第9話 少女から見た少年

「へーい、お疲れー」


 大蛇が動かなくなったことを確認した愛和緋色は、いつものように一葉とハイタッチをするべく右手を挙げながら彼に近づいた。

 変身のタイムリミットに至り、光に包まれて元の姿となった一葉が手を合わせてくる。その表情は無に近いものだが、初めてハイタッチを要求した時の、あの「何のことか分からない」という顔をしてた時に比べたら随分とスムーズになったと緋色は思う。


 そんな風に彼が少しづく変わっていく様を、緋色は密かな楽しみとしていた。

 中学ではあまり接点がなく、彼の事をよく知らなかった。強いて言えば物静かな少年、という印象。

 この世界に来てすぐの頃はオドオドしているか、不安を隠すように押し黙っていることが多かった。

 だが今では会話の量も増えてきたし、こちらを真っすぐ見てくれることも増えてきている。すぐに顔を逸らされているようにも感じるが、それでも以前からすると格段にその数は多くなっていた。


 その瞳や会話の端々にも意見や主張が含まれるようになってきており、ここ最近は顔つきにも頼もしさが出てきたように感じる。


(なんかこう、男の子って感じ)


「……何?」

「なんでもー?」


 じっと見ていたためだろう、怪訝な顔をこちらに向ける少年に、くるっと反転して背中を見せた。


「マリーさーん、お疲れー!」


 誤魔化すために少し離れた場所にいたマリーに駆け寄り、同じようにハイタッチをする。

 自分より小さな手が、ぽん、と軽く重ねられた。


「はい、お疲れ様です。いやー、お二人ともすごかったですねー」

「マリーさんの魔法もカッコよかった! 火がボーってなって!」


 身振り手振りで自身の感動を伝える緋色。

 未だに殴る・蹴る・撃つが中心であり、炎を出すような「魔法っぽい魔法」を習得していない彼女にとっては、マリーの魔法は嘘偽りなく賛辞に値するものだった。

 いつかは自分も本当の魔法を使ってみたいとは思うものの、師もテキストも無い状態では学ぶべきことさえ分からず、頓挫している。せめて魔法についての本があればと思うが、この世界に来てから本屋など見たこともない。


「いえいえ、わたしなんかまだまだです。お若い二人があそこまで強い方がスゴイです。一葉さんが使ってたのは変身魔法ですかね?」

「そうだよ! 〝絶対無敵の五秒間ザ・ヒーロータイム〟って言うの」


 カッコいいでしょ、と緋色が自分自身の事のように自慢をする。

 〝絶対無敵の五秒間ザ・ヒーロータイム〟という名前は緋色が付けたものだ。

 一葉の変身魔法に何か名前を付けようと提案したのだが、彼は渋るばかりで決めようとしなかったので、緋色が一分ほど考えて決めた名前。一葉も悪くないと思ったのか「じゃあそれで」と秒で採用されるに至っている。


 名付け親である彼女自身もパッと浮かんだ割には良い出来であると自負していた。

 名前を考える前、いざ使うときに備え彼と一緒にその性能を確かめたことがある。

 その変身時間は五秒間。その間、一葉が創造デザインした通りの勇者の体になる、というもの。そこまでは旧ユーセロイの時点で判明していたことだが、「勇者の体になる」が具体的にどのようなものかを確認したのだ。


 結果として分かったのは、緋色とて容易にダメージを与えられない頑丈さと、高い攻撃力を備える体を得る事。また、動体視力、反射神経、思考速度なども強化され、肉体性能面においては絶対無敵と称しても不足ない状態になる。


 故に、〝絶対無敵の五秒間〟。


 半面、魔法などは一切使えず、勇者の心や精神が必要らしい勇者の剣も抜くことは出来ていない。

 その汎用性の低さや制限時間の短さからか一葉自身は納得をしていないようだが、それでも十分すぎる力だった。

 特に彼は一見して無害そうな見た目のためなのか、それとも美味しそうな匂いでも出しているのか、魔獣が躍起になって襲おうとするため、強力なカウンターが一葉の得意技になっている。


「言葉の意味は良く分かりませんが、とてもスゴイのはわかりますっ!」

「でしょー!」

「あのー、そろそろ結界を張りませんか……?」


 わちゃわちゃと騒いでいた二人を制止するべく、一葉が割って入る。

 その表情には呆れが少し含まれているのだが、なるべく悟られまいとしているのか無表情を貫いているのが見て取れた。


「す、すみません、そうですよね。すぐにやります」


 十歳以上も年の離れている少年からの指摘に、慌てて準備を始めるマリー。

 彼女は懐から赤いビー玉のような石を取り出すと、それを湖の淵に置いた。


「それなに? マリーさん。結界に必要なもの?」

「はい、コレはですね、空になった魔石にわたしの魔力を封じて加工したものです。結界に必要な力を補うために使います。これを五か所置くんです」


 あそこと、あそこと、あそこと、あそこです、とマリーが一か所ずつ指さしていく。


「この湖は困ったことにもっと深いところの中層域と深層域の狭間――深層域に近い所と魔法的なつながりが出来てしまっていて……。〝月が重なる日〟になるとあちらと完全に繋がってしまって、魔獣が低層に迷い込んでしまうんですよ。ガノガンダ樹海には同じような不思議な場所がありますが、ここはその一つですね」

「深層域の……。じゃあ、あの蛇もソコから来たのかな?」

「そうですね。もしかしたら弱くなってしまった結界をすり抜けてしまったのかもしれません。低層に本来深いところにいるはずの魔獣がいると、経験の浅い冒険者たちに被害が出るかもしれません。そうならないように結界で蓋をしてるんです」


 そういうと彼女は腕輪を箒に変えて跨った。湖は結構な大きさがあるため、あのビー玉を置く場所まで飛んで移動するのだろう。


「では、ちょっと置いてきますね」

「いやいや、マリーさんから離れたら護れないから、一緒に行くよ」

「あ、それもそうですね。ではピーちゃんと、アルフレッドに乗ってください。熱くないですよ」


 マリーのとんがり帽子の中から出てくる二匹の妖精フェアリーたち。

 炎で象られた鳥と馬が、彼女の杖の一振りとともに体をぐんぐんと大きくさせ、人が乗るのに十分な大きさになった。


「えー、乗れるんだっ! 私ピーちゃんに乗りたい」


 どちらかと言えば、鳥に乗ってみたいと思った緋色は一葉の意見を聞く前にピーちゃんに飛び乗った。

 体は炎で出来ているにも関わらず、確かにそこには生物の質感があり不思議な感覚になる。炎がちらちらとこちらの足元をくすぐるが、熱を感じることは無かった。

 よろしくの意味を込めて背中を撫でてみると、まるで本物の羽毛のようにふわふわとした感触が返ってくるのも不思議だ。


 隣の一葉は炎の馬アルフレッドにどう乗ればいいのかと逡巡した後、意を決して飛び乗り、どうにか腰を落ち着かせていた。


「名前の格差……」


 ポジションが定まったところでボソッと一葉が呟く。


「――――っ」


 ソレが耳に届いてしまった緋色は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。

 時々呟きと共に発せられる彼のツッコミは、最近の緋色のツボになっている。

 面白くはあるのだが、大事な場面で爆笑してしまいそうな予感もあり、そろそろ止めて欲しいと願う緋色だった。


「それじゃ、行きましょう」


 聞こえていなかったのであろうマリーの掛け声に救われ、気持ちを切り替えて前を向く。


「おー! 飛ぶの気持ちいいね!」


 水面上を滑るように飛ぶピーちゃん。少しだけ零れてくる日差しが水面にきらりと反射し、穏やかな風がほほを撫でる。

 その爽快感に、緋色はいつか飛行魔法も覚えてやろうと心に決めた。


「アルフレッドの方は落ちそうで怖いんだけど」


 一方、鞍も鐙もないままの騎乗になった一葉は、掴まりどころがないのか、必死になってバランスを保とうとしていた。


「ごめんね、ピーちゃんがよかった?」

「いや、そういう意味では……。やっぱりぴーちゃんにも乗ってみたいかも」


 申し訳なさそうにしていた顔がピタリと止まり、今度は少し恥ずかしそうに自分の要望を口にした一葉。


「おっけー」


 緋色としてはそういう要望を言うようになってくれたのも好ましく思うのだが、せっかくなのでしばらくは本人に内緒にしておくことにした。


 そうして計四回、石の設置と乗らせてもらう妖精フェアリーの交代を繰り返し、最初に地点に戻ってきた。


「では、始めますね。周囲の警戒をお願いします」


 初めに置いた石の前でマリー目をつぶり杖を掲げた。

 杖を中心に魔力が高まり、それに呼応するように置いてきた石たちが順々に輝きだす。


「――――!」


 唐突に、緋色の首筋がゾワリと悪寒を感じた。

 何か良くない事が起こる。

 そう確信し、


「マリーさん! 一葉君!」


 だが何が起こるか分からなかった緋色はただ声を上げた。


 直後、ゆらりと揺れる水面。


「く――――っ!」


 いち早くそれに気が付いた一葉が、マリーを突き飛ばした。


 水面から飛び出した顎が一葉を丸ごと飲み込む。


「もう一匹――――!?」


 黒々とした大蛇がその姿を現した。

 大きさは先ほどと同じ。

 狡猾なもう一匹の黒蛇が、じっと水中で機を狙っていたのだ。


「イチヨウさん!?」


 上ずるマリーの声。

 だが、緋色は蛇が口を閉じる直前、青白い光を見ていた。

 だからきっと一葉は無事だ。

 問題は――――


(早く倒さないと!)


 時間がない。

 早くしなければ変身が解ける。

 獲物を確実に仕留めるためか、口が半開きのままになった、黒蛇が水面に戻ろうとする。

 水に潜られるのはマズい。

 そうなってしまっては助けられなくなる。


(どうする!?)


 焦りが思考を支配する。

 とにかく攻撃するしかない。

 だがどこを攻めるべきか、考えがまとまらないまま、緋色は跳んだ。

 蛇の頭に肉薄する。

 こうなったらとにかく全力で打撃を与えるしかない。

 緋色はこの瞬間に引き出せる、あらん限りの力でその頭蓋を叩こうとし、


「使ってください!」


 マリーの声に意識を引き戻された。

 視界の端で彼女を捉える。

 炎の鳥が形を矢のように変えてこちらに飛んできた。

 否、ソレは矢ではなく剣だ。


 炎の剣が、空に向かって駆け上がる。

 しかし位置が悪い。

 剣が向かう先は蛇の首筋。

 緋色の手が僅かに届かない。


「蹴って!」


 そしてまた煌めく炎を見た。

 足元。

 炎の馬が彼女の足場となるべく、そこにいた。


 そこで愛和緋色は自身が何をすべきか理解した。

 馬の背中を蹴り、届かなかったはずの炎の剣を両手で掴む。

 構えは大上段に。

 黒蛇の首筋に向けて振り下ろした。


「ふっ――――!」


 肉を割く音と共に、大蛇の頭と胴体が別れた。


 一瞬の停止の後、垂直に落下を始める頭蓋と、ぐらりと揺れる胴体。


「おっと」


 優秀にも落下地点に回り込んでくれた炎の馬アルフレッドの背に着地する。

 下は湖。なんとか湖に落ちることだけは避けられた。


「――――」


 自身の右手にある炎剣を見る。

 剣を振るうのは初めてだったが、予想以上に手になじむ。

 何か新たな力に目覚めるきっかけを得たような感覚に――――、


「助けっ――――!?」


 忘れ去られた者三和切一葉の、助けを求める声。

 ボチャン、と大きな音を立てて落水する蛇の頭。


「…………あ」


 しまった、と急いで水面に飛び込む緋色だった。

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