回想2
そこからの展開は早いものだった。高校生活、最後の一年間で私とあなたの世界は、決定的に分断された。パンゲア大陸だって億の年月をかけて六大陸に分かれたっていうのに、私たちの大陸移動はタイムラプス動画の速度で進んだ。もしも一部始終を観測していた神様がいたならば、あまりのスピード感に爆笑したことだろう。
あなたと一緒にいる時間は、みるみる減っていった。受験生になった、というのも一つの要因ではある。私はほとんどの時間を受験勉強に費やしたし、遊びに行く機会を極限まで減らす生活をしていた。
一方であなたは、受験生であることを早々に放棄していた。私は、高校の自習室であなたを見たことがない。休日の図書館でも見たことがない。
そういうわけでこの頃、あなたを目撃するには、あなたの存在を認識するには、
けれど、Share Routesさえも、信用度の低い存在となっていく。三年生の夏頃のことだ。
あなたの位置を示すピンが、日によって違う都道府県の上にあるのを発見したのだ。
あなたは確かに、昨日まで長野県上田市にいた。なのに、翌日には長野県長野市にいて、また別の日には広島県宮島に。九十九里浜に、ひたち海浜公園に……。高校の自習室か市立図書館、あるいは自宅にしか立ち位置のない私と違って、あなたは日本中のあらゆる地点を飛び回っていた。
おかしい。どう考えても、おかしな挙動だった。バグだろうか、そうだ、そうに違いなかった。だって、それ以外にどう説明をつけろというのだ。あなたは高校三年生。大学受験、という人生を半ば確定させてしまう行事に、時間も、体力も、思考も、自由さえも奪われる時期だ。まさか、高校を欠席して毎日のように旅行にくりだしているなんて考えにくい。常識的な大人ならば看過するはずもない不良行為だ。
そう思うと途端に、怒りが湧き上がってきた。Share Routesはとんでもない欠陥アプリだ。まるであなたを不良生徒に仕立て上げんとばかりの挙動をしている。開発者はなにをしているんだろう。まさか、このバグに気づいてさえいない? とすれば、教えてあげるべきだし、あなたみたいな被害者を生まないためにも、通報は必須だ。
【★☆☆☆☆ 挙動が変】
高校の友人と位置情報を共有するために使っていますが、彼女がいるはずない場所にピンが立っています。受験生なのでこんな頻繁に長距離移動するハズがないです。すぐに修正してください。
すぐさま、アプリストアにレビューを投稿したが、数週間経っても、一向にバグが修正されることはなかった。それどころか、二か月後にアプリストアを立ち上げると、私のレビューは消去されていた。
とても納得いかなかった。こんなの、露骨な証拠隠滅じゃないか。アンインストールしてやろうか、と思った。けれど、そんな私を一旦踏みとどまらせたのは、ネットサーフィン中に見つけた、ヤフー知恵袋のとある質問だった。
質問者は、AR系のゲームアプリにハマっている専業主婦らしかった。GPS機能を利用し、実際に現実世界を歩いて様々なアイテムやモンスターを獲得していくというゲームなのだが、家事や育児に忙しいため、なんとか家にいながらプレイする方法を探しています、という内容だった。まるでゲームシステムを根本から否定するような失礼な質問で、そんな方法あってたまるものか、と思ったが、ベストアンサーに選ばれた回答には、まず「方法はあります。」と一言、それから「ただし自己責任でお願いします。」と注意事項を挟んで、「詳しくはこちら」とURLが記載されていた。つい気になってしまった私は、そのURLをクリックした。
そしてそのリンク先で、位置情報偽造アプリ、というものを知った。
位置情報偽造アプリとはその名の通り、スマホの位置情報を自由に操作可能にするアプリケーションだった。たとえば、実際は北海道にいる場合でも、そのアプリを起動すれば、GPS上では沖縄県に存在することができる。例のAR系ゲームにおいては自宅にいながらも日本各地に配置されたアイテムを獲得可能になるわけで、他にも浮気の偽装などに使われるとのことだ。
なるほど、あなたにはこのアプリをどうしても使いたい理由があったのだ。そのせいでShare Routes上の表示もおかしくなっていたんだ、と確信した。いわゆる裏技的なツールで、およそ合法的とは言い難い。けれど、私はそれを咎めるつもりはなかった。あなたは高校生だし、その辺の分別がついていなくても許容の範疇というか、親のクレカで重課金する若者よりマシでしょ、と思うことにした。
しかし、
「こないだね、
あなたのその発言が、私の確信を木っ端みじんに粉砕した。
数週間に一度の頻度に減ったあなたとの、久々の会話の中。Share Routes上の不可思議な挙動の真相が明かされた。あっけないものだった。
「そう、だったんだ」
という相槌のあとに発した言葉を、私は思い出せない。受験生なのにそんなことしていていいの? と続けたかもしれないし、楽しそうでいいね、と虚勢を張って肯定したかもしれないし、何も言わなかったかもしれない。
ただ、その後に犯した罪だけは、鮮明に覚えている。
あなたがお手洗いのために席を外したとき、スマホを机の上に置きっぱなしにしただろう。それを、一切の許可を取らず、勝手に操作したのだ。
確かめたい、という衝動に駆られた。それが、犯行の動機、ということになろう。
あなたの世界線に存在するのが、まだ私だけだということを。他の誰も存在していない、ということを確認したかった。そうして、安心したかったのだ。
以前に盗み見たパスワードを打ち込み、ロック画面を解除。そして私は、あなたのShare Routesを起動した。祈るような気持ちだった。
アプリ上の地図にピン差しされていたのは、私とあなた。
それから、もう一人────あなたの恋人、磯千鳥
瞬間、心の隙間から、あなたという存在が漏れ出て、そのまま風に乗ってどこかへ飛んでいく感覚が私を襲った。実際に、そうだったんだろう。その日、あなたに対する感情が完全に消滅した。友情も、あなたという存在の特別感も、永遠を願う想いも、なにもかも。
そして私は、その夜にはもうShare Routesをアンインストールして、
数か月後、高校生活最後の日にあなたと決別した。
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