第60話 大江山
それは一言で言えば『水墨画のような景色が広がる山』であった。
クサナギ大陸の季節は現在、『夏季』にあたる。
梅雪に『中の人』が入ってからおおよそ四か月。いよいよ暑さも盛りに向かい、最近ではちらほらと蝉の声が聞こえる日もある。
七月も半ばだ。……とはいえ、現代日本では、暑すぎて蝉も鳴けないという日々が続いていることを思えば、剣桜鬼譚の舞台であるクサナギ大陸は、ずいぶんと涼しいということになるだろう。
蝉の声が響き渡る山は、墨をつけた筆で描いたような葉をつけ、山の入り口を行く虫や小動物、鳥なども、同じような質感をしている。
また、上空を見上げれば、昼日中のまばゆい青空にちらほら浮かぶ雲もまた水墨画の
他の地域とは明らかに景色のテクスチャが違う。
帝都でも恐らく微細な変化はあったのだろう。クサナギ大陸はそこらに『神』が息づくので、管理する神が変われば景色の見え方も変わる──という設定がある。
神というのは迷宮最奥にたどり着いた者に力を貸すような存在のみならず、名も知れぬ『土地の力』の発生源──龍脈とか地脈とか呼ばれるエネルギー源──たる者もまた神と呼ぶことがある……
ようするに、『すさまじいもの』を『神』と評する感じで、人智が及ばぬものをだいたい神と呼ぶ傾向があり、それを祀るような心が誰しもに根付いているという傾向があった。
水墨画のような景色の、大江山。
ここは大名家領地ではないのだが、ゲームにおいては所有者が存在する。
すなわち山賊団『
ここは大名家とは呼ばれていないが、ゲーム的なデータだと『大名イバラキの治める酒呑童子家』なのである。
(つまり、剣を盗んだのはイバラキ)
そういえば、帝都で姿を見たな、と梅雪は思う。
だが姿を見たのは蒸気塔の入口で、たぶん帝の部下の一団(知っているユニットはいなかったが、鎧のフェニックス紋が帝の軍に属していることを表していた)と争っている姿であった。
そこから剣の安置所にたどり着くためには、迷宮状になっている蒸気塔下層を抜ける必要がある。
梅雪は風で声を拾いながら夕山のいる場所を目指したのでたどり着くことができたけれど……
(まあ、『お宝発見』のスキル効果だろうな)
ゲーム
その後、パーティが分かれ道に差し掛かるたび、プレイヤーが『前』『左』『右』と選択肢を選び、正しい場所へとパーティを導く必要があるわけだが……
イバラキをパーティに入れて迷宮探索に出すと、お宝へ続く選択肢が光るというスキルが発動する。
『お宝発見!』というスキルなわけだが、それによってお宝のもとにたどり着いた可能性はある。
まあ、その前に……
イバラキも帝の部下の兵も、入口で争ってて邪魔なので、進路にいるヤツはみんな斬ったが……
特にお咎めなしだったので、アレは『斬っていい帝の部下』だったらしい。
何か言われたら『夕山を守るために馳せ参じました!』でゴリ押す予定であったが、うまくいくかどうかは微妙だったので、あれは素直に運がよかった。
あの時イバラキも邪魔だったので斬ったけれど、たぶん死んでいない。
あいつは迷宮探索に適性のあるスキルを多く持つ。その中に味方の兵力……迷宮探索においてはHPを毎ターン回復するスキルがあり、ようするに丈夫なのだ。
それに、この世界でもすでにイバラキという名の山賊は有名であり、それが討ち取られていたらもっと大きなニュースになっているはずだ。
どさくさに紛れて騒ぎになっていなかったという可能性も、今回、七星家から大江山に呼び出された時点で皆無と言えるだろう。
ということは、これから、『酒呑童子のイバラキを倒して、三種の神器の剣を奪還する』という流れになるわけだが……
(さァて、そうすんなり行くかァ?)
恐らく
加えて大江山には、山賊団・酒呑童子の一員ではないが、イバラキ以外にも一人……いや、一頭の特殊ユニットが存在する。
ゲームだと酒呑童子軍の指揮官として出てくるのだが、果たして現実ではどうなるか──
梅雪は波乱の予感に笑う。
そもそも、今の状況がすでに──
「遅いですねぇ、七星家の人」
すでに、波乱の幕開けである。
そう、七星家、梅雪たちを現地に呼び出しておいて、遅刻しているのだ。
わざわざ協力を要請した『帝都を騒乱より救った英雄』を含む氷邑家援軍を待たせる。言うまでもなくこれは侮辱にあたる行為である。
阿修羅に乗り込み、頭部ハッチだけ開けたアシュリーの声に、梅雪は「ああ」と笑顔を隠さずにうなずく。
その笑顔は実に禍々しい。梅雪が銀髪碧眼の美少年だからこそ、奥底に滲む殺意が、笑顔を邪悪なものにしていた。
梅雪は喉奥を揺らすように笑った。
「さて……いきなり全員斬り捨てるようなことにならなければいいが」
遅刻の理由と態度次第では、我慢できなくなるかもしれない。
梅雪から渦巻く殺意に、供として(七星家の要請からすればむしろメインだが)来たウメとアシュリーは、ぶるりと体を震わせた。
帝都騒乱をくぐってからというもの、梅雪の存在感が濃密になっている。
それは美しさもだし、強さもだし、殺意もまた、濃厚で、そばにいるだけで息詰まるような──格を備えつつあった。
実戦を経て成長する天才に実戦を与えすぎた。
明らかに一段階か二段階強くなっている梅雪の成長は止まらない。
(さて、このたびは、どのような戦を俺に喰わせてくれる?)
すでに臨戦の気迫漂う梅雪。
未だ来ぬ七星家。
その七星家の意図はと言えば……
◆
七星家は『目』の七星と呼ばれている。
盾の氷邑、矢の
それぞれ祖より伝わる重代武装ではなく、役割の名である。
そして七星の『目』とは、祖より伝わる道術であった。
広い範囲を見ることのできる『
だが、この道術には欠点もあり、『場』を整え、術を行使しているあいだはそれ以外のことはできず無防備になり、さらに一度使えば二日は休まねばもう一度は使えず、さらに拡大率と解像度が術者の才能依存、鮮明な映像を見るためには大量の
これにより、イバラキが神器を持っていることと、その根城の詳しい位置を発見したわけだ。
そしてこれは七星家の特異性なのだが、七星家に限っては大名が道士である。
特に女性が神威量多く生まれてくる七星家は、代表者たる大名が女性かつ道士という特徴があり、武を担う剣士は侍大将に一任することとなっていた。
……さらに重要なことなのだが、七星家に限れば、大名の伴侶、すなわち婿の価値は神威量で決まる。
それゆえに、この七星家の、現在の当主の一人娘。
かつて梅雪の婚約者であった。
ゆえに。
「ど~~~~~しよ! ど~~~~~~しよ! うわァ~! 絶対怒っとる! 絶対、わらわのこと怒っとるじゃろ! あの氷邑梅雪じゃぞ! イヤじゃ、行きとうない!」
七星家領主屋敷。
母たる当主が『天眼』の過剰使用により倒れこんでいるので、七星家としては、今回、協力を呑んでくれた氷邑家への礼儀として、後継、すなわち当主の娘が『酒呑童子』討伐に同行することになっていた。
しかし、この当主後継、かつて梅雪の婚約者であった。
そして梅雪(当時五歳)の性格があんまりにもあんまりなので、これとの婚約を高飛車に破棄したという過去がある。
当時の梅雪は、この生意気な煽り行為にキレ散らかすだけで、相手が七星本家の一人娘ということもあり、周囲もいさめるし、本人も『七星家』を相手にできるほどの力はなく、報復をあきらめるしかなかった。
だが……
「めちゃくちゃ優秀な配下がおるんじゃろ!? 絶対になんかされる!」
イヤ~! と言いながら柱にしがみつき、まさに『これから氷邑家と一緒に大江山に入ります』というタイミングになって、ごね、逃げ、『行きたくない』と駄々をこねる七星家の姫。
昨日まで、いや、つい先ほどまではいかにも『覚悟しました。行きます』というような様子であったのが、いきなりコレだ。
家臣団も困り果てるし、
大慌てで大江山の方へと『姫がわがままで遅参します』の連絡をする人員を走らせたが、姫が唐突に忽然と消えたせいでその対応はバタバタしており、結局のところ、連絡員さえ遅刻しているというのが、『梅雪、待ち合わせ場所で待ちぼうけ』の真相──
──の、一面である。
この事件、ただ単に姫のわがままだけが原因で起こったわけではない。
七星家の氷邑家への家としての対応は『あの梅雪の直臣に力(目撃者として必要になる帝からの信頼)を借りなければならないので、とにかく面倒がないように梅雪の機嫌を損ねない』ではある。
……だが。
大名家も一枚岩ではない。
家を想う。あるいは、七星家の当主と後継を想う者すべてが同じ結論にたどり着くとは限らない。
むしろ今回の氷邑家に対する態度は、七星家
氷邑家にへりくだるような態度をよしとしない者もいる。
かくのごとく、同じ目的、同じ大事なものを守らんと願っても、その手段や目標到達地点が違う者が存在する。
家としてはそのあたりの者の意思を統一し、少なくとも外向きには一枚岩と見せなければならないというのは、まったくその通り。
しかし、そうはならないのが人間である。
七星家の二つの思惑。
七星家姫の個人的感情。
山賊団『酒呑童子』の首魁イバラキ。
そして大江山に潜むモノ。
……それから、神器たる剣。
ここに梅雪らの意思も加わり、大江山『酒呑童子』討伐もまた、帝都騒乱のごとく、混迷の様相を見せていくこととなる。
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