第9話 ガラスノナカ3

車外に出て、大きく息を吸って吐く


なんとか…生きてたな…


「キミ、先に大家さんに挨拶に行ってくれる?

僕達で道具を下ろしておくから〜」


「ちっ!」


ベテラン従業員である深山さんにそう言われ、本心では断りたいのだろうが重い掃除道具をマンション内に運ぶのも面倒だと思ったんだろうな

嫌そうに顔を歪めて舌打ちしたが、桂木は素直にエントランスへと入っていった


「じゃあ、絢ちゃんは最上階からお願いね〜」


「分かりました!」


掃除道具を抱えてエレベーターに乗り込むと、ドアが閉まる直前に帰ってきた桂木が深山さんに文句を言っているのが見えた


「懲りねえ奴だな…」


さっきは深山さんが俺を庇うような形で挑発じみた発言をしたが、普段は桂木が一方的に喧嘩腰な態度と物言いをすることが多かった


「ま…いつも相手にされてないけど」


喧嘩は同じレベルの相手で、尚且つ同じ土俵に立っている物でないと成立しないとかなんとか

どこの偉い人が言ってたんだっけか…



チーン


上階へと向かっていた金属の箱が最上階で止まる

降り立つと、マンションは高台に建てられているので見晴らしがよく、遠くの方にではあるが青い海が見えた


「それじゃ、やりますか…っと」


絢はさささっと箒で廊下や排水用の溝に溜まったゴミを掃き進める


本当は業務用の掃除機で一気にやりたいところだが、受験生や赤ん坊がいるからあまり大きな音を出さないでほしいと大家さんからの希望だ


今回の仕事は大家さんが年配の女性で、1人で掃除をするには大変だからと依頼がきたようだ

規模の大きなマンションであれば5人ぐらいで掃除を行うのだが、比較的建物が小さく、数日かかっても問題ないとの事だったので俺たち3人が駆り出された


最上階から掃き進め、中盤までモップがけが終わった頃には海に日が沈みかけていた


「今日はここまでで良いか」


粗方掃除が終わったので用具を抱えて1階に戻る

すると、先に車に戻っていた桂木が助手席のドアを開けて外に足を投げ出した状態で俯いていた


「え、どうしたんですか?」


どこか元気のない桂木に声をかけるも、顔を背けられ無視された

人が心配して声をかけているのに、なんだコイツ…と思ったが、近づくと左手首を押さえており、歯を食いしばっている

額には脂汗までかいていた


「どうやら手と手首を痛めたみたいなんだよ〜」


振り返ると、いつの間にか深山さんが背後にいた


言われてみると確かに、手で押さえている部分は43度くらいのお湯に数分つけていたかのように若干赤くなっており、手首に至っては腫れているようにも見える


「あんなに重い物を持たせるからだろうが!」


唸りながら大声を出す桂木


だが、重いと言う掃除道具はせいぜい15~20kg程度

非力な人間や子どもならいざ知らず、桂木はまだ20代後半で筋肉もそこそこある

まだそこまで筋肉がついていない絢でも片手で持ち上げることが出来る重さだ


まぁ…桂木のことだ

大方、道具を使う時に変な持ち方をして捻りでもしたのだろう


ため息を心の中で吐きつつ地面に投げ捨てられている箒を拾い上げ、自分の分と一緒に後ろへ乗せた




「社長ってのも大変だな…」


鞄の中の鍵を探しながら扉の前で独りごつ


会社に戻り郷さんに報告していた絢たちの会話をぶった斬り、あのバカは労災だ治療費だと騒ぎ立て、帰るのがいつもより1時間も遅れてしまった


「あのバカ、頭をぶつければ良かったのに」


ぶつぶつと文句を吐きながら鍵を回して扉を開けた



カタッ…コロコロ……コトッ



「……」


壁に手を這わせ、電気のスイッチに手を伸ばして灯りをつける


パチっと小気味良い音と共に目に入ったのは、最近では見慣れた風景と化している廊下を転がる人形だった

ただ、今日はいつもより玄関に近い場所で止まっていた


「マンションの傾きがキツくなったか…?」


これは早く次に住む場所を決めないとな…と顎をさすりながら人形を拾い上げる


「…え?

うわ、なんだこれ…」


持ち上げた人形の顔

正確には口元に、ベッタリと黒い汚れがこびり付いていた

擦ると指につくので、まだ付いて間もないのだろう

急いで台所の綺麗な布巾で拭き取る


「良かった、染みになったりしてないな」


汚したら、女将達にまた何を言われるか分からない


「それにしてもこの汚れ、どこでついたんだ?」


周りを見渡すも、床やテーブルに汚れなど見当たらない

最初は古い本の墨汁かとも思ったが、それは窓の近くにあるバッグに入ったままだから、テーブルの上から転げてきた人形につくはずも無い


「じゃあ、いったいどこで…」




コンコン…




訝しげな顔で人形を見ていると…玄関の方から扉を叩く音がした




「は……何?」


絢が反応した声が聞こえたのか、玄関へ続く扉の奥からまた



コンコン…


コンコン…



と音がする


昨日はテレビから出ている音だと思っていたが、帰ったばかりで今はついていない


間違いない、誰かが扉を叩いているのだ


「近所の悪ガキが嫌がらせでもしてんのか…?」


このマンションに越してきてからというもの、近所の小学生や中学生が肝試しにちょくちょくやって来る

どうやって入ってくるのかと思っていたが、なんて事はない

自動ドアの下に広告の紙を差し込んで軽く振る

するとセンサーが反応してドアが開くので、それで子ども達は簡単に中に入ってきた


おいおい…ここの防犯面はどうなってんだよ?と最初は呆れたが、そもそも変な噂で住人が少ないからこのマンションの事は大家自身も諦めて半ば放棄している感じなのだ


「仕事で疲れてるのにガキの相手もしろってか?」


やれやれと首を横に振りながら扉を開け、電気が付きっぱなしの廊下へと出る

そういえば、と昨日は忘れていたので覗き穴で外を確認する


そこには…誰もいない


「はぁ?

ノックするだけして逃げたか?」


ピンポンダッシュならぬノックダッシュってか


何も面白くねえよと自分でツッコミを入れながら、とりあえずチェーンをつけたまま鍵を開けようとした…その時



コンコン…



扉をノックする音が廊下に響いた


「………は?」


思わず鍵を握る手を離す

すると立て続けに



コンコン…


コンコンコン…


コンコンコンコン…



と、まるで扉を開けなかった絢を責めるかのように、急かすかのように扉をノックする音が大きく鳴り響く


そして絢は気づいた


ノックする音…

それは玄関の扉からではなく、後ろの…リビングの扉から聞こえているということに


「そん…なはず…」


家に帰ってからすぐに玄関の鍵は閉めた

洗面所の扉は朝出かける前から開きっぱなしで、帰ってきた時に中が見えたが誰もいなかった

ということは…もう1つ廊下に面していた部屋


寝室に隠れていたんだ


ドッドッドと心臓が早鐘を打ち、体から血の気が引いていく

鍵から手を浮かせた状態で固まる絢に構う事なく、未だにノック音は背後で主張し続けている



ヤバい…


ヤバいヤバいヤバい…!!



隠れていたのにわざわざ音を出して自分の居場所を知らせるなんて、相手はきっと猟奇的思考の狂った殺人鬼か何かだ

痛ぶる相手が恐怖に慄く様を見て弄んでから殺して喜ぶ変態だ…!!



キリキリキリキリッッ



「いっ…!?」


相手は振り返らない絢に痺れを切らしたのか、硝子を引っ掻き出す

鳥肌が立つ、が今はそんなの構っていられない

何か武器になるものはないかと相手に気付かれないよう最小限の動きで目を動かす


しかしそこで絢は…見てしまった


冷蔵庫に入れ忘れ、シューズラックに置かれたままのミネラルウォーター

クリアなペットボトルは鏡のように絢の背後を映し出している



目が…あった


背後にいる…相手と



「うわぁぁぁぁぁっ!!?」


叫び声をあげる

ミネラルウォーターを引っ掴み、絢は襲いかかってきているであろう背後の相手へと殴りかかった


恐怖と対峙し、心を落ち着かせる時間の余裕なんてなかった


ただ…抵抗しなきゃ一方的にやられてしまう

そう思ったら体が勝手に動いていた


…だが


「そんな…っ!?」


振り下ろした手には、なんの衝撃もやって来なかった


それはそうだろう



だって…背後には誰もいなかったのだから



「ありえない…!」


誰もいないどころか、相手が先ほどまで隠れていたはずの寝室の扉も開いていなかった


そこで絢はハッとする


寝室の扉も浴室同様、建てつけが悪く、かなり強く押すか上部を叩かないと開かない

その時、必ずギッと軋む音がするのだ

鍵に触れた後、ノックや硝子を引っ掻く音以外は何も聞こえなかった


つまり相手は寝室から出てきてはいない


そもそも、寝室にはいなかった事になる


「見間違い…?」


いや、そんなはずはない

ペットボトル越しとはいえ、絢は確かに目を見たのだ

それは自分の目ではないとハッキリ言える


何故なら絢の目は黒寄りのブラウン


それに対し、反射していた目は…碧眼だった


だから誰かが背後にいたのは間違いないのだ



ミネラルウォーターを前に構え、そろりと相手が逃げ込めるであろう洗面所を覗いた

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