第62話 礼儀と格付け

 氷邑ひむら梅雪ばいせつはため息をついていた。


 七星ななほし家侍大将・七星彦一ひこいちから見事な土下座を見せられたあと、七星家の者たちがようやく到着する。


 そいつらはかごを運びながら来た三十名の一団であり、その三十名は梅雪の前に来ると、一斉に地面に両手、両膝、額をついて土下座した。

 三十人の、それなりに立派な装備を武士たちが、山の入口の柔らかく服や手足によくこびりつくひんやりした土に平伏しているのは、普段であれば土下座フリーク垂涎の集団土下座光景であった。


 だが、彦一の見事な土下座を見てしまったあとだと、どうしても霞む。


 普段であれば一人一人頭を踏んでいくかというところなのだが、もうなんかどうでもよくて、「良い。おもてを上げよ」と土下座をやめさせてしまう有様であった。


(彦一の土下座に比べるべくもない、質の低い土下座というのもあるが……この俺が、土下座に……)


 本当にすごい土下座であった。

 梅雪をして『しばらく土下座はいいか』と思わされてしまう、それほどの高カロリー土下座……


「ご主人様が変!」

「……ああいう、時、触れない、良い」


 梅雪がぼやーっとしているので、ウメとアシュリーが騒ぎ始めた。

 普段ならアシュリーの耳を引っ張りに行くところであったが、今の梅雪は『まあいいか』と思ってしまう。それほどであった。


 さて、自失状態のままなんとなく土下座を『ああ、うん、まあいいよ』ぐらいの態度でやめさせた梅雪ではあるが、それでも気になっていることがある。


「で、その籠の中にはどのような貴人が? 顔も見せぬとは、よほど尊いお方と見える。夕山ゆうやま様にも拝謁の適ったこの俺が顔も見られぬとは、もしかすれば


 ぼやっとしてても煽り行為は見逃さない梅雪であった。


 もちろんこのクサナギ大陸に『帝の一族より偉いお方』なるものは存在しないわけで、今の言葉は『帝より偉そうにしていたと言いつけられたくなかったら、さっさと籠から降りてこの俺に挨拶をしろ』という皮肉である。


 これには七星家一同ざわめき……


 ここで、遅参した家臣団のうち一人が、口を開いた。


「……籠の中のお方は、顔も声もさらさぬという条件で、ようやくここまで来ていただけたのです。どうぞ、ご容赦を」


 その男、自分でも絶対に通らぬ言い分をしているとわかっているようで、顔を青くし、夏の暑さとはまったく関係のない理由でダラダラと汗をかいていた。

 どうにも普段からこういう苦労する場所に立たされる人物らしく、梅雪が籠の中身に触れた時点で家臣団の視線が集まった。しかし、立派な身なりとは言い難く、どうにも『責任ある立場というわけではないが、いかにも憐れそうな顔立ちと貧相な体格を活かし、謝罪をして許しを乞う役割を負わされる担当』といった様子である。


 もちろん許すわけがない。


「遅参に加え、なぜか籠にこもって出て来ぬ者までいる始末。……ああ、そういえば、事前に『来る』と聞かされていた者の姿が見当たらんな? 確か……ええと……そう、七星家の後継殿であったか!」


 家臣団の中に重い沈黙が走った。


 梅雪は「そうだったそうだった」とわざとらしい笑顔で述べ、


「まさか殿……つまり、七星の後継殿はまだ遅れていらっしゃるのかな。なるほど! よくわかった!」


 梅雪は土下座ではないものの、まだ地面に両膝をつけて座る家臣団の目の前を「うーん、うーん」と悩まし気な声をあげながら右に左にうろうろし……


「なるほど、七星家は、大江山『酒呑童子』討伐を、行楽ピクニックだと思っていらっしゃるのか! 帝の神器を奪還するという大役であるゆえ、てっきり戦の心構えであるかと思っていたが……なるほど。では。氷邑家は帰ろうか」


「そ、そのようなことは……」


「ではなぜ遅参した」


 その時に一気に空気が冷え込んだのは、道術でもなんでもない、ただ梅雪の発する殺意によってのものであった。


 ついうっかり弁解しようとした家臣団の者が、言葉に詰まる。

 それで容赦する梅雪ではない。


「これを戦と心得ると、そういう認識で相違ないな? であれば、のはなぜだ? その行為、と見られても仕方のないものと理解はしているか?」

「は、それは、その……」

?」

「……」

「七星家は平和ボケが過ぎる様子だ。侍大将七星彦一に問う。戦場で友軍を捨て石にしようとした卑怯者について、七星家はどのような処断を?」


 話を振られた彦一は冷や汗を垂らす。

 彼は一度土下座を解かれていたものの、家臣団到着と同時に再び土下座姿勢になっており、その両膝と両手は地面にしっかりとつけられていた。


「……両家の関係を悪化させるのは、我が家の望みではございませぬ。であるゆえ、責任をとらせ、


 彦一は正直な男であった。

 それは彼の信念、生きざまゆえの正直であったが、結果としてでもあった。


 何せ彼が語るのは、同格の両家かつ援軍を要請した立場の家として、戦場であれば当然の措置なのだ。

 そして、当然の措置であるだけに、もちろん梅雪も心得ている。なのでもしもここで甘い裁定を口にして誤魔化すならば、梅雪は当然そこを突いた。


 もっとも、求めるものには最初から容赦などないが。


「では、

「お待ちを! どうか、我が首でご容赦いただきたく!」

「まあ待て、侍大将七星彦一。そなたの弁解はのちほど聞こう。そなたの誠心を私は認めている。だが、弁解の前にやることがある。それはわかるな?」

「…………」

「さすが侍大将は御存じの様子だ。武士として……否、人として、当たり前のことを、俺は求めている。それがわからん、常識知らずの無能しかここにおらんのは、同じ御三家の者として残念でならん。七星家の質、地に落ちたと嘆かざるを得ぬ。に問う。今、ここで、すぐに、この俺にすべきこと、誰か、答えられる者、あるか?」


 見る者の背筋が震えるほど優しい笑顔であった。

 出来の悪い生徒を抱えた教師のようでさえある。


 だが、誰も口を開けなかった。

 あまりの重圧に、嘔吐おうとする者さえ出ていた。


 侍大将たる七星彦一は、もう一段階、梅雪への評価を改める必要性を感じていた。


 氷邑梅雪──

 前評判では、暴にして狂たる性質を持つ、無能にして努力を怠り、すぐさまキレ散らかす精神的に未熟な小器しょうき


 されど実際に出会った梅雪、宿。その醸し出す重圧、七星家が一方的に悪い状況とはいえ、帝や他家大名から醸し出されるものと同等以上であった。


 誰も答えない。

 いや、重圧が強すぎて、答えることができない。

 この重圧の中で唯一口を開ける侍大将彦一は、回答を禁じられている。この状況で梅雪の言葉を跳ねのけてもますます立場を悪くするだけであり、彦一はうなりながら黙り込むしかなかった。


 梅雪は、優しく、優しく、優しく、声を発する。


?」


「それは我ら家臣団が……!」



「……」


「良かったな、籠の中の者よ。貴様に与えられる機会はだ。この俺が、三十回、呼びかける。出てきて今すぐ俺の目の前に額をつけ、誠心誠意の謝罪をしろ。三十回呼びかけてやる。


「……」


「有象無象どもが。貴様らが首を並べて額を地面につけるだけで、? 代表者はなんのための代表者だ? こういう時に頭を下げるのが代表者であろう。違うか?」

「……」

「だというのに籠に入ったまま出てこない。なるほど、ここまで来るのにのであろう? そういった性格だというのは知っている。だが、それは、あくまでも、そちらの家の、事情だ。『顔も声も出さない条件でようやく来てもらった』? 知るか愚か者がア! この俺をガキと侮ったか!? 勢いでどうにかできると思ったか!? 道理がわからんと思ったか!? なんのために、がここまで来たのかわからん無能揃いか!? という道理ゆえだろうが! それが顔も出さず、遅参の謝罪もしない!? 今すぐ全員首を刎ねられぬことこそ、この俺の慈悲と知れ愚図どもがァ!!!」


「ッ……!」


 そこで家臣団の一人が腰の刀に手をやった。


 それは強烈な殺意にあてられての反射的行動であったのだろう。


 しかし……



 梅雪が穏やかに命じる。


 誰への命令か?


 それは……


「……はい」


 


 刀に手をかけた者は、驚き、固まった。


 この下働きの半獣人と自分との距離は、七歩ぶんはあった。

 それが、自分が刀に手をかけた瞬間に踏み込み、さらに抜刀まで終えていたのだ。


 さらに驚くべきなのは、それだけの遠間からの急速な接近、かつ抜刀だというのに、ということだった。


 だらだらと汗をこぼし、刀の柄に手を触れた状態で固まる家臣の一人。


 梅雪はにっこりと笑ってそいつを見て、口を開く。



「お待ちを氷邑梅雪様ッ! 一人目はこの七星彦一に! 何卒!」


「ならん。貴様にはことの顛末を見届け、七星家にありのままに報告する役割を任す。そなたの誠心、信じているぞ」


「…………! で、であれば、どうか、どうか、一つ、願いを聞き届けていただきたく!」


「申せ」


!」


 そこで梅雪の気配がさらなる剣呑さを帯びたのは、無理からぬことであった。


 つまるところ、あの、反応のない籠の中、との示唆である。


 そして梅雪は、梅雪の知識と、『中の人』の知識とで、七星家後継がこういう大事な場面でやっちゃいけない小癪な小細工をしそうであることをなんとなく知っていた。


 高飛車で偉そうで、そして小物なのだ。

 であるから、婚約破棄をした梅雪と会うのを嫌がって最後まで逃げ回ったあげく……

 ということになっている可能性も、まあまああるものと予想したわけである。


 もちろん七星家と氷邑家が即敵対するほどの大狼藉である。


 だが彦一もまたそういう姫君だという認識なのだろう。そこで、のために家臣三十人の首が順番に刎ねられるのを止めるため、籠の中を検めさせてほしいと、そう願い出てきたのであろう。


 梅雪は「ふむ」とうなずく。


「なるほど、よかろう」

「……感謝を」


 ここで圧倒的に不利な状況に立たされた七星家の侍大将として、武力によって梅雪たちを、この状況をなかったことにする──という手段も選びえた。

 だが、それをしなかったのが彦一の誠実さである。


 梅雪としてはとも思っていたところではある、が。


 ともあれ彦一の誠心に免じ、籠の中を検めることを許した。


 家臣団ももはや何も言わない。それは覚悟を決めている様子でもあったし、ここで下手に抵抗すればますます追い込まれるということをようやく学習して諦めている様子でもあった。


 果たして彦一が確認した籠の中には……


「……氷邑梅雪に申し上げる。我らが姫様、確かに籠の中におわします。ただ……」

「正直に報告せよ。言い回しを繕うこと、許さぬ」

「……その、


 中に確かにいた七星家の姫、梅雪の殺意にあてられて気を失っていたらしい。


 梅雪は考える。

 目覚めた七星家後継の周囲に切腹させた家臣団を並べておくとする。確かに一発目のリアクションは面白いかもしれないが、あとはただうるさいだけだろう。


 だがこの関係性のまま大江山に入ったとする。


 と、どうなるか?


「…………面白い」


 つい口と顔に出る。


 その邪悪な笑みの裏で計算し、梅雪はこうすることにした。


「七星家後継殿、どうにも戦慣れしておらぬ様子。なるほどということなら、。であれば、こたびの『酒呑童子』討伐の大将は、この俺が代わろう。異存ないか?」


 それでは七星家の目的である『七星家が剣を取り戻し、縁者であった帝の元家老を正義の忠心として喧伝する』という目的が果たし切れなくなる。

 またしても氷邑家に手柄を挙げさせてしまうことになり、帝からの信頼も、世間の風評も、氷邑家が総取りすることになりかねない……


 だがすでに調


 誰も、口答えしなかった。


「ウメ、そいつは生かしていい。


 ウメが剣を納め、梅雪に一礼し、またその背後に控える。


 こうして梅雪は『酒呑童子』討伐における主導権と、七星家家臣団を使を得た。


『酒呑童子』討伐、好調な滑り出しである。

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