第13話 ガラスノナカ7

「ピザうっま!」


色味の違う4種類の黄色いチーズを唇に挟みこみ生地ごと引くと、にょ〜んと伸びる

垂れないうちに伸びたチーズに噛みつき、カリカリの生地も一緒に頬張ると強めの塩味に頬がきゅっと窄むような感覚が走る


コップに注いだ炭酸飲料で塩辛くなった口の中を洗うように流し入れ、それを繰り返してやっと一息つく


「くはぁっ

たまにはジャンクフードも良いもんだな」



流石にMサイズを2枚も食べられないので残りはラップに巻いて冷凍庫に入れておいた


「温め直して、明日の朝食にでもするか」


食べたばかりだと言うのに、絢は歯を磨きながらも朝食が楽しみで明日の朝が待ち遠しくなった



…チーン



その夜、絢はレンジでピザを温める夢を見た




「……俺、楽しみのあまり夢遊病でも発症したのか?」


翌朝


テーブルの上に置かれた食べかけのピザを見て愕然とした


寝ぼけて朝方にでも食べたのかと思ったが、お腹に何かが溜まっている感覚はない

そして奇妙な事に、食べかけのピザの横には倒れた人形が転がっている


その口元には、固まったチーズが付着していた




出社すると社長室に呼ばれた

そして郷さんが開口一番


「謝華君、愚息が何の関係もない君に手をあげたと妻に聞いた

誠に申し訳ない」


どうやら息子がやらかした話が郷さんの耳にも入ったようだ

昨日は支社に出向いていたのだが、朝、帰ってきてすぐ奥さんに聞いたのだという


「社長、頭を上げてください

驚きはしましたがそこまで強く殴られなかったので怪我はしていません、私なら大丈夫です」


本当は寮に帰ってもまだ腫れていたのだが、殴られた頬は痣になることはなく、朝には腫れも引いていた

身体が丈夫なのもあるが治癒力も高いのか、昔から大概の傷はすぐに治る体質だった


丈夫な身体をくれた親には本当に感謝している


それでもと、郷さんは何やら茶色く厚みのある封筒を渡そうとしてきたので、両手で制して大いにお断りした


封筒の中身は間違いなく紙幣の束だろう

傷害を起こした詫びだとしても明らかに封筒の厚さがおかしいので、口止め料も含まれているに違いない


額が額なので心が揺らがなかったかと言われれば嘘になる

だが、アレを受け取った時点でこれまで頑張って築いてきた関係にヒビが入り、今後何とも言えないギクシャクした空気が漂うことになるのは目に見えて明らかだった


それは絢にとって、非常に困る


奥さんにだって何度も謝罪をされ、大丈夫だと言っているのに帰る前に病院でほぼ強制的に治療だって受けさせられた

診断書も発行しようと言われたが、それは訴えるわけでもないので意味がないからと断った

それに正当防衛とはいえ、自分だって学生相手に平手打ちをしたのだ


「そんなわけにはいかない」

「受け取れませんっ」


押し問答が暫く続く


社長にも立場や面子がある事は絢も理解はしている

受け取った方が相手の心の負担も軽くなるかもと思ったが…いや、しかし現金を受け取ってしまうのは問題が…


キリがないというのもあったが、防音されているとは言っても完璧に声が聞こえない訳ではない

社長室の外から、他の従業員達が出社している声が聞こえだす


いつまでもこの状態が続くと、皆おかしいと気づき始めるだろう


どうしようかと頭を巡らせ、そうだ!と名案が浮かぶ


「社長の真剣なお気持ちは分かりました!

ですがその封筒は受け取れません、なので…」


お金を受け取るのではなく、とある提案をした




「絢ちゃ〜ん、おはよう」


「深山さん、おはようございます!」


「あれ、なんか凄く機嫌が良い?」


上機嫌な絢に、深山さんは良いことでもあった?と首を傾げる


「はい

実は寮の水道管に不具合が見つかったみたいで、それが直るまで家賃がいらなくなったんです」


そうなのである


最初は家賃の交渉をした


実は、元々あの寮は税金対策か何かで数年前に建てたものらしく、表向きは社員寮として建てたので人も住めるのだが、絢が引っ越して来るまでは1階と2階と同じく倉庫として使われていたのだと小耳に挟んでいた


家賃収入を目的に建てたわけではなかったようなので、それなら少しばかり下げてもらえないかと交渉してみたんだ


これならお金を受け取らなくても良いし、浮いた家賃で衣食住を豊かにでき、貯金も今以上に出来るので絢としては良い事づくしなのだ



その結果…なんと家賃がタダになった!!



勿論、水道管云々はただの口実だ


引っ越す前も後も踏んだり蹴ったりだね〜と同情されたが、寧ろ運が回ってきましたと、言えるなら言いたかった


その日は仕事も順調で、るんるん気分で帰路につく

冷凍庫に入れてあったはずの残りのピザが無くなっていることにも気付かないくらい浮かれていた絢は、夕食をとりながらタブレットを開き、次に購入する電化製品のサイトを見ていた


だが、気分が良かったのはその日まで


翌日会社で聞かされた訃報により、呆気なく幕を閉じてしまった



「桂木さんが…亡くなった?」




「最初は手首の傷から良くないものでも入ったんかと思われてたみたいやが、感染症の類は調べても何も出てこんかったんやと

心停止したとは聞いたんやがな」


「そんな事って…」


小雨が降り止まぬ高速道路上

沢森さんの運転する車の助手席に座り、現場へと向かう途中に詳細を聞かされた


「せやけど、不思議なことがあるねん」


「え、何ですか?」


「これは他の奴には言わんといて欲しいんやが…その、なんや

桂木が怪我した腕と頭がな」


「ええ」


沢森自身も実際に見たのではなく、他の従業員か社長から聞いたのだろう

その話を未だに訝しんでいるような、どこか納得がいかない感じが声に滲み出ていた



「…中身が無くなって、皮と骨だけになっとったらしいわ」



沈黙が流れる


絢はカーナビを操作していた手を止め、聞かされたそのあり得ない内容に思わず沢森さんの顔を見た

口調は強くとも、普段はよく冗談を言って人を笑わせて場を和ませるのが好きな沢森さんが険しくも真剣な表情をしている


まだ何か言っている沢森さんの声が遠のき、絢は病室の…桂木の腕や目から這い出ていた幼虫を思い出していた


アレは疲れから見た幻覚ではなかったのか?


だが人の大きさ程もある幼虫など、石炭紀でもあるまいし今の世に存在するはずがないと頭が否定する


なら、なぜ桂木は奇怪な死に方をしたのか



「あっつ…!?」



絢が手にしていたバッグが急に熱を帯び始めた

熱いと言うほどの温度でもなかったのかもしれないが、不意打ちを喰らって思わず口に出してしまった


「あ、どうかしたんか?」


「い…いえ

持っていた珈琲を膝に溢してしまって」


咄嗟に左手に持っていた珈琲を言い訳にしたが、熱の出所はバッグの中だ

恐る恐る手を入れる


掴んだ物の感触でソレが何か分かり…指先が震えた


「ん?

何やそれ、日記帳か?」


取り出した本…古書を見て、沢森さんは眉を顰めた


「…はい、仕事内容をメモしてある手帳です」


どこの誰がこんな古い本に仕事内容なんて書くんだよ、とツッコミどころ満載だったはずだが、沢森さんは「そうか、偉いな」とだけ言ってそれ以上深くは聞いてこなかった




休憩時間に、絢は発熱していた元凶である古書を再びバッグから取り出した


そもそも、だ

絢は古書を家から持ってきた覚えはない

引っ越してからも旅行用のバッグに入れっぱなしで、そのままにしていたはずだ


神妙な面持ちで、今はカイロほどの温度にまで熱が下がっている古書を観察する


すると



『謝華さん、どうもお久しぶりですねぇ』



バサッ


ありえない事に…閉じた古書の中から、もう2度と聞きたくなかった宿屋の女将の姉、菊の声がした

慌てて周りを見渡すが休憩所には絢しかいない


『あら、謝華さん

古書は経年変化で劣化しておりますので、取り扱いには十分気をつけてくださいませ』


女将の声が足元から聞こえる


「何がどうなってるんだ…?」


拾い上げて古書を開くと、表紙の裏側に青銅製の丸い飾りが張り付いていた


「あれ…

こんなの付いてたっけか…?」


覚えていないと言うよりも、持ち帰ってから殆ど中身を確認していなかったので記憶にないだけなのかもしれない

取り外し可能なようで、落とさないようテーブルの上に古書を広げて手のひらサイズの飾りを外した


「げっ」


ひっくり返すとコレが飾りではなく鏡のような物だと分かった

なぜ、濁した言い方なのかと言うと…


その鏡には本来映し出されるはずの自分の姿ではなく、女将と菊が映っていたからだ

相変わらず目が覚めるほどの美人だが、もう猫を被るつもりもないようで、性悪そうな笑顔でこちらを見ている

そんな2人に絢も口をへの字にしながら、心底嫌そうな視線を送った


『まぁ、嫌ですゎ

そんな反抗的な態度を取らなくてもよろしいではありませんか』


菊はケンケンと咳き込むように笑う


「どの口が言う

自分がどんな顔で人と話しているのか、鏡を見てから言え」


『何をおっしゃいます

今、お互いに鏡を見ているではありませんか?』


コンコンと、さも可笑しそうに女将も笑う


腹が立つが、確かにそうだ…

そしてやはりコレは鏡なんだな


「あんた達とトンチで遊ぶつもりは毛頭ない、じゃ…」


これ以上、話をしていると頭の血管が切れそうだ

鏡をひっ繰り返して古書に戻そうと…


『8000万』


「ぐ…っ」


『乙女の話を最後まで聞かないなんて、殿方の風上にも置けませんゎ

話を聞かない悪い殿方には、弁償額を一括払いで…』


「分かった!!

分かったから、早く言え…!」


弱みを握られている以上、もう何も言えず、絢は頭を抱えて低く唸った


『仕方ないですねぇ

今回だけ許して差し上げます』



くそ…っ!!



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