第130話 神主の謝罪

 見事に嵐は収まった。


 氷邑ひむら梅雪ばいせつの目的を思えば、そのまま空を踏んで対岸にわたり、向こう側にある三河ぽんぽこパークに向かってもいい、のだが……


 二つの理由で、梅雪は志奈津しなつ氷邑湾分社へと戻ることにした。


 理由の一つは仲間を置いてきたからである。

 仲間……仲間? 仲間……みたいな微妙に釈然としない気持ちはあるものの、振り切らなければまあ何かに使えそうかなという連中ではあるので、こんな旅の一歩目で振り落としたりはしない気持ちはある。


 そしてもう一つ。梅雪としてはこちらの理由の方が重要だ。


 神主に土下座させる。


「さて、自ら役目を放棄し、主家の後継を危険だとわかっている洋上へ、自らは安穏と余暇を貪っていた神主……湾の大事に何もせぬその方の身、役目にふさわしくないと判じるが、いかがか?」


 場所は境内にした。


 晴れ渡った昼日中の空の下である。

 この大嵐を志奈津様の怒りだと思い込んでいた人々が、『怒りが収まったのだろう』と思い、きっと怒りが収まった理由であろう神主のもと──というか志奈津神社へお礼参りをするために集まり始めていた。


 白い玉砂利の敷かれた参道のド真ん中に立って、本殿を背にする神主へ詰問する。


 もちろんこのシチュエーション作りは神主を追い詰めるためのものであり、『鳥居前まで来い』と呼び出した時点で梅雪の土下座計略にハメられている(そして立場差と梅雪が嵐を本当に収めた状況なので呼び出しに逆らえない)。


 しかし神主、衆人が集まり始めているせいか、なかなか謝罪しない。


 何か言い訳をしようとしているような様子で目を泳がせ、意味のない声を発するのみであった。


 武に属する者が相手であれば、ここで怒鳴りつけて、ついでに刀もつきつけて、土下座か死か選べと迫ることができる。

 しかし相手は神職。


 実はクサナギ大陸においても人殺しは基本的に犯罪なので、特に平時の街などで誰かに刀を向ければ、その背景にどのようなエピソードがあれ、刀を抜いた方が悪者とみなされてしまう。


 なので梅雪、優しい笑顔でこのように声をかける。


「まァ、この俺も旅立ちで時間がない身。この処置は父上へとお任せしよう。ことの経緯とゆえ、追って沙汰を待て」


「お待ちを!」


 ここでようやく神主が意味のある言葉を発したのは、氷邑家当主銀雪ぎんせつから、その息子梅雪への溺愛ぶりが有名だからである。


 実際、梅雪に『中の人』が入らなかった世界であっても、銀雪は、梅雪のわがままで誰かの更迭こうてつを望まれたならば、素直にその願望を叶えてやっていた。

 それにはもちろん、梅雪の勘気を一度でも被ったら死ぬまで許されないので、梅雪の刃から人を逃すためといった理由もあった。


 また、真に潔白な者などいない。


 氷邑家のような古い名家において何かを任せられる者、だいたい。それは権力の座にいるゆえに仕方のない、避けようのないものである。

 なので銀雪、挙がった名前のを見て、処しておいたほうがよさそうなら『息子がねだるから』という理由を処していたと、そういうこともあった。


 つまり、梅雪から銀雪への訴えはどういう状況であろうとそのまま通る可能性が高い。


 報告された時点で詰みである。


 とはいえ真に潔白であれば重くて氷邑家からの追放、場合によっては銀雪が梅雪をなだめてくれるということも充分にあったのも事実。


 現在神主が慌てたのは、彼が実際に氷邑湾大嵐に対して何もしなかったゆえに、このままでは処刑される目が大きいと見てのことであった。


 ゆえにここからの言い逃れは命懸けである。


「し、志奈津の声が聞こえたのです」


 五十男の言い訳にしてはファンタジックであった。

 神の息吹を実際に感じられるクサナギ大陸。とはいえ『神の声が聞こえた』は誰もが一笑に付すファンタジーである。


 とはいえそう述べるしかないのも事実。

 また、集まり始めた衆人がいるので、『神主が神の声を聞いた』という言い訳には『そうかもな』という程度の同意を得られる可能性もある。


 ゆえに神主、神の声を捏造する。


「大志奈津に曰く、梅雪殿のお力を見るべく試練を降したと。私も臣でありますから、そのような過酷なことを梅雪殿に課すのはいかがなものかとも思えど、神のお言葉ゆえに……ゆえにこその大嵐。梅雪殿はその試練に打ち克ち、見事に嵐を御してしまわれた。いや、まこと、感嘆いたしました」


 うまい言い訳である。


 梅雪を立てつつ、神主なら神の声に従うのも無理はないというのを言外ににおわせ、同時に神主が自ら人柱(大嵐の中に小舟で湾の中心まで行くというのは、基本的に生贄になりに行く仕草である)とならなかった理由にもなっている。


 うまい言い訳であった。

 梅雪が『何がなんでも土下座させてやる』という意思でここにいなかったならば、騙されてやったことだろう。


「なるほどなるほど、神主殿はあの大嵐が志奈津様の差配であったと、そのように仰せか」

「いかにも」

「自ら神主として負うべき責務を負わず、俺を送り出したことに責任がないという念書まで書かせて向かわせたのは、すべて志奈津の意思を尊重してのことだと」

「もちろん心苦しくはございました。しかし、念書の一つも書かねば梅雪殿は向かいそうもなく、それゆえに仕方なく……」

「では、あの大嵐の原因は志奈津の使徒であったと?」

「まさしく。大志奈津が梅雪殿を試すため配置した使徒でございました」


「おっほぉ~」


 そこで梅雪の斜め後ろに控えていたサトコが、ボールを放り投げる。

 高く、高く、放物線を描いて、神主の方へゆっくり迫るボール。


 梅雪は語る。


「さて神主殿、これはで、妖魔を封じ込めることのできる特殊な呪具であり、貴殿が『志奈津の使徒』と語ったモノが収められている」


 サトコが昔からこの手段を使えたということにすると、帝都騒乱で妖魔が出た騒ぎと結び付けられかねないゆえの嘘である。

 本気で論じられればバレるだろうが、現在の主題がそこにないので問題はないだろう。


 ボールが地面につき──


 封じられていた妖魔があふれ出す。


 もちろん、出るのは、イカ。

 濃く暗い青の体表をした、全長三十メートルのイカ。


 ただのデカいイカ──


 とは、ならない。


 氷邑湾。

 ここが『七星湾』ではなく、『氷邑湾』になった背景、それは……


海魔かいま! 海魔じゃあ!」


 ──海異かいい襲来。


 梅雪の祖父・桜雪おうせつが戦い、名を遺したのはまさしくこの場所であり……

 この場所の民は、特にある程度以上の年齢の者ならば、海魔どものおぞましき姿、一目見て『この世のモノではない』とわかる異様な雰囲気を身に染みて知っていた。


 梅雪は己が有能であるとバレないように偽装を行っている。

 だが、それでも、衆人の目があるシチュエーションを望んだ。

 それは神主を追い込むため──と、もう一つの目的をもってのことだが、今はそちらは関係がない。


「左様。これこそ、この俺が氷邑湾中央で討伐した妖魔よ。……さて神主殿? これを志奈津様の使徒とうそぶいたこと、俺の聞き間違いかなァ? 周囲の者にも聞いてみようか?」


 この志奈津神社は海異襲来の時に傷ついた人々を慰撫し、海魔という脅威が発しないよう志奈津の加護を得るために建立されたものである。

 その神主が海魔を志奈津の使徒などと表現したこと──


 何より。


「神主殿。どうやらそなたが主人となっているこの神社では、志奈津様の加護は弱まっているらしい。海魔が二度とこの地の人々を襲わぬ願いを込めて建てられた神社がここにあるというのに、

「……で、でたらめだ。梅雪殿は私を試しておいでなのでしょう? それは、湾にいたモノではございません。どこかよそで捕獲したものです」

「そうか。では、俺とこの海魔が湾で先ほど戦っていたことを証言する者を呼ぶか」


 それは隣にいるサトコでも、もちろん、サトコのボールの中にいるルウでもない。


「──七星ななほしおり


 神主の後ろに引き連れられていた……否、梅雪の帰還を出迎えるためにこの場にいた、旅の同行者のうち一人。

 金髪のチャイナ風和服をまとった女は、梅雪に呼ばれると「くっふっふ~」と黒く笑った。


「申し付けられた通り、七星家相伝天眼てんがんにて、梅雪殿の戦いは見ておったぞ。確かに梅雪殿はその海魔を調伏し、嵐を鎮めておった」


「でたらめだ! て、天眼には専用の儀式場が必要なはず!」


 神主が食い下がる。

 そこで織が「ほお?」とわずかに目を細めながら小首を傾げたのは、この黒幕系クソザコロリババア、こういうイタズラを仕掛けさせると本当に有能であるという証左になるだろう。


「では、神主殿はこう申されるわけか。『お前が部屋にいるあいだ、様子をずっと見ていたぞ』と。のぞき趣味がおありかえ?」

「そ、そういうわけでは……」

「さらに、こう申されるのじゃな? 『七星家秘伝の天眼術式が、』と」

「い、いや! それは……」


 秘伝とは秘密だから秘伝なのである。

 まして御三家の秘伝。資格なき者がその内容を知れば、


 とはいえ織、本当は天眼など使っていない。

 天眼に使用する儀式場は『ちょっと頼まれたからやっとくか』で出来る程度のものではなく、土地・道具・知識のすべてがないと発動さえできず、発動したならば疲れて口も利けなくなるほど神威を消費するものである。


 しかし、という事実が肝要。

 その事実は捏造品でもいいのだ。何せ、捏造とバレない捏造なら使っていいと、神主が真っ先に体現しているのだから。


「では、ありのままを父上に報告しよう」


 ここから神主が逆転するには、『梅雪を嘘つきとなじる』『織を嘘つきとなじる』『その上で周囲を味方につける』といった手順が必要になる。


 梅雪をなじること。もちろん死への一本道である。

 そもそもこの神主、表向きには梅雪に大変な礼を尽くしていたのだ。

 それを『侮られている』と読み取ったのは梅雪の煽り妄想癖ゆえの思考によってではなく、梅雪の疑心暗鬼を舐めていなければ、そして大嵐がなければ、穏やかにお別れできるぐらいには礼儀を尽くしていた。


 ただ、氷邑家のが来て、大嵐というがあり、そこで癇癪を起こされてもたまらんので、『自分のせいではないんですよ』という保身が前面に出過ぎた発言をしてしまった。そこにしか瑕疵かしがない。

 それでここまで粘着されるとはさすがに読めない。


 七星織をなじる。

 これはもちろん死への一本道である。

 何せ、七星織の発言を嘘だと述べるならば、『梅雪の婚約者かつ七星家後継であった織のことをずっと監視しており』『彼女が天眼の儀式場を形成していないことがわかるぐらい、天眼という秘伝について知っている』ということにせねばならない。

 織の言葉を嘘だと立証しようとすると、ただいたずらに『十一歳の人の婚約者を一時も目を離さず覗き見てました』という罪が、五十男の人生に加わるだけであった。


 では、周囲を味方につけられるのか?


 不可能であった。


 海魔を志奈津の使徒扱いした時点で、周囲の目は厳しい。

 この土地の人には海魔の爪痕が未だ刻まれている。……たとえば『使徒』ではなく『試練』と称したならば言い逃れの余地もあったが、梅雪が『使徒』と述べるように誘導したので、言い訳の余地などなかった。


 ゆえに神主に残された道は……


「さ、土下座しろ。すべての罪を認め、自分が神主にふさわしくないと認め、自分は尻で権力者の椅子を磨くしかできない無能であり、人生すべてが他者の資産を食いつぶす狼藉であったと、高らかに声を発しろ」


 え、そこまで? という目がサトコから一瞬向けられたものの、プールで出土下座させられた経験があるので『ああ、梅雪だからな……』という諦めの表情が一瞬で浮かんだ。


 神主は……


 がっくりと肩を落とし、その場に膝をつく。


 梅雪はそこから始まる土下座を見て、不思議な心地を覚えていた。


(……目論見通りで胸がすくようだが、同時につまらなさも覚えている……ああ、そうか、斬りかかられる想定もしていたのか、俺は)


 梅雪は謝った者を許す。

 まあ、神主がこのまま神主で居続けることはできず、償いをさせはするが、残りの人生を生きていく程度までは咎めはしない──といった程度の『許し』ではある。


(……いかんな。斬りかかられることを願っていた。すなわち……のか)


 プールでルウと戦った時、かなり深くまで感じがある。

 もともと梅雪には暴力的かつ人の血を好む面もなくはなかったが、最近はふと自分の凶悪な衝動にあとから気付いて『まずい』と思うことが増えた気がする。


(妖魔、か。俺がそれに近付いている? ……なるほど、上等。であれば俺は、いかなる存在となろうとも、『俺』を貫いてやる。決して折れぬぞ。この俺に屈服しろ、世界)


 梅雪がかすかに笑う。

 その笑みに凶悪な色を見た神主が、追加の謝罪を述べ始める。


 こうして……


 氷邑梅雪の旅は、始まった。

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