六章 クサナギ大陸漫遊記(134、666文字)
氷邑湾海魔残党掃討戦
第126話 旅の始まり
氷邑家領と
特産物はあわび、海老などであり、たまに真珠などもとれるこの場所は、御三家をして『欲しい』湾であった。
氷邑家と七星家は政争、帝への工作などを行いこの湾の所有権を主張しあったが……
最終的には、湾より生じた『
この湾は年を通して穏やかであり、海魔襲来の際に建立された
ここの水は
現在は季節の秋が深まり始め、いよいよ本番が到来したぐらいの時期であるからさほど遊泳客もいないものの、氷邑領側にある船着き場には恋を語らう者たちが船を借りに来る……
参拝→船を借りて沿岸の紅葉など見ながら氷邑湾行楽→名物であるうどん、あわび、ハンバーガーなどを食べる……といったルートで観光をしている者たちがいるのが普通であった。
だが現在の氷邑湾、嵐である。
大嵐である。
「せっかく氷邑家の惣領息子様がお越しになられたというのに、大志奈津の御機嫌がよろしからぬようで……」
氷邑
曰く、つい数日前まで氷邑湾は平素のごとき穏やかな様子であった。
しかし、梅雪が行くという連絡を受けた途端に大荒れ、波風高く荒く、船を出すことはもちろん不可能、湾の周辺一帯に避難令を出さざるを得ないほどの状況になってしまった──
「ほお? それはつまり──この俺の来訪が、志奈津のご機嫌を損ねたと、そう言いたいのか?」
「いえいえ、滅相もない……」
神主は年嵩のいった男である。
歳のころは五十を少し過ぎたぐらいか。長らく志奈津分社の神主を勤めあげた氷邑家の重臣と言える人物である。
氷邑湾そばにある志奈津分社あたりは氷邑本家の領土ではある。
しかし氷邑湾を鎮めるために置かれたこの神社の代表は、氷邑湾一帯に対して強い影響力を持つ。
土地は所持していないことになっているが、民衆のあいだでは『湾の殿様』などと呼ばれている、湾関係に強い発言力を持つ人物である。
身を包む淡い水色を基調とした神主服には一部の隙もなく、顔には穏やかな微笑が浮かび、席次も梅雪を本殿内部にある一部の重鎮しか通さない場所に通し、さらに自分はきちんと下座に座っているという、梅雪を下に置かない様子であった。
だが、梅雪はこう感じる。
(こいつ、俺を舐め腐っているなァ……?)
それが妄想か真実かはわからない。
だが梅雪の前で『あなたのせいではないですよ。あなたのせいではないんですけどね。なんだかあなたが来るって言った途端に穏やかだった湾が荒れ始めたんですよ。いやあなたは無関係だと思うんですけどね。なんでか知らないけど志奈津様が怒っちゃったのかもなあ……いや本当になんでだろうなぁ……(チラッチラッ)』みたいなことをすると、真実がどうあれ煽り判定を食らう。
さて過去の梅雪であればこの時点で斬り捨てるが……
今の梅雪は、相手が最も屈辱を覚えるやり方で土下座させる方法を思案する。
殺すかどうかはその時の土下座が気に入るかどうかで決める。
ゆえに……
「では、俺が志奈津様にお願いをして、この嵐をやませてみせよう」
「……は、いや、しかし、それは」
「そもそも、貴様はこの氷邑湾の管理を、氷邑家から代行されているにすぎん。志奈津様を分祀するこの神社の管理も同様だ。……いやはや、運が良かったなァ? 貴様程度ではどうにもならん大嵐を前に、運良く氷邑家後継が来るなどと」
「……」
「助けてやる。俺が志奈津様に願い出て、この大嵐を鎮めてみせよう」
「ですが」
「文句を言える立場か?」
「……しかし、その儀式には伝統的な手順がございまして、それは危険を伴う……」
「ああ、そうだな。未曾有の大嵐なのに、それを収めるべき神主がやらぬほど危険を伴う儀式が必要だ」
「……」
「ゆえに『運が良かった』と言ったのだ。俺が代わってやる」
「方法について御存じないのかもしれませんが、」
「氷邑湾の中央まで小舟で向かい、志奈津様に祈りを捧げる。船も出せぬほどの大嵐の氷邑湾の中央まで小舟で向かうのだろう? わかっているとも」
「……」
「神社の神主を任されておきながら、志奈津様のために祈りを捧げることもできぬ貴様に代わってやってやる──と、何度言わせれば気が済む? ああ、なるほど……何か、志奈津様に後ろ暗いことでもしているのか?」
「そっ、そのようなことはッ!」
神主が腰を浮かしかける。
梅雪はニヤリと笑った。
(本性が出てきたなァ?)
氷邑梅雪──
他者の発言すべてを煽りに曲解し、頭の中で勝手にさんざん煽られてムカつくということを繰り返してきた少年である。
最近は己を客観視・俯瞰することも覚え、怒りをいったん取り置くということもできるようになったが……
さらにもう一つ、客観視由来の能力を身に着けた。
それこそ、相手の本音を暴く技術。
ようするに梅雪の妄想する『相手からの煽り』は、『相手がこちらを侮り、馬鹿にしている場合の未来予想図』である。
それを鮮明に描く能力に客観視を合わせることにより、『その未来予想図に近い行動をとった者はこちらに悪意あり』という、悪意判別能力を手にするに至っていた。
まあ、償わせる時には梅雪が妄想した(実際にはやっていない)煽りの分まで償わせるのだが……
その判別能力によって、梅雪は確信する。
(なるほど、湾の差配という権力の座に狂った小悪党といったところか。運営にあたって基本は有能ゆえ父上も役得を認めていたのだろうな。……俺も、そういった役得一切を許さぬほど不寛容ではないぞ? ゆえに、貴様の罪はただ一つ。この俺を舐め腐った態度をとったことのみだ)
梅雪はにっこりと美少年の笑みを浮かべ、言葉を告げた。
「ともあれ、神主殿が行かぬのであれば、俺が行こう。異論はないな?」
「……わかりました。ですが、命の危険があるとは、申し上げましたからな」
「ああ、わかっている。念書でも用意させよう。内容はこうだ。『危険だからと必死に止めたあなたの静止を振り切り、氷邑梅雪が志奈津様への祈祷を断行した』と」
「それならば……」
(愚か者めが)
梅雪はついうっかり、凶悪に笑いそうになった。
そもそも神主が氷邑湾の管理を任されているのは、この『神』がその息吹を実際に地に吹かせるクサナギ大陸において、何か神がご機嫌を斜めになさった場合、命を賭して機嫌をとるという責任の重さゆえだ。
それを『惣領息子が行こうとしているのを必死に止めた』あまつさえ、『自分が代わりに行くとは言わなかった』。
念書は梅雪が死んだ場合に神主が責任を負わなくとも良いという旨を記すものとなる。すなわち、責任をとるべき者が念書まで記させて責任を回避したがった証拠になるのだ。
(小さな権力と小銭で肥え太った豚は、首を落とすよりすべてを奪ってやるに限る。金、権力、人望、コネ。この俺を侮って、どれか一つでも残ると思うなよ。さて、これであとは……)
氷邑湾の大嵐を鎮めるのみ。
──氷邑梅雪は、旅をする。
数年がかりを覚悟して、
忍軍の情報によれば、ウメとシンコウは南へと旅立ったらしい。
あちらは
クサナギ大陸の南には短い橋で渡れる孤島(とはいえ帝内地域より広い)があり、そこでは島津などの家が常に戦争をしている修羅の国がある。武者修行にはもってこいだろう。
南ルートは主な敵が『人』になる。
一方で梅雪が歩む大陸東部を北へ向かう旅路は主な敵が『妖魔』や人外となる。
互いに北と南に進路をとっての、武者修行の旅──
まずは氷邑梅雪の第一歩。
『氷邑湾海魔残党掃討戦』が、始まろうとしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
新章開幕。
こちらの章は梅雪が恐山を目指す旅路を短~中編集形式でやっていくものとなります。
メンバーについてはなんらかの活躍をする時に明かされます。
どうぞお楽しみください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます