第74話 『酒呑童子』討伐・春の陣 三

 状況はまずい。

 だが、氷邑ひむら梅雪ばいせつは冷静であった。


 イバラキは案の定、散発的に、ばらばらと海魔かいまを放ってきた。

 数は一回で多くとも百、平均的には数十で、少ない時など五体ほどだろうか。


 


 なるほど海魔を放っている大辺おおべ神威かむい量は、恐らく、余裕を持てば一日に二千ほど、限界まで絞り出せば五千の海魔を放てるといったところか。

 その『余裕を持って放てる数』である二千を、数体から百体ほどに分けて、昼夜問わずばらばらと遣わす。

 当然、戦えば余裕で勝てる。だが、襲撃であるので対応しないわけにもいかない。


 すると二十四時間気を張りつめなければならない家臣団は、こう思う。


「なんで俺たちが氷邑まで守らなきゃならないんだ」


 小さな呟きではあったが、使。なので離れたところでぼやく家臣団の声も、かごの中ではよく聞こえた。


 なんでとは言うが、因果関係ははっきりしている。

 そもそも七星ななほし家が氷邑家に救援を依頼し、梅雪とウメとアシュリーはそれに応じている立場である。

 しかも帝都騒乱解決の功労者であるので帝の覚えもめでたいから、どうにか見分役をしてもらえないでしょうか(実際の手紙はここまで下手に出てはいないが)ということでの招聘しょうへいである。

 七星家としては家の威信を懸けて、このをもてなし、守り抜くべきだ。

 因果関係は以上のようなものであり、『なんで』がわからない無能はここにはいないはずであった。


 だが、山歩きを数日も繰り返し、昼夜問わず謎の化け物の襲撃を受け続けて、心身の疲弊しきった者に、そんな道理は通用しない。


 人間は疲労やストレスなどで思考能力が落ちると『快・不快』のみで物事を判断するようになる。

 むしろ、疲労状態になくとも、多くの者はこういう基準で物事を判断しているとさえ言える。


 ここに集う三十名の家臣団は七星家の中でも文武に優れたエリートだ。

 なぜならば侍大将に直接率いられ、大江山おおえやまこうという、家の名誉を守るための戦いに、後継者に帯同し遣わされる者たちだからである。


 それでも『敵地で』『山歩きをし』『昼夜問わず襲撃され』『襲撃自体は苦も無く撃退できる』となれば、疲労とストレスと慢心とでこの有様だ。


 健全であること。挑戦すべき適度な難易度の課題があること。あるいはなんの疑問もなくただ行動できるほど上の者に心酔していること。

 極限状態で不満を出さずに軍事行動をするにはこういった条件が必要になる。


 しかしイバラキは散発的な襲撃により健全さを奪い、海魔の弱さは挑戦すべき課題としては立ちはだからず、現在は上の者への心酔もない。


 何かきっかけさえあれば、家臣団と梅雪との間に大きな亀裂が入るだろう。


 そして……


「おおい! おおおおおい!」


 山の向こうから、声がする。


 昼間である。山道とはいえ、そこらに花が咲き誇る大江山『春』の領域は、雪が目にちらつく『冬』や紅葉が常に舞い散り続ける『秋』よりは視界がいい。

 その中で、この明るい時間に声をあげながら近付いてくる者など、敵であるわけがない。


 遭難者か、と思う者は多いだろう。

 だが、梅雪はこう考えた。


(放たれていた矢が、いよいよこの俺のもとへ到達した、というところか)


 梅雪をこの大江山行のリーダーと見た場合、家臣団と梅雪の間には最初から亀裂がある。

 それを休む間もない襲撃によってじわじわと広げていき……


 分断する、ためには。


「抵抗しない! 話を聞いてくれ! !」


 いかにも山賊といった風体の者が、無手であることを示すように両手を大きく振りながら近付いてくる。


『彦一をこの集団から』ではなく、『梅雪と家臣団を』分断するためには──



 山賊団『酒呑童子』を倒すためにという目的でどうにか固まっていた集団に、ということを、はっきりと示す。

 するとリーダーの選び直しが起こり……


(なるほど、彦一のみを分断するのではなく、俺と七星家家臣団を分断する策、つまり……


 ◆


 大辺おおべは問いかける。


「それで、イバラキ。今は何をしているところなのです?」


 イバラキはテーブル代わりの木箱の上に、色のついた石を置いていた。


 その石は『そのへんに落ちてた、色みがはっきりしたただの石』であり、それは白っぽいもの、黒っぽいもの、そして灰色のもの、と三種類あった。


 イバラキが並べた白い石のは三十四あり、そのうち一つはそのへんに落ちていた木片の上に乗せられている。

 それを指して、イバラキは言う。


「これが、かごに乗ったもの、つまり、あの一団の守っている……『尊いお方』です」


 イバラキは自我の大部分を『海』に沈められており、感情らしきものが声ににじむことはない、はずだった。

 だが、今、『尊いお方』という言葉を口にしたイバラキの声音には、かすかな感情がにじんでいる。


 大辺はその点を気にしたが、しかし、支配は完全に入っている。ゆえに、話を続けさせた。


「この『尊いお方』は、酒呑童子征伐の頭目であるはず。家臣団はこれを守りつつ、酒呑童子、すなわち頭目であるオレを倒しに来る」

「それで?」

「しかし、この『尊いお方』こそが、巫女様の言う『氷邑』であるから、『これ』と、あの馬鹿強い金髪の男とを分断せねばならない。……そこで、を見て、一計を講じました」

「それは?」

「元酒呑童子のを、この一団に接触するように仕向けました」


 イバラキが大辺の命令でホシグマを倒した時、まだ生きていたトラクマに対し、イバラキは『逃げろ』と絞り出すように言った。

 


 トラクマの性格を熟知していたイバラキは、明らかに大辺に操られているように見える自分が、そのようにしたならば、トラクマはきっとなんとしても自分を助けようとするだろうと考えた。


 そしてトラクマが知る範囲で、大辺と海魔、それからイバラキに勝てるような兵力は、


 ゆえに、今、ここで起きていることの情報を持ってこの集団に接触するだろうと考えた。

 相手を滅するために、その要素は利用価値がある。


 なので手間もなく処理も簡単という理由で放ったであったが……

 うまいこと、敵の方に飛んでくれたらしい。


 途中まで海魔で監視させていたから間違いない。

 さらに、散発的に少数の海魔を氷邑家のヤツにぶつけることで、氷邑家の現在地の把握も密にできている。


 あとはトラクマをそちらのほうに誘導してやれば、情報を持ったトラクマが氷邑家家臣団に接触すると、そういう単純な仕掛けであった。


 そして……


「で? わざわざ情報を持ったヤツを敵に接触させた理由は? こちらの情報といっても、すでに海魔は放っていますから、いつもの『酒呑童子』と様子が違うことなど、誰もがわかると思いますけれど」

「ところが、サムライはそうではありません」

「……サムライが馬鹿だと? それはさすがに、あなたの願望が出すぎている」

「いいえ。サムライはさぶらう者なのです。そして、これを指揮するというのは、命を預かる者なのです。つまり、

「……」

「そして『敵がいつの間にか様変わりしている』というのは、大きな情報です。連中は戦略を練ります。戦略に応じて出す兵力や、を決め、しつこく議論を重ね、準備を整えて、ようやく出撃します。ところが、敵が最初の想定と全然違う者になると、と考えます」

「しかし、すでにここは、連中にとっての敵地です。そこまでのんびりとした行動を選びますか?」

「選びます。連中には『のんびりしていい理由』を与えている」


 散発的な海魔の襲撃によって、いくつもの効果をイバラキは出している。


 視覚共有による、相手の細かい現在地の把握。

 散発的な襲撃による、心身への負荷。

 そして、『気を抜いていても倒せる弱い敵しか放ってこない』ということを学習させ、安心、あるいはを覚えさせる。


「サムライは誇り高い生き物です。ゆえに、。それは『慎重』と呼べる性質です。が、『気を抜いていても倒せるような弱い敵しか出ない状況』で、『戦略の立て直しさえいとうような指揮官』は弱腰となじられる。だからこそ、連中は必ず戦略の立て直しをする」

「……」

「その結果、籠に乗った指揮官は、少数の護衛をつけられて帰されるでしょう」

「……あまりにも愚かでは?」

「海魔は戦力的に言えば、相手が三人や五人でも倒し切れません。相手にそう思わせるように、地形を利用せず、攻めかかる時には必ず力押しをさせました」

「……」

「だからこそ少数の護衛をつけて、『尊いお方』を帰そうとする。なぜなら家臣団は『尊いお方』に思うところがあり、その『尊いお方』に好意的で忠義を感じさせる金髪の大男も、『それが尊いお方にとって安全な選択ならば』呑むことでしょう」


 大辺は、知らず拳を握りしめていた。


 イバラキは支配している。

 だが……語っているうちに、イバラキの顔に、かすかな笑みが浮かび始めている。


 それは、憎き相手を罠にはめる者の、悪辣あくらつなる笑みであった。


 その笑みに、思わず、大辺は恐れを抱いたのだ。


 ……支配されているイバラキは、語る。


「あるいは、家臣団は全員、金髪の大男について行き、『尊いお方』には、獣人と騎兵のみがつくやも。……亀裂を作り、くさびを打ち込み、分断する。。けれど、これだけでは殺し切れない。。力なき我らでも踏みつぶせるぐらいに」


 これまで誰にも説明されることのなかった、イバラキの頭の中にある『方法』が開陳されていく。


 それは地形や戦術ではなく、心理で相手をバラバラにする方法。

『酒呑童子』が帝内ていないで恐れられた理由たる、イバラキの戦術が、じわじわと梅雪たちに毒を広げていく。

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