第111話 プール・パレード 三幕の二
神器勾玉ヨモツヒラサカは、内心で焦っていた。
(早く早く、どうにかここを抜けないと……ヒラサカの力は長くはもたないんだけど!)
現在、ヒラサカがウメに与えている力は、かつて帝の祖とともに戦った時に余った力の残りでしかない。
それも、相手の
使用者の肉体への負担も並々ならぬものであろうが、それを気にしないとしても、今の出力で戦いを続けられる時間は……
(三分ももたないかしら!?)
それまでに決着をつけなければならない。
「っううううあああああああああ!!!」
それはウメもわかっているのだろう。
普段の物静かな彼女からは想像もつかないような叫びを……否、吠え声を上げて、一発一発全力で、敵に殴りかかっていた。
だがその徒手の技術、居合に比べれば未熟。
対する相手は、『魔法使い』。
クサナギ大陸の区分においては『道士』に分類される。
いかにも近接戦闘技術に劣っていそうな風体と属性ではある、が……
そのような脆弱性、異世界勇者が選んで連れてきた精鋭侵略者である彼女にあるはずもなかった。
「ほわぁ。ワンちゃんですねぇ」
ウメの速度とパワーに驚いていたのも一瞬のこと。
『戦いになる』と定めたあとの河童の動きには、一切の無駄もよどみもない。
直撃すればこの河童であろうが肉体が消し飛ぶであろう拳を、杖を当てて逸らす。身をよじってかわす。
しかもだんだん速度に慣れてきたのか、体勢を崩して反撃を試み始めてさえいる。
ウメは彼我の実力差を実感させられた。
(強い。それに、巧い)
大量の神威と、今もなおこの身を停止させようとまとわりつく術式のせいで、全身が千切れてバラバラになりそうだ。
その痛みを誤魔化すために獣の如く吠えながら動き回る。
それでも剣聖に習った基本の術理が動きには滲んでいる。
しかし、通じない。
拳が、蹴りがいなされる。
殴ると見せかけて掴みに行っても、見切られる。
相手の動きは武術的ではなかった。
そもそも適性も武術にはないのだろう。
だが、圧倒的な経験があり……
(どう見ても道士なのに、なんで、この速さに対応できてるの)
……不可解な、なんらかの秘密がありそうだった。
この空間が常にウメの動きを遅くしようという力をかけ続けている。
だが、それでも、神器勾玉に
では相手がシンコウのように、格上相手に特化した武術を修めているのか?
それはない。確かに武術的にも思える対応をされているが、その対応の中に流れるのは、武の術理ではなく……
(今のウメと、同じぐらい、速い)
速度である。
反射神経、動体視力。そして単純なスピード。
それが勾玉という下駄を履かされたウメと、単純に同等なのだ。
おかしい。
……何かを見誤っている。
「ほわぁ!」
気の抜けるような声とともに、杖が振り下ろされる。
速い。まるで剣士の一撃。
ありえない。
ありえないことが起きている、なら──
ウメは河童へ殴りかかると見せかけて、周囲を囲むドームへと殴りかかった。
拳と氷がぶつかったとは思えない重苦しい音が鳴り響き……
氷のドームには、傷一つない。
だが、注意深く自分の状態を観察して、理解する。
「……このドーム、速さと力を吸収してる」
この氷のドームに刻まれた術式は、『停止』でも『操作』でもなく、『エネルギーの吸収』。
そして恐らく、吸収したエネルギーは、あの河童が好きに分配できる。
だから運動エネルギーを付与してポーズを変えることもできるし、運動エネルギーを吸収して動きを止めることもできる……
の、だろうか?
本当に?
「ほわぁ。正解ですぅ。つまり、あなたが速ければ速いほど、わたくしも同じぐらい速くなるんですよぉ。そろそろ、あきらめてくれませんかぁ? 傷つけたくないんですぅ」
河童の降伏勧告。
ウメはそこに、隙を見出す。
だって、おかしいではないか。
ドーム内のエネルギーを完全に支配できるなら、なぜ、自分は今動けている?
強力な神威で術式を弾いているから、と言われればそういうこともある気はする。
案外、そういった身も蓋もない結論なのかもしれない。
だが、ウメの直感は、そこに突破口があると見出した。
……のんびり考えている時間はない。
こうしている間にも、握り込んだ勾玉から供給される大量の神威と、運動エネルギーを奪う術式に責め立てられている体が限界を迎えそうになっている。
それに、握りこんだ勾玉からもたらされる神威にも、底があるように感じた。その底は、決して遠くないこともわかる……
(吸収できる総量か、一瞬で吸収できる量に上限がある? それとも、人数に限界が? ……考えてる時間はない。とにかく行動しないと)
出力で振り切る、ということはできそうにない。
それで振り切ることができるならば、最初の時点でドームの吸収上限を上回っている。
だが、あの時点ですでに、あの河童はウメの拳を避けるだけの速さがあった。
であるならば出力を上げて上限を狙うという戦法は意味がないだろう。
(ルールがある? ……ルールとして考えられるものの中で、ウメたちが勝てる可能性があるルールは……)
考えた結果、『勝てない』という事実にたどり着いてもしょうがないので、勝ちの目がある行動を考える。
だが、ウメの思考では答えにたどり着くことができない。
身をさいなむ痛みと、神威が尽きたら今度こそおしまいだという焦りの中で、まともな思考はできなかった。
……それに、ウメは真面目で常識的すぎた。
ゆえに、結論にたどり着くのは……
「とおおりゃああ!」
……論外かつ埒外な思考をする者。
急にあがった叫び声に、ウメと河童がそろって振り向く。
そこにいたのは……
矢のような速度で河童に殴りかかる、夕山神名火命。
「!?」
さすがのウメも驚き、一瞬、動きが止まる。
夕山は運動神経も体力もない雑魚である。
もちろん剣士でもない。
秘められた力は帝の血筋だしあるのだろうが、ウメの視点では『たまに意味のわからんことを言う、体も頭もさほど出来のよくない人』だ。
その夕山が、剣士のごとき速度で殴りかかり……
「ほわあ!」
河童が、その拳を慌てて避けた。
夕山がバランスを崩しつつも着地し、シャドーボクシングのように拳を振る。
「へっへー。やっぱりなんか体が軽いと思った! 私がただ黙って助け出されるのを待つだけのお姫様だと思うなよ! 痴漢にスプレー吹きかけるぐらいの抵抗はしてやるんだから!」
その動き、その速度、その力強さ。
ウメは、理解する。
このドームの術式は──エネルギーの均等な分配。
夕山がまったく動けない最中に、ウメが殴りかかれたのは、夕山の弱々しい動きを抑える程度の力しか河童が出していなかったから。
ウメが停止させられている時にサトコが動けたのは、その瞬間にヨモツヒラサカが勾玉形態になり、力を分配すべき人数が変化したから。
誰かを停止させるには、その人物が動こうとするエネルギーと同量の『止まろうとするエネルギー』を出さねばならない。
出しすぎると余剰分で停止させている以外の者が動けてしまう。
……それはとりも直さず、この河童、道士のくせに素の状態のウメとはタメを張れる出力を出せるということになる、のだが……
恐らく、そうではない。
「サトコ」
ウメは──
握りこんだ勾玉を、サトコに投げた。
それを受け取ったサトコは『えぇ!? 何!?』という顔をしていたが……
ウメの指さす動作を見て、意図を察する。
ピッチングフォーム。
「ほわっ、まず」
河童の焦るような声。
だが、対応が遅い。こうも各人の出力がころころ変わっては、動きの調整には繊細な出力操作が求められる。
そして、あの河童の出力操作は、河童の動きのみではなく……
美しいフォームから投げ放たれた勾玉がドームの壁に突き刺さる。
このドームの術式はエネルギー総量の均等化であろう。
だが、それはどうにも人型ではないものには適応されない。
つまり、すでに放たれた勾玉のエネルギーを殺す術が、あの河童にはなく……
勾玉の神威出力を受けたサトコのピッチングは、すさまじい威力でドームの壁に突き刺さる。
そもそも放るボールに神威を乗せて射出する術式は荒夜連の基本。ゆえにその豪速球、音速を超えた。
ドームの壁に勾玉がめりこみ、貫通し……
砕けた。
そうして見えたのは、もう一枚の氷のドーム。
と、ウメたちが入っていたドームからは見えないように配置された、黒い軍勢。
あの河童、剣士の運動エネルギーを封じるために、手下に命じて剣士に対抗できる運動エネルギーを作り出していた。
だからこそ急に高出力を出されると対応が難しい。
そして、これだけの数でも、勾玉の強化を受けた剣士の膂力、速度とは『均衡』まで持って行けなかったゆえに、勾玉の強化を受けたウメとは戦いにならざるを得なかった。
(……呑まれてた)
ウメは悔いる。
いきなりドームで囲まれるという演出。動けないどころか動きを自由に操作されるという演出。
それに呑まれて、勝てない気にさせられていた。
相手を呑むというのは兵法の基本であり、
それをされた。
貫通した勾玉は、外側のドームの外壁まで、間にいる黒い兵を貫きながら飛んでいく。
そうして、外側のドームの壁さえ貫き……
河童の術式を完全に打ち砕いた。
「回収!」
サトコが短く言って走り出す。
勾玉のヒラサカを拾いに行ったのだ。
ウメは、砕けたドームの欠片があたりに舞う、ダイヤモンドダストのような光景の中……
「ほわあ」
河童と改めて向き合うことになった。
複雑な術式を破られた河童は、まったく慌てた様子がなかった。
「わたくしの『ドールハウス』が大変なことになってしまいましたねぇ。実はあれ、事前に作ったものを呼び出しているのでぇ、今は予備がないんですよねぇ」
「……」
「うーん、どうしましょう……普通に戦うと跡形もなく壊してしまうのですけれど」
ウメはなんとなく予感していた。
……あの術式は。
あくまでも気に入った人形を傷つけず確保するためのもの。
戦いにはなった。だが……
殺し合いはまだ始まっていなかった。
「まあでも、一番の目的の子はあまり抵抗もしなさそうですし……他を殺して確保しちゃいましょうねぇ」
河童が杖を掲げる。
その先端から水球が生み出される。
一つや二つではない。
河童の上空に浮かぶように、百を超える水球が展開し……
「手加減が苦手なものですからぁ、痛みを感じないようにちょっと強めに殺してあげますねぇ」
微笑と同時に、放たれる──
前に。
「では私は、ちょうどよく殺してやる」
「ほわあ?」
河童が、視線を落とす。
その目が捉えたのは……
自分の胸から切っ先をのぞかせる、七支刀。
「…………ほ、わあ…………」
河童は、不可解そうな顔をしたあと……
ばしゃり、と水そのものになり、消える。
河童のまとっていたローブ、
ウメの視点から、河童の胸を突き刺した人物の姿が見えた。
その人物は、メガネの位置を直して、ウメに対してこんなことを言う。
「ところで事情が全然わからないのですが、今、ここで何が起こっていて、私が殺した狼藉者は誰なのですか?」
ざぶざぶランド入り口から、アシュリーとアメノハバキリを引き連れ、ムラクモが合流した。
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