三章 帝都騒乱(全140、890文字)

第26話 婚約話

みかどより、婚約のお話、ですか?」


 氷邑ひむら梅雪ばいせつはその朝、修行時間より前に父・銀雪ぎんせつに呼び出されていた。


 そこは大名の私室である。

 いわゆる『評定の間』とは違って大人数が集まって家の方針を話し合う場所ではなく、基本的には、着座した当主が、一対一で誰かと話し合う時に用いられる場所となっている。


 部屋は板の間であり、当主銀雪は書見台しょみだいを己の右側に置き、正座で梅雪に向き合っている。

 その左側には刀が置いてあった。氷邑家重代宝刀『銀舞志奈津ぎんまいのしなつ』ではなく、もっと短い、刃渡り二尺六十cmほどの打ち刀である。

 名刀と呼ばれるものではないが、業物ではあろう。銀舞志奈津と比べるとかなり短く感じるが、打ち刀としては一般的な刃渡りである。


 そのような刀が置かれているのは、対面する者、この場合は梅雪が何か無礼を働いたり、当主への叛意を見せたりすれば、すぐさま抜き打ちによって首を断つためだ。

 ……実際にそういうことをする機会があるということではなく、大名家には様々なケースに応じた細かいマナーがあり、当主が当主の間で家臣と一対一で向き合う時には、こうしてすぐ横に抜き打ち可能な刀を置いておくのがマナー、すなわち『正しい対面セッティング』のうち一つであるからだ。


 もちろん梅雪はこの部屋に入る際には刀などの武器は一切帯びていない。帯びることを許されない。

 正座しているものの、当主には座布団があるが、梅雪は座布団への着座を許されていない。敷かれていた座布団の横に正座する、これもまたマナーの一つである。


 さてこのように親子ではなく当主と家臣という立場で向き合った梅雪が切り出されたのは、婚約の話であった。

 不自然ではない。


 梅雪は名門の後継であり、むしろ、これまで婚約者がいなかったほうがおかしかった。

 ……いや、婚約者候補はいたのだが、梅雪が道術士であり、剣士の才能がなく、いろいろあってなので、なかったことになっていたのだ。


 だというのに、婚約話である。


 しかも、その話を持って来たのは帝だという……

 何もかも不可解すぎて、梅雪はうっかり、当主の言葉を聞き返してしまった。もちろんこれは、重大なマナー違反である。


 梅雪はそのマナー違反に気付き、『しまった』という顔をする。


 銀雪は梅雪が自分で気付いたことを見やって、咎めずに話を続けた。


「実のところ、昔からこの話はいただいていた。が、私のところで止めていた」

「……それは、いったい、なぜなのでしょうか?」

「お前が弱かったからだ」


 答えになっていないようではあるが、今の梅雪には、それが答えだと理解できた。

 少し前までの梅雪は、相手からの『侮り』を感じれば、その時点でキレ散らかし、相手との関係性をひどいものにしていたことだろう。


 だが今は、怒りを取り置いて、効果的なタイミングで発揮することができるようになった。


 つまり……


(なるほど、俺がゆえに起こった変化か)


 梅雪はほくそ笑む。

 すなわち、父に認められたということだ。武のみではなく、人としての力のようなものを。


 銀雪は、苦笑していた。


「……自信がないのが、お前の乱心の原因なのもわかっていた。ゆえに、この話が来た時、お前にシナツの迷宮を攻略させる手段も考えた。だが……それでは、本当の強さは手に入らない。そもそも、神の加護で人は強くならない。アレは、誰でも手軽に強くしてくれるような便利なモノではないのだ」


 これも、理解できる。


 梅雪はシナツの加護を得て劇的に強くなった。

 だが、それは梅雪の天才的センスと、加護ありの状態で何度も動きを確認した修練の結果だ。


 シナツにより風を操ることができるようになり、速度も上がった。

 しかし、いきなり速度が上がっても振り回されるがせいぜいだし、攻撃に使うはずのシナツの力を使った動きの補助までするのは、失敗すれば自分の起こす風によって体をバラバラにしかねない難行である。


 梅雪ができるのはシナツの加護に頼り切ることをよしとしなかったがゆえの結果である。

 加護というのは、加護を活かそうと鍛錬する者にとっては加護だが、ただ得た力に溺れる者にとっては枷にしかならない。


 ゲームでは獲得するといきなり部隊全員が倍速になって、攻撃に神霊属性(風)が加わるが、現実だと『速くなった動きに感覚を合わせること』が必要になるのだ。


 というフィッティング作業。

 幾度かの剣術指南を経て、梅雪は、父・銀雪に『それ』が済んでいると認められたのである。


「お前の努力、お前の才能を知り、今のお前であれば、この縁談を受けられるものと判断した。だが……受けるかどうかは、お前に任せよう」

「……」

「帝からのお話ではあるが、どうにも。詳しくはわからんが、なんらかの意図があることだろう。もっとも、意図のない婚約などあるはずもないが」

「……はい」

「……帝と我ら御三家との成り立ちについては、知っているね?」

「は。かつて、ばらばらだったクサナギ大陸を帝の先祖が統一した時……それに、氾濫スタンピードが『魔境』より発した時。この二度の危機に、帝の先祖とともに戦った者こそ、今で言う御三家……氷邑ひむら七星ななほし熚永ひつながの成り立ちだと学んでおります」


 剣桜鬼譚けんおうきたん世界において、帝というのは天皇ではなく、征夷大将軍に近い存在だ。

 武力によって国家を統一し、さらに武士を率いて大陸の危機に立ち向かった、武人たちの頭領。それこそが帝であった。


 簡単に言うと、魔王を倒した勇者パーティの勇者が帝の先祖で、それとともに戦ったパーティメンバーが氷邑、七星、熚永御三家の先祖──のようなもの、ということになる。


 梅雪の説明に、父・銀雪は満足げにうなずく。


「中でも氷邑は『盾』であった。ゆえに今も、『魔境』に最も近い場所を領地とし、帝や七星、熚永を守る場所にある。その時の縁から氷邑家は御三家筆頭とされ、帝の信頼も最もあつい」


 ……というのはあくまでも氷邑家の視点であるのは、認識しておくべきだろう、が。

 わざわざそこを突っ込む理由もない。父・銀雪とて、ある程度のだとわかったうえで、それでもこのように語るのだろうし。


「……そこで、帝より、この氷邑の地に、妹御を降嫁こうかさせたいとのがあった。氷邑家としては、これをということで来ていただかねばならん立場にある」


 いつの世、いつの時代も、権力者は明言というのをしないものなのだった。

 権力者が『こうなったらいいのになあ』とささやいたら、周囲はそれを叶え、『こう』なるように努力し、『こう』なった結果を捧げるのみである。


 明確な上下関係がある帝と御三家なので、帝のささやきに対して御三家がそのようにするのは当たり前なのである。


 だが……


(……ころされる予定の帝の、妹か)


 帝というのは剣桜鬼譚世界において、武家の頭領である。

 もちろん政治力とかカリスマとかの要素が『頭領』には必要だが、基本的に武家は蛮族なので、『強いヤツが偉い』の世界でもあった。


 だが帝は弑逆しいぎゃくされる。


 梅雪とは破滅確定仲間ではあるが……

 ただし、仲間意識はない。

 梅雪としては殺されるほうが弱い。弱いから悪い、という考え方である。だからこそ、自身は強くなって運命をねじ伏せ、神に土下座を迫ろうとしているのだ。


『中の人』的にも、グラフィックもセリフもなく、最初の一行目で『帝、弑逆される』とだけ触れられるヤツに思い入れはない。


 破滅確定仲間はめフレだからといって懸命になって救いたい要素はない。


 そして帝の死と同時に全国各地で一揆が勃発したり、帝の三種の神器(すごく強い装備)が謀反人たちに奪い去られて奪った連中が次の帝を僭称せんしょうしたりといったことが起こり、そのどさくさの中で銀雪が暗殺され、氷邑家弱体化、主人公のチュートリアルにされる、という流れになる。

 言ってしまえば帝が暗殺されないぐらい強ければ、氷邑家はポッと出の主人公に潰されずに済んだのだ。


 ここで『だから助けよう』ではなく『だから勝手に死ね』と思うのが梅雪であった。

 帝の死からのバタフライエフェクトを止めるように動くよりも、自分と家を鍛えたほうが破滅への対処としては直接的なので、当然そうするというだけの話である。


 その上で、帝の妹を婚約者としてもらい受ける意味メリット


 そのうち帝という後ろ盾を失うし、帝を弑逆した連中から狙われるだろう。そんな厄介極まりない嫁をもらうメリットは、あるか?


 ここで梅雪は一つのひらめきを得ていた。


(帝が死んだあと、剣桜鬼譚ゲームでは、三種の神器を獲得した連中が、次の帝を僭称した。だが、


 つまり族滅ぞくめつさせられたのであろう。


 ……ということは、だ。


(おいおいおい、氷邑梅雪、さすがだなァ……さすが名門の嫡子だ。つまり、帝への謀反が成り、帝都ていとにおいて帝の血族が絶滅されれば、。しかも、現帝の妹だ。とくれば──!)


 氷邑梅雪に権力欲はない。

 だが、自分の上に誰かがいるのは気に入らないという癇癪かんしゃくはある。


(俺はすべてで最強になる。力も、術理も、金も。そして──権力でも、だ!)


 梅雪は内心の高笑いを表に出さぬよう、厳粛な顔で父に頭を下げる。


「その婚約、おけします」

「ふむ……」


 父・銀雪は何かを考えているようだった。

 今ある情報から帝の弑逆にたどり着くことはなかろうが、梅雪の内側になんらかのたくらみがあるのは感じ取ったのかもしれない。


 その企みを銀雪は、


「よろしい」


 目も口も半月のようにして笑い、肯定した。


「……帝というのは尊いお方だ。かつての英雄の子孫だ。しかし……現在、我らが下に置かれるほどの強さがあるとも思えないね」

「……」

「お前に委ねよう。どうにも、帝内以外の地域が騒がしい。クサナギ大陸が、かつて帝の祖が立たれた時のごとき動乱になるような、そういう気配がある。……。お前ならできよう」

「必ずや」

「楽しいね梅雪。我が子が強いというのは、これほどまでに楽しいことだったのか。お前が強くなってくれて、本当によかったよ」


 親子の語らいと称するには、あまりにも腹黒い笑みが浮かぶ。


(化け物め)


 梅雪は、よく話してくれるようになり、剣術の稽古までつけてくれるようになった父を見て、そう思うことが増えた。

 かつての、梅雪を避けていた、しかし自由にさせてくれることで愛を示してくれていたころの父に向けるような、乾いた尊敬はない。

 今の父には、危険性と、対抗心さえ抱く。だが……


 かつての関係より、よほど心地いい。


 父が化け物であるならば、子も同種の化け物。

 氷邑家の親子は、美しい面相に醜悪な笑みを浮かべ、見つめあった。

 あまりにも楽しい、父と子の健全な関係。

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