side8-2 ミツコ、エースになるってよ 中

 休日昼、劇団宿舎二階。


「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!!」


『鳥組のエースやんない?』という辞令が来た時の國府田こうだミツコの第一声であった。


 歌劇団団員は望むならば劇団員宿舎に部屋を与えられる。

 実家が食事処のミツコも、歳若さからの独り立ちへの憧れと、あと発声練習をしても怒られない環境を求めて宿舎住まいを選択していた。


 劇団員宿舎は花、鳥、風、雪、月各組ごとに男子寮と女子寮に分かれており、ミツコがいるのは花組女子宿舎二階階段のぼってすぐの部屋であった。

 なぜこの部屋かと言えば、ミツコは毎日夜遅くまで自由練習スペースで練習をしていて帰りが遅いので、夜中に足音で他団員を起こさないよう、一番階段に近い部屋をもらっているという経緯がある。


 ミツコの練習熱心は団員内、特に同期の間では有名であった。


 そして練習熱心な割に全然劇団員としての芽が出ないのも、有名であった。


 ミツコ、大根役者なのである。


 声はデカいのだが表現力がない。何をしても小学生に読書感想文を読み上げさせている感じになってしまう。


 練習してもまったく表現力が身につかないことからなんらかの呪いを疑われているのだが、神威出力は高めで、騎兵操縦技術は練習したなりに身についているので、その点で『歌劇団員』ではなく『火撃隊員』として劇団に身を置くことが許されている──みたいな状況であった。


 ちなみにだが、現在の火撃隊員エースたちは全員、歌劇団員としてもエースである。

 それぞれ『この人と言えば、この舞台!』と言えるぐらいトレードマークとなる役がある。

 おかしな人月組代表の青田平あおたたいらでさえも、主役を張った上で『青田平ちゃんと言えば、この役!』と言われる役柄が存在するのだ。


 まあ月組所属の変人たちは、『役に合わせて演技する』というより、『本人が個性的すぎて台本作者があて書きをして役を持ってくる』という感じなのでちょっと参考例としてどうかという感じでもあるが……

 台本作家が役をあてたくなるような個性は、それはそれで一つの才能である。


 その点で言ってもミツコ、『声がでかい』ぐらいしか個性がないので、当然ながら台本作者に『あなたにこの役をやってほしい!』と持ってきてもらったことは一度もない。


 そんな自分が、鳥組のエース。

 無理。


「っていうかそもそもですよ! なんで鳥組ぃ!? 私、花組なんだけど!?」


 総合力の花組。

 または『苦労人、世話好き』の花組。


 ミツコは演者としての実力も、もまったく評価されていないが、その竹を割ったような性格と、嘘をつく能力のなさそうな様子、さらに誰よりも努力し続ける性質などを見出され、花組所属となっていた。


 直属の上司は桃井もものいということになる。

 モッさんの愛称で親しまれる、火撃隊苦労人枠の人である。


「と、鳥組ってアレでしょ!? お大名様しかいないところ! 礼儀作法がダメだといじめられるって噂の!」


 こうしてミツコが部屋にも入れずに玄関口で会話をしている鳥組エース任命辞令を持ってきた人物、鳥組所属のご令嬢であった。

 もちろん名家の出身であり、その親戚筋には例の熚永ひつなが家がいる。


 とろんと眠そうな目をし、ふわふわの赤い髪の毛を持ついかにもなお嬢様であり、さりとて他の鳥組にあるような『平民への見下し』がないところから、このたびの伝令役に選ばれたという背景がある。

 あと鳥組全体も『鳥組から次の鳥組エースを出すのは政治的にまずい』とわかっているのだが、さりとて平民に次のエースをお願いしに行くのも屈辱なので、その屈辱的な役を押し付けられた人物でもあった。


 だがこの人物、ちょっと発言に衣を着せなさすぎるところがある。


「や、それはちょっと世間の噂に騙されすぎだよ……家同士の関係があるから、家の力が強ければいじめらんないよ……」

「私んち小料理屋ですが!? 大名家の縁者でもなんでもないよ!」

「じゃあ『この平民が……』みたいに思われるかも」

「ダメじゃないですか!」

「ダメかも……」

「ええ!? 打診を持ってきておいて励ましてもくれないんですか!?」


 お願いされているはずなのに、お願いしている方が全然やる気を出させる方向で話をしてくれないので、さすがにびっくりしてしまう。

 しかしふわふわ赤毛のご令嬢、「うー」とのんびり考え込んで、


「………………あ、鳥組は寮の扉がここより豪華だよ」

「アピールになりますそれ!?」

「まあ、私なら扉とかどうでもいいね……」

「あのすいません、打診に来たならせめて説得してもらっていいですか!? いや無理なのは変わらないんですけど!」


 なんなんだこの人、もしかして月組なのか!? とミツコはちょっと思った。

 だが小柄でふわふわの彼女が頬に手を当てて何かを考える様子など、いかにも深窓のご令嬢といった様子である。

 真の貴族は言葉ではなく、こういうちょっとしたところにどうしようもなく気品が出る。もちろんミツコが同じ動作をしても気品は出ない。何が違うんだろう。普段食べてるものの値段とかだろうか。


 ご令嬢はしばらく考えて、「そうだねぇ」とのんびり声を発する。


「説得してあげたいんだけど、鳥組、別に人に言えるほどいい場所じゃないし……」

「えぇ……」

「家同士の関係がどうしてもあるからね。アカリさんがうまいことバランスとってたんだけどねぇ。今は熚永縁者がお通夜状態で〜……あ、私もお通夜。それどころか四十九日って感じ」

「えぇぇぇ……」

「結構な数が辞めちゃうっていうか、と思うし、居心地はよくないと思うんだよねぇ。ギスギスっていうか、腹の探り合いっていうか……名家も大変なんだよね、こういうところが」

「もしかして、私のやる気にとどめを刺しに来てます? いえまあ、何を言われても無理なものは無理なんですが……」

「そうだよねぇ。かわいそうに……」

「だからやりませんよ!?」

「ん?」

「ん? ではなく」

「いやいや、あのねぇ、これ、

「……………………」

「もう決まってて、それを報告に来ただけなんで、断る選択肢はないんだよね……」


 ちょっと何言ってるかわかんないですね。


 なんでわかんないんだよ。

 実はわかる。わかるが、脳が理解を拒んでいる。


 しかし理解を拒み続ける脳、ようやく衝撃が届いて震える。

 その震えは絶叫となり……


 ミツコのクソデカボイスが、花組女子寮に響き渡った。



 エースともなると帝直属の公人という側面も出るので、寮の部屋に帰っていない日も多い。

 この日、たまの休日で忙しくなかった桃井は部屋におり、部屋の中でミツコの絶叫を聞いてすっとんできた。


 そして事情を聞いたところ、このように叫ぶ羽目になった。


「なんにも連絡もらってないんだけど!?」


 同じ劇団員を『部下』と呼称するのは何か違うものの、花組全体は桃井の部下のようなものである。

 その異動について、上司の桃井、驚くほどなんにも連絡をもらっていなかった。


 この事態には帝都騒乱からのゴタゴタが大きくかかわっている。

 そもそもの話をしてしまえば、帝は『國府田ミツコってのが、ヤマタノオロチを倒す時に神威強化ブーストしたと報告されてますよ』と耳に入れられただけで、


 ところがゴタゴタの中で誰にどの許可を得てなんの裁可をもらえばいいのかが混乱しており、『鳥組エースの件どうなった!?』『國府田ミツコってのの名前を帝の耳に入れたらしい!』『ええ!? 國府田ミツコだって!? 劇団に連絡入れておくわ!』『國府田ミツコですか。真面目で確かに貴族と無縁ですね。』みたいなことが起きていた。


 その余波で鳥組系の事務をやる人材に『エースに國府田ミツコっていうのを』という報告が行き……


 現在、鳥組を取り巻く政治情勢が非常に複雑かつ、組団員・組事務局は少しでも帝の覚えをめでたくしておきたい状況であるため、忖度そんたくが起きた。


『正式な辞令はまだですが、帝がおっしゃられる前に、私がやっておきますね』というやつだ。


 その結果、『花組所属のミツコを、花組になんの連絡もなく鳥組エースに任命する』という、あとから百倍ぐらい面倒になりそうなことが起きたというわけであった。


 忖度事務はよくないという事例である。


 そして百倍ぐらい面倒になった事態の七十倍ぶんぐらいを引き受けることになるのが、アカリとかいうやつのせいでイメージダウンした火撃隊のイメージアップのために、毎日のようになんかしらの式典だの祭りだのボランティアだのに駆り出されていた桃井である。


 久々の休日を潰された桃井の抗議は極めて激しく、『あの温厚で公明正大な桃井がここまで怒るとは……』と関係者一同を戦慄させる結果となって──


 ミツコの鳥組エースの話は見事に流れたのだった。

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