第121話 プール・パレード 終幕の四
剣聖シンコウにとって、現在がどういう状態か?
『異界の騎士』という侵略者に抵抗する勢力が増え、
生死不明の剣のぶつけ合いが目前に迫っていたところを、梅雪によって救われた状況?
どちらも、違う。
ゆえに、シンコウの行動は、こうなる。
異界の騎士ルウと……
梅雪は。
音速を超える戦いを繰り広げる中、不意に横合いからぬるりと分け入ってきた切っ先を、同時に回避した。
停止。
二人が同時に向く先にいるのは──
残身をする、剣聖シンコウ。
蜂蜜色の髪の女は、見えぬ黄金の瞳を細めて笑う。
口角の上がったその微笑。優美な肢体が浮き上がるような黒いワンピースタイプの水着もあって、その姿は女神の如く魅力的であった。
……普通の男は、いや、女さえも、きっと、そう感じるだろう。
だが、梅雪の感想は違う。
口角を上げて微笑む剣聖の姿が、悪魔か何かにしか見えない。
「ずるい」
シンコウは拗ねたように唇を尖らせる。
普段のいかにも年長者、あるいは聖母のごとき雰囲気からは想像もできない、幼い表情だった。
「ずるいです。どうして……わたくしを放っておいて二人で殺し合ってしまうのですか?」
この時、ルウと梅雪の気持ちは間違いなく一つになった。
『この女──
──本当に狂っている』
「わたくしも混ぜてください。こんなに美味しそうなあなたたちを斬り損ねたら、わたくしは狂ってしまうではありませんか」
「手遅れだろうが」
構ったら相手が喜ぶのはわかっていたが、梅雪は言わずにいられなかった。
案の定嬉しそうにする剣聖である。
なんだか横並びで剣聖と見合うことになってしまったルウが、声をかけてくる。
「……小僧、わかっているな? あの女、無視すれば無害だぞ」
「貴様に言われるまでもないわ侵略者」
そう、剣聖の流派、特に格上相手にはカウンター以外の攻め手を持たない。
雷の斬撃を飛ばすことはできるが、それでも無視すれば、剣聖は速度の原動力を得られず、梅雪らの戦いの速さについて来ることができなくなる。
少ない神威、平均的な肉体、剣士の才なきただの人。
技術のみで格上を殺す女の弱点。『手出ししなければ無害』。
ゆえに剣聖は、無視される限りにおいて、この戦いにはついてこれない。
せいぜいが鈍い雷を飛ばしてくるだけのステージギミック。
……だが。
氷邑梅雪、齢十歳にして、しかも数回見た程度で
…………剣聖シンコウ。
十二歳で愛神光流を編み出した天才である。
梅雪だけは、理解していなければならなかった。
『天才は、すさまじい速度で成長する』
その時──
梅雪がほんの少しまばたきをした、その時。
十歩以上離れた距離にいた剣聖が、目の前で剣を振っていた。
「な!?」
驚きがつい口から漏れる。
相手の力を受けてその力でもって加速しなければ、ただの女の速度しか出ないはずの剣聖。
だが、今の踏み込みはどう見ても、
梅雪は、剣聖の剣を、剣で受けてしまった。
ギィン! という、剣と剣のぶつかる音が、立たない。
何かに何かを思い切り当てれば、当然発生する反作用。
剣聖に利用される。
梅雪の剣を叩いた衝撃で剣聖が回る。
そうして振りぬかれた剣が今度はルウの首へ迫る。
「この、おん、なァ!」
ルウは怒りとともに右剣で受け止め、同時に左剣で剣聖を刺し貫こうとする。
だが遅かった。神に近付くルウの反撃が、遅かった。
剣聖の姿はすでに二人の目の前になく……
十歩も離れた場所で、最初からずっとそこにいたかのように、たたずんでいた。
「なるほど」
剣聖が、何かを確認し終えた。
梅雪のみならず、ルウの背筋にも怖気が走る。
剣聖は自らの両手を見下ろしていた。
しばらくそうしていたかと思うと……
おもむろに天を仰ぎ、見えぬ目から涙を流した。
「神喰、でしたか? 教えていただきありがとうございます」
「!?」
さすがに梅雪も
剣聖の様子は、普段と変わりない。
それは神威そのものを見ることができる梅雪からしても、そうだ。
あの状態は神喰とはまったく違う。
そもそも、梅雪ほどの道士としての才能があって初めて成り立つ技法だ。
剣聖シンコウには才能がない。
少なくとも剣士ではない。
恐らく、騎兵でもなかろう。
あの神威量では道士とも言えない。
ただの町娘。才能に恵まれぬ一般市民。戦いの中に身を置くなどという運命を想定して設計されてはいない、搾取されるだけの弱者。
それが、
音速を超えて梅雪に再び迫った。
「っ!」
剣で受けざるを得ない。
(お、重いッ……!?)
その膂力、異界の騎士ルウと同等。
その速度、風の神の加護を得たうえで神喰状態にある梅雪と同等。
どういう仕掛けなのか──
……梅雪は、見えてしまった。
(こいつ、俺たちが散らした神威を使っているのか!?)
今、この状態のこの場所には、目には見えないエネルギーが大量に漂っている。
シンコウはそれを用いて、体内で回して、己の動きを加速させ、己の膂力を増していた。
確かに自分の外部のエネルギーを掌握し体内で回して自己強化に使うというのは、神喰の結果である。
だが、その結果に至るまでの道筋がまったく違う。
これは紛れもなく剣聖オリジナルの技であった。
「女ァ! 本当になんなんだ貴様は!?」
梅雪が防戦一方になっているところに、ルウも加わる。
狙う先はシンコウの背中。
完全に隙を突いたはずの刺突、しかしシンコウ、背後に目でもあるかの如く対応する。
右手で梅雪を斬り、左手でルウを受ける。
しかも神喰もどきを使いながら、愛神光流の太刀筋も失われていない。
両手を別々な人間のものがごとく動かして左右からの攻撃をさばきながら、その攻撃の力を逆用してますます加速していく。
いつの間にかルウと梅雪がシンコウを左右から挟むように激しい攻撃を繰り返している状態だが、剣聖シンコウ、まったく遅れをとらない。
それどころか──
「チィッ!」
「この、女ぁ……!」
二人の速度、膂力を超え、そこに特有のぬるりとした剣筋まで加わり、神に成ろうとする、魔に堕ちようとする二人に傷を与え始める。
梅雪は剣を振りながら、冷汗を垂らす。
(くそ、足を止めて斬り合うしかない状態にされている!)
シンコウの剣、絡みつくようであった。
たとえば後ろに下がろうとか、横に避けようとか、あるいは前へ踏み込もうとしたところで、できない。
剣を受け、弾き、流される動きによって、その場で足を止めるしかない状況に追い込まれている。
それはルウも同様のようで、シンコウの向こう側で苦々しい顔をしながら足を止めて打ち合う姿が、すべてを物語っていた。
苦し紛れか、ルウが叫ぶ。
「おい、貴様ら! 仲間じゃないのか!? なぜ貴様らが殺し合う必要がある!?」
「こんな変態女を俺に押し付けるな! 迷惑極まりない!」
「この世界の人間にはおかしなヤツしかいないのか!?」
「コレを人間と呼ぶな! 他の人間に失礼だろうが!」
「いいえ」
シンコウの体がうごめき、梅雪とルウの剣が同時に絡めとられる。
体が流され、二人ともの上体が前へと崩れ……
二人の切っ先が、シンコウの前後を通り過ぎ、ルウの剣は梅雪へ、梅雪の剣はルウへと向かった。
「くそ!」
梅雪は咄嗟の判断で剣を消した。
ルウも同様だった。神威でできた剣であるがゆえにできたことだ。
……だが、別に、互いに刺し殺してもよかったはずなのだ。
なぜならルウは異界の騎士。侵略者である。
そして梅雪、ルウを殺すと告げている。
だが、それでも、互いに傷がつかないように神威剣を消し、同時に絡めとられた勢いを利用してシンコウから離れ、その視線をシンコウに釘付けにしているのは……
協力しないとあの女に勝てないと本能が言っているから。
シンコウが、語る。
「道術ではなく。膂力でもなく。もちろん機工甲冑でもない。……己の身に一切力を宿さぬまま、あなたたちのような者に立ち向かう。わたくしこそが、人なのです」
怖気立つような武の化身。
ゆったりと左右に向けられた切っ先が、背筋を凍らせる。
あんな人間いてたまるか、と梅雪は思う。
だが、その、遠目に見ても無力そのものといった姿、紛れもなく人である。
神成りもせず、妖魔に堕ちもせず、ただ無力にたたずむあの姿は、『人』としか表現できない、何かもっと不気味でおぞましい、なにがしかの頂点であった。
「さて……神を斬りましょう。人の身で」
シンコウの狙いは……
ルウであった。
先ほどまでよりさらに速度が速いのは、シンコウオリジナルの神喰に慣れたせいだろう。
梅雪は一瞬迷ったものの、シンコウの背を追って、ルウの救援に向かう。
だが、背中から斬りかかろうが通じない。
もはや剣を向けることもなく、背中に刃が触れた途端、それを利用して加速。さらなる速度でルウへと突撃していく始末。
梅雪は一瞬頭によぎった言葉に、舌打ちする。
今の剣聖──
何をしても殺せる気がしない。
(ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるなァ!!! 断じて認めん! この俺が! 神威量もない! 肉体的に優れてもいない! 才能もないただの女に、技量だけで屈服するなどと! 認めんぞォ!)
梅雪が内心で吠えながらさらなる加速。
しかし一歩遅い。シンコウの剣がルウを肩口から斜めに両断する。
ほぼ神威となったルウはそれでもまだ生きているが、もはや剣を振れる状態になく、シンコウの剣は確実に命を断つためにうごめいている。
その速度は、今の梅雪でさえ割り込めない。
ゆえに……
それは、偶然、たまたま、投げたタイミングがよかったというだけなのだろう。
剣聖がルウにとどめを刺すより、ほんの一瞬だけ早く……
真っ黒いボールが、ルウの頭部を貫いた。
「…………は?」
残った口元で疑問を呈しながら、ルウが黒い霧のようになり……
自分を貫いて通過したボールに吸収されていく。
とどめの一撃を邪魔されたシンコウもまた、動きを止めて、ボールの出所を見ていた。
そこにいたのは……
「
青いもこもこの髪の毛の、スクール水着姿の……
腰にベルトを巻いて、黒いボールを備えた少女。
煮詰まった戦場に登板す。
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