第55話 帝都騒乱・終幕の八

 氷邑ひむら梅雪ばいせつは己の肉体が勝手に動くのを感じていた。


 それは反射のようでいて反射ではなかった。

 経験と、それまで積み上げてきた修練が今この瞬間に結実する──そういう、奇妙な感覚だった。


 心臓に矢が、突き刺さる、一瞬。


 剣士の腕力で引かれたとはいえ、普通の矢。


 それが反応する暇もなく心臓に突き立つのだ。放たれた時点で必殺。狙われた者は、この帝都騒乱で苦戦した人々のように、。そういう類の矢であった。


 けれど、氷邑梅雪。


 運だの運命だのという……


 己の行く末を勝手に決める、に対し、こう思う。


(勝手に俺の命脈を決めるな、


 心臓に雷が突き刺さる、その一瞬にも満たない一瞬を認識する。

 光そのものの矢が、人間にとって最も大事と言える器官の一つを貫いていく。貫く前に思考が間に合う。ゆえにその思考速度は光を超えていた。


(俺の命を勝手に奪うなど、この俺が許すわけがなかろうに──!)


 反射以上の速度で頭によぎる主義主張。

 氷邑梅雪の我の強さが物理法則を超越する。


 そして、肉体は、対応を完了する。


 致死の一撃。定められた運命のような理不尽なる力。

 それにと憤怒するならば……


 より理不尽な力に到達せねばならない。


 だから、そうした。



 爆炎の向こう、熱源が一つ立っている。


 熚永ひつながアカリは未だ煙が晴れない視界の向こうを、見つめていた。


 それは願うような時間である。


(死んでて……! いや、さすがにアレで死なないのはおかしいでしょ!)


 妖魔矢・ぬえは放たれれば雷そのものとなる。

 ゆえにこそ必中。さらに、その貫通力は誘導されやすい自然界の雷にはないものだ。狙った場所に必ず真っ直ぐ飛び、あらゆる装甲を貫いて目標に届き、


 そしてアカリの魔眼『熱視線』は爆炎の中に人型の熱源を確かに捉え、その心臓へと過たず矢をてた。


 熱源はまだ立っているが、貫通力の高すぎる細い矢で射貫かれた者は、しばらく倒れずその場に留まる。

 据え物斬りで、ただ台の上に置いた木材を斬った時などと同じだ。切れ味の鋭い刀で、腕のいい者が斬った場合、据え物の下半分が。矢のような武器でもそれは起こる。すなわち、今のアカリの一射は、会心のものである証明だった。


 だからあとは、熱源が冷たくなって、倒れてくれれば、それでおしまい。


 倒れてくれれば。


 それで。


 おしまい。


 なのに、


「……なんで……なんで、なんで、……!」


 ──爆煙が晴れる。


 熚永アカリは、そこに立つ者の正体を知らない。


 その者、みかづちを斬るという狂った思想の女が興した、狂った流派を学びし者。

 その流派の奥義は光断ひかりたちと称する。これは、という理念で編まれた奥義である。


 ……そして。


 その者の祖、氷邑道雪どうせつには、ある逸話があった。


 氷邑道雪。

 


 爆煙が晴れる。


 中から出現したのは、仮面をつけた銀髪の子供──


 衝撃のせいか仮面がはじけ飛び、服もまた、焼け焦げている。

 すなわち雷矢・鵺は確実に当たったのだ。服の焦げ跡が、胸のところがいっそう酷いところから見て、心臓に突き刺さったのは間違いあるまい。


 だが、そんなことよりも……


「……なんで


 熚永アカリは頬をヒクつかせながら、そんなことを言った。


 なんで生きてるんだよ、なんていうのを真っ先に言うべきだったかもしれない。

 でも、認めたくなかった。生きていることを受け入れたくなかった。


 だって自分は。大一番の本当にどうしようもない時のために用意していた鵺を、こんなところで使わされてまで、勝ちを、生存を拾いに行った。

 だというのに、相手が生きている。


 払ったのに、もらえない。

 理不尽すぎてもう、拗ねたように鼻で笑うしかない。


 氷邑梅雪は──


 アカリの姿を見て、「ほぉ」と笑みを浮かべる。


。どうして貴様は──?」


 鵺。


 その矢、妖魔より作製されしもの。

 妖魔というのは神威の塊だ。ゆえにただ殺しても死なない場合がある。特に強力な妖魔は神霊に等しい特性を持つため、何かの形で封じるか、特殊な条件を満たさなければ完全に殺すことができない。


 鵺もまた、射殺されたが、完全に殺すことは、太祖の祖でさえも不可能であった。

 ゆえに矢にすることで封印した。ただし……


 その矢は、射るたびに姿であった。


 今のアカリの姿は、頭から獅子の耳が生え、腰の後ろ、爆炎で破れた衣服の下から鷲の翼が覗いていた。

 さらに短いスカートの下でにょろにょろと動くものは、蛇の頭のような尾であろう。


 それはそれで魅力的な姿だと言う者も、現代日本にならいよう。


 


 平和に過ごしている、過激なところが一切ない一般人でさえも、平気で足蹴にしたり、聞こえよがしに悪口を述べたり、そういうことをする対象が獣人である。

 その差別は帝都の火撃隊の中にさえ存在する。


 ゆえにアカリは、この姿になるなら、この姿でさえ人々に歓迎される巨大な功績が必要だと考えていた。


 だからこそ、夕山ゆうやま殺害。


 アカリの視点で『多くの者をなんらかの異能によって操り、その心を乱している悪』である夕山を倒し、この帝都を救えれば、どこのどの獣かもわからないモノとの半獣人めいた姿であろうが、人々に歓迎される。いや、そこまでお膳立てが整ったなら──という思惑があったのだ。


 この矢は生涯で二発までしか射ることができない。


 三発を射ることになった、鵺を倒した熚永の祖の祖は、最後には完全に姿が鵺になり、理性あるうちに自ら命を絶ったと言われている。


 それほどの矢なのだ。


 命を懸けるどころではなく、。ゆえにこそ一射あれば片がつく。

 だが、アカリは代償を払うのを嫌がった。ゆえにこそが必要で……


 キレて、覚悟を決めて、放った矢は……


「なんで、生きてるんだよ」


 やっと口からこぼせた問いかけの通り、なぜか、必殺のはずの一撃を受けた相手を殺せていない。


「なるほど、氷邑梅雪おれの知識の方にあるな。か」


 わけのわからない納得をしながら近付いてくる男は、髪も目も黒交じりの黄金に変化していた。

 それだけではなく、全身が、黒と黄金の雷をまとい、バチバチと帯電している。

 だというのに本人はまったく痛手を被っている様子がなく……


「ズルじゃん」


 アカリはつぶやく。


「あの矢が効かないとか、そんなの、ただの無敵じゃん。なんでだよ。射られたら傷つけよ。心臓を貫かれたら死ねよ。平気で歩いてくるなんて、ズルじゃん」


 これを梅雪は、鼻で笑った。


「なんだ貴様、?」

「……ハァ?」

「努力というやつはな、たいがい、。なぜ反復する? なぜ体に覚えこませる? それはいつ役に立つ? そんな意味のわからない、地道なことをしてまで、なぜ己を鍛え上げる必要がある? ? 努力というのはな、こういう想いを常に俺にもたらす、ふざけたヤツだ」


 それは紛れもなく、『中の人』が入って己の運命を知る前までの梅雪が考えていたことであった。


 剣士ではない。が、天才ではあった。

 ゆえに、と思っていた。


 剣士にだって勝てるのだ。才能だけで、勝てるのだ。

 父には勝てないかもしれないが、。剣聖には勝てないかもしれないが、──


 努力しない理由は無限にあった。

 努力をする理由を見つけることこそ、困難であった。


 だが、せざるを得なくなった。


 相変わらず、意味がわからなかった。

 ……努力をしている最中には、意味が、わからなかったのだ。


「だがな、こうして実戦の場に立つと、。それまでつながりがわからなかった鍛錬と鍛錬が、実戦の中で結びつき、新しい方法を俺に閃かせるのだ」


 ゆえにこそ氷邑梅雪は実戦の中でこそ成長する。

 そして成長度合いは事前に積んだ努力の量に比例する。


理不尽なズルい道具を持ち出したのは、俺か、貴様か、どちらだ? 情報をしっかり握った上でここぞという場所に狙撃をした貴様。唐突に始まった中で最善を目指して行動を重ねた俺。有利なのはどちらだった?」

「うるさい……」

「ふん、気持ちの悪くはないものだな。べらべらとよく口の回るヤツが、あらゆる語彙を失って、ガキのように『うるさい』しか言えなくなるとは。だが、


 刀が振り上げられる。


 アカリは、神威の超過消費と、自ら足元に放った爆炎のダメージ、それに、ここまでして勝てなかった衝撃のせいで、動くこともできない。

 だからできるのは、悪態をつくことだけだ。


「その姿、生きてること、『努力した』だけで全部説明するつもりかよ」


 髪と瞳を黄金にし、帯電する姿。

 いや、これは帯電なのだろうか? 雷を帯びているというよりも、──


 これは、聖断ひじりたちなのだった。


 神威に特化したカウンターである聖断を習熟し、実戦の中で神威の流れを感じ取り、それを的確に返すことを覚えた梅雪、一瞬の閃き。


『返すはずの神威を体の中で回し続け、維持できないものか?』


 ただ返すだけでは心臓を貫かれたのカウンターになり、終わる。

 だが、心臓に触れたこの雷と、生き残ることもできるかもしれない──


 すなわち梅雪は、矢に秘められた雷の神威をその身で喰らった。

 今、梅雪の身を回り続け、次第に減衰していくこの雷の神威は、


 のちに『神喰かっくらい』と号する、敵の必殺の攻撃を掌握し同化する起死回生の奥義──


 だが、そんなことを説明してやる義理もなく。


「何も知らず、誰かもわからぬ者に殺されるのが、端役モブにはお似合いだ」


 アカリの罪は

 そして、追い詰められているというのに

 ゆえに梅雪はこれを許さない。


 アカリは「ははっ」と笑い、


誰かもわからぬ者名無しのエキストラが使っていい技じゃねェだろ、それ」


 ──台本の一番先頭に役名書いておけよ。


 それが、最期の言葉。そして……


 常にキラキラとした笑顔を振りまき、多くの聴衆を魅了したトップスタァ。

 その最期の表情は、世をんだような、皮肉げな笑みであった。

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