第25話 得たもの、得るもの

 氷邑ひむら家大名屋敷──

 ぎらついた日差しが中天にさしかかろうと昇っていく途上の時間、老人と少年が大名屋敷の砂の敷かれた訓練場で立ち合っている。


 少年は左腕をきらめく透き通った氷で造り上げ、左手に小刀を、右手に刀を持った二刀流。

 ただしその刀はどちらも木刀である。


 老人は胴具足と兜を身に着け、こちらもまた木刀を一本、大上段に構えている。


 老人が気合一声、少年に斬りかかる。

 だが、老人の木刀が少年の頭部に触れたかと思われた瞬間……


 倒れ伏していたのは、老人であった。


「やはりか」


 氷邑梅雪ばいせつは目の前に転がる老人を見下ろしていた。


 それは一応、梅雪の剣術指導教官としての役割を与えられていた老人である。

 もっとも、梅雪は彼の指導を受けたことはなかった。幼い梅雪は『負け』に耐えられない。指導の中の打ち合いではどうしても『負け』に該当する場面が出る。ゆえに、自分より家格の低い、しかも剣士としても衰えた老人に負けるのを避けるため、真面目に指導を受けないようにしていたのである。


 だが、最近は指導を受けるようになっていた。


 それは己の『この先』を知って鍛錬の必要性を覚えたからであり……

 この老人こそ、氷邑家で数少ない、『梅雪のために命を懸ける覚悟のある者』……『信頼できる味方』であったから、だった。


 老人はうずくまっている状態から立ち上がり、木刀が当たった頭を「いたたた……」とさすった。

 なお、その頭には兜がかぶられているため、痛かろうが、ケガとまではいかないはずだ。


 実際、梅雪の手応えは、たとえ本気で打ちぬこうとして木刀を振っても、兜に守られたあの頭蓋を砕くことは適わなかっただろう──という程度のものだった。


「坊ちゃま! い、今の技は、いったい!?」

「ふん。どこぞのコソ泥がもったいつけて『奥義』などと呼んだ、くだらん手品だ」


 梅雪は目がいい。

 一度見たものはたいてい覚える。


 事実、剣聖シンコウとの戦いの中で、シンコウが使った奥義の『光断ひかりたち』を使えるまでになっていた。

 身体操術とはらを据わらせることが要諦ようていであるこの奥義は、技術的にさほど複雑なところはなく、シンコウが振るった『無造作な太刀筋』よりも、よほど盗みやすかったとさえ言える。


 だが……


「本当に弱いな、この『奥義』は」


 梅雪は、この奥義の重大すぎる欠陥に気付いていた。

 光断は


 せんの行きつく先、一つの理想の到達点とさえ言える。

 それは相手の力を受けて、その力に自分で指向性と自分の力を足して相手に返すというもので……


 すなわち。


「……使


 あるいは剣士よりも強く速い存在……それこそ、神などか。


 考えるまでもなく当たり前の話だ。

 相手の力に自分の力を乗せるこの技は、


 たとえば父・銀雪のような化け物級の力と速度で攻撃された時、初めてこの技は真価を発揮する。

 いかに剣士の才能があるとはいえ、目の前にいる、弱り果てて戦場に立つことができなくなったような老人が相手では、兜越しに木刀で殴って『痛い』と言わせるのが関の山であった。


 自分より強い相手に使うのが前提の技。


 そしてそれは身体能力だけではなく、技術も、そうだ。


 ……梅雪が左腕を断たれるだけで済んだのは、実のところ、梅雪の失着であった。


 必殺の気概を以て構えるシンコウに気圧けおされてしまい、刃筋がブレたのだ。

 だから脳天に返されるべきシンコウの太刀もまたブレて、左腕を断つに留まった。


 ……つまり、シンコウが評価するほど梅雪は強くなく、はらも据わっていなかったと、ただそれだけの話。

 未熟が梅雪を生かしたというのが、あの時の攻防の因果であった。


「屈辱だ。あの女、必ず土下座を……いや、裸土下座をさせてやる……!」

「坊ちゃま……」


 老人は十歳児が奇妙なことを言い出したので困ってしまい、おろおろし始めた。


 その時ちょうど、鐘が鳴る。


 これは氷邑家領都で毎日鳴らされる半鐘であり、これが鳴ると、いよいよこの日が午後に入るのだと、そういうものであった。

 カリキュラムに従うのであれば、この老人との訓練の時間が終わったことを知らせるものである。


 そのタイミングで、すっと真横から手拭いが差し出された。


 梅雪は「ふん」と鼻を鳴らし、礼もせずに手拭いを受け取ると、顔を拭う。


 手拭いを渡した者は、梅雪の着ている厚手の剣術着をはだけ、粛々とその背中をもう一つの手拭いで拭い始めた。


 顔を拭き終えた梅雪は体を拭かせるに任せつつ、口を開く。


「ウメ、今日の昼餉ひるげはなんだ?」


 呼びかけられたのは赤い毛の犬獣人であり、シンコウから取り戻した氷邑家の奴隷であった。

 以前はやる気がない態度であり、梅雪のことも避けている様子ではあったが、取り戻されてからというもの、甲斐甲斐しく梅雪の世話を焼くようになっていた。


 なお、シンコウにはトヨと名付けられていたのだが、あのコソ泥クソ女に付けられた名前など呼ぶだけでイラつくので、梅雪は新たに『ウメ』という名を与えていた。

 梅干し色だから──というのみならず、梅雪の梅からとった。これは『俺のだぞ!!!』という所有権の強烈な主張であり、新たな何者か、たとえば主人公とかに持っていかれるのを防止する願掛けでもある。


 ちなみに。

 ……やはりというか、『主人公』は発見できていない。

 たぶん、まだ


 獣人の少女は梅雪の背を拭きながら、しばらく悩むように沈黙して、答えた。


「今日、は、南海の魚の、煮つけ、豆腐、雑穀米、あわびの味噌汁、です」


 氷邑領は西に『魔境』があり、南に海がある。

 なので海の幸が食卓に並ぶことも多かった。

 また、あわびや海老、牡蠣などがとりやすい小さめの湾が南東にあるので、あわびを味噌汁にして普通に昼食に出すとかいうこともやってのける。


 まあ、その湾は微妙に国境あたりなので、所有権で東の大名ともめた歴史もあるのだが……


「……畜産もしてほしいものだが、まあいい」


 梅雪は四つ足の獣の肉が好きであり、魚などの魚介はあまり好きではない。

『中の人』の知識流入で自分の食生活がめちゃくちゃ豪華だという客観的視点を得たものの、子供の舌であることは変わらないので、そのうちハンバーグとかいうものを作らせたいという野望があった。

 そのためには、牛を育てている領地との取引、あるいはその領地の支配をせねばならないだろう。


 ……が、まだ戦国時代ではないのだ。


 もちろんすでに始まっているところでは合戦や国盗りというものが始まっているのだが、氷邑家のあるあたりはみかどのおわす帝内と呼ばれる地域であり、ここは伝統と格式のある家が多く、世間で始まりつつある戦国とかいうには興味がない家が多い。


 興味が出始めたころには『主人公』が魔境から出てきて序盤のターゲットにされる。

 こういう『自分たちは伝統も格式もあるので盤石でーすw』みたいな舐め腐った態度が、主人公の勢力拡大に呑み込まれる要因になるのだ。備えろ。


「午後からは父と鍛錬か……」


 父は剣士として一流であり、氷邑家には家伝の剣術もあり、剣術使いとしても一流だ。

 その剣術を教えてくれるという話になっていた。


 家伝剣術があり、それでも剣聖を招いたのは……


(俺が弱く、愛神光あいしんひかり流が


 この世に剣士以外のための剣術というのは、存在しなかった。

 どこかにはあった可能性はもちろんあるものの、有名なものは一つもなく、なおかつ、剣士に術理で対抗できるほど完成された技術体系もまた存在しなかった。


 愛神光流が駆逐されなかった理由はさらにあって、この剣術、真髄理念が『相手の力を利用した後の先』であり、もともと強い者が覚えてもさほど意味がない。

 そのため剣士の才能を持たない者を、剣士が駆逐するということが起こらないのだ。


 純粋に技量のみで剣士に対抗できる人材が育つし、剣士がこの流派を覚えたところで格上相手にしか十全には振るえず、同じ流派内で剣士が術理を独占できない。


 愛神光流は平等厨の狂った女が格上殺しという狂った目的のために、狂った情熱を注いで体系化した狂った剣術流派なのである。


 ゆえにこそ、当時、父から弱いと思われていた梅雪が剣聖から剣術を習いたいと言うのを、父は歓迎していたらしい。

 何せ氷邑家のみならず、大体の大名家において、家伝の剣術というのは使

 弱い梅雪には実現不可能な技がいくつもあった。


 だが、シナツの加護を得た梅雪であれば、修められる……

 可能性が、ある、らしい。


 ……ちなみに。


 シナツの迷宮のことは、代々、氷邑家当主に伝わっていた。

 だが父が加護を得なかったのは、もともと制御が難しいほどの強大な力に、さらに神の加護まで加わっては、日常生活さえ送れなくなると危惧してのことであったらしい。


 さらに、梅雪が家を継ぐ際に迷宮の存在を伝えられる予定であったことも語られた。


 基本的に迷宮の加護は地上に最大で一人のみにしか与えられない。

 前当主が後継に加護を譲ろうと思ったら、前当主を討ち果たして加護をフリーにし、迷宮を攻略する必要性がある。


 つまり当主が後継に迷宮の存在を伝える時とは、なのである。

 よってギリギリまで伝えられないのが普通なのだ。


(……強くならねば、奪われるのみだ)


 梅雪は自分の立ち位置を知った。


 レベルを上げてステータスを上げている。

 数値的にはもう、ゲームをクリアできるぐらいにはなっている。


 だが、剣聖には勝てないし、恐らく、父にも勝てない。


 強くなっていないわけではない。シナツの加護だけでは、父に頭を撫でられた時、頭蓋がひしゃげていただろう。

 ただ、なんというのか……ゲームがあくまでも集団戦にフォーカスしたものであるからか、ステータスというのは、個人戦において見かけ上の数字ほど反映されている感じがない。


 おそらくキャラ設定やスキルの方が強く反映されている。

 すなわち、梅雪はまだまだ最強には足らないということだ。


(そろそろ、本気で統率を上げるべきかもしれんな)


 相変わらずだいたい全部煽りに聞こえるし、煽られたと思うと我慢が利かない。

 だが、行動で示せば結果がついてくる。


 梅雪の統率はアシュリーを味方に引き入れた時は四だったが、今は十八になっている。

 それは梅雪が『魔境』で魔物どもを倒した話が広まったり、あるいはアシュリーの部下である機工絡繰忍軍が、実際に梅雪の戦いぶりを見ていたり……


「おい、ご主人サマ!」


 ……『魔境』から連れてきた『まつろわぬ民』たちが、一定の尊敬を自分に向けているから、であろう。


 アシュリーの言うようにかなり挑発的なこともしたが、それでも『実力をわからせる』……つまり、挑発的な口調とすぐに土下座させたがる嗜好に実力が見合っていれば、『主人』と思われるらしい。


 梅雪はドカドカ近寄ってくる浅黒い肌の天狗エルフに目を向ける。


 そして嘲笑う。


「歩き方も敬語もできないとは、本当に悲しくなるほど物覚えが悪く、愚かなことだな……」

「クソムカつくガキ……! いいか!? アタシらは負けたよ。でもなあ、力を見せれば全部の連中が従うとは思わないことだ!」


 でもお前堕ちてるじゃん……


 この浅黒い肌の天狗エルフ、ステータスが閲覧可能になっている。

 つまりとっくに屈服しているのだ。ゆえに梅雪は、態度の無礼さを目こぼししている。


「で、なんだ? そんな恥ずかしい主張をしたいがために俺を探していたのか? どうやら仕事量が足らんと見える。もっと業務量を増やしてもいいか……」

「いや、いっぱいいっぱいだよ!? そ、そうじゃなくってさあ! ちょっとわかんないことがあって……土の話なんだけど……」

「ああ、なるほど。……ウメ、昼餉はで摂る。持ってこさせろ」


 畑。


 梅雪が『まつろわぬ民』に与えた仕事は、であった。


 氷邑家の領地は主人公へのサービスのために序盤から役立つあらゆるものをチュートリアル的に与えてくれるフリー素材である。

 その内政コマンドの中には『特産品開発』というのもあり、氷邑家では新たに茶を開発できる。

 氷邑茶と名前がつくほどの特産品に育つのだ。今まで開発されて来なかった理由としては、おそらく茶といえば帝の印をつけたものがすでにあり、民衆向けにはその辺の雑草を煮出した薬草茶が一般的であり……


 帝がしいされて、帝ブランドが地に落ちる未来をまだ誰も知らないからだ。


 特産品があるとターンごとに一定の金銭収入がある。

 金銭は徴兵や侵攻・防衛の時などに必要であり、行商人イベントなどでももちろん消費する。

 あらゆるリソースに言えることだが、あればあっただけいいので、せっかくできるとわかっている特産品開発を始めない理由がなかった。


 が、梅雪は統率一男なので内政、それも梅雪のみが可能性を信じている茶の開発などに回せる人材がなく、このたびまつろわぬ民を確保したのは、主人公のリスキルのためというのもあったが、特産品開発のための兵力を確保するという目的もあってのことだった。


 父を説得して父から『特産品開発せよ』と命じさせるのも可能だっただろうが、そうして回された人材が梅雪のために働いてくれるかは……まあ、梅雪がその立場にされたら、『働かずにやってる感だけ出すか』と思う。


(俺は最強になるぞ。武力でも、武術でも──金でもだ)


 あくなき野望。身近にすでに存在する壁の高さも知った。

 それでも梅雪は止まらない。


 すべては……


 気に入らない者に、土下座をさせるために。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

これにて二章も終了です。

三章もまだ過去編なので、まだ行商人は煽られ続けています。


フォロー、応援、コメント、★ありがとうございます。

ここまで読んで面白ければ★など入れてくださると続きを書くモチベーションになります。


ではまた次回三章で。

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