第142話 一方そのころ 三

 鳥取砂漠──


 おおよそ二万平方キロメートルに及ぶ広大な砂の大地であった。


 ウメは師匠であるシンコウとともに、この砂漠を歩んでいる。


 この砂漠はその危険性ゆえにただの人が入ればたちまち昼の暑さや夜の寒さ、吹き荒れる砂嵐や、砂賊さぞくと呼ばれる土着の民などに襲われて死体と化す。

 ゆえにこそこの砂漠を通り抜けるためには、巫女になる必要があった。


 砂漠越えを狙う者は、入雲いるも狂巫女くるいみこ大社たいしゃと呼ばれる場所で修行をして巫女にならなければならない。

 この砂漠はあらゆる者を歓迎しないが、神の託宣メッセージを背負った歩き巫女だけは例外的にさほど厳しい試練を与えない。ゆえにこそウメとシンコウ、いったん巫女となり砂漠越えに挑んでいる最中であった。


 ただしこれは、ウメにとって修行の旅である。


「さ、ウメ。手頃な砂賊が出ましたよ」


 レッツ殺害、とばかりに笑顔で送り出す師匠であった。


 剣聖シンコウ、

 基本的な技術、身体操作、口頭による説明、打ち合いを含む鍛錬、もちろんする。

 しかしそういった努力の成果が結実し、実力として身に着けるためには実戦を経る必要があると固く信じている。


 ゆえにウメ、ここまでの旅路でいくつかの……否、いくつもの実戦を差し向けられていた。


 そしてシンコウの見立てによって難易度をコントロールされたその実戦、すべて、


 常に死力を振り絞らなければ乗り越えることができない試練。

 もしも越えられなければ死あるのみ。


 ウメは危なくなったらシンコウが助けてくれるなどとはまったく考えていなかった。

 剣聖シンコウ。愛はある。情もある。多くの者に対しては優しい。これは紛れもなく事実であった。


 ただし優しいだけなのだ。付き合いがそれなりにある者がケガを負えば心配はする。死ねば涙を流すだろう。だが、

 そうならないように手を出したり、そういう運命にある者をことさら救おうとその優れた力を振るったりということを

 むしろ他者の生き死にの場──『努力の成果が見える場所』に介入することを悪だと思っている節があり、そこに入って他者のこれまでの努力の結実を邪魔することを意地でもしないという様子さえ見られる。


 幾度か梅雪ばいせつとシンコウのやりとりを見て、ウメにも理解できたことがある。


 剣聖シンコウ、


 彼女は神威かむいが多いわけでもない、どころか平均より少ない。

 体格は女性なり。筋密度、骨密度で優れているというわけでもない。

 たとえば彼女がなんらかの事情で気を失って倒れている時、銀雪ぎんせつあたりがうっかり通りがかって蹴とばしてしまったとしよう。

 。銀雪でなく、ウメが同じようにしても、恐らく死に至る重傷を負うであろう。シンコウ、本当に、生物として間違いなく弱い。


 伸びしろなどない、天性の弱者。

 だが、現在の彼女は剣聖。姿を見ただけで多くの者が恐れおののく、武の化身。剣術の神の遣い。常在戦場を体現する剣の聖女なのである。


 ゆえに剣聖、どうにも、と考えている様子なのだ。


(人を教え導くのに向いてなさすぎる)


 ウメの正直な感想である。


 剣聖は『目録止まり』の修行をつけてやるやり方であれば、多くの人にものを教える天性があると言える。

 だが、期待している相手には厳しくなりすぎる。そういう人物なのであった。


 砂賊──


 砂漠の起伏に潜み、砂嵐とともに襲い来るそいつらが、周囲にいる。

 ウメは意識を集中し、神威を全身に回す。

 感覚を強化し鋭敏にすることで、視界を塞ぐほどの砂嵐の中でも周囲に潜む砂賊の位置や数がわかる。


 ただし、この感覚強化、昼の砂漠の熱さも、吹き荒れる砂嵐のヤスリめいた感覚さえも鋭敏に感じさせる諸刃の剣。

 感覚を研ぎ澄ませて必要な情報だけを鋭敏に感じ取れるなら苦労はしない。感度三千倍はすべての感度が三千倍になるという話だ。砂嵐が犬耳の毛に吹き付けて絡まる不愉快ささえも鋭敏に神経を刺激する。


「神威の流れが乱れていますよ」


 すぐ横で同じ砂嵐を浴びているはずなのに、剣聖の声は静かなものだった。


 この嵐、どうにか立っていることはできているが、口を開くことなどできない。


 ウメとシンコウは狂巫女大社で巫女となった。

 だが『巫女になる』とは砂漠での活動訓練を受け、お守りをもらい、巫女装束を支給されるというぐらいのものであり、ぶっちゃけてしまうと『最低限のレクチャーをするのみ』なのである。


 なので当然、砂嵐を無効化する不思議な加護をもらえたり、砂漠の昼夜の寒暖差が身をさいなまなくなる謎の力を授かったりと、そういうことはない。


 だがシンコウ、砂嵐の中で普通にしゃべっている。

 口に砂が入っている様子がない、というか──


(……体が砂にまみれてない)


 ゲームのプレイヤーからは『シスター服のようだ』と言われるその服装、砂嵐でなびいてはいるものの、砂にまみれていない。

 シンコウだけ居場所の次元の位相でもずれているかのごとき不可思議な光景であった。


 一方で砂まみれのウメは、不愉快な砂と体を焼く熱の中、砂賊の気配を感じ取り、動きにくい中を動いて斬り捨てるといったことをせねばならない。


(……遠すぎる)


 まだ始まったばかりの旅。

 とはいえ、こうして皆伝目的でともに旅をすると、以前さらわれた時にはわからなかったシンコウのおかしさが次々とわかるようになっていく。


 武だけを磨いてもシンコウの領域には至れないのだろう。

 あらゆる環境でも生き抜く強さ。不可思議なまでの生存能力。シンコウが持つその能力の秘密を解き明かし、それが技術ならば修得しないことには、シンコウに勝てない。勝てないどころか、シンコウと戦う梅雪の横に立てない。


 だが、その目標は未だ遠く。


 ……だが。



 あきらめる気は、毛頭ない。


 一匹の忠犬が、砂嵐の中を駆けていく。

 命懸けの日々は、こうして流れていく──

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