第31話 怪しい女

「あなたたち、少しよろしいかしら?」


 氷邑ひむら梅雪ばいせつくん(十歳)がお供のアシュリーちゃん(八歳)、ウメちゃん(十歳)と一緒に帝都観光を始めようとしていたところ、知らない大人に声をかけられた。


 メガネをかけた、いかにもクールそうな女だ。

 年齢は二十代ではあるのだろうか? あるいは、鋭い楕円のメガネと、リクルートスーツを思わせる黒いタイトな衣装のせいで、実年齢以上に見えているのかもしれない。


(……こいつ、剣士だな。それから隠密でもありそうだ)


 女の左腰には黒鞘の一振りが帯びられている。

 だが、女の本当の武器はその刃渡り二尺六十cmほどのどこにでもある打ち刀ではなく、腰の後ろ、スーツのような上着の背中あたりに隠された短い刃物であることが、歩き方と重心から見てとれた。


 歩き方は一見するとそのあたりを歩いている一般市民と変わらないのだが、それは偽装だろう。

 気配も隠しすぎている。おそらくはこうして誰かに声をかけての情報収集をする職責ではなく、どこぞに忍び込んだり、あるいは暗殺でもしたりといった役割を帯びているのではないだろうか? もしくは、護衛などか。


(……なるほど、ある程度の武を修めると、ただ歩いている相手がになるものだなァ……あの剣聖コソ泥との戦いあっての進歩だというのは、認めがたいものがあるが)


 では、明らかにアンブッシュからの奇襲が得意そうなそのメガネの女が声をかけてきた目的は何か?


 彼女は剣桜鬼譚けんおうきたんのユニット

 少なくとも、すべてのエンディングを見た上に縛りプレイまでして動画まで上げる『中の人』の記憶にはない。


 帝都の実力者で、帝都陥落のさいに死んでいるユニットなのだろうか?


 何にせよ、手練てだれではあろう。


 ……それを察したのは梅雪だけではないらしく、ウメが半歩、梅雪の前に出ていた。


 梅雪は指南書と、わがまま梅雪くん時代のわずかな指導、それから向き合っての殺し合いを経て愛神光あいしんひかり流を理解した。なお、スキルに愛神光流はなかった。

 一方でウメは『トヨ』とかいう不本意極まりない名前を呼ばれながら、剣聖に付きっきりで指導された。

 二人は奇しくもほぼ同じ期間、それぞれの環境で剣術に打ち込んだわけである。


 よって、少なくともウメは、梅雪と同等かそれ以上に『武』がその体にしみついているはずだ。

 だからわかるのだろう。目の前の女の異様さが。


 ここでぼけーっとしてるのはアシュリーである。隠密の頭領じゃなかったっけお前、という感じなのだが、アシュリーはオンオフの激しい方で、今はオフなのでわからないようだ。


 かくして一人を除いて空気が微妙にピリつく中……


 メガネをかけた女性が、肩をすくめた。


「……あなたたちねえ、声をかけただけではないんじゃなくって? それとも、誰かに命でも狙われているのかしら?」


 戦意はない、という様子で顔にかすかな笑みを浮かべる。

 梅雪もウメを下がらせて対応することにした。


「申し訳ありません。子供三人連れに声をかけてくる大人の女性がいたら、物盗りか殺人犯だと思えと教わっているものですから。それとも、帝都の人は?」

「……ああ、なるほど。これはこちらが失礼をしたわね。それでも警戒しすぎだと思うけれど。ただこれは、習慣というか……まあ、そのようなものなの。許してちょうだいね。ごめんなさい」

「構いませんよ」


 相手が謝罪をしたのでとりあえず許してやるか……の気持ちで梅雪は微笑んだ。

 アシュリーが『え、許すの!?』みたいな顔をしているが、梅雪も帝都、それもこれから帝の妹を迎えに行こうというシチュエーションで敵意のない相手にいきなり土下座強要するほどではない。

 だいたいにして、ここは帝都南入り口、人通りの多い場所である。

 集団の前で土下座をされると、土下座されているほうが悪いみたくなる。そういう事実誤認をするクソどもが嫌いなので、この場はこれで収めようという寛大な心なのであった。


 あと確かに、相手は武器を隠して声をかけてきただけなので、そこまで怒られるようなことはしていない。


 梅雪はあくまでもにこやかに話に応じることにした。


「それで、どのようなご用件でしょう?」

「……こういう交渉事は得意ではないので、はっきりと言います。あなたたちと仲良くなりたい子がいるの。遊んであげてくれないかしら?」

「なぜ?」

「……理由は言えないけれど、悪い話じゃないと思うわよ」


(ふぅん? 明らかにそれなりの手練てだれだぞ、この女。そんな女が、わざわざ『仲良くなってほしい』だなんて持ち掛けてくる? 怪しすぎて笑えてくるぞ……)


 梅雪は、ククク……と笑いそうになるのを堪えつつ、年上のお姉さんが全員骨抜きになるようなかわいらしい笑みを浮かべて次の言葉を決めた。


「では、何を差し出します?」

「……はい?」

「今、僕たちと、あなたとのあいだには、何もありません。あなたは『悪い話ではない』と言う。しかし、僕たちにはそれを信用する理由がないのです。? と聞いています」

「……」

「もっと言えば、あなたは、あなたに『仲良くなりたいから声をかけてきて』と命じたお方のために、どの程度のものを差し出せますか? という問いかけですね」

「……君、本当に十歳?」

「それは迂闊うかつな発言ではなく、胸襟を開いていただけたゆえの言葉だと思っておきましょう」


 梅雪は名乗ってもいないし、年齢を言ってもいない。

 確かに体のサイズから言えば十歳ぐらいなのだろうが、それでもピタッと当てるのは、という宣言に他ならない。


、聞いていた話とだいぶ印象が違うけれど。……まあ、いいわ。何を差し出せるかと言えば、。……相手は、あなたたちと『偶然』出会いたいと仰せなのです。そこの演出も含めて、協力してくださる?」

「いいでしょう。いつ着くかもわからなかった僕らをお待ちいただき光栄です。そちらの事情には配慮いたしましょう」

「……それから、彼女はとても気が弱くて、まともに外を歩くのも、実はこれが初めてなのよ。あなたたちに理由は、それのみです。こちらから侮辱の意図はありません。もっとも、『気が弱いから迎えに来てもらえないと外に行けない』などと手紙に書くわけにはいかなかったのですけれど」

「……なるほど」

「ついて来てくださる? 我が主人がお待ちですので」


 メガネの女は、あっさりと梅雪たちに背を向けた。

 後ろから斬りかかれば殺せるようなたやすい相手ではなかろうが、背を向けるのもまた、誠意の一つではあるのだろう。


「……ご主人様」


 メガネの女を追うように歩き出したところで、アシュリーが梅雪にこそこそと声をかけてくる。


「なんだ?」

「最初キレてましたよね? どうして付いて行く流れになったんですか?」


 どうやら話の流れと相手の正体をまったく理解していないらしい。

 梅雪は天狗エルフであるアシュリーのとがり耳を引っ張って、息を吹きかけた。


「うひゃあ!? なんで息かけたの!?」

「頭の中が空洞ならさぞかしいい音で鳴くかと思ってな。事実、いい音で鳴いたようだ」

「楽器じゃないんですけど!」

「……いいか、声を落とせ。あの女の主人は、

「…………え?」

「つまり俺たちは、これから、帝の妹に会いに行くんだよ」


 その解説の最中──

 アシュリーと梅雪が横でいちゃいちゃしているのを、ウメがすごく目を見開いて見ていた。


 子供三人が騒がしいのを振り返って、メガネの女性はため息をつき、つぶやく。


「……本当に大丈夫なんでしょうか、姫様……」


 前途多難、と顔に書いてあった。

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