第128話 ボールの中の景色

 少しばかり時間をさかのぼり、異界の騎士ルウがボールに捕獲されたすぐあと。


 ルウは気付くと見知らぬ場所にいた。


「…………ここは、くそ」


 その時にルウが悔し気に歯を食いしばったのは、遊ばれた上に捕獲されるという『くっ、殺せ』と言いたくなるような目に遭ったからではなかった。

 その場所の景色が、よく見知ったもの──故郷である、クサナギ大陸から見れば異界、それもルウの生まれ育った森の景色に見えたからだ。


 それは間違いのようで間違いではない。


 イタコたちのボールに閉じ込められた妖魔は、の中に囚われる。

 知性のない妖魔などはこの空間にいるうちにすっかりこの空間を気に入ってしまい、この空間に自分を案内した者への好意をだんだんと高めていき、結果として『外に出されて、主人の命令に従い戦って、またこの空間に自ら戻る』ということをするようになるのだ。


 もちろん、ルウのように人間並みの知性があるタイプの妖魔はその限りではない。


「……いや、違う。ここは……幻術か」


 ボールの内部の状況を、数分歩いただけでおおむね看破する。


 このボールの内側、魂を閉じ込める牢獄である。

 疑似極楽衆生しゅじょう一切安寧あんねい曼荼羅まんだらと呼ばれる術式が刻まれたボールは、地獄に行くしかない魂に疑似的な極楽を体験させる。

 そうして生み出された疑似的な極楽、すなわち『死後の世界』から、ボールというよすがを用いて再び俗世に降ろす──ゆえにこのボールを使う者たちは降霊者イタコなのであった。


 なお、こうして看破される危険性が高いので、通常、知性が高い妖魔を捕獲はしない。

 サトコがルウを迷わず捕獲したのは、それだけ故郷の危機を救う可能性があるものはなんでもゲットしたいという想いがあったからである。


 ルウはその空間を歩いて行く。


 故郷の森。

 生まれた場所──いや、精霊であるから、親はすなわち神である。ゆえに人のように生殖によって誕生したのではないその身は、『生まれた』よりも『しょうじた』と言うべきなのだろう。


 森を巡る。


「………………」


 ルウの故郷は滅びていた。

 もちろんこの森もそうだが、世界そのものも滅びている。


 ルウが神に召しあげられて異界に戻るのを嫌ったのは、主人たる異世界勇者から離れてしまうからというのもある。

 だが、神──となって、滅びた世界で永遠に生き続けるという目に遭うのを嫌ったゆえでもあった。


「……なるほど、これは……」


 魔法剣士であるルウには、魔法の素養もある。

 歩き、触れ、術式を解析していくうちに、疑似極楽衆生しゅじょう一切安寧あんねい曼荼羅まんだらのことがだんだんとわかってきた。


「……心地いい幻を見せて魂を捕らえる……なんとまあタチの悪い……」


 脱出を企図しての分析──だったと思う。

 しかし、分析が進むうちに、自分がこの空間に不快感を抱いていないことを発見していく。


 それはこの空間に備わる『術者への好感度を上げる呪い』のせい──ではなく。


「……この空間、この術式を作った者は、死後に安寧を得られぬ魂を救いたかったのか」


 高い能力、厚い経験。それゆえに術式を見れば術者の意図を読み取ることができる。

 この術式は『都合のいい幻を見せて妖魔を骨抜きにし留め置く』などという悪辣なものではなかった。

 ただただ、救われぬ魂に救済を与えようという、博愛。ある種の狂気と呼ぶしかない熱意のこもった博愛により形成されていた。


「…………」


 ルウは考える。


 彼女は異世界からの侵略者だ。

 王の命令とあれば殺戮も行う。容赦もしない。女子供だろうが殺すし、自分たちが侵略者だとわかって、侵略という行為を悪だと断じてなお、悪に徹する忠誠心がある。

 その忠誠の背景には『それ以外に自分たちが生き残る手段がない』という前提もあった。

 世界はどうしようもなく滅びた。神は人を守れなかった。大地は燃え、風は毒を孕み、水は腐って腐臭を放った。

 そんな世界で生きていけない。だが、その世界にも生きている人はいる。だからこそ、異界の無辜むこの民を殺し尽くしても新たな安住の地を得ようという試みに、最終的には賛成した。

 だが……


「……あれから、数百年か」


 世界をまたげば時間の流れは同じようにはならない、と言われている。

 こちらで数百年。向こうではまだ数年の可能性がある。

 だが同様に、こちらで数百年、向こうでは


 最初から、仮に侵略を完了しても、戻ってみれば元の世界で生きていた人たちはすでにいない状況も覚悟されていた。

 それでも良かった。わずかな可能性に賭けているのは承知の上。


 ……しかし、当時の狂想から数百年。

 自我が戻ったのはここ数年のことではあるが、長い時間の流れを実感させられ、過去の自分たちの熱狂を振り返る時間を与えられ、思うことがあった。


「……我々の熱狂は、この世界で生きる者をないがしろにしてまで通すべきものだったのか」


 滅びに抗うのは生き物の必然だ。

 絶望的な状況で希望をつかもうとするのは戦士の生き様だ。

 愛した男のために命を懸けるのは女の覚悟だ。


 だが、不意に時間の流れを感じ、ここでこうして考える時間を与えられてしまったことで、その熱狂エモのためにないがしろにするには、あまりにも命の数が多すぎる事実に気付かされてしまった。


 それに、ルウは『希望』を見つけてしまったのだ。


「…………この術式を再現できれば……


 ここは術式による幻の大地。頭の中にしか存在しない都合のいい幻想。

 しかし、この世界に来たのはルウらが魔力生命体ようまに堕とされた時に得た権能によって漏れ出る『死した戦士たち』を除けば、自分を含め五人のみ。

 異世界勇者。

 暗殺者。

 魔女。

 姫。

 そして、騎士の自分のみ。


「たった五人が夢を見るなら、でもいいのではないか」


 ルウ本人の性格として、力なき者を斬るのは好まない。

 子供は慈しむ。弱者は守る。ゆえに騎士。魔法剣士ではなく、騎士こそがルウを定義するアイデンティティである。


「……進言してみよう。そのためには……ここを形成する術式を得る必要がある」


 解析を進めればある程度はわかる。

 だがクサナギ大陸の術式は、ルウの故郷の術式とはまた違ったものである。


 ゆえに、情報が欲しい。

 情報さえ持ち帰り、この空間に住まえるようになれば……


 王も姫も、侵略をあきらめてくださるのではないか。


 墓前に添えるにはあまりにも多くの命を踏み躙るのを、やめてくれるのではないか──


「…………」


 ──本当に、そうだろうか?


 あの姫が、あきらめてくださるだろうか?


 わからない。

 だが、方法が見えてしまえば、ルウは多くを守る道を選ばざるを得ない。そういう性分をしている。


 その時、ルウの耳に声が届いた。

 それはどうやら、自分のいる空間の周囲から伝わってくる声で……


「……私を捕らえた術者か」


 このボールには、ボールを握って周囲で声を発すると、その声、というより意思が内部にいる妖魔に伝わる機能もある。

 これはボールを使った戦闘術が発展するにつれて改造され追加された機能であり、内部の妖魔にあらかじめ指示を伝えておくことで、素早く戦闘に移行するための仕掛けであった。


 その仕掛けにより、ルウはサトコの目的を知る。


「……いいだろう。協力してやる。その代わり、このボールの術式を私によこせ」


 意思伝達は一方的ではない。

 ルウの声に、サトコは確かに承諾を返した。


 こうして……


 ルウはサトコを手伝うことになったのだった。

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