第110話 プール・パレード 三幕の一
相手が只者ではないことは、一目でわかった。
ウメは考える。
周囲は氷のドームで覆われている。
このドーム、ただの氷ではない。氷にしか見えない何かの術式そのもの。単純に壁で覆って外に逃がさないようにしているだけではなく、なんらかの特殊な効果が付与された空間──結界なのだろう。
ただ氷のドームを形成するだけならば
しかし、術式そのものの、これだけ巨大な構造物を一瞬で出現させるのは、すさまじい熟練度と唸らざるを得ない。
そんな相手が、今、敵として目の前に立っている。
加えて、ウメは今、水着姿で丸腰である。
剣士の力はその身体能力にあるので、刀がなくても戦えはする。
だがウメが鍛えていた戦闘技能は剣術である。拳で殴ればそこそこの威力にはなるだろうが、武術というのは『当てる』『守る』技術だ。無手のウメにはその手の技術が……
(ない、こともない)
多少は、ある。
なぜならばウメの流派は不本意ながら
この流派は狂ったジャイアントキリング大好き女によって、『格上に不意に襲われる』というシチュエーションに特化した流派に仕上がっている。
唐突な襲撃への対応として居合を習ったが、居合さえできない状況への対処として無手の技術も習っている。
だが、その無手の技術はさほど深くない。
というのも、創始者の性癖(誤用)が『斬りたい』なのだ。
ゆえに無手は本当に『型通りの基本』でしかなく、創始者シンコウにあまりやる気がなかったとしか思えない技術体系しかなかった。
基本の打撃、投げ、関節技はなくもない、が……
ウメもまた、抜刀術を磨くことに懸命であり、結果として無手の技術をおろそかにしていたと言えなくもない。
その技術で立ち向かう相手。
あきらかに、黒い騎士と同格。
しかも後ろには戦えない夕山と、装備がなければ戦えないイタコのサトコ。加えて戦闘能力がないと先ほど自白した神器の勾玉ヨモツヒラサカ。
絶体絶命、という言葉でも足りない。もう一段か二段上の言葉を開発しなければ表せない状況と言えた。
何より、相手がこちらに敵対する理由が、どうにも趣味っぽいのが一番恐ろしい。
使命だの忠義だのでかかってくる相手は、死を恐れる。
だが趣味で人の命を奪ったり、殺し合いを仕掛けたりしてくる連中は、ウメの経験上、死を恐れない。
落としどころを見つけて退却させる、などということもできないのだから、こんなに厄介な相手はそういないと言ってしまえるだろう。
「ほわ」
その口から迸る吐息は、寒さのせいで白くけぶっていた。
「やっぱり映えますねぇ。氷のドームに飾ったら、きらきらして綺麗……」
「え、私?」
夕山が視線に応じる。
河童は「ほわ」と返事のように声を発する。
「本当にかわいい。本当に綺麗」
「いや、えーっと……喜ぶところ?」
「その髪はこう、ちょっと浮かせてバラバラ跳ねる感じで固めて、躍動感を出したまま氷漬けにしちゃいましょう」
「あ、これ喜ぶところじゃないわ……」
「ほわぁ。魂はわたくしの軍勢に加えますねぇ。わたくしの軍勢、かわいい子ばっかりで、ルウちゃんにいつも怒られてるんですよぉ。……あれ? かわいいから怒られてたんだっけ? うーんと、確か、弱い女子供ばかり殺すなとかなんとか……」
「…………」
「ま、今はお人形のポーズを考える方が大事ですねぇ。じゃあ、ちょっと、駆け出すポーズで止まってみましょうかぁ」
河童がそのように言葉を発する。
同時、夕山の体が勝手に動き、固まった。
「ちょ、な、え!?」
「ほわあ。映えますねぇ。いいですねぇ。でももう少しえっちさがあるとよりいいですねぇ」
「これ、何これ、この……!?」
口は利ける。
痛みもない。
ただ、河童の望んだポーズにされて動きが停止してしまったというだけ──
ゆえにウメは、その恐ろしさを実感した。
恐らくそれこそが、この氷のドームの術式。
内部にいる者を操作し、停止させる理外の道術──
「かわいい水着ですねえ。白いワンピースとはわかってます。セパレートはダメです。えっちすぎます。ボディラインが出やすくてちょっと透ける期待が持てる白いワンピースが至高……ああでもえっちなのもいいかも……迷っちゃいますねぇ。──それで」
河童がその透き通るような水色の瞳を動かす。
視線の先には、ウメがいた。
いつの間にか河童との距離を詰めて殴りかかったウメが……
河童に触れる直前、拳を突き出した姿勢で停止していた。
「……っ、……ぅ!」
全身に力を込める。
だが、固まった体はまったく動かない。
そんなウメを見て、河童は穏やかに微笑んだ。
「もう、ダメじゃないですかぁ。今はピンクの髪の子のポージングについて考えてるんですよぉ? あなたの順番は、あと。慌てなくても、全員お人形にしてあげますからねぇ」
「…………」
「もっとも活き活きした一瞬のまま、永遠に停止するお人形は、素晴らしいものです。あなたもそのかわいらしさを永遠に残すことができますからねぇ。待っててくださいねぇ」
ウメは実感させられる。
相手にもなっていない。
この河童は完全に遊んでいた。
ウメに殴りかかられても、それを脅威とはまったく感じていない。
強さのランクが数段階違う相手。
(どう、すれば)
そもそもの実力が隔絶している上に、現在は手持ちの札が少なすぎる。
そして一瞬で相手の領域に囚われてしまったために、すでに超絶不利な状況からの戦闘開始……否、相手にとっては戦闘ではなく、ただの品定めにしかすぎない時間が開始している。
(……時間を稼いで、応援を、待つ)
最善手だ。
中でどうしようもないならば、外からの救援を待つしかない。
だが、今のところ救援してくれそうなのは、
(……主人を守るべき奴隷が、主人に守ってもらうことを、期待する?)
それは。
それは、とても……
間違っているような、気がした。
主人は安全でも利口でもない道を歩み始めていた。
絶対に譲れない道だ。そして、隣に並び立つことも、後ろに続くことも許さない、彼だけの道だ。
ウメは突き放されたような寂しさを感じた。
梅雪が遠くへ行ってしまう、そういう寂しさを……
ここで梅雪の救援を待つ選択をしたら、二度と、追いつけない気がする。
それはとても、嫌なことだった。
(まだ、全部は試してない)
生存こそが最善。それが野生の狼に育てられたウメに刻み込まれた価値観。
その最善を超える主人との出会いがあり、自分の中の優先順位が切り替わった。
ウメは、主人のために……
否。
自分のために。
一人きりで歩める道を見つけ、そこに邁進し始めた主人に食らいつくためにできることは何か、考える。
それは、『勝てないから』という現実的な結論に従い、応援を期待して時間を稼ぐことか?
それとも、相手がもっとも興味を抱いている夕山だけを差し出し、どうにか自分の延命だけでも謀ることか?
(……違う)
梅雪ならば、こう言うだろう。
『奪われてなるものか』
何かを差し出して何かを拾う状況に追い込まれて、何かを差し出す選択をすることは、普通。
だが、梅雪の歩む道に並ぶには、何も差し出さずすべてを確保する強欲さが必要になる。
現実問題。……ひとまずおいておこう。
実力差。……とりあえず気にしないでおこう。
必要なのは、そんな賢い言葉じゃない。
必要なのは──
『舐めやがったな、ぶち殺す』という怒りだ。
「っ、ぅぅぅぅぅぅ……!」
歯をむき出しにしてうなりながら、全身に神威を巡らせる。
ちっとも動かなかった手足がぎしぎしと動き始める。
代わりに指が手が腕がちぎれそうな痛みを発していた。
どうでもいい。
自分を舐めた相手は、死んでも殺す。
「ほわ」
ウメが動き始めたことに、河童は驚きの表情を浮かべた。
「無理はしない方がいいですよぉ? 無理をすると、体がぐしゃぐしゃになっちゃいますから」
「…………ぅぅぅぅぅぅぅ……!」
「ほわぁ……うーん、じゃあ、もう少し強くしましょうかあ」
河童が氷でできているかのような杖をウメへ向ける。
……この空間内で、この河童は圧倒的な支配者である。
だが、その支配に納得して受け入れている者は、この空間に一人たりともいない。
ウメが全力を超えて抵抗しようとしている中……
反抗の機会をうかがっていた者は、一人ではなかった。
「サトコ!」
神器勾玉ヨモツヒラサカが短く叫び、その身を勾玉に変化させる。
瞬間、意図を察したサトコが、河童の意識がウメに集中したことによりゆるんだ拘束を振り払い、動き出す。
その勾玉の直径、二寸と少し。
形状は球体であり、それは……
ちょうど、ソフトボールぐらいの大きさであった。
サトコはつかむ。
そして、腕をぐるんと回し始める。
そのピッチングフォーム、ソフトボールである。
恐山学園都市
妖魔入りのボールを遠くへ投げる、狙った位置に投げる、あるいは相手のボールから妖魔が出ないように捕球するなどの技を修めるのに長い時間を費やす。
その中で天才と呼ばれた
神器ヨモツヒラサカを、投げた。
向かう先はウメの元である。
「ほわぁ?」
さすがにサトコが派手に動いたのに気付いた様子だが、河童は抵抗も妨害もする様子がなかった。
完全に、サトコたちを格下だと思っている。
舐めていない。侮ってもいない。見下してもいない。
ただ、単に事実として下であり、それは疑いようもなかった。
だから、河童は『見守る』という選択をした。
……それは、この河童が、かつて帝の祖が使った三種の神器と対面したことがなかったせいでもあっただろう。
歴史の上での偶然と、どう考えてもサトコたちが格下であるという事実が……
ヨモツヒラサカを、ウメの手の中に届けた。
何が起こるのか?
……いきなりドームが砕けたりは、しない。
いきなり河童が倒れたりも、しない。
ヨモツヒラサカは勾玉である。
その効果は一言で言ってしまえば……
ジェネレーター。
魂を
できることは特殊でもなんでもない。
ただ、所持者の神威量を純粋に強化するのみである。
「っああああああ!!!」
ウメが叫び声を上げながら、河童に殴りかかる。
「ほわぁ!?」
河童は、その攻撃を慌てて回避する。
……ただ単に神威量を強化された剣士がどういう存在になるか?
剣士は神威によって身体を強化する。つまり……
ただ単純に強くなる。
「…………お前、殺す」
術式、術理、知ったこっちゃない。
剣聖と氷邑
ただ単純に神威量を増やした速度と力で、殴りかかる。
あまりにもパワーすぎる解決法。
しかし、紛れもない、格上と強引に並ぶための、この場でとれる最善手。
勾玉を握りこんだウメが全身に神威を巡らせる。
それを見て河童は……
「あらぁ……戦いになっちゃいますねぇ」
杖を構えた。
圧倒的格下が神器の力を借り、圧倒的格上に殴りかかる。
接敵から十数分。ようやく、『戦い』が始まる。
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