第31話 真冬の鍋が一番美味しい
ちゅうじんがトイレに駆け込んでから一時間が経過した頃。後片づけを終え、私服姿から白衣と紫袴に着替えた俺は、今後の動きを確認していた。と、トイレに籠城していたちゅうじんが戻って来た。
「はぁ……死ぬかと思ったぞ」
「無理はすんなよ。これで終わりとは限らないからな」
「お、おう……?」
戸惑いながらも返事をするちゅうじん。こりゃ分かってないな……。母さんの料理は食べた後も断続的に効果を発揮してくるから、丸1日は気を張っていなければならないのだ。とにかく今大丈夫ならそれで良い。
「じゃあ、さっそくで悪いけど着替えに行くぞ」
「了解だ」
俺は抱えていた白衣と浅葱袴をちゅうじんへ渡す。無駄な時間を過ごしている暇はないので、足早に社務所内にある更衣室へ移動してちゅうじんの着付けを済ませてしまう。更衣室を出ると、白衣に紫紋つきの紫袴を身に着けた親父が待ち構えていた。
「お、似合ってるじゃないかうーさん」
「ありがとな!」
親父に褒められたちゅうじんは嬉しそうに微笑む。と、さっきまでのほほんとしていた親父の雰囲気が一変し、真剣な表情に変わった。
「今から一通り業務内容を説明する。一度しか言わないから、もし分からなかったら太郎か亜莉朱に聞いてくれ」
「分かったぞ」
親父は普段大らかな性格してるけど、仕事となると本当に同じ人かってぐらいに様変わりして厳しくなるからな。まぁ、せいぜい頑張れよちゅうじん。
「それじゃ、俺は窓口の方手伝ってくるわ」
「あぁ、頼んだ」
ちゅうじんのことを親父に任せて、窓口へ向かう。外を見てみたら案の定、大勢の参拝者が社務所の列へ並んでいた。俺は巫女さんと交代して、窓口の椅子へ腰かける。
「ようこそお参りくださいました」
「えっと、この御朱印をお願いします」
参拝者が受付台に乗った商品リストの中から、正月限定の御朱印を指差してくる。
「かしこまりました。500円お納めください」
参拝者からぴったりお金を頂戴して、事前に書置きされた御朱印を授与していく。御朱印を受け取った参拝者は順路と書かれた案内看板に従ってベルトパーテーションの通路を歩き出す。
「あれ? 手書きやないんやね」
「人多いししゃーないんやろな。あ、お正月の御朱印2枚お願いします」
「かしこまりました。1000円お納めください」
いつもは手書きでやるけど、この時期は人が多いから、一々書いてる暇がないんだよな……。そこは申し訳ない。参拝者からぴったりお金を頂戴して、事前に書置きされた御朱印を授与していく。
5人に1人の頻度でやってくる外国人観光客への対応もしながら御朱印や御守を渡していくこと1時間。人の波が一時的に収まって来たところへちゅうじんがやってきた。
「お、どうだ? いけそうか?」
「あぁ。親父さんにみっちり教えて貰ったからな」
「なら御守の方を頼む」
「分かったぞ」
ちゅうじんは頷くと御守授与の窓口へ向かった。
大丈夫だろうな……。
参拝者が来ないのを良いことにちゅうじんの様子を眺める。と、参拝者が厄除開運祈願と学業成就の御守を求めてきた。ふと参拝者の顔を見てみたら、なんと亜莉朱だった。多分、親父に頼まれたのだろう。こんなクソ忙しいときに何やってんだ……。そう思いながらちゅうじんがどう対応するか見守る。
「厄除開運と学業は……えー、2000円になります」
ちゅうじんがそう言うも、亜莉朱は一向にお金を出そうとしない。それどころかニッコリ圧をかけるように笑みを浮かべながらちゅうじんの方を見ている。
亜莉朱も母さんと似て恐ろしいな……。
圧をかけられているちゅうじんを哀れむように様子を見ていると、間違いに気づいたのか「あっ」と声を上げた。
「失礼いたしました。2000円お納めください」
「はい」
ちゅうじんが訂正の言葉を述べれば、亜莉朱は2000円ぴったり渡してきた。2000円受け取ったちゅうじんは代わりに2種類の御守を授与する。亜莉朱はニコッと笑ったかと思えば、社務所の方へと戻っていった。
やっと1人目の対応が終わったかと思えば、ちゅうじんが涙目でこっちを見てきた。あの笑顔で見つめられればそうなるのも仕方ない。
『難しいし、何より怖いぞ……』
『初めはそんなもんだ。やっていけば慣れる。後、亜莉朱みたいな参拝者はそうそう居ないから安心しろ』
『そ、そうだな……』
時折、ちゅうじんの様子を横目で見ながら御朱印を授与していくこと2時間。シフト交代の時間が来たので、後を他の神職に任せて、席を離れる。ちゅうじんはおみくじ対応に追われているようで、番号札と同一の数字の引き出しから運勢の書かれた紙を取り出していた。なんやかんやで窓口対応も板についてきたな。流石の適応速度だ。
ちゅうじんの仕事ぶりに感心しつつ、社務所を出て、本殿の隅の方にある祈禱受付の方へ回る。
交代早々、祈禱予約をした参拝者がやってきたので、初穂料を払ってもらい、注意事項を説明後、本殿へと案内する。
すると、ちょうど烏帽子に狩衣を纏った浄衣姿の親父が見えた。隅の方には斎主である母さんが控えている。
親父による修祓・祝詞奏上の後、巫女による御神楽が行われ、玉串拝礼。挨拶を終えた母さんから徹下品が授与された。その後、案内役の俺が本殿の外まで送り届ける。この流れを5回ほど繰り返したところで、本日の祈禱は終了。
一旦職員は夕食を取るために社務所へ集合することになった。社務所へ向かってみたら、職員さんたちによる鍋が振る舞われていた。配給が間に合ってなさそうだったので、俺も参加する。具材の入った器を配っていると、ちゅうじんと亜莉朱がやってきた。
「つ、疲れた……」
げっそりとしたちゅうじんと亜莉朱に器を渡してやる。そろそろ列に並んでる人も減って来たからここは大丈夫だろう。
そう判断し、自分の分を取って席に着く。
「お疲れ。俺が抜けてからどうだった?」
「初めてにしては上出来やったと思うで」
「お、やったぞ」
ちゅうじんは褒められて嬉しそうに口角を上げた。にしても、亜莉朱はなんでそんな上から目線なんだよ……。
苦笑を浮かべながら、豚肉と白菜を掴んで口に運ぶ。嚙んだ瞬間、口の中に出しの効いた汁が広がる。冬場の鍋はやっぱり美味い。
「まぁ、初めて窓口に立ったときの亜莉朱よりかは全然できてたな」
「そこ煩いわ」
「事実を述べたまでだ」
確か手伝い始めたのは13歳の頃だったか。亜莉朱と言ったら、何回言っても覚えられないもんだから親父と母さんにしょっちゅう怒られてたし、親父によれば、成長した今だってたまにうっかりミスを連発して周囲を困らせているらしい。兄としてはもうちょっとしっかりしてほしいものだ。
昔を思い出しながら器の中のものを食べ終わると、ちゅうじんと亜莉朱と一緒におかわりをしに席を立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます