第7話 ガラスノナカ

「ただいま」


誰もいないマンションの玄関入り口、リビングに向かって絢は防犯目的のために帰宅の挨拶をした

靴と靴下を脱ぎ、脱衣所の電気を点けて脱いだ靴下と作業着を洗濯機へと放り込む

奮発して購入した乾燥機付きのドラム式洗濯機は、清掃業に就いた絢には正に神アイテムだ


ゴウンゴウンと音を鳴らし、回る洗濯物

乾燥を知らせる機械音が鳴るまでに、風呂に入って夕飯でも作るかと絢は玄関に置いていたスーパーの袋を持ち上げた


あの旅館の出来事から数ヶ月

絢は新しい職場を見つけ、この地へと引越してきた


「しっかし、今日の現場は埃が凄かったな…

明日も作業着は必要だし、乾燥機付きを買って正解だな」


汚れて軋む前髪に触れながら、廊下の電気を点けた



ゴトリ



冷えた廊下を歩き出そうとした瞬間、固いものが落下したような音と共に、赤い物体がこちらへと転がってきた


絢は溜息を吐きつつ「またか…」と廊下の中ほどで転がらなくなった赤い…和服を着た人形を拾った


この和人形は、旅館から誤って持ってきた物だ


盗んだとかではなく、旅館から帰ってきてバッグを開けたらいつの間にか入っていた

多分、ソファの横に並んでいた棚から滑り落ちてしまったのではないかと推測している


人形は背中側から見た感じでは昔ながらの和人形なのだが…

表、つまり顔を見れば、普通の人形ではないとすぐに分かる


肌色ではなく真っ白な肌

ワインレッドのような深みのある紅い眼


そして…


「なんの獣なんだ…?」


そう


人形の顔は、人ではなかった



それは犬や猫みたいなありふれた生き物ではない


ツンと尖った口吻と鼻

丸みを帯びている大きめの耳

尻尾も生えているのだが、汚れなのか元々そういう色なのか

先端から数センチの部分が若干色づいていて、かなり淡めのシナモンカラー


着せられた和服は年季が入っているのか、だいぶクタっとしているのでビンテージ品だと一般人の絢が見ても分かるのだが、不思議なことに服以外の汚れが見当たらない


「大方、あの女将の私物だろうな」


触れた布生地の良さからそれが高価なちりめんだと気づき、また難癖をつけられて弁償だのなんだの言われては堪らないと、速攻ダンボールに詰めて旅館に送った

これで安心…と胸を撫で下ろして数日後


なんと、返送されてきたんだ


段ボールを抱え、青い顔をして不躾に人の部屋を見渡す配達業者に事情を聞くと、旅館は廃業しているようだと言われた


まさかと思いパソコンで旅館のホームページを検索したが出てこず、もしやあの女将達も夢だったのか?と淡い期待を抱いたが、その期待はすぐに打ち砕かれる

それは、バッグに入ったままの古書と古ぼけた紙が顔を覗かせていたからだ



「きっと部屋が傾いてるんだろうな」


転がってきたのはそのせいだろうと、特に何も気にせず人形を小脇に抱えてリビングに入った

パチっとスイッチを押すと、新築に負けず劣らず、清潔感のある綺麗なリビングが目に入る


テーブルに袋を置き、2人掛けのソファーに人形を座らせてから再び脱衣所へ向かう

慌ただしく回り続ける洗濯物を横目に、絢は下着を脱いでシャワーを浴びた

温かなお湯が埃を洗い流していく


洗い終わり、浴室から出ようと扉に手をかける…が押しても引いても開かない



バコンッ



曇りガラスの部分を避けて扉を叩く

すると、まるで何もなかったかのように扉が開いた


「まったく、立て付けが悪いな」


文句を垂れつつ、買ったばかりで吸収が悪いタオルで身体を念入りに拭く


築年数が数十年と、昭和に建てられてだいぶガタもきているからここはやめた方が良いですよ…とオドオドしながらも引き留める不動産会社のスタッフを思い出した

なんで客に勧められないような物件を扱っているんだと聞いたら、いくら手放そうとしても縁でまた戻ってくるんだと渋い顔をしながら言ってたっけ?

この部屋を内見したいと言った時も、マンションに案内されたは良いものの、何故かスタッフは部屋に入ってこなかった


その様子から、事故物件か何かだろうなと察した


スタッフは何も言われなかったが、そこはバイトを雇ったか社員を使ってロンダリングしたか、事故から既に3年以上過ぎているとかで説明が不要なのかもしれない

内見してもおかしい所はなく、一通り見て回ってここを借りたいと伝えたら物凄く驚かれた


他人が聞いたら事故物件かもしれないのに、なんでそんな部屋を?と思っただろうが…



答えは単純明快


家賃が激安だったから、だ



コンビニ、スーパーは徒歩数分、角部屋でしかも駅近


そんな部屋の1ヶ月の家賃が、たったの3万!!


スタッフは「いや…」とか「ここはその…」と渋っていたが、絢は事故物件でも構わないと押し切り、ここに決めた


そしてすぐに引っ越したわけだが…

隣に挨拶をしようとチャイムを押したが返事はなく、時間を変えても一向に出てこない

そもそも、このマンションには殆ど人の気配がしなかった


旅行か?

それとも引きこもりでも住んでんのか?


なんだよと呟きながら自分の部屋へ帰ろうとしたら、絢の様子を見ていた4階の如何にもお喋りとゴシップネタが好きそうな住人が降りてきて、コッソリと教えてくれたんだ



俺が貨りた部屋には、幽霊が出る…と




「幽霊とか、くっだらねぇ…」


まぁそのくだらない噂のおかげで噂にビビった隣人は何年も前に出ていき、今では同じ階層とこの部屋の上下には誰も住んでおらずご近所トラブルの心配をしなくて良い


そういった存在を信じていない絢にとって、この部屋を格安で契約することが出来たのは寧ろ幸運だった

マンションは防音対策がされているので趣味の音楽や映画もそこそこの音量で流せる


清掃業は体力重視なので確かに疲れはするが、頭を使うより身体を動かす方が得意な絢にとっては天職だ

仕事場の人間関係も一部の人間を除いて今のところ良く、前より衣食住が格段に整っていて順風満帆な独身貴族生活を送っていた


「ネックなのが仕事場までの距離なんだよなぁ」


このマンションを気に入ってはいるが、実は借りるのは暫くの間だけ

貯金が貯まったら仕事場の近くにまた引っ越すつもりだった


ソファにどっかりと座り、ガシガシと髪を乱雑にタオルで拭きながらTVのリモコンのスイッチを押す

座った振動でコテっと人形が絢の腰にもたれかかるように倒れたが、どうせまた動いたら倒れるだろ…と元の体勢に戻すのが面倒なのでそのままにチャンネルを変えていく

適当に変えていたら某有名お笑いタレントが昔の話を熱弁していたので、とりあえずコレで良いかとリモコンをテーブルの上に置いた


『…で師匠が言ったんです、俺の運転手になれって!それで感激して……』



ピッ



『始まりました!

潜入、隣県の廃病院〜!!』


「あっ

またかよ…」


リモコンが壊れているのか、それとも備え付けられていたTVに問題があるのか

たまに、観ようとしたチャンネルが別のチャンネルへと切り替わる

しかも、流れる内容は決まってオカルト系かサスペンス系という、絢が興味を持たないものばかりだ

観たくなかったので電源ボタンを押す…が、このボタンも壊れているのか映像は流れ続けた

はぁとため息を吐き、TVはそのままに飯でも作るかと立ち上がる

後ろを振り向き、自分の代わりに再度ソファに人形を座らせた


キッチンの冷蔵庫を開けて缶を取り出し、プルタブをあげて乾いた喉に酒を流し込む

冷えた液体が熱った身体を良い感じに冷ましていく


「いかん

全部飲んじまうところだった」


流し台に先ほどより少し軽くなった缶を置き、袋から出したおひとり様にぴったりの半分に切られたキャベツをシンクに放り込んで洗う


「洗わなくても良いとは言うけど、なんか気になるんだよな」


以前、同じようにキャベツを洗っていたら青虫が葉の裏から「こんにちは」した事があった

その事件?があって以来、絢は野菜は丁寧に洗うようにしている


水気を切ってキャベツを刻む

野菜炒めを作るつもりなので、大きめにざく切りにしていく


ザク…


ザク…


コン…


ザク…


「…ん?」


キャベツを切っている途中、何か別の物音がした気がして包丁を動かすのをぴたりと止める

顔を上げると、TVは廃病院に突撃する若手アイドルの映像が流れていた

お世辞にもあまり上手いとは言えない怖がる演技をしながら扉に手をかけていたので、その音かと思いまた手を動かす


ザク…


ザク…


コンコン…


ザク…


絢は頭を上げた

明らかに廊下の方からノックの音が聞こえたからだ


「え…?

俺、通販かなんか頼んだっけ?」


時計を見ると夜の20時頃

仕事の時間に被らないよう、絢は今の時間帯に配達をお願いする事が多いので配達員が来たのだと思った


「いつも置き配を頼んでるはずなんだけど…指定し忘れたかな?」


もしくは、マンションだから他の住人に持っていかれないようにわざわざノックして教えてくれたのかもしれない


「配達員は大変だよなぁ」


昔、短期でバイトをやっていたので大変さは良く分かる

重い荷物を抱えたまま何度も往復したり運ぶから、腰にくる


絢は冷蔵庫から未開封のミネラルウォーターを取り出し、急いで玄関へ向かい靴を軽く引っ掛ける



そして、覗き穴をよく見もしないまま…扉を開けた





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る