第8話 ガラスノナカ2
「…あれ?」
ドアチェーンを付けたまま扉を開くが、そこには誰もいなかった
配達員に渡すつもりだったミネラルウォーターをシューズラックの上に置き、隙間から外を見るが…やはり誰もおらず、足元には荷物もない
「おっかしいな…
あ、もしかしてTVの音だったのか?」
扉を閉めてリビングに戻ると、叫び声を上げながら廃病院内の廊下を走るタレントが映っていた
「ノックする場面があったのかもな」
きっとそうだろう
野菜を炒めている間に冷凍庫からラップに包まれてカチカチに凍った白米を取り出して茶碗に入れ、レンジに放り込む
こうすればラップを捨てるだけで茶碗を洗わずに済むので、他に人がいない時はこの方法で絢は毎食ご飯を食べていた
チンッと音が鳴り、出来上がった野菜炒めとご飯、即席のアサリのみそ汁をテーブルに並べて座ろうとしたら、ふと何かの視線を感じた
「………」
ソファの影から、人形がこちらを見ていた
TVの方へ向けていたはずのその人形は、向こうで倒れているのか…まるで絢をこっそりと伺い見るように顔を半分だけ覗かせている
やれやれと頭を振り、安定しないソファではなく窓際の棚の上に座らせる…が、転けた
それから何度も座り直させるが、それでも転け続ける
「…ふぅ」
仕方なくテーブルに寝かせ、座り直してから飯が冷めないうちにと箸を取った
「少し火を入れすぎたかな」
シャキシャキではなくシナシナになった野菜炒めを白米と一緒に口の中へとかき込む
味はペースト調味料のおかげで、適当に作ったがそこそこ美味かった
ざあぁぁ…
食器についた洗剤を洗い流し食器乾燥機に並べていたら、廊下からピーピーと音が聞こえる
どうやら洗濯物が乾いたようだ
作業着を取り出してハンガーにかけ、洗面所で歯を磨く
これが絢の1日のルーティーン
人形がそこら中を転げたり
建て付けが悪いドアを叩いて開けなければいけなかったり
TVのチャンネルが勝手に変わったり
どこぞの誰かが朝夕関係せずにベランダで話をしているのか、たまに窓の外から人の話し声が聞こえてくる事以外はなんの変哲もない毎日を過ごしていた
「どうせ、あのお喋りな奴が隣人とでも話してるんだろ」
24時を過ぎればその話し声もピタリと聞こえなくなるし、絢は寝付きがかなり良い方なので、電気を消して部屋を真っ暗にさえすればすぐ眠りにつける
明日はどこの現場に回されるのだろうか…と、仕事のことを考えながら、絢は眠りについた
「おはようございます!」
「やぁ、おはよう謝花君」
部屋へ入り朝の挨拶をすると、先に出社していた郷ごうさんが優しく微笑みながら返してくれる
歳は40過ぎと、業界ではまだ若い方の郷さんはここ【スコップカンパニー】の社長だ
苦労が絶えないのか、それとも忙しくて眠る時間が少ないのか
いつも目の下にはうっすらとクマが生息しており、髪も寝起きなのか天パなのかは分からないがボサっとしている
そのせいで、元の顔は良いのに実年齢よりだいぶ老けて見えるのが玉に瑕だ
「昨日のお客様から電話がきてたよ
良ければ来週も来て欲しいって」
「本当ですか?」
昨日担当したのは、独り身のお婆さんの家を清掃するというものだった
ある程度の掃除もできるし畑もやっているので体はまだ動くのだが、やはり椅子に乗って高い場所を掃除したり、しゃがみ込む作業が多い風呂場を掃除するのは心配だからと、遠くに住む家族から依頼が入った
「掃除が丁寧だと、とても喜ばれていたよ
指名の仕事だから時間を空けといてね
もし急ぎで他の仕事が入りそうになったら相談して」
「分かりました!」
仕事は順調で、最近では指名される事が増えた
ビル等の掃除もするが、地域密着型なのと少子高齢化の影響か、ご年配の人が住む家の掃除、所謂ハウスクリーニングをする事が圧倒的に多かった
「それで…ええと今日は」
パラパラとファイルに挟まれた書類を捲り1枚を引き抜いて、はいと渡される
「マンションの清掃ですか?」
今回の依頼は、マンション一体を掃除して欲しいという物だった
「そこまで大きなマンションではないから、先輩の桂木君と深山君と一緒に行ってね」
「はい」
先輩2人はまだ出社していないので、先に掃除道具のメンテナンスを行い、車に積み込んだ
「絢ちゃ〜ん、おはよ〜」
「あ、深山さん
おはようございます!」
暫くすると背後から、のほほんとした口調で声をかけられた
声をかけてくれたのは、歳のわりに随分と落ち着きがある深山さんだ
…そして深山さんの隣にいる男
こちらが少々問題だった
「おはようござ…」
「ボケッとしてねーで早くしろよ、グズ!」
なんとも…性格に難のある桂木というこの男も、今回の現場に同行するようだ
挨拶しようとした絢を肩で押し除け、桂木は重い掃除道具をバンに乗せた
グズと言われてカチンときたが、相手と同じ土俵に立ったら負けだと自分に言い聞かせる
この男は、絢だけでなく誰にでもこの調子だ
しかも桂木という男以外にも、明らかに半グレのような従業員が他にも数名いる
まぁ、大体が1ヶ月もしないうちにいつの間にかいなくなっているので、きっと体力が持たなくて辞めているのだろう
あまりにも素行も態度も悪いし、社長や長年勤めているベテランの従業員には憎んででもいるのかと思うほど喧嘩腰しで怒鳴り散らす
なぜこんな人物を雇ったのか…研修時代は甚だ疑問だった
最初、社長にキレながら話しているのを見かけた時は「社長、まさか多大な借金でもあって裏社会とかそういう人たちから脅されて無理やり雇わされてない?」と思ったものだ
実は絢の勘は当たらずとも遠からずで、裏社会とかではなく頭の上がらない知り合いのお偉いさんからここで働かせてくれないかと頼まれているのだと、休憩時間に深山さんがこっそり教えてくれた
でもなぁ…
働き手が減り、人手不足が謳われている昨今
それでもこんな人達を雇うのって、会社の信頼に関わらないのかと絢は心配になった
頑張りが認めてもらえれば昇給出来る可能性もあるようだし、客質も給料も良い仕事なので、現金な話だが絢としては自分自身の為にもここの会社は潰れてほしくないのである
運転席に絢
助手席に桂木
その後ろの座席に深山さんが乗り込む
「あれ…黄砂でも降ったのかな?」
バタンと扉を閉めて前を向くと、細かく光る砂がフロントガラスに目を凝らせば見えるかという薄さで積もっている
どうやらリアガラスにも付いているらしいのだが、荷物を乗せている時は気づかなかった
「あ〜これは洗車しないとだね」
黄砂じゃなく花粉だったらどうしよう、と鼻炎持ちの深山さんはどこか心配そうだ
「なんで洗っておかねーんだよ!」
桂木は絢に叫ぶ
自分は人より遅れて来ておいて、殆どの掃除道具を運び入れて用意するのに手一杯な人間に怒鳴るとか…
バカなのだろうか、この男は?
桂木は一応先輩という立ち位置だが、絢よりほんの数週間早く会社に雇われただけに過ぎず、ほぼ同期といっても過言では無い
それなのに先輩風を吹かしては、よく無理難題を押し付けようとしてくる
その度にベテランの従業員の人達がすぐさま間に入ってくれるのだが、言い返す暇もなく何故か毎回なにもしていないベテラン従業員に謝られるので、なんだか出鼻を挫かれるというか申し訳ない気持ちが勝つ
どうせ、コイツも他の奴らと同じですぐ辞めるだろ
桂木も体力はあるが、どうやら清掃をするという仕事に不満を持っているようなので「早く辞めないかな…」と願いながら、シートベルトを閉めてエンジンをかけ、絢は車を発車させた
「社長に聞いたよ〜
絢ちゃん、また指名客が増えたんだって?
まだ新人研修が終わってそんなに経ってないのに凄いね〜!」
「いえ……ありがとうございます
深山さん達のおかげです」
ベテランの深山さんに褒められ、それが思いの外とても嬉しく…照れ笑いしながら謙遜しても失礼になるかと思い素直にお礼を伝える
それを助手席でふんぞり返って嫌そうに聞いていた桂木が、突如こちらを睨みつけて嫌味を言う
「調子に乗んなよ!
研修も終わってるんだからそれぐらい出来て当然だろが!」
コイツ、マジで助手席のドアを開けて蹴り落としてやろうか!?
運転中なので言い争うことも出来ず、コイツは煩く鳴る目覚まし時計か何かだと思い込み感情を抑えていると、バックミラーに映る深山さんが普段はあまり見せないような無邪気な笑顔で
「キミ、さっきから大声出してなんなのかな〜?
…あ!
もしかして、指名客の数を絢ちゃんや他の新人ちゃん達に抜かれそうで焦ってるのかな〜?」
まるで挑発するかのように、ふふふと笑い声を漏らす
「んだと、オラ!!」
深山さんのその態度にコケにされたと感じたのだろう
絢から標的を変えた桂木は座席に手をついて後ろを振り向き、ギリギリと歯軋りをして今にも掴みかかりそうだった
ちょ、やめて!?
暴れられたりしたら事故って死ぬから!!
「あ!
あの角を左に曲がれば今日の目的地ですよ!」
喧嘩に巻き込まれないよう、体を運転に支障が出ない程度に右側に寄せながら話題を無理やり変える
目的地まで、あと数km
果たして…絢は無事に目的地に辿り着けるのだろうか?
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