第75話 『酒呑童子』討伐・春の陣 四
(しめしめじゃのう……)
というのも、周囲の様子がおかしくなってきているからだ。
織は現在、
一時は梅雪の婚約者、つまり『嫁に出す女』であったが、生まれついての
しかしひょんなことから梅雪と再会する羽目になり、相変わらず性格が悪い梅雪に一瞬でやり込められて、籠の中でおもらしする超・屈辱的失態から始まり、七星家家臣団の指揮権を奪われ、さらに籠の中では椅子になり肘掛けになりと、人の扱いをされていない。家具の扱いである。
そして現在の周囲の様子である──チラッと見たところ、どうにも山賊団が降伏してきたようで、その扱いを巡って? 家臣団が梅雪に不満? がある? ない? どっち?
(まあ、なんか、気まずい空気じゃから、ヨシッ!)
とにかく梅雪に少しでも居心地悪い感じになってほしいというのが今の織の願いである。
というか当たり前のような顔をして指示など飛ばしているのだが、梅雪はそもそもゲスト。織がそもそもホスト。そして周囲の兵力は十割が七星家家臣団。つまり織が指揮権をとるのが順当なのだ。
しかし織は実戦経験がない。
たいていの大名家当主やその後継は実戦のための訓練を積むのだが、七星家は特殊な家で、当主の役目はだいたい、家に引きこもってたまに『
さらに言うと織は実戦訓練が好きではないので、サボッていた。結果、戦いのこと、なんもわからん。
なので七星家が代々そうしているように、戦場での指揮権は侍大将に完全に任せている。
ところが困ったことに、その侍大将が梅雪に指揮権を認めているというのが、現在のわけわからん状況のすべてであった。
(これでうまくすれば、
このように企みの目標が低いので、ゲーム
さて織がそのようにほくそ笑んでいる周囲での空気は、織が思うよりも相当に大変な状態であった。
降伏してきた元『
その周囲を剣士が十人もの人数で、剣を抜いて囲んでいる──という状況だ。
剣士が十人で取り囲むというのは明らかに異常事態であり、それだけ
そして残る二十人と侍大将・七星彦一は、籠のそばで議論を交わしている。
内容は二つ。
山賊どもの扱いと、大江山行を続行するか否かだ。
「先ほどキンクマを名乗る者らは斬り捨てた。このたびも斬り捨てるべきであろう」
「だが、降伏してきた者と、我らに歯向かった者とで扱いを変えぬのは、今後、七星家が与える恩赦への信頼を……」
「今はどう考えても緊急時だ! そのように政治的なことを気にしている場合ではない!」
「であるからこそ、一度、家に戻り本家に指示を仰がねば!」
山賊は、発言権がない。
だが、侍は、家の方針を決める際には意見を述べて当然と思っている。
多くの場合、大名家は、その大名家に仕える複数の家を内包した集団であり、侍というのは、一人一人が家を代表している身である。
ゆえに彼らの行動には忠義や大名家の方針も大きくかかわるが、同じように、自分の家の方針や立場というのも大きくかかわる。
だからこそ、意見を言っておかねばならないのだ。もしもまずいことになった時には『私は反対しましたよ』と言えるように。もしもいいことになったら『私は賛成していましたよ』と言えるように。
何も背負うものがない山賊との違いはそこだ。
サムライは意見を言う。特に、なんらかの方針を急激に変換するかどうかの節目ほど、活発に意見を述べなければならない。なぜならば彼らは、大名家の威信と同様に、自分の家の命運も背負っているのだから。
なるほど、これで意見が紛糾し山中という補給なき場所で『活発な議論』によって時間を浪費するのであれば、ここをホームとするイバラキにとっては儲けもの。
意見の相違から集団が分断されるのであれば目論見通りといったところ……
なの、だが。
状況は
少し違って……
(……思ったよりぬるい一手だったな?)
梅雪の知らない情報──
それはトラクマを使って策の一助としようとしたイバラキによる芝居であった。だが、トラクマはイバラキの思惑通り、梅雪たちに助けを求めて来た──というのが、現状である。
しかし梅雪は、イバラキが未だにトラクマを配下としていると思っていた。
普通に考えて、イバラキを支配できたなら、配下の『酒呑童子』をそのまま使えばいいのだ。幹部をわざわざ殺すなど理由がわからないし、だから、イバラキの策略を秘めてトラクマはここに来たと、梅雪は考えていた。
ところが
これは大辺の好みが大きくかかわっている。
ヤツは男が嫌い、特に汚い男が嫌いで、幼げでかわいらしい清潔な女の子が好きなのだ。だから汚い男たちを遠ざけた。言ってしまえば性癖(誤用)の不一致により山賊団は解散したのだ。
梅雪もゲーム知識で大辺の好みは知っているが、ここまで好みを優先して戦略を捨てるなどとは想像の埒外である。
ゆえに『酒呑童子』はまだイバラキに手綱を握られていると考えており……
「元『酒呑童子』を名乗る者どもに問う」
梅雪が発言した瞬間、家臣団の議論が止まる。
籠から梅雪が放った声はどう聞いても子供のものであった。
だが、トラクマたちは侮るような顔はせず、黙って言葉の続きを待つ。
梅雪はその予想通りの反応に「ふん」と鼻を鳴らし、続ける。
「貴様らは、イバラキに命じられて、我らをどこかへ連れ出そうとしていたわけではないのか? イバラキの策を授かり、そこの
これに答えたのは、山賊たちの中でもひときわ大柄な男であった。
長い、ゆるやかにウェーブした髪で片目を隠した男である。
そいつは、口を開き、しばらく止まり、それから、ようやく声を発した。
「ち、ちが、う。我ら、イバラキを、奪われた。ゆ、ゆえに、我、ら、イバラキ、を、取り戻す、べく、力を、借りに、参った。生死は、問わん。ど、どう、か、イバラキを、解放して、やって、ほしい」
「そのために何を差し出す?」
「い、命、を」
梅雪は笑うように鼻を鳴らした。
だが、梅雪には、その、声を発することにいかにも不慣れそうなしゃべり方をする大男の意思が本物であることがわかる。
なぜなら、そいつのステータスが見えるから。
全員ではないが、そこで覚悟を決めたように座る山賊団のうち何名かは、大男──トラクマと同様に、命懸けの覚悟があるようだった。
策略を授けられてここに遣わされた『イバラキの矢』であれば、この覚悟はありえない。
つまりこの連中は、本当に、イバラキを支配した者……すなわち海神の巫女・大辺への報復と、イバラキを殺してでも救済することを願っており、それに命を懸けるつもりでいるのだ。
だからこそ、呟く。
「……つまらんなァ」
そこには怒りが籠っていた。
梅雪は、イバラキと軍略の勝負をするつもりでいた。
ところが、それに水を差す愚か者がいるらしい。
大辺。
海神の巫女。
出会えば斬ると決めている相手ではあるが、梅雪は海神の信者どもとの直接の因縁はない。
因縁があるのは祖父の
ゆえに、梅雪の海神の信者どもへの殺意は、祖父の死亡の遠因となったという理由で、いわば『氷邑家の悲願としての殺意』でしかなかった。
梅雪個人はまだ、海神の信者に思うところはさほどなかったわけだが……
「実につまらん。三流がつまらん足引きをしおって。……この俺の楽しみを奪うなよ下郎。万死に値する」
今、この時より、大辺は梅雪の個人的な殺意を向けられるに至った。
梅雪はさらに考える。
(このお粗末な一手は、『酒呑童子を切り捨てる』という大辺のアホな決定だけが理由ではなかろう。俺と家臣団を分断する策のはずだが、連中の想定とこちらの想定にズレがある。それは……)
どうにも山賊団を放つことによって、事実を確認させ、意見を紛糾させ、方針をばらつかせ、あるいは『撤退して本家に報告する者』『このまま進んで三種の神器を取り戻す者』の二種類に分断しようという目論見があったのだろうが……
イバラキには、知らない大きな情報が二つほどあるようだった。
(やつめ、この籠に七星家の後継が乗っていることを知らんな?)
山に入ったころにはもう、梅雪は織を椅子にして籠に乗っていた。
ゆえにこの籠には梅雪しかいないと向こうが誤認している可能性がある。
下手すると、周囲を囲む家臣団も氷邑家家臣団だと思われているかもしれない。
(七星家の後継者が籠にいる限り、七星家家臣団は二つには分かれんぞ。織には必ず彦一がつく。そうすると分断されたもう片方の指揮官がいなくなる。さすがに指揮官なしでは行動せん。そして氷邑家は氷邑家だけでは進まん。あくまでもこれは七星家のサポートだからなァ)
とはいえ、興が乗れば氷邑家は氷邑家だけで活動することもありうる。
だが、今のところその予定はない。
そして……
(イバラキのやつ、この一団をいつもの酒呑童子討伐隊だと思っているな?)
イバラキは常識知らずなことをアピールするエピソードをいくつか持っている。
そのうち一つとして、クサナギ大陸に住まう者であれば誰もが知る神器アメノハバキリの剣のことを知らないというものもある。
これは酒呑童子を討伐する、『いざとなれば逃げ出す軍』ではないのだ。
七星家が縁者である七星
まあ、家臣団の中には『いったん帰ろう』とか言い出す、状況が見えていない者もいるが……
「
梅雪の発言によって会議が止まったところで口を開くのは、獅子のごとき分厚い男、侍大将・彦一であった。
注目がそちらに集まる中、彦一はしばし沈黙してから、口を開く。
「まず、撤退はありえん。我らは神器奪還を企図し送り込まれた必殺の部隊。相手がなんであれ、神器を奪還、もしくは所在の確認をせぬままに帰ることは許されぬと知れ」
彦一にしては静かな声だ。
だが、それだけに奇妙なまでの重圧がその声にはあり、反対意見を述べようと口を開きかけた者も、あまりの重苦しさに口を閉じた。
「加えて述べる。各々方、今一度思い出していただきたい。我らは戦場において許されぬ失態を、始めの時点ですでにいくつも犯している。織姫様を含め──」名家の令嬢は姫様と呼び称されることが多い。「──我らは心よりの謝意を氷邑家へ示さねばならん。そのことは、変わっておらぬ」
「しかし彦一様! この者は我ら七星家家臣団を顎で使っているのですぞ!」
「それがなんだ」
眉間にシワが寄ると、彦一の顔は一気に猛獣の気配が濃くなる。
あまりの迫力に、口を開いた家臣団の剣士は「そ、それは、その」と視線を下げてしまう有様であった。
「我らに実戦の経験がさほどないのは、まったくもって真実である。我らは氷邑家に教えを乞う立場であり、実戦経験で言えば、帝都騒乱を乗り越えた氷邑家に遠く及ばぬ。ゆえに、伏してお願い申し上げ、指導を乞うのが我らの立場。違うか」
「彦一様は……氷邑家の味方なのですか」
「まだわからんのか。思い出してみよ。氷邑家の梅雪様が、何をなさったか。混乱の渦中にあった各々方を落ち着かせたであろう」
「それだけではありませぬか!」
「それだけのことがなければ、何人が死んでいた?」
「……」
「戦場にあって冷静であるということは、それだけで強みであり、各々方は持ちえなかった資質である。この彦一もまた、化け物どもへの対処に必死になるあまり、各々方にまで気を配ること
大きな声で檄する様子、暑苦しいほどの勢いで詰め寄る様子。そのどちらとも違う、淡々と理路整然と言い聞かせる様子の彦一に、家臣団はすっかり反する言葉と意思を失ってしまった。
梅雪は喉奥で笑う。
(イバラキよ、もう一つ、貴様の知りえぬことがあったようだぞ。彦一の強さだ)
熱血なだけではなく、精強なだけではない。
冷静で、何より、弁えている。平時だけではなく、戦場においても安定した精神を持ち、確固たる基準で動く忠臣。
彼は梅雪のために命を懸ける覚悟がある。だが、それはあくまでも七星家のためである。
そして七星家のためになるかどうかという基準を、彦一は決して失わない。突っ走るでもなく、頑迷でもなく、冷静に家のためかどうかを判断し、決断できる男。ゆえにその強さには隙がない。
(欲しいな、この人材。この俺のもとに)
梅雪の興味の視線が、彦一を覗き込む。
……かくして、三つの見誤りにより、イバラキの分断策、成らず。
氷邑家および七星家一党は、大江山『春』の領域を抜けていく。
……元『酒呑童子』のトラクマ一党を加え……
いよいよ、『夏』の領域へと差し掛かった。
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