現在1
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スマートフォンの画面をなぞる人差し指が止まる。残されていた映像は、これで全部だった。
「……マジで、なに」
思わず、独り言が漏れ出てしまう。深夜二時のワンルーム。この部屋に、私以外は誰もいない。あなたも、もちろん
もう一度、2023年8月の映像を再生してみる。九十九里浜を歩く、あなたの姿がそこにある。『海は生命の源って言うけどさ、こうやって打ち上げられた貝殻とか干上がった海草を見ていると逆に、生命の果て、って感じがするんだよね』、磯千鳥凪咲へ向けられたセリフ。会話はそこそこに、長回しで風景とあなたが撮影された、二分ちょっとの映像が、やがて止まる。
この映像に何か意味があるのだろうか、と思考を巡らせてみる。それでもやはり、何度繰り返し再生したところで、ただの旅行風景でしかなく、混乱の渦に飲み込まれそうな気分になる。
いったいなぜ、私は、友人とその恋人との旅行記を観せられているのだ?
もっと正確に言えば──この映像を私に観せた、磯千鳥凪咲の思惑はなんだ?
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これまで私は、独りの世界で懸命に生き続けたつもりだ。生き続けるってめんどくさくてだるくてつまんなくて、ご褒美級の幸せの一つや二つ無いとやっていけない。けど、もてあますほどの孤独な日々に幸せなんてあるわけなくて、だから未だに生存しているって、これ、相当な快挙だと思う。
今夜だって、しょーもなくて最低な時間をすごしていた。サークルの先輩から誘われた、目的不明のコンパ。酒さえあれば集まる口実はなんだっていい、みたいな、浅はかさここに極まれりな会合だ。しかもまだ十九歳の私に声をかけるあたりが最悪だし、酔った勢いで知らない男に言い寄られたのがキツイしで、とにかく烏龍茶片手に愛想笑いの連打に徹した席だった。
そんなの最初から断ればいいじゃない、と心の中、強気モードの私が言う。しかし待たれよ。その勇気があれば、のらりくらりバッドエンドへの道を進む人生を送ってこなかった。そうだろう? と、私は私を論破する。そして、さらに虚しくなる。
とにかく、私はその場の空気に流されて、三次会まで参加してしまったわけだ。解散の号令がかかったのは、日付を跨いだころ。すでに終電を逃していた。
帰り道、私はオー・シャンゼリゼのメロディに乗せて「お~、希死念慮ぉ」だなんて鼻歌を歌っていた。感情が歌にノるってこういうことだな、という実感を得て多少気持ちが大きくなった傍ら、替え歌としてのクオリティの低さに、具体的に言えば歌詞の語感の悪さに、全身がむずがゆくなった。それでも私の持ち歌は、「オー・キシネンリョ」の一曲のみだし、夜道は心細いし、結局、道中ずっと鼻歌を続けた。
下宿先のアパートに到着して、郵便受けを覗いたときも、私は鼻歌に夢中だった。
そして私は、郵便受けの中に投函されていた、カバーもアクセも保護シートも着けられていない見知らぬスマートフォンを見つける。
「なに……これ、」
わけもわからず、恐る恐る画面に触れる。すると、ホーム画面が表示された。ロックもされていないらしい。誰かの落とし物? あるいは、間違って届けられたもの? いずれにせよ謎めいている。消印のついた茶封筒やレターパックに封入されたものならまだ分かるが、剥き出しのまま入っている……すなわち、差出人は直接私の家を訪れて投函した、ということになる。
なんとも不気味だ。すぐに交番へ届けよう、と右手で掴んだ直後、違和感に気づく。スマホの背面にまわった人差し指の先に、紙のような質感の物が触れたのだ。付箋か何かが貼られている? スマホをひっくり返すと、何かの正体は、まぎれもなく付箋であった。さらには手書きの文字を見つけ──そして、小さく悲鳴をあげた。
To
水瀬日葵。私の名だった。ということは、まぎれもなく、このスマホは私に宛てられたもの、ということになる。けれど不思議なのは、私のフルネームを知っているのは、家族や友人に限られてくるわけだが……磯千鳥凪咲、と名乗る差出人に心当たりがなかった。記憶の中の友人リストにかけあってみても、検索結果はゼロ。
しかし、どうも聞き覚えのある名だ、とも思った。磯千鳥凪咲。はて、誰だっけ。磯千鳥凪咲。磯千鳥……いそちどり…………。
「まって。…………嘘でしょ」
記憶の奥底、その名に突き当たって、私は身震いした。
それは、あなたの恋人の名ではないか。あなたが、高校二年生の冬から交際を始めた恋人の名が、磯千鳥凪咲、ではなかったか。
なにかよからぬことに起きこまれている? という疑念が胸に渦巻いた。そうしてすぐ、これはただごとじゃない、という判断に至った。
だから私は自室にて、スマホの中身を確認した。疑念の答えはスマホの中に、と期待したのだ。しかし、いくら探しても出てくるのは仲睦まじい恋人たちの旅行記のみ。
メールアプリや、ラインはインストールされたままだったが、やりとりはすべて消去されていた。磯千鳥凪咲はバンドマンであり、ともすれば音楽データが残っていそうなものだが、痕跡ひとつない。ほかには、オレンジ色の背景に飛行機の形が描かれたアイコンのアプリがあったが、これは中身を見ることさえできなかった。アイコンをタップするとロック画面が表示されたのだ。適当に四桁の数字を入力してみたが、あてずっぽうで解除できるはずもない。完全に手詰まりだった。
この奇怪な状況を解明するためのヒントさえ、ひとつとて発掘されることなく、私はまた途方に暮れた。スマホの中にないのなら、と、過去へと記憶を遡ってみたが、磯千鳥凪咲に関する情報は、あなたから伝聞したわずかな過去のエピソードだけ。
それもそのはず。私自身は、磯千鳥凪咲と面識などなかったわけで。
磯千鳥凪咲は「友人の恋人」、血の繋がりのない三親等は完全なる他人だ。
差出人があなたであったなら、まだ理解できる。だって私たちは、
「友人だった、わけだし──」
とそこで私は、私の独り言を捕まえて、思わず苦笑してしまう。そして、鼻の奥がつんとした。私とあなたは友人。だった。つまり、過去だ。私たちは過去のある一点で、明確に決別した。……一点で? いいや、友情の糸は徐々に解けていったような気がしなくもないがとにかくあの日……たしかに私はあなたと、完膚なきまでの決別を果たしてしまったわけだから。
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