第73話 『酒呑童子』討伐・春の陣 二

 イバラキはもともと『迷宮の露払い』であった。


『迷宮の露払い』というのは、領地に迷宮を抱えた大名が、迷宮攻略の際に連れて行くのことだ。

 迷宮というのは通常、中位から上位の才能を持つ剣士であっても命懸けとなるほどの危険がゴロゴロ転がっている。

 そういう場所を先行させて、強い魔物と出会った時には攻撃を受けさせて相手に隙を作ったりもする。もちろん、撤退の際に時間を稼ぐことなどもさせる。


 しかし『迷宮の露払い』はたいてい、訓練をつけてもらえるわけでも、いい装備をもらえるわけでもないし、そもそも志願制でもない。


 というのも、訓練を積んだ武士団などのように、を同行させると、加護を持ち逃げされる可能性がある。

 そこで『危険は避けたい。しかし、あまり強者を連れても行けない。だから、死んでも惜しくない者をたくさん連れて行く』という思考の末にたどり着いたのが『迷宮の露払い』と呼ばれる過酷な役割に任じられる奴隷であった。


 たいていは犯罪を犯して奴隷堕ちしたものが刑罰として『迷宮の露払い』になる。

 逃げれば後ろからついてくる領主剣士と、領主が本当に信頼する少数の家臣剣士に殺される。しかし、進めば危険がある。じゃあ、どっちがマシかと言えば、──そういった心理を利用した刑罰だ。

 なお迷宮攻略が完遂した際には恩赦が与えられるなどのエサをちらつかされることもある。その約束が守られた事例は記録には一件しか残っていない。


 その一件は剣聖シンコウである。

 現在、剣聖シンコウが野放しになっている理由は、シンコウに勝てない大名家が『迷宮攻略後には奴隷に恩赦を与える』という約束を持ちだしてというわけだ。

 もちろん、自分たちのプライド、家のメンツのための言い訳である。


 ともあれ特例を除いて『すなわち死』と言って過言でない『迷宮の露払い』。イバラキはそれであった。


 基本的に犯罪奴隷がなる役割ではあるが、イバラキは物心ついた時にはこの役割についていた。

 天狗エルフ、獣人、河童ウンディーネ、そしてドワーフなどが人間の領地で見つかると、その人種であるというだけで犯罪者のように扱われることもある。

 イバラキが迷宮の露払いになった背景はそういったものではあるが、人間の子供と半鬼とは見分けがつき難いこともあり、イバラキの父あるいは母がで、それをが鬼であったというのを、大名家がつかんでいた。ゆえにイバラキは半鬼だと判明していた──という裏事情もあった。


 その血統あって、彼女は剣士としての才能に目覚めていた。

 ただし甘く見積もって中位という程度の才能である。同じ山賊で言えば、『城壁割り』や『騎兵殺し』などには個人の武勇において遠く及ばない。才能でも、技術でもそうだ。もちろん体格など、子供なみのイバラキと、大人の中でも大柄なあの連中とでは比べ物にならない。


 それでも帝の膝元である帝内ていないにおいて、『酒呑童子しゅてんどうじ』より恐れられた山賊団がなかったのは、イバラキの天性の才能──によってであった。


 分析能力とは、どういうものか?


 大江山おおえやま『夏』の領域。


 イバラキは、すでに『春』の領域に入った侵入者どもへの対策を考える。


(戦力、過大。正面突破では五千いても勝てない)


 ひと当てしたことで、イバラキの中には情報があった。


 まずは戦力情報。


 はとてつもなく強い金髪の大男がいる。

 あれを海魔かいまで倒すのは無理だ。兵力をつぎ込めばつぎ込んだだけ潰される。


 家臣団。

 たった三十名ではあるが、連携がとれた剣士たち。

 包囲奇襲でどうにかなりそうな雰囲気もあったが、持ち直してしまった。


 籠を守る者たち。

 巨大な金属の塊……騎兵が一体、そして剣士と思われる半獣人奴隷が一人。

 実力のほどは戦っていないのでわからないが、、家臣団の平均よりは確実に強いのだろう。少なくとも、半獣人の方は。


 イバラキの分析能力は、


 。それをどうやって倒してきたかといえば、地の利の利用、そして人間関係看破による分断と不和による弱体化からの各個撃破である。


 これはイバラキが『迷宮の露払い』から逃げ出した時にはすでにやっていたことであった。イバラキは言葉ではなく行動によって、領主大名の疑心を煽り、それが連れていたの反発、家臣同士の不和を煽り、奴隷たちを操作し……

 簡単に言うと逃げ出したと、そういうことをしてきたのである。


 大江山において、これまでは部下に見させてその様子を細かく語らせるということで相手の戦力や人間関係を想像によって分析してきたが、今回は海魔の視界で直接相手を見ることができる。


 ゆえに、イバラキは、氷邑の軍勢の人間関係を分析し終えていた。


、慕われてねぇな)


 深い深い『海』の中から、イバラキの自意識が浮上する。


 海の中に散逸した感情が戻ってくる。

 それは、『ざまあみろ』という感情であった。


 イバラキは、偉そうな武士が大嫌いだ。

 これを見たら必ず惨たらしく殺すと決めている。


 そのは、『海』という大きなものの一部になったことで薄れていたが……

 大江山にて戦術について考えている今、少しばかり、イバラキそのものが戻りつつある。


(安全な籠の中からわけのわからねぇ、思いつきみたいな命令だけして、ただ偉そうにしてるだけのヤツなんざ、慕われなくて当然だ。テメェには惨たらしい死を与えてやるぜ。そうだなァ……なんてどうだ?)


 それはイバラキが最初にやった手口であった。

 イバラキを所持していた者は、才能と家柄を鼻にかけるクズであった。思いつきそのものの指示をし、指示を平気でひるがえし、周囲には自分をおだて、自分を否定しない者ばかりおいていた。

 その狭い世界でお山の大将をしているくせに、自分がいる世界が狭いとわかっていない様子が、

 だから、思い知らせてやった。自分が周囲からどれだけ嫌われているのか。自分のやらかしてきた、自分にとって『当然のこと』が、どれだけ周囲に憎悪をため込ませていたか。


 イバラキは偉そうな武士を見るたびにその時の憎悪を思い出すし、その憎悪を謀略によって解放し、調子に乗っていたクソムカつくヤツが情けない悲鳴をあげて逃げまどい命乞いをする時に、と思って胸のすくような気持ちを味わうことができる。それが、好きだった。


 ゆえにただ殺すのではなく


(まずはあの金髪の大男を引きはがすか)


 相手の兵力がこちらより精強かつ過大であることなど、


 そして自分たちより強い相手を倒す方法など、混乱・分断・欺瞞しかない。


 戦術好きな連中ならば、いちいち『これは〇〇という軍略書にあった〇〇という計略で』などと似たようなやり方の名前を来歴付きであげつらうのかもしれないが、イバラキはそもそもそのような教養はなく、別にでもない。


 ゆえにイバラキの計略に名前はない。彼女にとって計略とは、ただただ自分たちを脅かす外敵を殺すためのもので、クソムカつくヤツを惨たらしく殺すための道具でしかない。


 集団を集団として見ず、個々人の人間関係を見る。

 そして観察しただけでその感情の向きを看破する。イバラキの武器は分析力であり……


 何をしてでも生き残るという意思。それに、何をしてでもという意思。


 ……だが、今のイバラキは。


(さて、海魔を何体ぐらい潰すことになるかな)


 生き残らせる意思はない。

 なぜなら海魔は海底に眠る大いなる者の起こす飛沫しぶきにしかすぎず、大辺おおべ神威かむいの限り呼び出せる道具でしかないから。


 そして、生き残る意思もない。

 今のイバラキにとって『死』とは『何かの間違いで芽生えてしまった個性がなくなり、海の一部に還ること』であり、海への帰依は今の彼女にとって喜びでさえあった。


 何も守らなくてよくなった計略が、梅雪ばいせつに襲い掛かる。


 それは『枷がなくなり、強くなった』ということなのか。

 それとも……



 氷邑梅雪は考える。


(さて、


 相手の立場に立ってみれば、彦一を引き離すのは必須である。


 何せ彦一は精神を乱さない。主人を裏切らない。そして戦力は無双である。

 敵が山賊や海魔だけであれば、そもそも家臣団も梅雪も必要ない。彦一ひこいち一人を大江山に放り込むだけで全部終わる。


 だが、大江山こうが一日では終わらないというのもあり、ただの一人では隙が出来すぎる。ゆえにこそ七星ななほし家は彦一に家臣団をつけたのだろうが……


 梅雪の見立てでは、彦一が一人であれば、


 彦一は強い剣士だ。だが殺せば死ぬ。そしてたった一人でいる者を殺す手段など、相手の強さにかかわらず、限りない。


 梅雪は父・銀雪ぎんせつのような化け物がどうやって暗殺されるのかを考え、それを防止しようとする身である。

 ゆえにわかるのだ。

 だからこそ『氷邑家』は『氷邑』なのだ。そして氷邑家という、戦力的には全部合わせても銀雪に届くかわからない連中こそが、銀雪の命を守るための盾であり……ここから分断されれば、銀雪でも死にかねない。


 ゆえにこそ仲間たちと協力していかねばならない。

 しかし、彦一という存在について、気になるところが一点ある。


(あいつは、。剣士ゆえの体力があるから平気と思っているのであろうが、さて、俺なら彦一の責任感の強さ、誠実さ、それゆえの常に気を張り、すべてのことに責任をとろうとするあの気高い精神性を突く、か。では、その責任感で彦一を振り回すためにとるべき手段は……)


 分断や不和というのは、人品にんぴんの悪さによってのみ起こることではない。


 むしろ


(……持久戦、か)


 、進行方向に海魔どもが現れる。


各々方おのおのがた、戦闘準備ィ!」


 相手に気付いた彦一が叫び、家臣団が構えをとる。


 しかし気合一声の彦一とは裏腹に、家臣団の動きは微妙に鈍い。

 山歩きで疲れているというのもあるだろうが、それ以上に、


 実際、家臣団からすれば、海魔が千いても相手にならない。

 そして今現れたのはせいぜい百程度。


 ゆえにイバラキは、兵力より先に、『やる気』を削りに来たのだろう。


 

 そして、


(さらに、家臣団は俺に対して反感を抱いているときている。なァ。なるほど、酒呑童子の計略だ。これは大辺ではない。イバラキのやり口であろう)


 それぞれの細かな違い。苦戦の最中においては一丸となるだろう人たちの中にある小さな不和。それを煽るための計略。


 イバラキとの戦いは、どうやら、今この時から、本格的に始まるようだった。

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