ようやくここまで来たな)
彼が
小説を書き始めた理由は、単純に小説を読むのが好きだったから。
身長は学年の平均より少し低い162cm、体つきもどちらかといえば華奢であり、顔については――彼自身は悪くないんじゃないかと思っているが――ちょっと目が大きめというぐらいで並というところ。髪は真っ黒で、目にかかるぐらいの長さ。そして成績も運動神経も中の下で、性格も内向的。
そんな見た目からしてオタク趣味を愛していそうな少年が、ライトノベルに手を出さないはずがなく、その中で縦横無尽に駆けずり回り、活躍する登場人物たちに憧れ、良くも悪くも影響を受けてしまうのも思春期ならば至極当然のことだった。
最近ではお気に入りの「
勿論最初は上手くいかずに、筆を折りかけた事もあったが、やはり自分のうちから溢れる物語が形になるのはとても楽しく、一作目が完結した時などは、自分が一つの物語を作り上げたのだと深く感動したものだ。
結果として一葉は小説を書く魅力に取り付かれ、今では立派な彼の趣味となっている。
(うん、やっぱり図書館は小説書くには最高だな~)
最高に面白い小説を、最高の速度で書くには図書館が一番だと一葉は確信している。今日も目標だった勇者と魔王の戦闘シーンまで、既に書き終わってしまった。
本のためによく効いたクーラーはうだるような暑さの外界をシャットアウトし、程よい雑音と古い本の匂いに包まれた図書館は一葉にとって最高に居心地の良い空間。
参考資料となる本を集めてきては、時間ギリギリまで小説に打ち込むことが、ここ最近の暇な放課後の過ごし方だった。
明日からは夏休み。特に今日は鞄の中に入っている、あまり良好ではない成績の通信簿を持って帰ったとしても、母親は何かとうるさい口を出すだけ。
ならば、できるだけこの居心地の好い空間で時間を潰そうと、一葉は午前の予定を決めていた。
「ふぅ……」
切のいいところまで書き上げた自分の頑張りに満足してスマホを机の上に置き、そこでふと、隣の席にも人がいる事に気が付いた。
肩ぐらいの黒髪の、飾り気の少ないTシャツに七分丈のデニムを履いた女性が文庫本を読んでいる。
真っ黒な装丁の少し古びた本。
集中していたため気が付かなかったが、見れば一葉が取ってきた神話と童話関連の本が、若干女性のスペースに侵入していた。
なんとなく気まずさを感じ、あたかもこの本が必要になった体を装ってはみ出している本を引き寄せ、そのうちの一冊をめくってみる。
何故彼が
様々な逸話や、伝説の武器などは彼の大好物であり、そこから拾い上げた単語が彼の小説にもちりばめられている。
今日は新たな単語を求め、あまり踏み込んだことのない、童話に手を出してみたのだった。
(まあ、大体の内容は知ってたけど、調べてみてよかったな)
彼の興味を引いたのは、良く知る童話に実は残酷な描写があるのだと解説している本だった。
食べられて終わる赤ずきん。継母の首を折るシンデレラ。思った以上に
いつでも小説に生かせるようにと、使えそうな単語は全てスマホでメモってある。
(さて、と……)
ちょうど区切りもいいし、そろそろ片付けよう。
そう思って借りてきた本を抱いて席を立ち、通路を歩いていたところで唐突に後ろから声をかけられた。
「あれ? 三和切君?」
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