第21話 終わりの目覚め

 最後の扉の先は円状の広場に繋がっていた。

 半径十メートルほどのその場所には背丈の低い草花が広がっており、中心には建物の高さを超えるほどの大木がそびえたっている。

 白のレンガの壁に囲われた、だが屋根の無いそのスペースには天からの光が差し込んでおり、まるでそこだけが森の中から切り取って来たような異空間だった。


 一言でいえば美しい類の光景。

 だが、二つの異物がそこにはあった。

 一つは白い壁を覆うように生い茂っているトゲトゲしい茨。

 そしてもう一つは、大きな木の根元にあった。


「人、じゃないね……」


 そこには膝をつき、祈るような姿勢の女性の姿。

 人がいると思った一葉を、緋色は否定した。


「生きた人の感じがしない……。石像、かな。ずいぶんリアルだけど……」


 石像と言われ、改めてよく見れば確かに人ではなかった。

 その姿は頭からつま先まで真っ白であり、微動だにしていない。人の気配などは分からないが、人間ではないことは一葉にも分かった。

 だが、ただの石像とは言い切れない存在感がそこにはある。

 まるで今にも動き出しそうな、とはあの像にこそふさわしい。


「――――」


 そう思った一葉は、もっとよく見るために扉をくぐり、数歩進む。


「ここまでだ」


 そして、もう一歩を進もうとしたところで、ルーガに止められた。


「ここから先が入れない」


 彼の指が石の床が終わり、草木が生え始めている部分を指している。


「ホントだ……。入れないね」


 そこに壁があるかのように、緋色が境目の空間に手をかざして言う。

 緋色がそのままノックの仕草をすると、そこには何もないはずなのに、コンコンと軽い音が返ってきた。

 その様子に、人の侵入を拒絶する見えない何かがあるのだと、一葉も認識する。

 度々話題に上がっていた、残された封印というやつなのだろう。

 中に入るにはコレをどうにかする必要がるという事だ。


「うーん。とりあえず、思いっきりいってみる?」


 緋色が腕をぶんぶんと振り回す。


(え――――?)


「せーのっ!!」


 まさかと思った一葉が何かを口にする前に、拳が放たれた。

 ドン、という重い音が体に響く。

 だが、何かが変わったような気配はなかった。


「あー、ダメだね。壊れないや。どうやったら入れるかなー」

「力づく、は昨日試した」

「じゃあ、どこかに鍵があるとか?」

「探したが、恐らくそれもない。むしろ鍵はあの中だ」

「じゃあ――」


 ルーガと緋色の二人で、あれやこれやと封印を破る方法の模索が始まった。


(まぁ、僕には関係ないか)


 自分が何かの役に立てるとも思えず、一葉の興味は二人の会話ではなく、目の前にあるのであろう封印に移った。


(何もあるようには見えないけど)


 好奇心に促され、緋色に倣ってノックをしてみることにする。


「でだ、解析した結果、空間を断絶して〝新たなる獣アウォード〟や俺やヒイロのような人間の侵入を拒否してるのだろう事は分かった」


 恐る恐る右手を上げ、叩こうとしたところで、


「だが、坊主なら入れるだろう?」


 ドン、と背中が押された。


「わ――!?」


 勢いよく前に一歩を踏み出す。

 にゅるんという生暖かい感触があり、だが何の抵抗もなく体がすり抜けてしまった。


「え――? え?」


 突然のことに理解が追い付かない。


「えー!? 三和切君、すごい! 何で?」

「何でって……。何で?」


 問われたところで何一つ理解できていない一葉は、質問を返すしかなかった。

 二人には入れないはずの場所に、何故自分は入れてしまったのか。

 その理由に見当もつかず、ただただ首を傾げるしかない。


「まあ、いいから。ほら、行って来い」


 そんな一葉に対して急かすようにルーガが言う。


「行って来いって―――」


 だが、何をするべきなのかと聞き返そうとしたところで――


(アレ?)


 一葉の意思に反し、くるりと体が石像の方を向いた。


(え、な―――!?)


 そのまま一歩を踏み出す自分の足を他人事のように眺める。


「ぁ――!?」


 驚きの言葉を出そうとした喉が動かない。

 喉だけではない、体が自分の意志で動かせない。

 そこで初めて、コレは異常だと察知した。


(な、なんで……?)


 疑問に反し、自分の足はまっすぐと石像に向かっていく。

 必死に止めようとするが、少しも思い通りにならない。

 自分の体ではなくなってしまったかのように、体は動き続ける。


「ヵ――、ァ」


 助けてもらおうと必死に声を上げようとするも、小さな呻きだけが漏れる。

 途中、何かの冗談かのように、自分の右手が落ちている木の枝を拾った。

 子どもが剣に見立てて振り回すような大きさの枝を。

 さも当然のように、自然な動作で。


「待って、嫌な予感がする! ダメ、戻ってきて!!」


 ゴン、ゴン、という音が聞こえてくるが、振り向く事さえ叶わなかった。


「ダメだって! 聞こえないの!? ルーさん! どうして三和切君を行かせたの!!」

「どうしてって、それは――――」


 焦るような緋色の声と、極めて冷静なルーガの声。

 その顔は見えていないのに、


「お前たちを元の世界に返すためさ」


 ニタリ、と歪んだ口元が見えたような気がした。


(ダメだ、止まらない!)


 そして中心に至る。


 唯一自由な意識は、跪く純白の像に向けられた。

 祈っているのは、一葉の二、三歳上に見える女性だった。

 すっと筋の通った鼻筋。

 意志の強そうな綺麗に伸びた眉。

 どこか緋色と同じような雰囲気を持つ、美しい女の人の像。

 毛の一本一本まで細かく作り上げられたその姿は、まるで生きたまま石像になったかのよう。


 その石像を前に、右腕がゆらりと持ち上げられる。

 手には木の枝。

 まるで鋭利な剣のように。

 

 一葉の意識とは関係なく――


 振り降ろされた。


「――――っ」


 だが手には何の手ごたえもなく。

 しゃん、という音とともに空間が割れ、続いて像が頭から崩れた。


 空気が変わり、一葉の耳に音が戻る。

 外からの風が粉々になった像の破片を撫でた。

 ふわりと白い粉が舞うその様子に、何か絶望的に取り返しのつかないナニカをしてしまった事を一葉は悟った。


「三和切君!」

「あ――」


 気が付けば緋色に肩をゆすられていた。

 ぽと、と落ちた木の枝に、体の自由が戻っていることに気が付く。


「大丈夫!?」

「た、多分、大丈夫。でも、僕、なんで――」

「よかった……」


 一瞬ほっとしたような顔を見せ、すぐに表情を険しいものに変える緋色。


「でもなんかヤバイ。急がないと」


 一葉は出口に向かって腕を引かれた。


「ルーさん!! 嫌な予感がする! 早く逃げよう!!」


 前に進みながら、緋色は未だ出口で佇んでいるルーガに呼びかける。


「いや、その必要はない」


 だがルーガは否と答え、一葉たちに向かって歩き始めた。


「え、どういう……」


 予想に反する言動に緋色は歩みを止める。

 そんな彼女の疑問には一切応じず、目の前まで来たルーガは―――


「きゃ――!」


 左腕を振るい、緋色の体を吹き飛ばした。


「目的は達せられた」


 壁との激突による音が響く。

 一瞬遅れて一葉は何が起きたかを理解した。


「な、何を――!」


 糾弾しようとした喉を左手で掴まれ、声が封じられる。

 そのままルーガの背丈まで体を吊り上げられた。


「は、はな――」


 もがき、苦しみながらルーガを見る。

 一葉はそこで初めて、男の目を覗き込んだ。

 暗い瞳には一切の光が映っておらず。


「礼を言う。イチヨウ・ミワキリ」


 そこに世界への拒絶を見た。


「これは、この場所を封印していた世界の欠片フラグメントだ」


 右手には対照的に白く輝く結晶。

 ぞわりと嫌な予感に襲われる。

 ソレをどうするのかを問う前に、


「報酬として受け取ってくれ」


 その手が一葉の胸に伸び、そのまま押し込まれた。


「いっ――――」


 直後、体が解放され、足から地面に崩れ落ちた。

 だが地面に倒れこむ痛みより、胸の痛みが強い。

 胸の中心がじくじくと痛み、徐々に熱が広がってくる。

 自分の中に何かを入れられた強烈な異物感。

 

 その苦しみに、思わず右手で胸を強く掻いた。

 当然のように右手は空のまま、痛みも熱も異物感も消えるようなことは無い。

 そしてもう一度と右手を動かそうとしたところで、しかし今度は全身が総毛立つような悪寒が一葉を襲った。


「ひ……!」


 訳も分からないまま、必死に悪寒――ルーガから距離をとる。

 手足を無様に動かし、そして壁際までたどり着けた時、ゆっくりとルーガの影が蠢きだした。


 ゆらり、と影が質量を得たかのように流動を始める。

 徐々に膨らみ、平面から立体に、そして次第に黒い泥を生み出し、


 遂には、人の形を作った。


「ああ、ようやく――――」


 喜びを含んだルーガの呟きが一葉に届く。

 泥がずるりと地面に滑り落ちる。

 新たに生まれたソレは、一葉より二、三歳上に見える女性だった。

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