第10話 少女の欲しいもの

「――――ぷはぁっ!」


 緋色によって水面に引き上げられた一葉は酸素を求めて必死に喘いだ。


「――はぁ、……助かった」


 湖の岸に掴まり、安堵する。

 数週間ぶりに死の気配を感じたが、まさか溺れ死にそうになるとは予想もしていなかった。


「掴まってくださいっ!」


 魔力切れを起こした手足は力が入らず、マリーから差し出された木の杖を有難く掴んで、よじ登ろうとする。


「わ、わっ!」

「危ない!」


 しかし彼女のあまりの軽さと膂力の無さに、今度はマリーが湖に落ちそうになり、慌てて杖を離した。

 反動で尻もちをつくマリーと、再び湖の底に誘われそうになる一葉。

 隣でコントのような状況になっているのをよそに、先に湖から上がった緋色が代わりに一葉に手を差し出した。


「ありがとう」


 礼を言ってその手を強く掴むと、勢いよく体が引っ張られ、ようやく地上に上がることが出来た。


「ごめんね、助けるの遅れた」

「……いや、ありがとう。助かった」


 もう一度お礼を言う。

 大蛇に食べられそうになったところを助けてくれたのだ。溺れたわけでもなし、礼を言うことはあれど、非難するような気持ちなど一葉の中には一切ない。


「イチヨウさん、庇ってくれてありがとうございました」


 マリーに頭を下げられ、そういえば彼女の身代わりになったことを思い出した。


「いえ、マリーさんを護るのが役目ですから」


 当然のことをしたまで、と恐縮する一葉にマリーは「それでも、ありがとうございました」と微笑まれ、緋色からは「ナイス護衛」と良く分からない褒められ方をした。


「三匹目は……、いないですかね?」


 火の魔法で衣服を乾かしてもらった後、気を取り直して再度結界の準備に入ったところで、もっともな懸念を彼女が口にする。


「うーん。マリーさんって探知魔法とかできる?」

「出来はしますけど、残念ながらこの湖は魔素量が多すぎてダメですね。わたしの探知は魔力を検知するものなので、この魔素量では中までは上手く効果が発揮されません」

「そっかぁ……。私たちもそんなこと出来ないしなぁ。一葉君、何かある?」

「……無いかな」


 どうしようかと三人で首をひねる。

 だが結論は出ず、


「まあ、いたらまた倒そう。さっきのパターンで」


 楽観的な緋色が「それしかないでしょ」と決断を下した。

 他の意見もなく、やるしかないのはそうなのだが、さっきのパターンでいうと一葉はまた食べられるという事になる。


(いや、アレ結構恐怖なんだけど……)


 仕方なく、ストックの魔石を腰に付けた革袋から取り出して砕き、魔力も回復させておく。

 できれば遠慮したいのだが、これで次も対処はできるだろう。


「水に落ちるのは勘弁して」


 だがまた溺れかけるのだけは避けたく、緋色に改善案を求める。


「それは……、まあ、考えよう」


(あ、コレはダメなやつだ)


 視線を泳がせる緋色に、次は落ちる前にちゃんと息を吸っておこうと心に決める一葉だった。




◇◆◇◆◇




「それでは、ありがとうございました」


 夕日に照らされる武装都市シャミランの門の前。両側で結んだ髪の束を揺らしながらペコリとマリーが頭を下げた。

 不慮の事故一葉の水没はあったものの無事に結界は張られ、その後は三匹目も出てくる事はなかった。帰り道で小型の魔獣との遭遇は一度だけあったが、それも問題なく排除し、怪我一つなく帰ってこれた。

 護衛の契約はここまでだ。


「はい、残りの二十万です」


 差し出されている残りの二十万ゴルドを緋色が受け取れば他にすべきことも無い。


「すみません、すぐに報告に行かなくちゃならなくて……。忙しないですが、ここで」


 再び下げられる頭。


「気にしないで! マリーさんと一緒で楽しかった。ありがとうございました!」

「色々ありがとうございました。助かりました」


 緋色に続き、一葉も頭を深く下げる。

 あちらからしてみれてただの護衛であるはずの一葉に、マリーは親身になって助言をくれた相手だ。依頼主への礼以上の感謝の気持ちが一葉の中にはあった。


「ほら、シオンも」

「シオンちゃんも、ありがとうございました。またお話しさせてください」

「……ばいばい」


 促されて仕方がなさそうに顔を出したシオンの右手と、ニコニコ顔のマリーの右人差し指での握手が交わされる。

 両者の手が離れたところで、これで終わりと示すように、マリーが一歩下がった。


「しばらくはこの街にいますので、また会いましょー」


 そうして、手をぶんぶんと振りながら去っていくマリー。


「さて、と」


 その小さな姿が人ごみで見えなくなるまで振っていた手を下ろし、こちらも区切りをつけるための小さな声が緋色から聞こえた。

 賑やかな人だったからだろう。たった一日とちょっとを共に過ごしただけだったが、一葉はどこか名残惜しさを感じている。

 緋色も同じなのか、彼女の声からは寂しさが伝わってきた。


「改めて、依頼達成お疲れー」

「お疲れ」


 いつも通りの、だけど少しだけ勢いのないハイタッチが交わされる。

 このままここにいると気分が暗くなる気がして、一葉はどこへでもなく歩き出しながら話題を振ることにした。


「コレ、いくらになるかな?」


 一葉と緋色で一本ずつ背嚢リュックの中にしまってある蛇の牙に視線を向ける。

 一葉たちは湖で倒した大蛇から、二本の牙を剝ぎ取っていた。

 沈んでしまった方は諦めるしかなかったため一匹分しか取れなかったが、一葉の腕程の大きさのある巨大な牙だ。魔獣の体は頑丈であったり、特別な力を持っている事がある。牙であれば武器や防具に利用されることが多く、特に大型の魔獣の一部であれば耐久性は折り紙付き。

 素人目にも店に持っていけばそれなりの値段になりそうに見える。

 拳ぐらいの大きさの黒蛇の魔石といくつかの小さな魔石も手に入ったため、合計すれば結構な稼ぎになるはずだ。


飛空靴ラディッシュ・ブーツ、欲しいんでしょ?」

「そうっ! 買いたいんだよねー。色々と聞いてみたんだけどさ、やっぱり大会では皆ブーツだって。ボードの人は見たことないって言ってた」

「じゃあ、やっぱり買わないとね。足りるといいけど」


 緋色は祭り当日に開催される、ある大会に出ることを予定していた。

 多くの腕自慢が集まるシャミランでは、当日に数種類の武闘大会が開催される。緋色が参加するのは、単純な武力を競うものではなく、空中戦の巧拙が重要になる空中武闘ラディッシュ・ファイトと呼ばれる大会だった。

 落ちたら負けというルールがあるらしく、参加者は空中に浮きながらの戦いが求められる。数年前に一度だけ別の機器の使用者が優勝したこともあるそうだが、ほとんどは飛空靴ラディッシュ・ブーツを利用するそうだ。


 アルキメデス内には飛空板ラディッシュ・ボードしか用意されていない。ボードタイプでも戦えることは戦えるのだが、限定された空間での戦いでは機動力が重要となってくるという事で、緋色はブーツタイプを所望していた。左右で異なる飛行装置があるブーツタイプの方が自由度が高いとのことだ。


「ごめんね、私の欲しいもの買っちゃって」


 舌をちょろっと出し、許される気しかしてないだろう、あざとさ満点の顔を見せる緋色。

 まだもうちょっとそういうのあざといのには慣れきっていない一葉は、動揺を隠すべく必死にジト目を作った。もういい加減慣れたいものである。そうしないと寿命が減る。


「今のところ欲しいものとかないし、使って大丈夫だよ」


 興味がないと態度で示す。欲しいものが無いのは事実。今のところ生活しながら今後の旅のためのお金さえ貯めていければいい一葉にとっては、緋色が必要なら使えばいい、という考えしかなかった。


「必ず優勝するから許して」

「いや、だから大丈夫だって」


 一葉の反応が面白いのか、「ね? ね?」と追撃してくる緋色を必死にかわす。

 大会で上位に入賞すれば賞金が出る。一位で一千万ゴルド。二位は百万、三位で五十万となっている。参加費は十万であり三位までに入れれば、参加費以上のゴルドが獲得できることになる。

 だが緋色も優勝は目指しているものの、その狙いは賞金ではなく、一緒に与えられる賞品のほうにあった。


「欲しいのは魔鍛鋼クライムコートの方でしょ?」


 空中武闘ラディッシュ・ファイトの優勝者には賞品として高品質の魔鍛鋼クライムコートが与えられる事になっている。

 緋色は以前から魔鍛鋼クライムコートの武器が欲しいと言っており、いくつかある大会の中でこの大会へ参加することに決めたのも、この賞品を狙ってのことだった。


「そうなんだよ! 今日もさ、最後あの蛇を倒すときに、〝炎剣ピーちゃん〟を使ったって言ったじゃない? 私たちのパーティーって打撃だけだから、やっぱり斬撃属性が必要だなって、改めて思ったよ」

「……うん、それは確かにあった方がいいね」


 緋色の意見に同意する。一葉も緋色も主力は殴る蹴るの物理攻撃だ。勇者の剣は現状抜くことが出来ず、緋色は魔弾があるが、アレはぶつかった際の衝撃でダメージを与えるので、魔法ではあるのだが拳などと同様の物理攻撃に含まれる。今後も打撃より斬撃の方が有効な相手と戦う場面が出てくるだろう。


 攻撃バリエーションの不足でいうと、自分にも遠距離攻撃の手段が欲しいと一葉は思う。今の状態では距離を取られると何もできなくなってしまうため、遠距離への対処は大きな課題だった。

 ちなみに〝炎剣ピーちゃん〟という名称は今初めて聞いたが、一葉はスルーした。


「でしょ? だから魔鍛鋼クライムコートが手に入ったら剣の形にしてもらおうかなと考えててね」

「うん、いいと思う。どんな形にするの?」

「双剣にしようかな」

「……愛和さん、剣使えるの?」

「いや、剣自体さっき初めて振ったんだけどさ、……双剣ってアツくない?」

「……アツいね」


 双剣がカッコイイアツいのは一葉も同意見。

 両手で扱う分、使用の難易度は格段に上がるはず。絶対に素人向けではないが、緋色なら何とかするだろうと思って「アツいならいいか」と賛成することにした。


「――――って、コレどこ向かってるの?」

「あ、ごめん、適当に歩いてた」

「私も何も考えてなかった」


 素材の買取なら逆方向だね、と笑いながら踵を返して歩き出す緋色。


「いくらになるかなー?」


 夕暮れの中、楽しそうに揺れるその背中を一葉は追いかけた。



◇◆◇◆◇



 暗い闇の中、ソレは数か月ぶりに意識を取り戻した。


 息苦しい。

 ※※が足りない。

 吸っても吸っても満たされない。

 苦しい。


 もう自分がどこにいるのか分からない。

 ココにはいたくない。

 戻りたい。

 元の場所に戻りたい。

 あそこは良かった。

 息が楽だった。

 生きるのが楽だった。

 自由だった。


 ココとは違う。

 だから戻りたい。

 戻りたいのに。

 でも体が言う事を聞かない。


 アレが自分にナニカをした。

 そのナニカが体を蝕んでいく。

 思考を侵食していく。

 狂気に意識が乗っ取られる。


 抗えない。


 意志に反して体が前に進む。


 足元がうるさい。

 何かを踏み潰した気がする。

 だけど気にする余裕はない。

 そんな事考える余地が無い。


 足は止まってくれない。

 ゆっくりと、だが真っすぐにどこかに向かっていく。


 抗えない。


 目の前が暗くなる。

 また意識が闇に包まれる。


 そうして失われていく意識の中。


 ソレは禍々しく歪む魔女の唇を思い出した。

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