第131話 一方そのころ 一
一方そのころ、
「オイィ! そっち行ったぞ、追え! 追え!」
イバラキの怒号が邸内に響き渡る。
その怒号に応じるように駆けていくのは、氷邑家に仕える武士たち。
そこに混じって元山賊の一団もおり、これはイバラキ直下の部隊として武士たちへ指示を伝えたり、あるいは『ここぞ』という場面で放たれたりしており……
ようするに、『戦い』の最中にあった。
だが……
「お頭!」
「馬鹿野郎! 『軍師殿』と呼べって言われてんだろ! 面倒くせぇなぁ!」
「ぐ、ぐん、ぐん?」
「もういい! なんだァ!?」
「氷邑家の連中が指示通りに動きません!」
「あああああああああもおおおおおおおおおおおお!!!」
イバラキ──
梅雪に敗北し、その配下に組み入れられた。
ゆえにこうして氷邑家の本家に住みこむことを許され、梅雪直下の兵団……のみならず、氷邑軍の指揮などをやっているわけだ。
彼女を始め、もともと山賊団
ざんばら、ぼさぼさだった髪を切り整え、体も武家にたかりに来た浮浪者同然だったものを洗って磨き、装備も氷邑の金で買いそろえ、言葉遣いも直した。
すべては『酒呑童子は死んだ』ということにして自分たちが生かされているということを理解してのことであった、が……
こういう緊急時には、長年の暮らしで身に着いた『山賊』が出てくる。
「クソッタレがよ!!!!!」
イバラキも普段は『〇〇です』『〇〇でございます』という、まことに遺憾だが
「考えりゃわかんだろ! 従った方がいいって! なんで従わねぇんだよ!」
こういう時には、山賊が出てくる。
(……いや、クソッタレめが。わかってんだよ! ポッと出の経歴不明
イバラキにないもの、実のところ、たくさんある。
だがその中でもこういった緊急時で『持っていないこと』が顕在化するものといえば、『人望』だった。
イバラキは
だが、場所が大江山ではなく、率いるのが自分が育て、恐怖と愛情で従えた山賊団ではなく、それぞれが家を背負い、あくまでも氷邑の殿様に忠誠を誓う兵どもになった途端……
力ではなく、家柄や、どれほどの指揮知識……軍略、戦略などのお勉強をしてきたかなどを見られるのだ。
結果として、『考えれば最善だとわかるはずの手』を打とうが、イバラキの指揮に信用がないため、従わない。現場が勝手に『自分で考えた、より適切な戦術』をとろうとし、そのせいで全体の連携もとれず……
あの山で山賊団を率いていた時より、装備の質が上がり、人数が増え、兵の質もまた上がったが……
イバラキは指揮官として弱くなっていた。
「お頭ァ! トラクマの兄貴が敵を見つけやした!」
「やっぱそこにいるよなクソがァ! ああもういい! 全軍にデッカイ声で伝令しろ! 目標発見位置を!」
それぞれが『自分こそがもっとも適切な判断が出来、適当な戦術を選ぶことができる』という考えで、なおかつ『いきなり出てきた軍師とその直属ごときに手柄など挙げさせない』と思っている集団──
なら、望むようにしてやればいい。
手柄の位置を叫べば、あとは全軍が突撃するだろう。
現代風に言えば『小学生サッカー』などと呼ばれる状態である。
(本当はなァ! 逃げ道塞いだり、追い込んだり、増援を警戒したり、分担してぇんだよ! だっていうのに連中ときたらバラバラに動きやがる!
くれぐれも間違えてはならないのは、この集団、それぞれが戦術のわからぬ阿呆というわけではない。
きっちり勉強も訓練もした、御三家直属の精鋭たちなのである。
……それが、『頭』たるイバラキへの信頼を欠き、それぞれが勝手に動くだけでこの有様だ。
(つくづく思わされる。『優れた軍勢』なんてモンはこの世にねぇ。『その一瞬だけ優れている軍勢』が大量にあるだけだ)
おそらくだが、この状態で他者と戦うことがあれば、氷邑家は手も足も出ずに負ける。
イバラキを全軍指揮官から降ろすか、策謀も何もない平地での正面衝突ぐらいまで全軍が何をすべきか簡略化し確信できる戦場でないと力は一割も発揮されないだろう。
「お頭! アシュリーさんを捕まえやした!」
「ああ、今、オレ………………ではなく。わたくしも現場に向かいます」
目標を達成して余裕が出たので、言葉遣いを直す。
かくして……
すでに三回目となる、アシュリーの脱走が防止されたのだった。
◆
「アシュリーにも困ったものだね。まあ、気持ちは理解するところだが。……まあしかし、梅雪が彼女を置いて行ったのも、考えあってのことだというのを、そろそろ理解するころか」
当主の間──
イバラキは戦後処理(アシュリーとそれに協力する忍軍へのお説教)を終えたあと、当主
イバラキは梅雪の直属にあたるが、もちろん、銀雪を敬わなくていいということではない。
叩き込まれた『武家の礼儀』に即した所作で座り、銀雪の発言まで頭を下げ続けた。
とはいえイバラキの立場で何か発言が許されるわけではない。
当主の間に呼び出された以上、発言は当主の許可がない限りは行えない。
ゆえにイバラキ、頭を下げたまま、銀雪をじっと見る。
その直接的すぎるメッセージに、銀雪は美しく微笑んだ。
「イバラキ、発言を許そう」
「一部隊指揮官に戻してはいただけませんか」
イバラキがこれまでやってきたのは、百名ほどの指揮官であった。
その時の体験──成功体験から、イバラキは自分が後方で大軍に指示を飛ばす適性を持たず、現場で少数を指揮する方へと適性を持っていると理解している。
だが銀雪の采配により、アシュリー脱走防止戦では軍師役に任命されてしまっている。
この軍師という役割、大将の銀雪が現場に出ないことを加味すれば、総大将に等しい。
「どう考えても、わたくしには、荷が勝ちすぎております」
正直なところ、『もっと考えて人事しろクソがよ』というのが、イバラキの感想としては正しい。
基本的にクサナギ大陸、特に御三家ともなると、人間以外は見下される。
そこをいくと
ともあれそれは、『歴史』あってのもの。アシュリーと忍軍の長い付き合いあってこそのものであろう。
イバラキたちには歴史がない。
氷邑家がイバラキに従う理由はない。……いかに正しい戦術を提示出来たとしても、だ。
むしろ『ポッと出で頭の上にケツを乗せてきた謎の連中』に対する『名門の家のサムライ』の心情としては、『どんなに正しいように思える戦術でもあいつが言うなら間違いなのだろう』とか、『正しいのは理解するが、あいつに従うのは嫌だ』とか、そういうものになるのではないだろうか?
こういった
(まあ、なんかしら意図はあるんだろうが……『察しろ』とばかりの偉そうな態度は気に食わねぇ)
イバラキは基本的に偉そうなサムライが嫌いである。
銀雪は強い。氷邑家は強い。しかも今、イバラキがいる場所は氷邑本家であり、慣れ親しんだ大江山ではない。ここで反旗を翻せば一瞬で殺される。
だが、それがどうしたというのがイバラキの心情であった。
偉そうなサムライをむごたらしく殺すのを趣味にしているイバラキとしては、場所がどう、相手の強さがどう、などはさほど関係がない。
……いや、偉そうな態度に見合う強さであれば一考はする。だが、今のところ銀雪は、イバラキが認める『強さ』を発揮できていない。
ゆえに現状、イバラキが氷邑家に従ってやっているのは、梅雪のためでしかなかった。
だからこそイバラキの陳情には殺気がこもっていた。
銀雪は相変わらず穏やかに笑ったまま、応じる。
「梅雪の様子を見るに、どうにも時間がない」
「…………は?」
「あの子は……『危機』に備えて強くなろうとしている。そして、その『危機』は数年以内、早ければ、あの子が
「……」
「君は、あの子が『力』としてその下に加えた者だ。それも、指揮官としての『力』を認めた者だ。そうだね」
「……は」
「だが、私はまだ君の力を知らないし、認めていない。元『酒呑童子』イバラキ。私の目から見える君はただの雑魚だ」
酒呑童子──
数多のサムライをその山中に呑み込んできた、無双の山賊団。
銀雪がそれを知らないわけではない。
だが、それでもなお、銀雪が認めてやるほどの力をイバラキは示していないというのが、見立てのようだった。
「指揮官としての起用のはずだが、まさか、自分が手塩にかけた兵だけを率いることのできる状況ばかりだとでも? いいかいイバラキ、指揮官の力を問う指標はいくつもある。だが、そのすべてで兵が従わない指揮官など論外だ」
「……」
「ゆえに、力を見せつけるか、それとも、従っているなどと思わせずに操るか、親しんで従ってもいいと思わせるか……まあ、やりようは無数にあるだろう。まさか、何も思いつかないと?」
「…………」
「厳しいことを言っているのは理解しているよ。厳しいなら優しくしてやってもいい。一から指揮のいろはを学び、多くのサムライに混じって訓練課程を行いなさい。そうすればお仲間になって、仲良く従ってもらえるだろう。梅雪の直属だからね、その程度の世話はしてやろう。幸い──君の見た目なら、子供に混じってもバレはしないだろう」
その体格の子供じみたのをネタにするというのは、
御三家のサムライともなれば他種族に対する差別意識があっても無理はない。そもそも、人間族は他種族を無意識に見下し、クサナギ大陸にとっての異物扱いしているものだ。
しかし天狗を忍軍頭領に任じている銀雪らしくはない。
明らかにイバラキを叱咤激励するつもりでわざとやっている、暖かい気遣い──
と、普通なら思うだろうが。
(……なるほど、なるほど。つまりオレは優しくケツを叩いてやらなきゃならねぇほど、どうしようもねぇ愚か者ってことかよ)
イバラキに対しては、煽りになる。
ことさら殺意を高めたイバラキは、床に額がつくほどに頭を下げた。
「お心遣いありがとうございます。意図に気付くことができずに申し訳ございません。この条件で成し遂げてご覧にいれます」
「そうかい? まあ、つらくなったら言うといい。いつでも子供たちに混ぜてあげるからね」
「は」
「行っていいよ」
当主の間を辞して、イバラキは額に青筋を浮かべる。
ドカドカと足音を立てて廊下を歩み……
「クソッタレが……ああ、マジで親子だな、畜生」
笑う。
その笑いにたぎるのは、殺意である。
「ぶち殺す」
それは命を終わらせてやるという意味ではなかった。
そこまで煽るなら、目にもの見せてやる──そういう決意を言葉にすると、山賊語では『ぶち殺す』になるのだ。
「ああ、ああ、鈍ってたよクソが。どうにもオレは、サムライを味方だと思いすぎたらしい。いいだろう。操ってやる。立場に従わせるんじゃねぇ。オレに従わせるんでもねぇ。従ってる自覚もなく従わせてやる」
大江山へ来た敵にするのと同様に、心を読み、誘導し、操ればいい。
イバラキの指揮官としての道が、ここにようやく始まった。
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