第12話 ガラスノナカ6

思わず大きな声が出てしまい、慌てて声のボリュームを下げる


「記憶がないなんて

社長さんと奥さん、可哀想ですね…」


「せやろ…

それに大人しなったて言うても口答えすることがなくなったてだけで、目が覚めた直後はなぜか飯を貪るように手で食うわ、TVをつけたらパイプ椅子を投げて液晶割るわで大変やったんやと」


あまりにもあまりな話に、絢は口の端を引き攣らせる


「だから最初、みんな口を揃えてこういうたんや」



息子は狐憑きだ、と




「でっけー病院…」


新しく建設されたというその大きな病院の駐車場に絢は来ていた


縁を切られているのか知らないが、桂木には親族がいない為、社員が交代で入院中の着替えを病院に持ってくることになった


なんであいつの為に…と文句を言いたいところだが、大人なのでその言葉はグッと飲み込んだ


広いエントランスホールを横切り、受付で名前を伝えるとスタッフが快く教えてくれる


「ちゃちゃっと様子を見て、すぐに帰ろう」


仕方なく用意した、ゼリーが入った紙袋を揺らしながらエレベーターから降りて病室に向かう


大部屋に名前を見つけ、ここだなと部屋に入った

窓の近くに寝ている桂木を発見する

目が覚めている様子はなく、点滴生活が長いからなのか若干身体が痩せているように見えた


備え付けの小さな冷蔵庫にゼリーを入れ、様子も確認出来たので去ろうとした

その時、ふと視界の端…桂木が寝ているベッドの辺りで何かが動いていることに気がつく

なんだろうと顔を横に向ける


…向けなければ良かった


せめて目だけ動かして見れば良かったと後悔した


ベッドの上で寝ている桂木の目から、ドアのガラスの中をうねっていた白い幼虫が伸びていた

それは目だけではなく、捻ったと言っていた方の爪と指の間からも伸び、ベッドの上を這い回りながら何かを探しているようだった

幼虫が伸びると桂木が時たま体を痙攣させるのを見るに、アレは神経と繋がっているのではないか


明らかに寄生されている


その光景のあまりの気持ちの悪さに、絢は後ろへと飛び退った


「どうしたんじゃ?」


「…っ!?」


後ろから急に声をかけられ、驚きに息を詰めて振り向くと、同じ大部屋の入院患者らしきお爺さんが心配そうに見ていた


「あ、なんか虫が…っ」


「虫?」


絢が指す方へと顔を向けたお爺さんは、はて?と首を傾げ


「ワシには見当たらんが…小蝿でもおったんか?」


「…え?」


恐る恐る、幼虫がいた場所へと目を向ける


だが…そこには横になって寝ている桂木しかいなかった




「俺、疲れてるのかな…」


お爺さんに謝罪と礼を言い、肩を落としてトボトボと廊下を歩く



…ガシャン…!



個室の前を通り過ぎようとした、その時

部屋の中から何かが割れる音と人を呼ぶ声が微かに聞こえてきた


「…さ…!……待ちなさい!!」


ガッ!という音と共に個室の扉が大きく揺れ、手か爪でドアを引っ掻いているのだろうか

ガリガリと激しい音が内側から聞こえた


その中から聞こえる喧騒と激しく揺れる扉の動きに、絢は思わず立ち止まってしまった



ガチャリ



鍵が開き、扉が横へスライドすると同時に高身長の男が部屋の中から飛び出してきた


そして…


「……え?」


それは一瞬の出来事だった



ガツっ!!



受け身を取ることも出来ない程の衝撃が絢を襲う

身体が吹っ飛び、硬い壁に叩きつけられる


絢は横面を強かに殴られたのだ


遠くから看護師のお姉さんと、聞いたことのある女性の悲鳴が聞こえる


男は絢に馬乗りになり、襟首を引っ掴んで尚も執拗に殴ろうとしてきた

実際、数発頬に入ったが流石にそう何回も殴られていれば怒りも湧いてくるというものだ


左腕でガードしながらこちらも隙を見て患者衣を引っ掴み、床に押し倒してグー…は人目があるので平手打ちで頬を張った


こちらは自己防衛だというのに、倒れた男は絢が全面的に悪いとでも言いたげに歯を食いしばり、唇を噛み、鋭い眼光で睨みつけてくる


殺意とも嫌悪とも取れる

負を煮詰めて地獄の炎で煮溶かしたようなその殺気だった眼は…蒼かった


誰かに呼ばれたのか数名の男の看護師が駆けつけ、男を取り押さえる

それでも男は引き離そうとした看護師を押し除け、絢に尚も掴み掛かろうとして叫んだ


「うあぁぁぁっ!」


怒りの形相で吠え、こちらへと執拗に手を伸ばしてくる


離れた事で落ち着き、分かったのだが…

絢を襲ったのはまだ若い学生だった


「謝華さん…!?

ごっ…ごめんなさい!ごめんなさい…!!」


涙を流しながら駆け寄り、頭を必死に下げて少し腫れた頬に震えた手でハンカチを当てる女性には見覚えがあった


「え…っ

社長の奥様…?」




殴られはしたが、長い入院生活で筋肉が衰えていたのか、頬が少し赤くなっただけで幸い怪我もなく、絢は謝り続ける奥さんに頭を上げてもらった


未だこちらを睨みながらベッドに連行されている学生は、やはり例の息子のようだ


名前のプレートに目を向けると


「郷 太郎」


と書かれていた


最初は読み間違いかと思った

失礼だが、今時太郎なんて古風な名前をつける親がいるのかと驚愕し、奥さんの顔を見る


そういや目の前にいたんだった、名付け親…


奥さんは着物の袖で涙で濡れた目を隠し


「あの、良ければこちらでお話を…」


そう言い、休憩室に絢を案内した



今の騒ぎで自室へ戻ってしまったのか、それとも元々いなかったのか

休憩室には誰もおらず、場の空気に似合わない穏やかな音楽が流れているだけだった


席に座ると、再度謝罪を受け経緯を聞くことになった

既に社員から聞いておりますとは口が裂けても言えないので、真剣に話を聞いたがやはりというか先の内容と大差なかった


ただ1つ、聞いていない話があった


「毎日のように『アイツはどこだ!!』と叫ぶんです…」


個室を借りているのも、叫んで周りの迷惑にならないようにするのと…まぁ所謂、世間体の問題だろう

社長の息子が狂ったなんて噂されれば、会社にも影響があるかもしれない


そして話の続きを聞くに、どうやら事故の時に見捨てるか、はたまた裏切ったか

この状況に陥れた悪い仲間がいるようだ

そいつの記憶は残っていたようで、病室を抜け出しては院内を探しているのだと

だが相手は事故を起こしておらず、入院もしていない

何度そんな人は病院にいないと言っても全く聞く耳を持たないそうだ


ようやく目を覚ましたと思えば幼子のように何も出来なくなってしまっていて


毎日見つかるはずのない相手を探し、徘徊しても


人に迷惑をかけてしまっても、大事な息子には変わりない


奥さんは毎日のように病院に通い、根気強くマナーや常識を1から教えていた

触れようとしたら確かに嫌がるし物は壊すが、それでも今日までは誰にも手をあげた事などなかったのだと言う


そこまで言うと奥さんは物凄く言いづらそうに目を横へと逸らし、罰が悪そうな顔で重い口を開いた


「あの…

こんな事をお聞きするのは失礼だと重々承知なのですが…

息子と…面識は……」



そりゃ疑うよな、と他人事の様に絢は思った



今まで誰にも手をあげず、裏切った誰かを探している息子が突然、人を殴ったのだ

絢自身もそんな奴が目の前にいれば、例え身内の事でなくとも真っ先に疑う自信がある


「いえ、初対面なはずです」


事故に遭った日はこちらにまだ引っ越してきておらず、違う県にいたうえ学生との接点なんてそもそもない

そう伝えると、消えそうな声で「そう…ですよね、ごめんなさい」と今にも消えそうな声で謝られ、絢は居た堪れなくなった


「もしかしたら、見た目が私によく似ている人物なのかもしれませんね」


背格好とか髪型とかが似ているから、間違えた可能性がある

世の中には自分によく似た人物が数人いるとも言うし

頭を強打したと聞いたので、記憶が曖昧なのかもしれない


悲しみに暮れる奥さんを見て、絢は早く悪い仲間が見つかるようにと心の中で祈った




冷蔵庫の扉を開けると、影もなくやたら明るい庫内にしまったと呟く


「スーパーに寄るの忘れてた…」


時計を見ると21時

近所のスーパーはすでに閉店している時間だ


「昼飯も食べてないしな」


流石に昼も夜も抜くとなると腹の虫の音で夜中に起きることになるだろう


仕方ない、とスマホを手に取る


「デリバリーを頼むの久しぶりだな

たまにはピザにでもするか」


サイトを見にいくと、綺麗に写真を撮られたピザが載っていた

演出だと分かってはいるが、長く伸びるチーズがなんとも食欲をそそられる

2枚買うと1枚が無料という謳い文句にもまんまと引っかかり、たまには良いだろと普段はあまり飲まない炭酸飲料もポチった


「待ち時間は30分か

意外と早く来るな」


待っている間にタブレットで映画でも見るかと電源を入れてアプリを起動した


「…ん?」


アプリの閲覧履歴が、見た覚えのないもので埋まっていた


「死者の世界に霊の住む町に…美少女は悪魔(あくま)で本音を言わない

って、なんだコレ??」


観た覚えがない映画のタイトルの数々に、思わず声が裏返る


するとゴトリと音がし、もう古いマンションではないのにコロコロと近くまで転がってきたそれを拾い上げた


「…コレを観たの、まさかお前じゃないだろうな?」


そんなはずはないと思いつつも、疑わしげに目を細めて人形を見る


部屋の湿度が高かったのか、それとも転がってくる途中で食器を洗った時に飛んだ水滴でもついたのか



なんだか人形の背中が微妙に湿っているように感じた

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