第105話 プール・パレード 一幕の三

 氷邑ひむら梅雪ばいせつ参戦決定──


 と、ほぼ同時、声が投げかけられた。


「下がっていなさい。あなたはまだ、この戦いにかかわるほどの実力がない」


 声の主は剣聖シンコウ。

 蜂蜜色の髪の優美な女の顔には、困ったような微笑が浮かんでいる。


 それは、不注意から騎兵車の前に飛び出そうとする幼児の肩をそっと抑えるような、あるいは大一番を前に緊張する若者をたしなめるような、そういったが滲む声だった。


 ゆえにこそ梅雪にとって


「なんの権利があって、貴様がこの俺の決定に異を唱える、変態女ァ!」

「もちろん

「……」

「気概は買いましょう。けれど、事実、。下がっていなさい」

「…………この俺に」

「はい?」

「この俺に、師匠面をするな!」


 梅雪が神威かむいにより剣を形成し、異界の騎士ルウへと斬りかかる。


 ルウは──


 ため息をついていた。


「一度、見逃そう。ゆえに」


 ルウは無造作に右手の剣を振る。

 後方から斬りかかってきた梅雪の進路に合わせた、下から上へと振り抜く逆風さかかぜの太刀。


 黒い刃が振り抜かれる軌跡。それを予測した梅雪は、シナツの加護も利用して横へ回避する。


 だが……


「っぐぅ……!?」


 避けたはずだった。

 直撃は、避けたはずだった。


 だが、剣が巻き起こす圧のみで、梅雪の全身が強く叩かれ、吹き飛ばされる。


「ご主人様!」


 ウメが駆け寄る場所で、梅雪は……


「が、ハッ!」


 その場にうずくまり、血の混じった反吐を吐き出す。


 その梅雪の耳に、「ふう」という吐息が届く。


 異界の騎士ルウのものだった。


「私とて好んで子供を殺すことはしない。だが、戦う気概と武力を持つ者であれば対処せざるを得ぬ。だから、一度だけ見逃す。。さっさとここから去るといい。何せ……。私が望むが、望むまいがな」


 言うとほぼ同時、ルウの周囲に黒い神威が集まり始める。

 それはだんだんと人の形に凝固し……

 全身真っ黒な、西洋鎧姿の一軍を形成していく。


「ああ、始まってしまった。……我々の背負った怨念が、期待が、こうして。ゆえに、ここは戦場になるのだ。だから逃げるといい、無力な子供らしく」

「き、さ、まァ……!」


 梅雪は熱くなった頭で、彼我の実力差を認識していた。


 そして認めてしまうのだ。

 剣聖の言葉、異界の騎士ルウの言葉、


 先ほど、ルウの剣は確実に避けた。

 それでも全身を叩き、体の奥にまで致命の損傷を与えてくる一撃……


 覚えがある。


 あれは、

 父が少しばかり力を解放すると、その剣撃は『線』ではなく『面』になる。

 ただ刀を避ければいいというだけではない。優れた剣士の一撃は、刀の周囲にまで衝撃をまとう。ゆえにあの領域の剣士を前に『紙一重の回避』というのは通用しない。


 しかし、剣聖は紙一重で回避し、あるいは、受けながら逆らわずに威力を利用し反撃している。


 技量の差。


 実力の差。


 二人に有言、無言で言われた通り。

 氷邑梅雪には、──


「場所を変えましょう」


 剣聖が提案する。

 もちろん相手は、異界の騎士。


 二人の目にはもう、梅雪は、『危ない場所のそばでうろちょろする子供』としか映っていない。


 それが、それが……


(ふざけるな……)


 梅雪には、あまりにも屈辱で……


(ふざけるな……!)


 けれど……


(ふざけるなよ、貴様らァ!)


 ただの一撃。それも、直撃を避けたにもかかわらず、剣圧だけで、声も出せないほどのダメージを負わされた。

 膝をついてうずくまり、口から血反吐を垂らしながら、にらみつけるしかできない。


 その梅雪の前で、異界の騎士が剣聖に斬りかかり……

 剣聖はその攻撃を受け、衝撃を利用し移動。


 二人してどこかへと去って行く。


 梅雪は、二人のいた場所をにらみつける。


(許さん……この俺を見下し、弱者のガキ扱いしたこと、絶対に許さんぞ……)


 周囲には『参集した怨念』。ゲーム剣桜鬼譚けんおうきたん的に言えば、指揮官ルウに侍る兵力ども。

 異界の勢力であるルウは、通常の『徴兵』コマンドにより兵力を増やすことができない。

 であればどのように兵力を確保するかと言えば、その仕様はほぼ大辺おおべと同じ。戦いのたびに最大数まで勝手に増える。


 大辺の場合は海神かいしんからその身じろぎによって起こる飛沫たる海魔かいまを借り受けていた。

 だが異界の騎士ルウの場合、その兵力はすべて、彼女の神威から湧き出る、彼女がかつて殺したことのある者どもの怨念とされている。


 その怨念たちが、うずくまり血反吐を吐く梅雪を、梅雪を支えようとする丸腰のウメを、そして背後でおろおろする夕山ゆうやまを、さらに武装を手放した状態のサトコと、そのそばに立つヒラサカを見ている。


 異界の騎士ルウは好んで子供を殺すつもりはないと述べた。

 だが連中は自分の世界から異世界転移し、クサナギ大陸を新たな領土とすべく訪れた尖兵。侵略者なのだ。


 好んで子供を殺すつもりはない──これは、騎士ルウの矜持ではあるのだろう。

 だが、──これが侵略者としての本音なのだろう。


 梅雪は、かすれた声で、つぶやく。


「……許さん……この俺を見下した罪、万死に値する……!」


 よろめきながら立ち上がる。

 吹き飛ばされた時に砕けた剣を、再び神威によって形成する。


「追いついてやるぞ、異界の騎士……! この戦いで! 今、ここで! 貴様らの領域に至ってやる……!」


 右に一刀、左に一刀。

 あの二人の戦いは、一瞬だが、確かに見た。

 たった二合の打ち合い。しかし、梅雪の目にかかれば、それだけでも常人の修行数年分に匹敵する経験値となる。


 追いつける。

 否。


 


 そのためにまずは、目の前の敵を喰らう。


 逃げながら戦う剣聖シンコウと異界の騎士ルウ。

 それを追いかける氷邑梅雪。


 こうして、大嶽丸の隠れ里全土を巻き込んだ戦いが、本格的に幕を切って落とす。

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