それは繰り返される物語
久元はじめ
第一章 嘘吐きと狼
プロローグ
『え~、間もなくこの街は墜落しまーす。まだ残っている人は速やかに脱出してくださーい』
ガラガラと崩れ落ちるレンガ造りの建物。
必死の表情で逃げ惑う人々。
燃え上がる炎と悲鳴。
熱気と埃が入り混じった不快な空気。
『繰り返しまーす。この街は私たちが占拠しました。もうすぐ、基幹部の破壊が完了して、この街は墜落しまーす。まだ残っている人は速やかに脱出した方がいいと思いまーす』
状況とはかけ離れた、緊張感に欠けるノイズ混じりの女性の声。
「え……?」
それが、彼の体を包んだ青白い色い光が消えた後、
気が付けば座り込んでいた。
左右にはこれぞ西洋風といわんばかりの赤と白のレンガでできた建物が並ぶ、これまたレンガが敷き詰められた広い道。
その道の真ん中に、まるで周りからは切り離されたかのように座り込んでいる自分に、一葉は戸惑ってしまう。
「え……? え……?」
呆然と、また同じ音を発してしまう一葉。傍から見れば現状を理解できていない間抜けに見えただろう。
だが、それも仕方が無いというもの。ほんの数秒前までクーラーがキンキンに効いた図書館にいたはずのごく普通の中学生に、この状況を理解しろという方がどだい無理な話だった。
「あ、……れ?」
左右の建物はそのほぼ全てが半壊状態。
その崩壊から逃れようとするかのように、躓き、転びながらも自分の前方から後方へと走り去って行く老若男女。
遠くには炎で焼かれた赤い空。
至る所から感じられる建物が崩れ落ちる振動と、高い音で響く悲鳴。
それらは平凡な生活を送っていた一葉にとって、地獄という言葉を連想させるのに十分な光景だった。
(え~と……)
脳がフリーズしている。
自分はどうしてこのような、見たこともない所にいるのか。
服装は中学校の夏服のままで、ポケットには財布だってスマホだってちゃんと入っている。一葉自身には何の代わりも無いのに、気が付けば見知らぬ場所にいるのだ。
それだけでも分からないというのに、常軌を逸した状況に脳が理解することを拒否し、まともに動こうとはしない。
「ん……?」
ふと、右手に不思議な重みがあることに気がつき、視線を落とした。
「――――!」
停止した脳に電流が走ったかのように、ビクンと体が震える。
一葉の掌に乗っているソレは、目の前の光景以上に衝撃的なモノだった。
何故自分の手の上にこんなものがあるのかという新たな疑問を無視し、恐る恐る、ゆっくりと右手を顔の高さまで上げた彼は、まじまじとソレを観察してしまう。
熱気にあてられ汗がにじみ、その汗が滴となるまで再考と再確認が繰り返され、
「ひ、人……?」
そうして口から出た言葉は、あまりにも非現実的な結論だった。
(人形、なのかな? ロボット?)
白いワンピースのような衣装を纏った、人間の女の子に近い形をした手のひらサイズの何か。そんなモノが、その身をさらに小さくするかのように、掌の上で丸まっていた。
手のひらサイズの人間などいるはずも無い。ならば人形か何かかと一葉も考えようとはするものの、見れば見るほど作り物には思えなかった。
眠っているのだろう。
目は閉じられ、よく見ると呼吸のためにわずかに胸が上下しているのが分かる。肩ぐらいまでの短めの灰色の髪はさらさらしており、肌も柔らかそうでプラスチックには見えない。
そし何より、その生命を象徴しているかのように、掌には仄かな温かみが伝わってきていた。
「……」
一瞬逡巡はしたものの、好奇心の方が上回ってしまい、左手の人差し指がソレの太ももの辺りに近づけられる。
そしてあと少しで触れそうになったところで、脳を揺らすような轟音が響きわたった。
遠く、ここからでもその巨大さが分かるぐらい一際大きなレンガの搭が崩れ去ってゆく。
ロンドンの時計塔を彷彿とさせる、古いながらも頑丈そうな搭が半ばから折られ、周囲に瓦礫を巻き知らしながら落ちていく。
その様子を呆然と眺めていると、今度は前方から二つの声が聞こえてきた。
「ん~、この辺りのはずなのだけれど。大きな魔法の反応があったのは。搭も崩したみたいだし、諦めて戻りましょうか、こんな所からは早く帰りたいわ」
「……ん、そうしよう。早く戻りたい」
「そういえば高いところ苦手だったわね。見かけにも名前にもよらず」
一人は少女。
年齢は小学校高学年ぐらいだろうか。その可憐さを連想させる華奢な体格とはどこか不釣合いな、切れ長の目が特徴的な顔に笑みを浮かべている。
周囲の状況を考えれば、笑顔やその話の内容から少女が異様な存在だということが分かる。
だが、それはまだいい。
(そんな……)
問題はもう一つの方の人型だった。
「……高いところ、……から落ちたくない」
少女を肩に乗せ、地響きを立てながら近づいてくる大きな影。
どうしてもっと早く気がつかなかったのだろうかと一葉は思う。
皆、何かから逃げていたのだ。
前方に恐ろしい何かがいるから、必死に逃げようと走っていたのだ。
それなのに、自分はどうしていつまでもこんな所にいてしまったのか。
「あ、いたわね。高い魔力を感じる。アレがさっきの魔法を使ったようね。多分だけど。まぁ、よく分からないから、とりあえず踏み潰しておきましょう」
高さは優に八メートルはあるだろう。
広い胸板のがっしりとした肉体。太い首の上には顔の下半分が茶色い髭で覆われた、巨大な顔。
それは、まさしく巨人と呼ぶにふさわしい存在だった。
「ん、……わかった」
少女の言葉に導かれ、巨人の厳つい顔が一葉に向けられる。
そうしてゆっくりと数歩いたところで、巨人がその体を支える大きな足を上げた。
「うわ、……ぁあ!」
左の靴底が一葉に向けられる。
その足の裏だけでも一葉の身長程はあるだろう。そんなものに踏まれたら、到底無事とは思えない。
潰される自分の姿が脳裏に過ぎり、必死に後退しようと手足を動かす一葉。
しかしながら、滑る手足は体を僅かにも下がらせようとはせず、
「わ、あぁ……!」
無慈悲にも、巨人の足が振り下ろされた。
「――――っ」
バコン、というレンガの割れる音。
予想に反し、未だ自分が音を聞けることに気が付いた一葉は、とっさに顔を覆った左腕を下ろして前を見た。
「……ぁ」
今日何度目か分からない驚きの声が口から漏れる。
だが、きっとこれが一番の驚きだっただろう。
目の前には一葉を庇うように、長身の男が背を向けて立っていた。
黒い衣装を身に纏ったその男は、右腕を前に突き出し、あろうことか自分の数倍は大きな男の体重を、さも当然のように支えている。
力強さを象徴するような幅広な肩や背中。しかし全体的に決して太すぎると言うわけではなく、長い手足がどこか鋭利な雰囲気を出していた。
(カッコいい……)
一言で言えばカッコよかった。
後姿を一目見ただけの一葉が思わず憧れを抱いてしまう程、その姿は完成された男の体だった。
「ふう、なんとか……」
男らしい低音が一葉の耳に届く。
「よっ」
男は突き出した腕に軽く力を込め、まるで重さを感じさせない仕草で巨人の足を押し返した。
「……む」
「き、きゃあ!」
予想外の力に巨人の体が大きく傾き、そのまま数歩後退する。
肩の上から振り下ろされまいと、巨人の髪の毛を掴んで体を支えていた少女が、男の姿を見て驚きの表情を浮かべた。
「ルーガ・セイレス……! 何故あなたがここに? あなたは――」
「悪いけど、こいつに用があるんだ。潰すのは勘弁してくれ」
ルーガ・セイレスと呼ばれた男は、肩を竦めて少女に応える。場に似合わず飄々とした態度は、この状況に置いて異様な威圧感があった。
巨人と少女もその態度に何かを感じたのだろうか、再び一葉を踏み潰すために動こうとはしない。
「ルーさん!」
唐突に、今度は女性の声が響き渡る。
直後、赤い光が地面を強く叩く音を立てて、男の隣に降り立った。
「ようやく追いついた……。大丈夫だった!?」
一葉が赤い光だと思ったものは一葉と同い年ぐらいの女の子だった。何故赤だと思ったのか分からないぐらい、真っ黒の長髪を後ろで束ねた女の子が、ルーガという男の右隣に立ち、一葉に背を向けたまま身構える。
「誰の心配をしてるんだ。それより、ほら、後ろの。そいつが探してた奴だろ?」
「え……? って三和切君?」
男に促され振り返った女の子が驚きの声を上げ、一葉の苗字を口にした。
「……愛和さん?」
女の子は、ついさっきまで図書館で一緒だったクラスメイトの
その滑らかな黒髪も、利発そうな目鼻立ちのはっきりした顔も、すらりと長い手足も、一葉の記憶の中の彼女に近い。
「……愛和さん、なの?」
彼女とは先ほどまで一緒にいたのだから、何かが変わるはずもない。そのはずなのに、本当に愛和緋色かと疑ってしまうぐらい、恰好がおかしかった。
身に纏っている服が中学校の制服から、青と白を基調としたホットパンツとシャツに変わっており、全体に施された銀色の装飾が、アニメのキャラか何かのコスプレのような印象を与えてくる。
自分は先ほどまでと変わらない制服のままなのに、何故彼女はそんなおかしな恰好をしているのかと、一葉はますます混乱してしまう。
「よかった。探したんだからね」
「え……? 探した?」
「そうだよ。一年も会えないから心配したんだよ」
「一年?」
要領を得ない言葉に、イラつきを覚える一葉。
「なんだよ、一年って……」
緋色に聞こえないぐらいの声で小さく呟く。
(ついさっきまで一緒だったのに、一年ってどういうこと? いやそれよりも、ここはどこで、あの巨人は何なんだ)
疑問が溢れかえる。
何がなんだか分からない状況で、ギリギリの所でパニックになるところを抑えていた一葉の精神は、見知った顔に出会えた安心感と、その愛和緋色ですら分からないストレスによって一気に崩れ始めた。
(何でここにいるんだ!? 右手のこれは何だ? 分からない。どうして潰されそうになったんだ? 分からない、分からない)
呼吸が乱れる。
「……ぁ」
ぐらり、と一葉の視界が歪んだ。
まともに動こうとしない脳を無理に働かせようとした反動か、意識が濁り、体が崩れそうになる。
「三和切君!」
声が近い。肩を掴まれる感触から、緋色に支えられているのだということを辛うじて理解できた。
「……三和切君に何をしたの!?」
緋色が、未だ佇んでいる巨人と少女に向かって声を上げる。
今にも飛び出しそうな彼女の体を遮るように、男が右手を緋色の前に出した。
「やめとけ、ヒイロ。ここはもう崩れる。こんなところでやりあってる場合じゃない。あいつらも同意見だろう」
目の前の異形を無視して身を翻した男は、一葉の前で屈む。
一葉はぼうっとした意識のまま、他人事のように自分の体が担ぎ上げられたのを感じた。
「……わかった」
納得いかなそうな緋色の声。
「いくぞ」
ならば良いとそう言って、男が跳ねた。
急激に上昇した後に、ふわりと体が浮く感触。
下に見えるのは地面ではなく、建物の屋根。
一時的な停止が落下へと変わり、直後に横の動きに変わった。
耳元では大気を切り裂く音がうるさく鳴っている。
一葉はぼんやりと、自分を担いでいる男が、凄い速さで屋根の上を駆けている姿を想像した。
「どうするの? ルーさん!」
隣からは、風で消されないようにと張り上げられた緋色の声。
「もうすぐ、外縁につく。そのまま飛び降りるぞ」
「……飛び降りて、どうするの?」
「ミサにアルキメデスを回しておくように言ってある。運がよければ拾ってもらえるさ。街と一緒に墜ちるよりはマシだろう」
「……りょーかい」
緋色の呆れた声が聞こえた数秒後、一際大きな衝撃が体に届き、一葉は男と一緒に自分の体が空中にあることを感じた。
かすんだ視界には、遠い地表が目に入る。
すぐさま強烈な重力が一葉の体を捕らえ、今度はいつまでも終わりが来ない落下の感覚に恐怖した。
いい加減落ちかけた意識の中、右手に包まれた小さな温かみだけが、一葉の確かな感触だった。
◇◆◇◆◇
あるところに黒い魔女がおりました。
その黒い魔女は、自分を閉じ込めている塔の中で、たくさんのお話を眺めていました。
お姫様が王子様と幸せになるお話しも、悪いことをした継母がひどい目に合うお話も、悪い魔法使いが倒されるお話も、いつもいつも眺めていました。
その幸せも、その喜びも、その悲しみも、その怒りも全部魔女のところに集まります。
そしてある日こんなことを考えました。
いつもいつもおんなじ話を見せられて、もうたくさん。
そうだ、こんなお話は壊してしまおう。
なんと、その黒い魔女はとてもとても悪い魔女だったのです。
黒い魔女は世界中の悪い人たちにこう言いました。
私とともに世界を壊したい奴は、私の元においで。
私と一緒にこの世界を壊してしまいましょう。
悪い人たちは、それはいい、といっぱいいっぱい黒い魔女の元に集まりました。
みんな悪い人たちですから、一緒に悪いことをしようと考えたのです。
黒い魔女は今日も塔の上でお話しを眺めながら考えます。
さて、どうやってお話を壊しましょう。
◇◆
あるところに白い魔女がおりました。
その白い魔女は、自分を閉じ込めている塔の中で、たくさんのお話を眺めていました。
お姫様が王子様と幸せになるお話しも、悪いことをした継母がひどい目に合うお話も、悪い魔法使いが倒されるお話も、いつもいつも眺めていました。
その幸せも、その喜びも、その悲しみも、その怒りも全部魔女のところに集まります。
そんなある日、あることに気がつきました。
たいへん、黒い魔女が悪いことをしようとしている。
なんとかして止めないと。
白い魔女は優しい、とてもとても善い魔女なのです。
白い魔女は世界中の善い人にこう言いました。
このままでは黒い魔女がお話を壊してしまいます。
私と一緒に世界を守ってくださる方は集まって。
善い人たちは、それはたいへんだ、といっぱいいっぱい
白い魔女の元に集まりました。
みんな善い人たちですから、一緒に善いことをしようと考えたのです。
白い魔女は今日も塔の上でお話しを眺めながら考えます。
誰か助けてくれないでしょうか。
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