第61話 七星家の謝罪
「申し訳ないッ!!!」
スライディング土下座である。
この
特に、当主を女性かつ道士とすることが当たり前の七星家において、侍大将というのは当主のぶんも武を担う。ゆえにその実力は大名級である。
剣士の実力というのは血統に依るところが大きい。それゆえに、当主大名──すなわち御三家と呼ばれる者たちに引けをとらない血筋の持ち主でもある、ということだ。
年齢は三十代。その見た目は
身長は
もちろん贅肉などひとかけらたりもない筋骨隆々であり、その土下座は『平伏』というよりも、『四足歩行の獣が獲物に飛び掛かる準備をしている』という様子である。
七星家というのはゲーム
侍大将七星彦一の服装もカンフー服とか拳法着とか呼ばれるべきものを和服風にしたものであり、その足元を包むのは草履や下駄ではなくカンフーシューズのような、底面を硬くした布の靴であった。
帯びている武器は巨大な
握りの太さが直径にして八cmもあり、人を殴る部分に至っては十五cmもの直径がある円柱状の、頭からお尻まで全部金属でできた棒である。
しかも長さは全長で一mもある。当然、馬鹿みたいに重い。
だが七星彦一はそれを二本使う。両手に一つずつの二丁鉄鞭というのが、この男の戦闘スタイルであった。
その鉄鞭を彦一は背負うように帯びており、ちょうど土下座をした彼の鉄鞭の柄が、梅雪の目の前に来ると、そういうことが起こっていた。
「七星家侍大将、七星彦一が、遅参の段、誠心誠意お詫び申し上げるッ!
梅雪はこのスライディング土下座巨漢を見て……
引いていた。
(……この男、本当に命を懸ける気ではないか)
七星彦一。
ゲーム
女性ユニットとNTR男が溢れる剣桜鬼譚世界において、異質な岩マッチョ系の超誠実男。
彼は絶対に嘘をつかない。
そして現実世界で出会ってみて、その設定が本当だと思い知らされてしまう。
ステータスが見えるのだ。
名前:
兵科:剣豪
経験:七〇/一〇〇
攻撃:三二〇
防御:四〇〇
内政:二〇〇
統率:五〇〇〇
武士道
(空欄)
(空欄)
誠実というのは裏切らないスキルだ。
剣桜鬼譚には
だが彦一はどれほど給料が低くても一度仕えたら出奔しない。
なので彦一給料ゼロ労働が剣桜鬼譚プレイの基本になる。どうやって生活しているのかはゲームでは描写されない。
武士道というスキルは
不利なほどこちらのステータスに補正がかかるというものだが、愛神光流が『相手指揮官よりこちら指揮官のステータスが低い場合』に補正がかかるものに対し、武士道は『相手よりこちらの兵力が少ない場合』に補正がかかるものとなっていた。
なので彦一は兵力一運用が基本になる。
つまり彦一というのは『無給かつたった一人で戦場に出されるユニット』であり、基礎ステータスも相当な強さなので、ブラック労働まっしぐらという不幸な構成をしたユニットなのだ。
もちろん敵の時もこの補正は適用される。なので七星家攻略の際には、兵力五〇〇〇の彦一を一撃で削り切る火力が必要であり、御三家の中で唯一、七星家が壁扱いされたりもする。
もっとも、プレイヤー側には『ステータスで不利だとステータスに補正がかかる』ユニットであるトヨが存在するので、方法さえわかっていればトヨで削り切れる。
で、そのやりがい搾取をされるために生まれた男、本当に謝罪のために命を懸けている。
こうなると梅雪は困る。
許しを乞おうとする者の『なんでもします』はだいたい
しかもこの男、どうやら七星家からここまで一人で走ってきたようで、そばに兵を率いていない。
繰り返すが七星家侍大将はその実力・血統においてほぼ領主大名に等しい。
高貴にして貴重な戦力であるから、いかに本人が強くとも、周囲には守りの兵を引き連れるのが普通である。
今回は大江山という異郷探索なので、少数精鋭で挑むことになっているにしたって、事前の話では数十名の配下を引き連れているということになっていた。
つまり、ここで土下座、展開によっては切腹あるいは首を差し出すため、この男はたった一人、全力で走ってきたということになる。
(こんな『命懸け』もあるのか)
彦一は梅雪のために命を捨てる覚悟を持っているようだが、それは梅雪のためではない。
あくまでも七星家のために、梅雪へ命を差し出しているのである。
こうなるともうさすがの梅雪も「う、うむ」とうなずくよりなかった。
土石流のような土下座である。
あまりにも見事な謝罪である。
アシュリーを再び受け入れたように、梅雪は謝罪した者を許すのだ。
(く、土下座をされているというのに、なんだこの謎の敗北感は……)
梅雪は珍しい感情を抱くことになった。
彼にとって敗北感と屈辱感はセットである。
だが、七星彦一の土下座を前に感じた敗北感は、満足感とともにあった。『お前に負けるなら悔いはないさ』という感情である。
それは彦一の土下座があまりにも誠実かつ、余計なことをグダグダ言って責任の所在を分散させたがらないということに関係している。
命を差し出すと言ったので、命を差し出す。
その真っ直ぐさに打ちのめされたのだ。
ゆえに、梅雪の顔には、らしからぬ爽やかな笑みが浮かんでいた。
「
梅雪が言うものの、彦一は顔を上げない。
武士の礼儀作法であった。一度目は固辞する。そして、二度目で従う。
ゆえに梅雪がもう一度「面を上げよ」と述べると、彦一はようやく顔を上げた。
顔を上げるとますます獅子が飛び掛かる直前の姿勢の感じが強くなる。
七星彦一という男、眼光の強い黄金の瞳に、端が厳めしく吊り上がった唇など、『一番似ている有名人がライオン』というような顔立ちをしているのだ。
梅雪はその顔をジッと見て言葉を続けた。
「遅参については許しがたき侮辱である。しかし、そなたの誠意は
この応答を、彦一は意外に感じていた。
氷邑梅雪というのは『暴』にして『狂』の性質を持つ者だ──というのは、
実際、仕える七星家当主の愛娘が、梅雪を怖がってしまい、婚約を破棄した(相手を恐れているほど高飛車に振る舞ってしまう、難儀な性格をした姫君なのだ)という過去もある。
ゆえに彦一、再び地面に額をつける。
「あらぬ噂であなたの性分を決めつけていた我が邪心、重ねてお詫び申し上げるッ!」
彦一は七星家の中ではかなりフラットな視点で梅雪を見ているほうではあったが、それにしたって『氷邑梅雪、とんでもない癇癪持ち』という思い込みはあった。
だから、この謝罪で本当に首を断たれ、死体を辱められる覚悟まで決めて、ここまで来たのだ。
そのために遺書まで
それは、自分が殺され、自分の死体がいかなる辱めを受けようとも、氷邑梅雪、ひいては氷邑家を恨むこと、報復することの一切を禁じるという内容である。
だが、噂に踊らされていた。
氷邑梅雪、大名の器を備え、政治を理解し、帝への忠誠心を持つ壮士である。
だいたいにして、待ちぼうけを食らった十歳児と考えても、あまりにも寛大すぎる。
噂通りの悪童であれば、この謝罪をしても自分の首一つで済むかどうかわからない──そこまで彦一は考えていたのだ。
それがこの対応だ。
彦一の中で梅雪への見る目が変わるのに充分な出来事である。
ここで再び梅雪が「面を上げよ」と述べる。別々な謝罪に対するものなので一回目の物言いではあるのだが、こういうケースでは一度で顔を上げたほうが、相手に面倒がないと思い、彦一は顔を上げる。
昼日中の日差しによって逆光となった梅雪の顔には、可憐な令嬢を思わせる、優し気で満ち足りた笑みが浮かんでいるように見えた。
「七星家侍大将、七星彦一。そなたの誠心、痛み入る。七星家そのものについてはまだ判断を保留することに変わりはないが、そなたの真心には、こちらも真心を以て応じよう」
「
彦一、再び額を地面につける。
その勢いたるや頭突きそのものであった。彼が額をつけた地面が、森の入り口のような柔らかな土であるとはいえ、大きく凹む。その土下座、顔を土に埋める新手の窒息自殺にさえ見えた。
梅雪はそれを見下ろし、思う。
(まさか、土下座を見て『やりすぎだ』と思う日が来ようとは……)
適切に気持ちがいい土下座というのも、なかなか難しいものである。
この世には胸やけを起こすような土下座もある──梅雪の土下座への
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