回想3

 真冬よりも吹く風の先が丸くなっていて、陽の光がベールのように覆いかぶさる快晴の日、それが私たちの卒業式だった。


 卒業、つまり皆平等に門出の時である。とはいえ心持ちは人それぞれだろう。青春のゴールデンタイムを終えてしまった寂寥感か、あるいは束縛気味な校則やら鬱陶しい先生やらからの開放感か、もしくは何者にもなれなかったことへの焦燥感か。エトセトラ、千差万別だ。


 私の場合? そんなの、言わずもがなである。


水瀬みなせぇ~!」卒業証書を右手に持ったあなたが、案の定、駆け寄ってくる。昇降口の前、私は、まもなく花を咲かせそうな桜の木を眺めていた。「よかったぁ、まだ帰ってなくて」


 あなたは友達が少ない。私と同じように。それでも、勢いで生徒会なんかに所属してしまったせいで、後輩への挨拶回りなどあったのだろう。ともかく、私よりはるかに遅れて、あなたは校舎外へ飛び出してきた。息を切らして、なりふり構わず、一目散に私の元へ。


 おそらくあなたは、私に別れを言いに来たのだろう。生徒会の後輩にもしたように、挨拶回りの一環として、私に会いに来たのだ。分かるよ。美しい友情ドラマのピリオドには、愛に満ちた言葉や抱擁や、そういった演出が必要だと思ったのでしょう。


 そしてあなたは、卒業証書の筒を左手に持ち替えて、私へと右手を伸ばした。


「六年間、ありがとう。大学でも、元気でね」


 卒業の日、友人から差し出された右手に、求められた握手に、どんな意味があるかを察せられないほど、私は鈍感じゃない。当然、あなたの気持ちに気づいていて、ともすればその手を握り返すのが、それに応じるのが、友人としての務めである。


 だけど、それはできなかった。だって私は、


「ありがとう? なにが?」


 これを機に、この門出を好機として、あなたを失いたかったから。


「あのさあ、形式ばった挨拶とかいらなくない? そこまで仲良かったっけ、私たち」


 私は、あなたへの執着を、完全に棄てたかったのだ。


「え、なに……。いや、だって水瀬……わたしたち、」


 差し出された右手から、力が抜けていく。あなたの表情が強張る。風の先は丸い、陽光は暖かい、空は青い。あなたの瞳の中にだけ、曇天が広がる。


 そして私は嘲笑った。あなたが美化しようとしている、六年間の日々を。


「中学から一緒っていっても、そういう奴けっこーいるし、特別じゃないでしょ。なのに仰々しくない? サラっと別れた方が自然っていうか。私たちらしいっていうか」

「ちょっと…………まって。え、なにか怒って、」

「まってはこっちのセリフだって。え、なになに。怒ってないけど、そう見える? やめてって。心外だよ。てか、やっぱそうじゃんね。私のこと、全然知らないじゃん、っていうか、まあ逆もそうだけど。あなたのこと最後までよく分かんなかったなー。庄司くんを好きになるのも趣味悪いなあって思ったし、それでフラれてさ、生徒会に所属したりバンドにハマったり、一貫性なさすぎて理解に困ったってかさー。挙句の果てに、年上女と日本各地でセックス、ってマジでどういうこと? 現実逃避にしたって、もっと方法あるでしょ。バカなんじゃないの?」

「……」

「あ、ごめん。バカなんじゃないの、は言い過ぎた。否定するつもりはないんだよ。あなたの人生だしさー。ただね、私には分かんないから、あなたのこと全然好きになれなかったし、卒業式に便乗して友達ごっことか、やりたくないんだわ。分かる? 分かんないか、私のことなんて、あなたに────」

「水瀬ッ…………!」


 それから、あなたは最後に、


「……そうだったんだね。ごめんね」もう一度だけ、笑顔を作ってから、「そういう話さ、もっと早くしていたら、よかったのかもね」


 右手を、ゆっくりと下ろして──そうして私たちの世界は、完全に破滅した。

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