第27話 少年はその日、勇者になった

 黒い泥がパシャリと地面に降り注ぐ。

 一瞬の沈黙の後、魔王の体は首から順に泥となって崩れ落ちていった。

 足先までもが全てが泥となって地面に染み込んでいく。

 その泥も次第に風化し、完全に無くなったところで、一葉は勝利を確信した。


 魔王ルシフは倒されたのだ。


「お……、おー! やったー!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ緋色。

 対照的に一葉はようやく倒せた魔王に、深いため息をついた。


(よかった。……ホントによかった)


 思い付きが上手く働いたことに安堵する。


「三和切君! イエーイ!」


 緋色がトコトコと一葉の元まで歩いてきた。

 何故か右手を挙げて。


「?」


 だが、その仕草が何を示すのかを一葉は理解が出来ず、ポカンとした表情の彼を緋色が笑った。


「いや、ハイタッチ! 強敵に勝ったんだから。ほら、イエーイ!」

「お、おお……。いえーい」


 緋色に言われ、ようやく意図を察した一葉は、そろそろと右手を挙げた。

 その掌に、力強く彼女の手が重なる。

 パン、と小気味よい音が鳴った。


「……」


 慣れぬ感触に、しばしの間自分の掌を見つめていると、緋色が「ねぇねぇ」と話しかけてきた。


「さっきまで全然効かなかったのに。三和切君どうやったの?」

「これ、見て」


 当然の問いかけに、一葉はスマホの画面を緋色に向けた。

 魔王を描写する一文。


『それこそが勇者の、人類の敵、――魔王だ』


 そこに書き加えた一文を見せる。


『ただし、闇のマントは破れたら効果を失う。そして物理攻撃に弱い。』


「――――ぷっ」


 緋色が噴き出す。


「ハハハ、なにソレ! 物理攻撃に弱いって。魔王なのに!?」


 魔王の魔法も、聖属性以外効果が無いところも、全て一葉が小説に書き込んだ通りだった。

 全て書いてある通り。

 ならば必要な内容を書き足せば、それもまた文字通りに機能するはず。

 そう考えて設定を上乗せした。

 無敵に思えるあの外套を無効化するための「破れたら効果を失う」と、確実に倒すための「魔王は物理攻撃に弱い」という新たな設定。

 とっさの事だったが、結果としては一葉の思惑通り、緋色の拳に魔王は敗れたのだった。


「ふぅ……」


 スマホをしまい、再び深くため息をついた。

 達成感と疲労感を体が満たすのを感じる。

 役に立てて本当に良かったと、心からそう思う。


「へー、やるじゃない」


 唐突に、拍手と共に女性の声が響いた。


「な――――?」


 声の方向を仰ぎ見る。

 一葉たちの後方、建物の屋上に人影があった。

 一つは封印から目覚めてしまった女性。

 そして、


「ルーさん! ミサも!」


 その女性に付き従うように、やや後ろにルーガとミサの姿もあった。


(そうだ、魔王で終わりじゃなかった)


 黒い泥から生まれた、〝新たなる獣アウォード〟と同じ悪寒をまき散らす女性。

 あまりに必死で失念していたが、あの女性を止めるために緋色は一人で噴水広場に戻り、そして一葉も勇気を振り絞ったのだった。

 魔王を生み出したのもあの女性。

 ならば当然、魔王よりもさらに恐ろしい存在だろう。


 一葉の中で絶望が広がった。


「ずっと見てたわよ。中々楽しめたわ」


 耐えがたい悪寒をまき散らしながら、女性は称賛の言葉を投げてくる。

 一言一言が重く冷たい。

 言葉が発せられる度に、内臓を手で撫でられるような不快感に襲わる。


「残念だけど、今日はもう行かなきゃならいないの。だから――――」


 女性が踵を返す。


「いつか、必ず殺しに止めに来てね」


 視線がそれたことでプレッシャーから体が解放され、自然と右足が一歩後ろに下がった。

 そんな一葉とは対照的に、緋色が一歩前へ出る。


「待って!」


 自分に対する呼びかけたと察したのか、今まで黙っていたルーガが言った。


「アルキメデスはくれてやる。好きに使え」

「何でこんなことを!?」


 そんな事を聞きたいんじゃないと、そう叫ぶ緋色に、ルーガは応えず、何故かじっと、緋色とそして一葉を見てくる。

 

「答えてっ!」


 そして再びの緋色の要求に、重い口を開いた。


「――――それは、この世界を壊すためだ」

「まっ――!」


 表情を一切変えず、短くそれだけを言うと、そのまま背を向けて何かに吸い込まれるかのように屋上から姿を消した。


「さよなら、ヒイロ」

「待ってミサ!」

「イチヨウも。楽しかったわ」


 ミサは浅く微笑み、しかし緋色の静止は無視して同様に視界から消える。

 そして最後に残った女性は背を向けたまま右腕を掲げた。


「これはお土産」


 女性の言葉をきっかけに腕が急激に膨張した。

 ボコボコと歪に膨れ上がり、一秒にも満たない間に何かの頭を形成していく。

 まるでトカゲのような。だがより重厚な。

 そして周囲の建物よりなお大きく。


「ほら、魔王は第二形態でドラゴンになるものでしょう?」


 ――――ドラゴン

 幻想ファンタジーにおける最強の一つ。

 その首から上が女性の体から生まれた。

 生きていることを示すかのように、首を伸ばし、頭が空を仰ぎ見る。

 そして顎が開かれ、


「三和切君――!」


 咆哮ブレスが一葉を襲った。


 とっさに一葉を庇った緋色が受ける。

 閃光を後ろいちように通さぬよう、両手を前にして押し留めようとする。


「これ、重、ぐ――」


 ジリ、と緋色の左足が下がった。

 押し負けているのだ。

 全てを焼き殺さんとする暴力が、邪魔者もろとも飲み込まんと、さらに力を上げた。


「う、うぅー!」


 緋色から漏れる苦悶の声。

 それを聞いた一葉は、しかし何もできないでいた。

 せめて変身できれば。

 でも、もう魔力ちからが残っていない。


(僕は……)


 自分の無力に涙がこぼれ、漏れ出る熱ですぐに蒸発した。

 無力感が体を支配していく。


「イチヨー?」


 ふいに、左胸の辺りから声をかけられた。


 既視感。先ほどと同じ状況でかけられた抑揚の薄い声。

 驚いて胸ポケットから身を乗り出しているシオンを見る。


「コレ、つかう?」


 今度は心配そうに見上げるのではなく、何かを差し出していた。

 数センチ程の黒い欠片が二つ。

 それは緋色に渡されたまま、胸ポケットに入れっぱなしになっていた魔石だった。


「それ、砕いて!」


 肩越しにこちらを見ていた緋色が叫ぶ。

 急いでシオンから受け取り、右手で握りんだ。

 するとパリン、と薄氷のように割れる魔石。


「――――ぁ」


 指先にほのかな温かみが生じ、活力が戻る。

 それで何をすべきか理解した。


「――勇者にもういっかい!」


 緋色の隣に飛び出しながら唱えるねがう

 三度目の変身。

 青白い光を脱ぎ捨て、勇者になった体で光の本流にぶつかった。


「――――ぐ」


 凄まじい重量が押し寄せてくる。


(重いっ、けど――)


 それでも、勇者は負けない。

 人々の為に極限まで鍛え上げたその体もまた最強の一つ。

 例え最強ドラゴンのブレスであっても、負けはしない。

 心は偽物でも、体だけは勇者なのだから。


 前へと一歩を踏み出した。

 絶望からの逆転などそれこそ物語のようで。

 まるで自分が本当に主人公ヒーローになったかのような錯覚に、ニヤリと口元が歪んだ。


「ぅ――」


 そして吠える。


「ぅおおおおおおお――!」


 あらん限りの雄たけびと共に、全力で押し返した。


 行き場をなくした力が拡散し、光となってあたりを包み込む。

 その光が収まるとともに、腕にかかっていた重さも消えていき―――、


「――――ぁあああああああああッ!」


 そして掻き消えた。

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