第56話 帝都騒乱・カーテンコールの一

 氷邑ひむら梅雪ばいせつは、血振りし、刀を納めると、息をついた。


空断そらたちを使うような事態にはならなかったか)


 それはまぎれもなく安堵の息である。


 空断──それは、梅雪が先のヤマタノオロチ戦で開眼した、風の刃を刀身から延ばしに延ばし、見えている景色を両断する奥義である。

 これならば。すなわち、風の刃に込める神威かむい量を増やせば、


 だが、しなかった。その理由は二つある。


 一つ、奥の手にしておきたかった。

 梅雪が最も恐れたのは、


 蒸気甲冑の速度とスタミナで引き撃ちをされると、すでに疲労困憊であった梅雪は確実に途中で力尽きていた。

 つまるところ、熚永ひつながアカリの必勝戦術は、


 だが、アカリは狙撃地点から動かずに撃退する方法を選んだ。

 これは梅雪にとっての僥倖ぎょうこうである。


 アカリの視点で語るならば、そもそもアカリは三kmという距離を自分の矢に一発も直撃しないまま接近してくる存在を想定していない。

 ゆえに足を止めて撃つだけで、見えている範囲の接近してくる敵はすべて倒せる算段であった。

 さらに熚永家重代強弓『勇み火』は莫大な神威消費を前提として成り立つ兵器である。通信はもちろんのこと、というのがアカリの本音だ。

 何せアカリは蒸気塔のどこに夕山ゆうやまがいるか、さえ知らなかった。

 つまり見えている『それっぽい熱源』はすべて狙撃するつもりでおり、何本の矢を放つか状況がああなった時点ではわからなかったのだ。ゆえに、節約したい。

 その思考が梅雪の勝利につながった。


 そういう事情を知らない梅雪としては、アカリがもしも逃走を開始した際に、として、空断を伏せておきたかった事情がある。


 ……狙撃された地点で足を止めて空断を使わなかった二つ目の理由。


 空断というのは、攻撃が大振りかつ、準備に時間がかかり、そのくせ神威消費が多い。

 そして彼我の間合いが離れれば離れるほど、風の刃形成にかかる時間も増していく。


 外れやすいのに連発できず、外した時の疲労が大きい。

 ゆえに相手の目がこちらを向いていない時や、相手が大きくて細かく狙う必要がない時などにしか使えないのだ。


「……首……いや、弓でいいか」


 梅雪は少しばかりの休憩を経て、そこに落ちていた赤い弓を拾い上げる。


「……馬鹿みたいな重さだな。これは……


 未だぬえの雷と同化した状態は続いていた。

 銀髪は黄金と黒に煌めき、瞳にも黄金と、よく見れば黒が瞬く。

 表皮にバチバチと爆ぜるのは雷であり、その全身はよく見れば、神威強化ブーストをする蒸気甲冑乗りのように輝いてもいた。


 敵の神威を受けて逆らわず、肉体に流す技法──『神喰かっくらい』と号す。

 これは神威をメイン威力とする強力な一撃と同化し、本来であれば死ぬほどのになることで死を回避、自分を死に至らしめるエネルギーを全身に回し続けゆっくりと減衰、あるいは相手に攻撃として返すという技、だが……


 たとえばアカリが最後の一撃に選んだのが、鵺のようなではなく、ただの鋼のやじりの矢であれば、こうはできなかった。


 神喰で同化できるのは神威による自然現象のみである。

 炎になることはできるだろう。雷にも、水にもなれるだろう。

 だがたとえば、父が神威のすべてを使って肉体を強化して放つ剣の一撃とは同化できない。それは光断ひかりたちで返すしかない。


 神喰は聖断ひじりたちの進化先であり、対神威エネルギー攻撃用の奥の手にはなっても、これだけですべてに対応できるほど万能ではなかった。


 代わりに肉体がエネルギーそのものとなるので、。これは疑似的とはいえ剣士の肉体強化に等しい。


 さらに……


「……さて、すべての神威が減衰しきる前に、帰るか──おっと、仮面、仮面」


 疲労困憊ではあるが、倒れるにしてもこんなところではあまりにも寂しい。


 梅雪は弓を持つと、グッと脚に力を込め、跳んだ。


 その跳躍、雷速であった。


 神喰は同化した自然現象の


 次の瞬間には、目標地点たる蒸気塔の内部、夕山をウメやアシュリーに任せた場所へとたどり着き……



「おい、?」

「し、知らん。いつのまにか……」


 蒸気塔の四辻。


 男たちは相変わらず通路に詰まっている。


 あの仮面の子供がいなくなったはいいものの、相変わらず夕山は剣士に守られていた。

 半獣人の、いかにも下働きという服装をした少女剣士だ。


 その剣士はただひたすらに静かであった。


 左手で鞘をちょっと出して、柄頭をへその前に移動させる。

 そうして前に出た柄頭に、優しく右手を添える。


 そうやって構えるだけで、男たちは前に出ることができないのだ。


 ……男たちの、と言うよりも、こんな男たちを部下にしている帝の名誉のために語らば、この男たち、

 クサナギ大陸で有数の剣士、とまでは言えないが、クサナギ大陸で有数の剣士隊のメンバーたちではあった。


 一対一だと名の知れた凶悪犯などには及ばないが、同じ流派の剣術を繰り返し訓練し、連携のとれた行動ができる勤め人たちである。集団で一人にかかる、集団で集団にかかるなどの戦いにおいては、だいたいの相手に無双できる。そういう実力者たちだ。


 だが、それが、動けない。


 理由は二つ。

 一つは先ほどの仮面の少年のことが頭に残っているから。


 あれほど流麗にして何が起きているのかわからない剣術など、さすがに彼らも初見であった。

 しかもそれは子供の踊りではなく、実際に九人を斬り殺した武である。


 ゆえに、あの少年がこの場を任せた少女もまた同様の手練れなのではないか。実際に、あの構えは静かだが、攻めかける隙が見つからない。

 命を賭して全員でかかれば、半ばにいる誰かはあの少女を殺し得るかもしれない。というと、『こんな戦いで命まで懸けたくない』が全員の本音であった。

 この中には夕山にやられてしまって、その身柄の確保に熱をあげている者も多い。


 だがそれはなのだ。

 筆頭護衛にここまで強硬に抗戦された時点で、多くの者は『夕山の心を得られない行為なのではないか?』と気付き始めており、それでも上役からの命令なので撤退もできないと、このような状況に陥っていた。


 そして何より、場所が悪かった。


 夕山の筆頭護衛・ムラクモが最後の奉公の地として選んだこの四辻は、蒸気塔の迷宮構造が極まった場所であり、


 三つの通路から同時に出られるのはせいぜい一人だけであり、しかも出てくる方向を変えることもできない。

 一人で三つ以上の勢力を相手どるのであればうってつけの場所なのだ。


 仮にムラクモが、集団が展開しやすい夕山の部屋での襲撃を無傷でやり過ごせていたならば、彼女一人で数十名、あるいは百名超の集団を相手に時間稼ぎができる。そういう算段で選ばれたであった。


 ゆえに状況は大人数の側が攻めかかれず、という。そういうものになっていた。


 そこに……


 ビシャアアアアン!!!


 雷が、飛び込んだ。


 ……まばゆさに視界が白む中、目を開ければ。


 そこにいるのは、銀髪仮面の少年剣士。


 その手には刀と、肩には赤い……弓? をかけている。


 少年は、弓を乱暴に投げ捨てて、語る。

 その落下音は、弓が落ちたとは思えないほどに重々しい。


「この騒ぎの元凶が一人、熚永ひつながアカリ、討ちとったり。なおも抵抗を試みようという者あらば、夕山神名火命ゆうやまかむなびのみことの名のもと、として鏖殺おうさつする。抵抗の意思なき者、。それ以外はすべて斬る」


 悪い冗談のような話だった。


 騒ぎの元凶の一人が──熚永アカリ?

 あの火撃隊エースの一人で、帝都トップスタァの?

 しかも、名門熚永家の縁者でもある、あの少女が?


 情報量が多すぎて、笑い出す者がいた。


 その者の額が唐突に割れる。

 投げられたのはこうがいであった。刀剣を装備する武士の中でも金のある者が、刀の柄や鞘に忍ばせておく、投擲や揉み合いになった時にも使える、ごく短い刺突可能な刃物である。


「聞こえなかったか? これで最後だ。!!! 皆殺しにするぞ!!!」


 大量の刀が、一斉に床に落ちる、耳をつんざくような音がした。

 大慌てでその場に両掌と膝と額をつく。


 それを見て仮面の少年剣士が「ふん」と鼻を鳴らし……


 夕山の前に、膝をついた。


「鎮圧、成りましてございます」


 臣下のような恭しさと、先ほどの殺意の籠った猛りに猛った叫びとに不一致感がある。

 どちらかが明らかに『仮面』である態度……


 だが、膝をつかれた夕山にとっては、そんなことどうでもよく……


「ぐへへへ……」


 いつの間にか始まっていた何かが終わった安堵感と、がマジで騎士様ナイトな状況に、ふにゃけた顔でヨダレを垂らすのであった。

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