第129話 氷邑湾海魔残党掃討戦 二

 異界の騎士ルウは、サトコへの協力を納得した。

 その先に自分たちを救う……『心を慰撫する』術式を求めて。


 だが、それはそれとして。


(あの小僧を背中に戦うのは、釈然としないぞ……!?)


 ルウにとっての氷邑ひむら梅雪ばいせつ……

 一言で言えば『ヤカラ』である。


 なんか噛みついて来て絡んできて、意味のわからない熱意でもって自分を倒しかけた相手である。

 行動原理、ルウから見ると一切不明。剣聖シンコウと並ぶ『頭のおかしい異世界人』であった。


 しかし……


(……まあ、釈然としない戦いの方が多い人生だったな)


 異界の騎士ルウ。

 真面目な性格と常識人的な立ち回りから、苦労する損な役回りをだいたい担わされてきた存在である。


 彼女は苦境に挑むことももちろん多かったが、本当に多かったのは『なあ! これ! 私がやるの!? 私でないとダメ!?』みたいな目に遭うことだった。

 たいていルウがやる義理はないのだが、ルウがやらなきゃ誰もやらないのと、誰もやらないと関係各所で胃痛を覚えたり頭を抱えたりする人が出るのを知ってしまっているので、そういう人たちのために最終的に引き受ける──みたいなこと、本当に多かった。


 その中には気に入らない相手を背に戦うというのもあり……


(……どのような相手でも──とは言わないが、まあ、背を貸して協力していけば、わかりあえない者とわかりあえるようになることもあった。あの子供もそういう人物であることを祈ろう)


 彼女が祈る時、それが成就したことはあんまりない。


 そういうわけで海魔かいま戦である。


 ルウは『なぜか中空に見えない足場があること』『目の前の海のあぶくの下に狙うべき相手がいること』、そして周囲を漂うから、今まさに吹き荒れている大嵐が、海中のモノ由来であることまで看破した。


 だいたいめちゃくちゃな状況に唐突に放り込まれるルウは状況把握能力が高い。

 たいていの人はどうにもならなくなってからルウに話を持ってきて『あとヨロシク!』となんの説明もなく丸投げしてくるので身に着いた力であった。


(振り返れば振り返るほど、身に着いた理由が嬉しい能力というのが全然ないな!)


 我が人生、振り向くと物悲しい。


 ともあれ敵味方が明確な状況である。ルウの行動は事態の解釈まで含めて早かった。


 その速度、


 左右に生じさせた魔力剣を振り被り、海中へ向けて投擲する。

 ルウの属性は雷。しかしただ雷を放っても海には弾かれてしまう。稲妻とは海中には落ちないものと観測されている。


 ゆえに神威の剣を放ち……


「爆ぜろ」


 海中で爆散させる。


 飛び上がる水しぶきの中、ルウは右手を握ったり開いたりを繰り返していた。


(全力の二割か三割しか出力が出ない。逆らわないように封印している? ……ああ、いや、そうか。


 正解であった。

 イタコの術式は万能なようで完全ではない。

 強い妖魔をただゲットすればいいだけではなく、その妖魔に注ぎ込む神威かむい──降霊術こうれいじゅつの出力が、そのまま降霊された妖魔の出力上限になる。


 サトコが全力で神威を注いでも、ルウは全力を出せないだろう。

 今回の様子見のような状態だと二割と少しが関の山。むしろ、様子見でルウの力を二割も出させられるサトコの神威量は天才の領域であるとさえ言えた。


 だが……


(……この手の半端な封印状態も経験でどうにかできてしまうの、我が人生ながら辛い目に遭いすぎている……)


 出力を落とされる仕掛けの中で戦った経験、もちろんある。

 不遇と不憫と不幸こそ、ルウが最初にパーティを組んだ仲間であった。

 さっさと追放するか追放されたい仲間たちではあるのだが、付き合いが長くなると、そいつらがいる前提での動きが身に着くというものだ。


 二割なら二割なりの戦いをする。

 ルウは自分の出力の低下から、海中のモノが死んでいないと判断。魔力で編んだ短剣を指の間で挟むように三つ、さらにもう片方の手に三つ出し、次々に海中へと投擲する。


 一つ一つにはほとんど出力を込めない。

 だが、海中で雷を爆ぜさせる短剣だ。


 ルウは、これも経験として知っているのだが……


 炎、水、土、風などに比べると。

 


 肉がある生物の肉を強制的に収縮させる雷の痛みは毒に近い。

 その不快感たるや並大抵のものではないのだ。


 そんな属性でチクチクやられたモノは、どうするか。


 ルウの真正面、あぶくのみが立っていた海面から、何者かが突き出てくる。


「ようやく頭を出したか」


 思い出したように暴れ狂う十本の触手を避けながら、ルウは口の端を上げて笑った。

『そういえば術者サトコ……』と思って見れば、サトコの身柄は梅雪が確保していた。


(……守る戦いもしたことがあった。久々すぎて、意識から抜けていたな)


 今は梅雪がフォローしてくれたが、これからは後ろに術者がいる前提で戦わねばならないだろう。


 さて、浮かび上がってきた敵の『頭』。

 まごうことなきイカであった。


 嵐雲により塞がれた空の下、暗澹あんたんたる色合いの海に紛れるような、濃い青色の体表をしたイカである。

 目を見張るのはその巨体であろう。この距離からルウが見上げて頭の先端が見えぬとくれば、頭部だけでおおよそルウの五倍以上の全高があると思っていい。

 触手まで含めて真っ直ぐに寝かせれば、全長はおおむね三〇メートルはあるだろう。


 もちろん、巨大海洋生物との戦いの経験もある。


 ルウがとった動作は、海上の透明な足場を踏みながら、短剣の投擲によるであった。


 チクチクと刺さる。いや、刺さらない。イカの体表は弾力があって丈夫らしく、今のルウの力ではきちんと投げないと刺さりもしない。

 だが刺さらなくても当たった瞬間に雷撃が爆ぜるとくれば、そのうざったさは半端ではない。

 痛みと音と衝撃に苛立ったイカが、十本の触手をすべてルウへと差し向ける。


 瞬間、ルウは右手に長剣、左手に短い、しかし先ほどまで投擲していたものの倍は刃渡りのある剣を出現させる。

 その長さ、愛剣フラガラッハのものである。


 そして、ただ、立って、待った。


 ……異界の騎士ルウ。

 出自と性格と運勢から苦境に立たされることの多かった不幸女。

 彼女が放り込まれる状況はだいたいがどうしようもなく煮詰まったものであり、彼女が戦場に立つ時はすなわちそこ死地であった。


 その中で妖魔ではなかったルウがどのように生き延びていたかと言えば……


「確か、


 ……状況把握能力。情報解釈能力。

 そして、それらから生まれる学習能力。


 イカの触手がルウを貫かんと迫った瞬間、ルウは左剣で触手を受け、


 異世界勇者のパーティは、それぞれがみな一流の才能を持つ者ばかり。


 よって、天才と凡人を分ける分水嶺、


 ただルウはだいたい常識的でない状況にキレてしまう委員長気質のせいで、『あとから冷静に思い返してコピーが完了する』ということが多い。


(……常識知らずの狂った者を目の前にするとどうにも、釣られて冷静でなくなってしまう。あの時にこの技を修得できていれば……ああいや、


 剣聖シンコウに勝てた──とは、思わなかった。

 あの女、逸脱していた。稀にいるのだ。何をしても勝ち筋が見えない逸脱者というのが。

 それは常に逸脱し常に無敵というわけでもなく、一種のゾーンに入った状態の強者を指すものだが……

 あの時のシンコウ、間違いなくその状態だった。

 恐らくこの技をコピーできて、なおかつ拡張し発展させたものを放っても、それさえコピーし返されただろう。


 などということを思う余裕すらもって、触手の勢いのまま、ルウは回る。

 くるんと回って触手を斬り、さらに回って前進しながら触手を細切れにしていく。

 勢いを殺さず回転を続け、ついに切っ先がイカの頭部に届き……


 両断。


 ほぼ同時、黒いボールが横合いから飛んでくる。


 うっかり撃ち落しそうになって「おっと」と言いながら見送る。

 するとボールはイカにぶつかって海上の透明な地面に落ちながら、イカを黒い靄にして吸収していく。


「ゲット~」


 サトコが嬉しそうにゆるい声を出す。


 ルウが年の離れた妹がはしゃいでいるのでも見るように眺めている中……


 梅雪が、ほくそ笑む。


「……ではないか。ここに」


 梅雪はシンコウに勝利すべく、己自身を師匠とすることと決めた。

 だが、どうしてもその行いには『客観視』というものが抜ける。ゆえに、不完全さは自覚していたところでもあった、が……


 梅雪と同じ水準で動きを見ることのできる者が、ここにいた。


(首を刎ねる前に利用するだけ利用してやるか)


 梅雪は笑う。

 次第に嵐は収まり、波は穏やかになっていった。

 雲を引き裂き差し込む陽光の中、少女はボールを磨き、女はその様子を見て穏やかに笑い……


 少年は、黒く笑っていた。

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