第二章 導きの魔女
導きの魔女 プロローグ
わたしの家は一言でいえばごく普通の家庭だった。
父と母と弟と。
父は魔工技師で収入はそれなり。
特段豊かでもなく、生活するのに困るのでもなく。
これ以上言える事も特にない。
わたしの親友の過去は一言でいえば悲惨だった。
裕福な家庭。
家は豪邸で、着ている物は煌びやか。
父親は街の代表で、母親は美人で優しくて。
絵に描いたような幸せそうな家族。
だけど、母親が病気になってからが不幸の始まりだった。
日に日に衰弱していく母親。
酒におぼれる父親。
その隙を狙って現れた地位とお金目当ての女。
母親が亡くなった後、父親はその女と再婚し、親友には二人の姉が出来た。
継母と二人の姉は親友をいびり倒し、親友はまるで召使。
父親は見て見ぬふり。
部屋は奪われ、母親の形見は彼女たちの衣装代に消えていった。
よくあると言えばよくある話。
だがきっと親友にとっては地獄のような日々だっただろう。
幼いわたしは覚えている。
お姫様のようだった服が、いつのまにか汚れた服に変わっていた。
お日様みたいな笑顔から徐々に表情が消えていった。
日に日にやつれていく相貌。
輝きを失った瞳。
それでもわたしは何もできなかった。
当時のわたしは幼過ぎて、何が起きているのか分かっていなかった。
いや、それも言い訳だろう。
知ろうとさえしていなかったのだから。
出来なかったのではなく、何もしなかったのだ。
転機が訪れたのは、わたしが初等部の学校に入ったあたりの頃。
親友とわたしの胸に、突然何かの意思が宿った。
ソレは小さな声で訴えかけてくる。
この世界を守れ、と。
何が何だか分からなくて、数日の間は震えながら眠った。
だけどすぐにある人物がやってきて、わたしの身に起こった事を説明してくれた。
でも大事なのはそこじゃなくて。
親友はその人に連れられてどこか遠くに行くことになった。
地獄から抜け出せるならと、喜んでついて行くことにしたのだろう。
その人はわたしも一緒にと言ってきたが、わたしは悩んだ。
父と母、ついでに弟と離れるのは嫌だった。
その時のわたしは、家族と親友の二択を迫られることになったのだ。
結局は親友を選んだ。
家族はわたしがいなくても大丈夫だけど、あの時の親友を一人にするのは嫌だったから。
あれから二十年を超える時が立ち、親友と今も共にいる。
親友は世界の守護者と呼ばれるようになった。
わたしはそれを助ける者に。
正直、世界の安定なんてわたしの手には余るけれど。
親友の心は守りたいと思う。
あの頃、何もできなかった幼いわたしに代わって。
◇◆◇◆◇
その光景を、少年は眺めていた。
彼方から、赤い多数の点がじわじわと迫って来る。
蠢く黒色を引き連れて。
総数なんてもはや分からない。
数える気にもならない。
彼我の距離と迫る速度から考えると、この場所に到着するまではおよそ十分というところ。
何もしなければあと十分で自分はアレに飲み込まれる。
身震いする。
そうなった時、自分はどうなるのか。
想像してしまった。
沸き起こるのは悪いイメージばかり。
きっと自分の柔な体は簡単に引き裂かれることだろう。
怖い。
怖くないはずがない。
恐怖そのものが形をもって迫ってきているような光景。
それに抗える蛮勇さなど持ち合わせていない。
命の危機があれば当然のように恐怖する。
彼はごく普通の少年だから。
なら、逃げればいい。
彼には使命など無い。
自分が立ち向かう必要など無いのだ。
だけど、彼は逃げる事が許されなかった。
彼女がそこに残ると、そう言ったから。
だから自分もこの場所に留まらなければならない。
もう逃げない。
もう、彼女を独りにはしないのだと決めのだから。
だから、誰に請われたわけでもなく、自分で望んでここに残った。
残ったことに後悔などない。
この状況で逃げる自分など許してはいけない。
もし少年の決意を知ったら、彼女は笑うだろうか。
それとも、そんなことは望んでいないと怒るだろうか。
その彼女は、今、空に浮かんでいた。
遥かなる高みから、自分と同じ光景を見て、彼女は何を思っているのだろう。
『一葉君、一葉君、こちら準備完了であります』
通信機から彼女の声が聞こえてきた。
いつも通りの、こんな時でもどこか楽し気な口調。
だが、今はその中に僅かな高揚が見え隠れしていた。
まさかこの状況で、と自分の勘違いを疑うものの、彼の良く知る彼女であれば、そう言う事もあるかも知れないと思ってしまう。
「了解。こっちはまだ遠すぎて手が出せないから、始めるタイミングで声をかけるね」
彼女がいつも通りを良しとするなら自分もそうしようと、恐怖の感情を封じ込めて平静を装った。
「おっけい、じゃあ、こっちは始めるねー。よろしくー」
どうやら彼女には気が付かれなかったらしい。
この場に不釣り合いな応答があった後、ブツリと通信が切れた。
「……?」
はて、何故通信を切ったのだろうか。
咄嗟の時に会話ができるよう、通信は入っていた方がいいと思うのだが、何か事情があるのかもしれない。
いずれにせよ『始める』と、そう言った彼女を邪魔するのは止めておこう。
もうしばらくは緊急事態など起きないだろう。
必要になったらその時にこちらから声をかければいい。
そこまで考えて、ふと先ほどまでの恐怖が薄れていることに気が付いた。
彼女といるといつもこうだ。
言動に振り回されているうちに、暗い考えがどこかに追いやられてしまう。
なんて単純。
自分はこんなにも分かりやすい性格だっただろうか。
「ふぅ……」
さあ、覚悟を決めよう。
絶望に抗おう。
ここで死ぬわけにはいかない。
彼女を死なすわけにはいかない。
三和切一葉は、愛和緋色を絶対に元の世界に返すのだと、そう決めのだから。
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