第23話 少年の異世界転移

 そうして、緋色は元の場所にたどり着いた。

 白い建物の近くにある、塔のように高い建物から眼下を見る。


(……いない?)


 先ほどの広場には、ルーガと問題の女性ヒトガタの姿は無かった。

 あるのはあの女性ヒトガタが生み出した二匹のクマと、もう一つの人型だけ。


(どうしよう……)


 追いかけたいのはルーガと女性の人型の方だ。

 だが、あのも十分に脅威であると見て取れた。


(三和切君はちゃんと逃げたかな……)


 もし放置したら一葉に矛先が向くかもしれない。

 罠の可能性もあるが――――、


「よし――!」


 一瞬の迷いの後、緋色は空中に身を躍らせた。

 同時に魔弾の発動を開始する。

 数は敵と同数。

 この後ルーガ達と戦うことになるにせよ、あの三匹は邪魔になる。

 ならば速攻で排除するのが最善だと緋色は判断した。


 故に初手から出し惜しみは無しに。

 重力に引かれ、速度を上げながら落下しながら、十分な魔力を込め、


「――――っ」


 十分に落ちたちかづいたところで放つ。

 高速で降り注いだ光の槍は熊型の首を落とし、残る人型にも直撃した。


 爆音とともに土煙が巻き起こる。

 直後に緋色は軽やかに着地し、


「やって……、はなさそうだね」


 左腕を前にし、半身になって身構えた。


「まさか、無傷ってやつ?」


 人型は変わらず直立しており――否、それどころか傷一つ負っていなかった。


(いやいや、服すら無事ってどういうこと……)


 人型と視線が交差する。

 酷く濁った、意志の感じられない瞳が緋色を捉えた。


(でも、それより)


 より特徴的なのはその外見だった。

 青みがかった皮膚と長くとがった耳に、長い銀髪。纏っている紫の外套も相まって、どこか高貴ささえ感じさせる。


(魔人、とかそういう感じ?)


 この世界に来て一年。様々な場所で色々な外見の人々を見てきた緋色だが、その誰とも似ていない。

 しかし漫画とアニメ緋色のなかの知識は、アレは魔の者だと言っている。

 そんな種族も聞いたことは無いが、緋色の中にはどこか確信があった。


(さて、どうしようか……)


 仮にも魔人であれば、その名が示す通り強力な魔法を使いそう。痩せているわけではないがどこか線が細く、動きにくそうな外套を羽織っている事からも、近接ではなく魔法使いタイプに見える。

 外見からの判断は危険だが、緋色は自身の直感を信じることにした。


「ふっ――――!」


 身体強化を全力で回し、地面を蹴る。

 フェイントもかけず、ただ最速を行く事だけを考え一直線に。

 瞬きよりも早く肉薄し、右拳で魔人の左頬を殴りつけた。


 重い感触が返ってくる。

 手ごたえは十分。

 魔人の体は吹き飛び、壁に叩きつけられた。

 だがそれでも――――


「……いやー、それはちょっと卑怯じゃない?」


 先ほど同様、どういう原理か服に塵一つ付いていなかった。

 魔法的な何かではあるのだろう。

 攻撃力が足りずにダメージを与えられなかった、というなら緋色にも経験はある。それは障壁がその分強力だった、というだけの事。

 しかし、対象者の衣服にまで一切の影響を与えない状況からは、単に強い、弱いではなく、他の要因が働いているように見える。


 再び視線が交差する。

 殴打によって緋色を障害であると認識したのか、緋色が次なる手を考えるより先に、今まで動かなかった魔人が右手を掲げた。

 その掌には暗く重い闇が生まれ、その影響で周囲の空間が歪む。

 そして右手が降り降ろされ、闇が緋色に迫った。


「ちょっ――!」


 アレは触れてはならないヤツ、と瞬時に判断した緋色は、大きく右に跳躍して距離をとる。

 その判断が正しかったことを示すように、闇の射線上にあった物体は全て消滅していった。

 壊されたのではない。

 闇が触れた場所は嘘のように滑らかに、ごっそりと抉られていた。


 ぞわりと鳥肌が立つ。

 アレに触れたらどうなっていたのか。

 

 絶対に触れてはいけない魔法。

 こちらの攻撃は一切効かない。

 さらには――――、


 魔人の外套がはためき、その影から次々と〝新たなる獣アウォード〟たちが生まれ落ちた。

 いずれも小型だが、この状況では十分な脅威になりうる。


「これは……、マズイなぁ」


 口の端が苦々しく歪む。

 ルーガや女性の人型がどうこうどころの話ではない。

 そうして、緋色がこの世界に来て初めての、絶望的な戦いが始まった。




◇◆◇◆◇




 三和切一葉は未だ旧ユーセロイの中を歩いていた。

 中心部から外に向けて、地面をゆっくり、ゆっくりと。

 初めは緋色に言われた通り走っていたが、その足はすぐに前に進む意思を失い歩みに変わっていた。


(仕方が……、ないんだ)


 仕方がなかった。

 自分が封印を壊してしまった。

 その責任が、自分も行くべきだと言っている。

 でも、自分が行っても役に立たない。

 何もできない。

 むしろ足手まといになる。

 行くべきではない。

 逃げるべきなのだ。


 同級生の女の子を残して。


「――――っ」


 それは一葉の倫理観では許されない事だった。

 仲間を置いて逃げるなど、ましてやそれが女の子であればなおさら。


 自分の身可愛さに、自分だけが助かるために逃げる。

 一葉は漫画や小説の中でそんなタイプのキャラクターを見るたびに軽く苛立ちを覚えていた。


『自分だったら絶対にそんな事はしないのに』


 自分だったら仲間は見捨てない。

 仮に勝てないと分かっている敵でも立ち向かう。

 身を挺して仲間を守る。

 そうあるべきだ。

 何度だって、そう思っていた。


 だが実際はこうだ。

 絶対だと思っていたものは嘘だった。

 仕方がない。

 戦う力が無いとかそいう事ではなく、資質の問題だった。

 空想が現実になったから、本質が露わになっただけ。

 自分は立ち向かう人間ではなかったのだ。


 あまりにも遠い。

 自分が憧れる物語の主人公たちとは根本が異なっていた。


 だが、それでも憧れおもいは一葉の中に残っていた。

 故に一葉は走るのではなく歩いていた。

 自分は不本意ながらも逃げているのだと示すため。

 誰にでもなく自分自身に言い聞かせるために。


 結局のところ、三和切一葉はどうしようもない程に、普通の少年だった。


「あ……」


 そして遂に歩みは止まった。

 遠くから響く振動。


(戦ってるんだ)


 緋色が戦っているという事実が、一葉の足を絡めとり、体の向きを変えさせた。

 さらにもう一度地面が揺れる。

 その反射で足が前に一歩を踏み出しそうになり――、やはり動かなかった。


 俯き、強く握った両の手が震える。

 動けない自分に泣きそうになりながら。


「イチヨー?」


 ふいに、左胸の辺りから声をかけられた。


 予想もしてなかった事に体がビクリと反応する。

 声の主はシオンだった。

 一葉の胸ポケットを自分の場所に定めた、食いしん坊な妖精フェアリー

 そんな女の子が、いつもと変わらぬ無表情で一葉を見上げていた。


「こわい?」

「――――」


 怖いかと問われ、心臓がズキリと痛んだ。


 一葉はココに来てからずっと怖かった。

 怖くて怖くてたまらず、けれど怖がってる自分なんて恥ずかしくて。

 だから頑張って、誤魔化して。

 全く別の場所に来てしまったのだと認めたくなくて。

 全部夢かも知れないという思いを捨てられなくて。

 気持ちが溢れないように蓋をして。

 本当はもう全部分かっているのに。

 言葉にしたら認めるみたいで、ココとか、コチラとか曖昧にぼやかして、今日まで耐えてきた。


「怖いの、かな……」


 もう認めるべきなのだ。

 自分がどうなってしまったのかを、自分がこれから何をすべきなのかを。


「うん、怖いよ。来てから、ずっと怖い」


 勇気をもって口にした。

 今いるこの場所を。

 元居た所とは全く別の世界に来てしまったのだと認めるために。

 自分の物語を始めるために。


「ごめんね、シオン。怖いけど……、でも怖いところに戻らなきゃ」

「ん」

「危ないから、シオンはここに残っていて」

「やだ。イチヨーといっしょにいる」

「……そっか」


 ありがとうの意味を込め、人差し指で妖精フェアリーの頭を撫でて、前を向く。

 緋色の元へ。

 何の役にも立たないかもしれない。

 足手まといになるかも知れない。


 死ぬかも、しれない。 


 それでも、遠い遠い憧れに少しでも近づくために。

 震える足に力を込め、一葉は一歩を踏み出した。


 これが三和切一葉の異世界転移。

 理想とは異なる、彼の小さな一歩だった。

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