第27話 婚約暫定直後のあれこれ

 父・銀雪ぎんせつが帝都に発ってほんの数日で、すぐに婚約の正式な打診があった。


 氷邑ひむら家領都から帝都までの距離はおおむね五十km以上六十km未満一里半ほどであり、車であれば一時間と少し、徒歩で途中、多めに休憩を入れたとしても三日目にはたどり着くだろう。

 もちろんこれは平坦な直線を真っすぐに歩ける前提であり、剣桜鬼譚けんおうきたん世界クサナギ大陸の、特に都市から都市への道路事情はさほどよろしくはない。

 行商人たちが歩く道は比較的整備されているが、そういった道は遠回りになりがちという欠点もあった。


 この距離を父は半日で行き、帝への謁見を済ませ、また半日で帰ってきた。

 その気になれば二時間程度での往復も可能であるらしいが、それはということのようだ。


 つくづく剣士という生命体は化け物である。


 だが、その化け物の中でも上位であるだろう父さえも、速度は車並みがせいぜいというのは、希望が持てる話であった。

 生身でトラックに勝てれば、剣士に勝てる。

 ただしそのトラックは、車の速度で動き回り、急制動し、方向を変え、頭を使ってくる上に、剣術まで使うトラックだが。


 そして帰ってきた父に曰く……


「あまりにも話が早い。帝はずいぶん、お待ちだったようだ。……これは本格的に何かありそうだね」


 楽しみだね、と息子に笑いかけて、湯殿へと向かった。


 梅雪は押し殺したように笑う。


「上等ォ……」


 陰謀、策謀、来るなら来るといい。


(この俺ならばはかりごとに引っ掛かると思った、その、後悔させてやる)


 梅雪は己の客観的価値を理解していた。


 氷邑家という名門に生まれ、父から後継者として指名されている。──これは、加点要素。

 ただし、道術士であり、剣士の才能がない。──減点要素。

 おまけにひどい癇癪かんしゃく持ちで、見る者すべてに当たり散らす。──もちろん、減点要素。


 総じてマイナスが多い相手であろう。

 十歳という年齢に将来性を見出したとしても、帝の妹が嫁入りするような者ではない。


 その相手との婚約を、帝が。……明らかになんらかの陰謀である。

 しかも、無能癇癪持ち後継を相手にした陰謀だ。


(仕掛けが楽そうでやりがいがないかもしれんなァ……)


 梅雪もそうだが、おそらく銀雪も、梅雪がことを明言してはいない。

 無能の癇癪持ちだとことは、罠として働くからだ。


 たとえば、梅雪も、そういう罠を仕掛けている。


 左腕。


 これは剣聖シンコウによって断たれた。

 だが、今の梅雪の左肩からは、骨と肉と皮でできた腕が生えているように見える。


 これは梅雪が、自分の腕を生身に見せかけるべく、道術を駆使して造り上げた義手であった。

 なお、道術により具現化された物質は神威かむいの供給が途切れると無に還るのだけれど、梅雪の圧倒的神威量であれば常に顕現させておける。


 この生身の腕にしか見えないものは、伸縮自在であり、神出鬼没であり、さらに硬度も生身とはかなり異なっている。

 この偽装が活きる場面はあるだろう。武士の備えというのは、無数の偽装を日常的に自然と身にまとい、どのような展開になっても勝てるように欺瞞ぎまんで体を飾ることもまたふくまれる。戦術における奇襲。相手の油断、意表を突くための心構えであった。


 梅雪は勝利を目指す。

 自分が気に入らないものに土下座させられる程度の勝利があればいいが、残念なことに梅雪が気に入らないものはあまりにも多く、ゆえに最強を目指すしかない。


「まったく、難儀なものよな」


 父を見送った廊下で、梅雪は一人笑った。

 凶悪に、笑った。



「ごこんやくおめでとうございます」


 ところで梅雪がアシュリーを寝室に呼びつけたことは一度もないのだが、アシュリーは何かの勤めだと思っているのか、毎日梅雪の寝室に来る。

 そして梅雪が寝転がる横で正座をして、何かを待っているので、梅雪は頬杖をついてアシュリーに話を振るという気遣いをしているのだった。


 そのアシュリーは今日もサイドテールをほどいて絹糸のような金髪を垂らし、浴衣でしっかりと小さな体を包んで、そこに正座していた。

 そして緑の目をきゅっと細めて、ひどく抑揚のない声でそんなことを言い出している。


 梅雪はピンと来た。


「嫉妬か?」

「そこはわかっても直接的に聞かないほうがいいです」

「ふん」


 鼻を鳴らす。

 アシュリーがまだ何か言いたそうなので、待ってやることにして、言葉が組みあがるまで、考え事をすることにした。


 梅雪はごろりと寝転がる。

 両腕を枕にするように天井をながめれば、ロウソク一本のみで照らされた暗い室内でも、はっきりと天井の木目が見えた。

 夜目が利く──という話ではない。


神威かむいを視覚で感じているな、これは)


 梅雪は剣術でも剣士や剣聖に劣らぬよう己を鍛え上げているが、最大の武器が神威の量であり、その適性が道士なのも理解している。

 よって、いろいろと道術方面も研鑽を重ねているのだ。


 そこにはこの世界にある道士たちの研究成果と、『中の人』のゲーム知識が活きている。


 具体的には、ゲーム的なステータスアップイベント、強化イベントで『起きたこと』を、この世界で生まれ育った梅雪の知識と、氷邑家で集められる資料で補完して、意図的に起こそうという試みをしているのだ。


 おかげでステータスはかなり伸びている、が……


(シンコウとの一騎討ちでわかった。氷邑梅雪おれが一騎打ちをする時、ステータスにかなり不利な補正が入る)


 梅雪は、この世界でのステータスの扱いについて、ほぼ分析し終えていた。


 ステータスは基本的に『集団戦』に活きる数値だ。

 一対一の場合はかなりの減衰補正が入る。そして、その減衰率はおそらく、に起因すると思われる。


 ユニットの属性というのはようするに、大名、忍軍、剣聖などのアレと、剣士、騎兵、道士の三すくみのアレ、それから……

 


(氷邑梅雪の背負うだと、そもそも、おそらく氷邑梅雪は


 剣桜鬼譚というゲームに、システム上


 もちろん集団戦の果てに結果的に兵力残り一と兵力残り一がぶつかる……ということも、まあ、まったくないとまでは言えない。

 迷宮探索では兵力をHPと勘定しつつ、演出的には指揮官数人(最大六人。剣桜鬼譚でのバトルはどれも指揮官は最大六人まで)がもぐっている、みたいな感じになる。

 だが『一騎打ちをする』というコマンドはないのだ。


 しかし剣桜鬼譚世界ではたびたび『一騎打ちの戦果』について言及される。

 迷宮探索に強いスキルを持つ者などは『個人の武力が強いユニット』であり、こういったユニットは作中において『無双の個人』として扱われることが多かった。

 まあいかにシナリオ上で無双の個人扱いされようが、集団戦ではステータスとスキルと相性と装備で全部決まってしまうので、『その一人だけなかなか削られない』みたいなことは起こらないのだが……


(集団戦はそのようにシステマチックなものであり、それはゲームとして正しい。だが……個人戦においては、


 ドラマチックであること。

 シナリオの強制力──という概念が『中の人』よりもたらされたが、それは『主人公は勝つ』みたいな、たった一人が世界の主役になるようなものではなく、シナリオ上強い者は個人戦においてステータスの減衰が少ない、みたいな……がある気配を梅雪は感じていた。


(まぁ、その手の『世界の法則』など、努力と才能でぶち抜いてやるが)


 剣聖との一戦において腕を失ったものの、それ以上のものを梅雪は確かに得ていた。


 結局のところ解決法は『レベルを上げて殴る』になる。だが、それで解決できるならそうする。解決法の糸口もつかめぬより、よほどいい。


 たとえば梅雪のような『負けるキャラ』が、一騎打ちにおいてステータスが千分の一になり、剣聖だとステータス減衰がないとしたら、


(ククク……希望の見える話だなァ。目標への道が閉ざされていないというだけでありがたい。それはそれとして、この俺を勝てないキャラ扱いしたこの世界は許さんが)


「……なんで婚約したんですか」


 梅雪が長く長く、この世界について考えつつ待っていたところ、ようやくアシュリーが声を発した。


 そちらに視線をやれば、アシュリーは、むくれている。

 こんなにわかりやすい『不服』の表現があるんだ……というぐらい、ほっぺたをぷっくりさせている。


(子供だ……)


 実際、子供なのだ。

 アシュリーは梅雪より年下である。


 まあ梅雪がR-18ゲームに登場していい年齢になるころには、全員十八歳以上なのだが……


 梅雪も十歳であるので子供なのだが、『中の人』はR-18ゲームができるぐらいには大人である。

 目の前でちっちゃい女の子にぷんくれられると、慰めたくなるのが大人の人情であった。


「来い」


 梅雪はアシュリーを布団に招く。


 アシュリーはむくれたまま、警戒心の強い四足歩行の獣のような足取りで、けっきょく梅雪の布団にころんと寝転がった。

 警戒心の強い動作だったが、一瞬の停止もなく来るあたりにとてつもないパワーを感じる。野生の狸めいた何かだ……


「いいか、アシュリー、誰にも言うなよ。俺は──帝になる」

「……え?」

「帝は近く、弑逆ころされるであろう。その際に、縁者もすべて死に絶える。だが、この俺と帝の妹との婚約が成れば……その妹を担いで、俺が帝になれるのだ」


 だいぶ調整は必要だが、そういうゴールにたどり着くことは可能……ぐらいの意味だ。


「だいたい、俺との婚約を望むような女だぞ? 陰謀があるに決まっているではないか」

「たしかに……」


 アシュリー、油断すると梅雪に『思うところ』があるのがあからさまになる。

 梅雪は今やそこも愛嬌だと思うようになっていた。『信頼してもいい相手』というのがわかっていると、どこまでも懐が深くなるのだ。


「……ともあれ、向こうがなんらかの陰謀でこの俺を利用しようとしているのならば、その陰謀ごと、この俺が食ってやるまでよ。つまり、身分上正妻という立場にはなるが、お前ほどの信頼をおくことはない」

「…………」

「そもそも、俺は女を増やすぞ」

「え、そうなんですか?」

「言ったと思ったが……」


 言ったと思ったが、言ってないかもしれない。

 言うつもりはあった。実行したかは不明だ。


「……ご主人様は最終的に、何人ぐらいのよめを迎える気なんですか?」

「ええと……」


 梅雪は剣桜鬼譚けんおうきたんのヒロインを指折り数えていく。

 基本的に領主大名家ごとに二人はヒロインがいて、剣聖シンコウのように大名家と関係ないヒロインもいるので……


 梅雪の折る指が二回折り返されたところで、アシュリーの小さな手が、梅雪の手を握ってカウントを止めさせた。


「わかりました」

「まだ数え終わってないが」

「すでに十五人いたのに……!?」


 それは陣取りストラテジー系エロゲーなので。

 このメーカーは声優を当てないが、ヒロインの数がとにかく多いのだ。

 ユニットじゃないエッチシーンがあるだけのヒロインまで含めたら百人はいた気がする。主人公、抱きすぎ問題。


「……う、受け入れます……」

「貴様の許しは最初から求めておらんぞ……?」

「そうかもしれないですけど! 心構えというものがあるんですぅ!」

「大変だな」

「本当にね!」


 梅雪はわりと真剣に同情しているのだが、アシュリーの心が乱れている原因がコイツなので、コイツに同情されるのはひどい不一致感があった。


「まあとにかく眠れ」

「話が面倒くさくなると寝かしつけようとするぅ!」

「なんだ、賢いやつだな。褒美に子守唄も歌ってやろう」


 梅雪が子守唄を歌いながらなでなですると、抵抗していたアシュリーはあっというまにおねむになってしまった。

 そもそも子供にしては夜更かししすぎなのだ。ゲームに出てくるアシュリーもさほど育ってなかったが、ゲームぐらいには育ってもらわないとさすがに困る。


「ククク……すくすく大きくなれよ……」


 アシュリーの健やかな成長を祈りながら、梅雪も眠ることにした。

 そう、梅雪自身もまた、すこやかな成長を願われる立場であった……

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