第26話 魔王と勇者と少女と

「お! まだここにいたんだね」

「いるね……」


 一葉と緋色は再び魔王と対峙した。

 場所は先ほどと同じ旧ユーセロイの外に続く大通り。

 予想に反して一向に追って来る気配が無かったので、もしかしてと戻ってみたら、魔王はそこにいた。


 百メートル程先で、挑戦者を待ち受けるかのようにルシフは悠然と佇んでいる。

 魔王は追う者のではなく勇者の到来を待つ者。

 その性質さえも再現されているのかもしれない。


「じゃ、三和切君は手筈通りによろしく」

「わかった。えと、気を付けて」

「大丈夫だってー」


 緋色が一葉をその場に残し、歩を進めた。

 一葉の心配をよそに、手をひらひらとさせながら、ゆっくりとした足取りで魔王に向かっていく。


『今度は本気でやるから、三和切君は合図したら変身して。で、剣を抜いて。変身が出来なかったら即撤収ね』


 一葉は事が始まる前にと、緋色に言われた事を反芻する。

 今度は本気でやる、という言葉を聞いた時、一葉は衝撃を受けていた。

 今まで見てきた動きでも十分人間離れしていたのに、まだ本気ではなかったか、と。

 その事実に一葉は驚き、そして期待する。

 ならば本気になった彼女はどれだけ凄いのか。


『それは見てのお楽しみー』


 一葉の興味に対して、緋色はそう返して詳細を教えようとはしなかった。

 だが不満も不安もなく、危険な状況にあってもなお楽しもうとするその様子に、どこか安心感も覚える。

 緋色が笑っているうちはきっと大丈夫。


(合図があったら変身して剣を抜く。合図があったら変身して剣を抜く)


 やることもシンプル。

 抜いた後どうするかなどは聞いていない。

 何か無茶をやる気がしたから。

 知ってしまったら上手く動けなくなってしまいそうで。

 だから聞くのを止めた。

 でも抜きさえすれば、きっとどうにかしてくれる。

 そう信じさせる強さが、彼女にはあった。


 そして、約五十メートルの距離で緋色が歩みを止めた。

 そこが境界なのだろう。

 彼女に反応するかのようにルシフの外套がひらめき、小型の〝新たなる獣アウォード〟たちが生まれ始めた。

 様々なカタチを持った異形が次々と影から這い出て、群れを作っていく。

 その軍勢が壁のように広がったところで、獣たちの動きもぴたりと止まった。


 両者とも互いの出方を伺うように動かない。

 じりじりと焦がれ、徐々に空気が張り詰めていき、音が失われていく。

 高まる緊迫感に、一人遠い場所にいる一葉の額に汗が浮かんだ。


「――――っ」


 緊張が最大限に達し、思わず唾を飲み込む。

 まるでそれが引き金になったように、本能を抑えきれなくなった〝新たなる獣アウォード〟たちが殺到した。


 黒い群れが雪崩となって緋色を飲み込もうとする。

 それを見た緋色は焦るでもなく、ゆったりとした動作で胸の前で両こぶしを握り、


「はっ――!」


 気合と共に力を解放した。

 まるで爆発が起きたかのように。

 あふれる魔力が暴風となって周囲を荒らす。

 一葉はそこに目に見えぬはずの魔力の激流を見た。


(あれが、愛和さんの『本気』……)


 変化はそれだけではなく、その高ぶりに呼応するがごとく緋色の髪の色が変化する。

 黒絹のように滑らかな漆黒から赤に。

 色鮮やかな赤髪を持つ姿に、緋色が変わった。


「リベンジ開始――!」


 声と共に爆音が生じ、緋色に迫らんとする群れの先端が吹き飛んだ。

 直後、再びの爆音とともに今度は右半分が叩き潰される。

 しかしそこに緋色の姿はなく。

 次の瞬間にはもう半分も消滅した。


 〝新たなる獣アウォード〟たちの残骸が黒い雨となって降り注ぐ中、一葉は残滓のような赤を見た。

 まっすぐと突き進む赤い閃光が、供を失った魔王の体に迫る。

 それが緋色なのだと一葉が認識するよりも早く、激突した。

 衝撃が魔王を襲う。

 それは一度だけではなく、前後左右から次々と。

 闇の外套に守られた体は傷ついていないだろう。

 だが、嵐に舞う木の葉のように、魔王の体を翻弄していた。


「すごい……」


 その光景に思わず言葉が漏れる。

 思えばルーガも空賊との闘いの際に、目で追えない程の速さで戦っていた。

 だが緋色のこれはさらに速く荒々しく。

 時折赤い線が目に映るだけ。

 攻撃の瞬間さえ捉えることが出来なかった。


 延々と続くかと思われた暴風が唐突に途切れ、魔王の正面に姿を現した緋色が、腹部に拳を叩きこんだ。

 一葉まで届く振動。

 魔王の体がくの字に曲がり、空中に浮いた。


「今――!」


 緋色の声が届く。

 これが合図だと悟った一葉は、


「――勇者にくりかえして


 心の声に従い、短く呪文を唱えた。

 体が青白く輝き、勇者の姿になる。

 

(よし!)


 成功を確信して左腰の剣に手をかける。

 勢いよく引き抜く。

 それで終わり。

 一葉は自身の役目を全うしようとし、


「抜けない――!?」


 金属同士が噛み合うような予想外の手ごたえ。

 聖剣が抜けない。

 再び力を込めるも、僅かにも鞘から抜ける気配が無い。


(な、なんで、なんで!?)


 冷や汗と共に疑問と焦りが脳内に広がる。


「あ――!」


 が、すぐに原因に至った。


(抜けない。抜けるわけがない!)


 何故そんな簡単なことに気が付けなかったのか。

 聖剣は使い手を選ぶ。

 正しい心を持った勇者しか扱えない剣だ。

 今、一葉は外見こそ確かに勇者だろう。

 だが中身はただの中学生いちようのまま。

 魂が勇者ではなかった。

 偽物ハリボテの勇者。

 そんな存在が聖剣に認められるわけがない。

 だから当然抜けない。


「ごめん、抜けな――!?」

「作戦変更。――んで、こっちこそ、ごめん」


 大声で叫ぼうとし、言い終わるより前に耳元に緋色の声が届く。

 謝られたことよりも、両足の足首が掴まれる感触に一葉は戸惑った。


「え?」


 そのまま両足を前に引っ張られる。

 自然と仰向けの体勢になり、天を仰ぐ。

 視界に映る空がもの凄い速さで流れていく。


「くらえ!」


 そうして勇者いちようはバットの如く、振り回された。


「ぐぇ――」


 視界がぶれる。

 体がひしゃげる。

 体験したことのない強力な重力。

 何かにぶつかったような衝撃。


 自分が何をされたのか一葉は悟る。

 振りぬかれた。

 緋色は勇者いちようを鈍器として使用したのだ。


「お、流石に効果ありだね」


 気が付いた時には体がくるんと回転し、地面に足が付いていた。

 ぐらんと頭が揺れるが、すぐに回復したのは勇者の肉体のおかげなのだろう。

 物として扱われたという驚愕の事態に、一葉は非難の声を上げることも忘れて呆然と瓦礫の中に横たわる魔王を見た。


 今度こそ魔王の体は傷ついていた。

 外套マントは破れダメージがあるように見える。

 全ての攻撃を防ぐあの外套マントも、聖属性の攻撃だけは有効。

 本来の使われ方と異なっていようが、聖属性の力を持つ勇者の鎧で殴られたのだから、攻撃は通ったはずだ。

 だが――――


「あー、足りなかったか」


 倒し切れていない。

 泥に戻らない。

 そのことを示すように、魔王がふらりと立ち上がった。


「あ――――」


 同時に訪れるガクン、と力が抜ける感覚。

 光が消え、元の一葉の姿に戻ってしまった。

 先ほどを上回る虚脱感に、もう変身が出来ない事を強制的に悟らされる。

 絶望的だ。

 勇者になれない以上、魔王にはこれ以上ダメージを与えることが出来ない。


 ならば事は撤退するしかないと、一葉たちが逃げの一手をとる前に、魔王が動いた。

 魔王が両手を前に突き出し、何かをつぶやき始める。


(――マズイ!)


「三和切君、アレはどういう設定?」

「魔王の最大呪文だ。広範囲に爆発を巻き起こす呪文で」


 一葉の設定どおりなら、ここら一帯が巻き込まれる。

 急ぎ逃げて間に合うかどうか。


「その分、詠唱は無理だから、呪文の詠唱が必要っていう設定で――」


 一葉は自分の言葉にハッと、ひらめくものがありスマホを取り出した。


「愛和さん! アイツ殴って!」

「――――おっけい!」


 一切の疑問も挟まず、二つ返事で了承した緋色の体は、刹那の後には既に魔王の目のにあり、


「ふっ――――」


 漏れ出る気合と共に、凄まじい連打が始まった。


 息つく暇もなく浴びせられる大量の拳。

 しかし魔王に効果はなく、詠唱も中断されていない。

 詠唱が終われば爆発が一葉たちを襲うだろう。


(急げ急げ! 詠唱が終わる前に)


 アプリを起動。

 適切な個所を探し画面をスライドしていく。


 緋色の攻撃は止まらない。

 聖属性が付与されていない拳では魔王の肉体に届かない。

 それでも緋色は殴り続けた。


 タンタンタン、とスマホで文字を入力する。


(なんて厄介な設定)


 無意味な攻撃など相手にする価値もないというかのように。

 魔王は緋色を無視して淡々と詠唱を終わりに導いていく。

 だがそれも――――


「これで終わりだ」


 保存を押す。


「思いっきり!」


 そして叫んだ。


 一葉の声が届いた緋色が連打を止め、右足を後ろにスライドさせた。

 半身になり、右拳を握りこむ。


「うりゃ!!」


 そして体ごとぶつけるように、魔王の顔面を殴打した。


 緋色の拳が魔王の左頬にめり込む。

 凄まじい力に顔がねじ曲がり――――、破裂した。

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